突如、耳にしたことの無い変な、ウルトラを連呼する歌が流れてきたのでなんだ?と思ったら、通りをウルトラの父(を描いたトラック)が練り歩いていました。
なんだ? 須賀川からいよいよ東京進出? ではなく、宣伝のようですが・・・
と、横浜の支社常駐の社員が本社にやってきた折、僕のところへ顔を出してくれながら言うのでした。いたのは事実ですが、開店直後の朝7時台のことですよ。
「あんたこそなんだってそんな時間帯に汐入なんかにいたんだい?」
って聞き返しちゃいますよ。そしたら住まいが近所でジョギングの途中だったと。
声くらいかけてくれたらいいのにと答えたらば、「朝っぱらから若い女の子と一緒だったから見なかったことにしといた方がいいかなって」などと言いやがるので、だったらここでその話もするもんじないよと思いながら
と答えて、つまんないオチを披露したわけですが
「雷蔵さん、茨城の人じゃないですか。横須賀で朝からお茶してるって、普通はないですよ」
うるさいよ。どこでいつお茶していようがこっちの勝手だい。なんならその後日、いったん仕事から帰宅した夜中、同じ通勤路を再び、今度は次女と走り回っていたこと話してやろうかとも思いましたが、素行不良に拍車がかかりそうなのでやめときました。しかしまあ人の耳目がどこにあるか油断できんわ。
その辺の数多の聖人を一絡げにして敬うのか供養するのか祝うのかよく知りませんけど、ハロウィンが明けるとカトリックな行事に衣替えする「All Hallows Day」が11月1日に定められているのは、土着の宗教を取り込みながら一応気を遣って、現実には葬ってしまった感があります。ケルトの司祭であるドルイドの宗教観においては、10月の末の日が1年を締めくくる「夏の終わり」で、翌日が「冬の始まり」。収穫を祝って春に備える1年の始まりという時期です。
ここを押さえておけば、反乱も起きないだろうという政治手腕もあったかどうか定かでないものの、ケルトの神話や伝承はけっこう都合よくいじられていて、聖人が舞台に登る前なら無礼講で良いぜとばかりのハロウィンという構図に思えてなりません。まあ、バカ騒ぎとは言えないんですけど、跳梁跋扈する悪霊も魔物も、翌日には征服者の腹の中に飲み込まれてしまうところが哀しい。ついでに言えば、あの世から還っているはずの祖先の影も薄いです。
この季節の変わり目。つまるところ「節分」において、江戸時代の京都あたりでは老女が桃割の髪に、娘が島田に結って、異性に化粧までして寺社へ詣でて新年祈願する「おばけ」なんて行事が行われていました。わざわざ「自分ではない姿」になるのは、節分の夜に徘徊する鬼から逃れるためで、なんとなくハロウィンの仮装と似通っています。一時廃れたこれは、花街などでの遊びとしてよみがえっているそうですが、こういう風習の起源にはつながりがありそうです。
今年は秋っぽい日々が短くて、温暖化の影響が顕著になった、四季が無くなりつつあると言われています。まあ我々の住む国では良いわけは無いんですけど、ハロウィンから諸聖人の日への、いきなり夏が終わったら冬、といういかにもヨーロッパな気候と暦の関わりってのは、今年のような体感なのかもしれません。そうこうしているうちに11月になっちゃいました。ケルトの世界じゃ3月まで冬ごもりですけど、そんな冬休みはもらえないねえ。
何を思ったか霙がこのところ首都高ジャンクションの夜景にはまっていて、それも「下から見上げる」のではなく「走りながら眺めたい」という変なリクエストを出してきました。翌日が休みだという満月の夜、道案内を頼まれぷらすBLUEで乗り入れ、都心環状線から東側の湾岸線と中央環状線を使って流れに任せて周回です。もちろん僕は、翌日に休みなど巡ってこないのですが、東京に出なくて済む近場の仕事だったのが幸いしました。
空いている真夜中の首都高は、どこのジャンクションも走りやすく、日頃は近寄りたくない浜崎橋も楽々とレーンチェンジできますが、レインボーブリッジは下側の都道を走った方が景色がかっこいい。時々、ルーレットの車や湾岸ミッドナイトな車に追い越されながらも、霙は「空いている夜」という付帯条件付きで首都高東半分をマスターしました。いずれ東名方面や中央方面への都心環状の分岐合流にも慣れてもらわなければなりませんが、覚えるの大変だろうなあ。
昨日、昼飯はもっぱらホットドックと思われそうな記事を書いておきながらこれですが、そりゃあホットドックばかり食ってるわけではないのです。という言い訳をもとに、仕事で出た街のステーキ屋で注文しようとしたら、スタッフよりも先にロボットが水とシルバー類を届けにきました。あまりの唐突さに意表を突かれていると、店員がやってきてロボットのトレーから配膳してくれて、固まっていたものだからロボットの去っていく姿しか撮れなかったという・・・
だけどこのロボットは配膳のときにだけやってくるようで、呼び出し方法が説明書にはありません。そのくせ食事の終わった食器類をのっけてくれとは書いてある。もういっぺん来てくれないかなあと待ってはみたものの、料理を運んできたのは店員でした。まあ「ヒトの仕事」を完全に奪われたら雇用の危機だしね。
回転寿司の店から、ちょっと感情移入しにくいデザインの半人型ロボットが姿を消しましたが、掃除用と言い配膳用と言い、非人型のいかにも機械だというロボットデザインの方が、心理的に安心できるかなあと、固まりが解けてから感じました。ふと思い出して帰宅後、電池を抜いてあったロボット玩具を再充電しスイッチを入れたら、ちゃんと起動したけれど、教育して覚えさせた言動や反応は全部消えておりましたよ。
芝刈りロボット!道の駅なみえに6台配置されているうちの2台が太陽光重電・蓄電池からのエネルギー供給だそうで、定時に独りで動き出して芝地の点検、刈り取りを行い、そのまま充電庫に戻るという働きを見せています。浪江町から南相馬市にかけて、国や福島県の震災復興としてロボットテストフィールドが整備されていることの、ひとつのプロモーションでしょうか。
それをまた、この暑い盛りに炎天下で面白がって見物している僕に対して、
「だって室内掃除ロボットが販売されている時代ですから、こんなのが在っても不思議はないです」
などと冷たい視線の部下。うるせーよ、昔は額に内蔵された極めて小さな太陽電池で戦う人造人間に陶酔したんだよ俺は!