シンビジウムが今年も咲きました。 バルブばっかりモリモリに増えちゃって 鉢がぱつぱつになってきたんだけど 今年は植え替えしてやらんとダメかしら。
話題にするのが出遅れしてますが、JAXAの無人探査機「SLIM」が20日午前0時20分あたりで月面着陸を果たしました。昨年9月に打ち上げられていたもので、やはりJAXAが申請し国際的に命名認証されたクレーターSHIOLIにほぼピンポイントでの着床を成功させています。日本初と同時に世界で5番目の月着陸となり、技術的にも着陸精度の飛躍的向上が話題となっています。ランディング方法も4脚の後ろ側2脚を先に着床させ、あとから前2脚を降ろすというユニークな手法がとられました。
この着陸、2015年にリリースされた「宇宙兄弟26巻」で、南波六太が月着陸ミッション時のトラブルで傾斜してしまった着陸船を立て直す際、着陸船に組付けられていた多脚走行装備を駆使して支えきり着陸船の転倒を防ぐというリカバリーによく似ています。「SLIM」の方はあらかじめ「転ぶように」と説明されています。するとこれは、2015年以前から、探査機の着床技術としてプランに乗っていたものが、先んじて「宇宙兄弟」に採用されたということなのかもしれません。
「宇宙兄弟」の時系列における2024年では、まだ六太は宇宙飛行士ではなく自動車メーカーの開発部所属で、彼がデザインしたクルマが賞を獲得する年回り(来年、上司に頭突きを食らわしクビになります)。弟の日々人が初めて月へ打ち上げられるのもさらに2026年まで待たねばなりません。その間、現実世界でも月へ再び人類を送り込むアルテミス計画の一環ミッションが準備されていて、「SLIM」もまたそのための橋頭保を築いたことになります。
О・ヘンリーだとAfter~でしたが今の今日はまだ何も動きが無いので20年前のことを。2004年1月22日、先代らすかるの積算走行距離が35万キロに達していました。20年前だとESCLEV記録ではこの時代、尼崎で退役した1600ノマドが58万キロという途方もない距離を刻んでいましたが、ここまででも大変だったのです(今なんか更に荒行苦行ですが)。現在ではEscudoMilage括りでなら10台が30万キロを越えて現役で走っています。
秋にあらためて先代に触れる予定ですが、2004年は月軌道までたどり着いた最初の経験値を得た年でした。過去の栄光に過ぎないですよ、でもこういう節目を通過してきたことが、今の自分を形成しているよなあと思うのです。
昨日、「ウルトラマンブレーザー」が最終回にしてテレビ放送の大団円を迎えましたが、第1期ウルトラをリアルタイムで知る身にとって、それよりも若い人たちが半世紀にわたるウルトラを咀嚼して作り上げるとこうなのかと、眼を見張り膝を打ち続けた半年でした。ニュージェネレーションという言葉は「ウルトラマンゼロ」以来の「ウルトラマンに与えた称号」と思っていましたが(実際そうなんだけれど)、これは作り手にこそふさわしいなと感じます。
縦軸を三通りも持たせながらその一つである「このウルトラマンは何者なのか」についてはあっさりとうっちゃり謎のままありのままの、全体を通して尺がもったいないから余計なことは描かない作風は、なるほど作り込んだ「初代」や「セブン」と比べると一見煩雑ですが、必要なものを何一つ落としていないばかりか、登場人物を一人たりとも粗雑にしていないところが素晴らしい。もちろん「ブレーザー」が今後のすべてのフォーマットになるわけではありませんが。
その一人であるミナミ・アンリ隊員役の内藤好美さんの演技は、場面ごとの表情の出し方、視線の動かし方と、脇の脇に置かれていても実に細やかな芝居をしていて好感度が高いです。聞けばドラマはほぼ初登場の人とか。もったいない、あと一クールくらい見ていたかった。てことで、わかりましたよこのあと予定されている劇場版も観に行きますよ。彼女の「やっぱみんなノーコンだと思ってたんだーっ」のセリフが聞けるというアースガロンの玩具も予約しましたよ。
あ・・・ヒルマ・ゲント隊長については映画観てからの感想で行きます。
うちの家内には「嵐田れいん」というハンドルネームがありますが、本人は段々このキラキラすれすれのネーミングが重くなっているそうです。
「ぶっとばすわよそんな短絡なの」とかいう対話があったりなかったりで、ここにきて改名です。我が家のルールに従い、「空からやって来るもの」は踏襲しております(雫となると、空からとは限らない気もしますが)。ついでに言うと、SIZUKUはSUZUKIのアナグラムなんですがそれを言ったら本当に殴られるので「H」を入れてあります。
というわけで当日昼には夫婦水入らずで近所のイタリアンな寿司屋にて「多くは突っ込まないでねの」お祝いしたんですが、お店の大将のはからいでコース料理の締めくくりに出てくるデザートが、いつものパンナコッタに一品追加していただけていました。
イタリアンな寿司屋のランチコースは侮りがたい品数と美味しさで満腹感も充実して帰ってきたのですが、夕方になって娘らが「多くは突っ込んじゃダメなお祝いに行きますよ」と突然宣言し、一枚も二枚も上手の和食割烹に連れていかれ「少なめにおめでとうございます」などとやってもらえました。雫さん久々の生ビールで帰宅後は爆睡です。こちらのコースは少な目どころかヘビーメタル級で食いきれなかったらどうすんだの量とうまさでしたよ。
結局「ジムニーのハマー化」だったというオチで、なーんだと思っていたら見てくれだけでこのJ1のフレームとエンジンはエスクードのものだと。H25Aを積んでいると。僕の目も節穴ですがこの人だって「ジムニー」だと思い込んでる。
←ちょうど20年前でしたよ、ありていに言えばボディワークの腕前はまだこの程度なんだなあとも感じました。偶然追い越されたことがあるんですが、この頃はまだ初代の中古車も豊富だったので、「へー、エスクードベースでこんなの作るのか」くらいにしか思わなくて済んでました。ひょっとして、この頃からフレームもエンジンもここんとこの作品まで使いまわされている?