仕事は無事に納まったですよ
なんだか若いのが「すいません、年が明けたら片づけます」とか言っておりましたが、それでもなんとか今年の仕事納めは成立しました。僕なんかは宵越しの金すら持っていない大貧民ですけど、年越しの仕事も背負わずに済みまして、基地の大掃除と正月の準備も済ませました(大晦日に仕事納めのことなどなんとも収まり悪いブログなのは、28日にマイティジャックのことなんか書いちゃったからです)。実は祝祭日のひとつも無い12月、よく乗り切れました。
「いいなー、あたしゃ元日出勤確定だー」 ←同情するわ
「こっちも大晦日のうちに帰宅できるかどうかわかりませーん」 ←同上だわ
「専業主婦なんて毎日が激務なんだぞっ」 ←真に受けてはいけない
こんなんですが我が家は平和裏に年越しに迎えます。皆様も良いお年を。あ、それから緊急入院した妹ですがおかげさまで峠は越えまして、検査結果次第で右か左かという心配は残るものの、ほっとしております。
うっかり忘れるところだった20周年
ダカールラリーの2003年、二代目エスクードの改造車(プロト)で出走した尾上茂さんは、完走を果たし総合45位という戦績をおさめました。いつの間にか20年も前の出来事になってしまいましたが、この大会はスタート地点がマルセイユ。スペイン、チュニジア、リビアを経由してエジプト・シナイ半島先端にゴールする、初めてパリでもダカールでもない「テレフォニカ・ダカール」でした。全走行距離は8,576km、競技区間(SS)はそのうち5,254kmに及んでいます。
この年の優勝は三菱パジェロ(やはりプロト)の増岡浩さんで、日本人エントラント初の連覇を遂げました。さすがはワークスマシンとサービス体制です。10日間くらいでこの距離を走るのは正気の沙汰ではない。でも冒険型ラリーレイドだから当たり前で、そんなところへプライベーターで9回も出て行っちゃう尾上さんもタフなおっさんでした。
近年、ジムニー歴史館の知名度が上がったのか、地元ポータルや企業人を紹介するサイトインタビューにも尾上さんが取り上げられ、ダカールラリーのエピソードが語られています。嬉しいことです。「ダカールラリー エスクード」でググるといくつかヒットしますが、うちで書いたものが混じっているところがこっ恥ずかしいですね。
うっかり忘れてました。本来ならば今年の1月19日に出しておかねばならなかった。
とりあえず帰省してきた霙ですが、年内は地元の事業所の年越し業務支援で仕事納めにはならないそうで、BLUEらすかるで出勤している間にフィガロとぷらすBLUEのタイヤを冬用に交換しておいてほしいと。
んー・・・ということは? 年明けの天候やら気温やらで降雪凍結が懸念される場合はフィガロを置いていくということか。
それとあらためてお知らせですが、固定ページに記しました通り我が家がちょっと緊急事態のため、明日の焚火を順延させていただきます。連絡をくださった人には大変申し訳ありません。
さらに追記
アラート待機中ですることが無い(大掃除しろよ)ので、つくばーど®サイトのリポートを本年最終盤でまとめました。まとめたとは言っても例の雑誌連載打ち切りでお蔵入りになってしまったものの掲載です。ひとつはクロさんとぴるりさんに取材したワンオーナー30年もので、これは本ブログにも載せています。実はもう一本、Cyber‐Kさんが執筆してくださった四代目エスクードの剣山スーパー林道紀行というのもあります。Newおだてぶたさんは乗り換えてしまったそうですが、まあそこは目をつむってください。
拍子木の音高らかに。
遥か北のツンドラ♪
55年前の12月28日。『マイティジャック』の打ち切りによって路線転向となった『戦え! マイティジャック』が最終話を迎えていました。この番組は子供向けアレンジを梃入れした30分ものでしたが、『マイティジャック』の方は大人向けスパイアクションとSF巨大空中戦艦を扱う、連続ドラマで1時間枠という本邦初の試みでした。1968年ですからこうした組み合わせの企画は極めて斬新だったのですが、13話で打ち切られました。
大人向けと言いながらも、『マイティジャック』のメンバーが乗り組む万能戦艦MJ号あるいはマイティ号は潜水艦であり艦艇であり航空機という性能を持ち合わせた全長235mもの大型メカニック。艦内で戦闘機や偵察機などを組み立て、航空機で言うインテーク部分から射出するというギミックは、子供ながらに「サンダーバードには無かった」「キャプテンスカーレットのクラウドベースよりかっこいいぞ」と小躍りしたのです。
制作陣と役者側との意思疎通が成立しなかったり、視聴率が振るわなかったりの不運続きなこの番組は、制作した円谷プロの屋台骨を揺るがしてしまうほどの成績でしたが、大人はこれらのメカ戦に馴染まず、子供は延々と続くドラマパートの無国籍ぶりに飽きてしまったのかもしれません。大人向けでも、冨田勲さんの勇ましい楽曲もふくめて、この番組はきっと子供層が味方をしていたはずなのです。特撮ものとはまだそういう時代だったと感じます。
なにしろスパイアクションがもてはやされれば、万能戦艦いらないのです。当時少年サンデーに連載されていた漫画も、第1話分で88ページ費やすうち、МJ号が描かれているのはたったの3コマ! 当然のことで、『マイティジャック』とは多国籍企業体が生み出した諜報工作員11名の呼称で、万能戦艦のことではないのですから。それでも「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」より10年も前に、МJ号は海底ドックから出航し波を蹴立てて飛翔したのです。







