Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

5セットめの組み付け

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ピットより高性能を目指すなら、持論としてはダンロップを推奨しますが、義理人情と付き合いというものもありますので、チームウエストウインが頑なにジオランダーを使っているのを攻めることができません。人のことは言えないのです。僕自身、そうだと思っていても、新調するのが5セットめにもなるデューラーAT694なのですから。

リア右にローテーションしていたタイヤは、スペアタイヤとして背負っていたもので、最初に履いたのが2009年でした。もうサイプなど消え失せ、ほぼ丸坊主です。残る4本は2012年に新調したのですが、そのうちの1本は昨年バースト。さらにもう1本にも裂け目が見つかり、これがスペアタイヤに回されていました。

今回は、昨年臨時で入れた1本をスペアとして残し、4本を新調します。タイヤ館つくば谷田部店のご好意で、ありがたい見積もりを出してもらえました。が、本当なら足回りも一新したいし、エンジンの重整備もやりたいのに予算が無いという体たらくです。やっぱりねー、娘一人を遠隔地の学校に行かせると、とーちゃんの生活費がざっくり削られるのが痛いのですよ。運転席だけでなく前席2脚を揃いでレカロ化するなんていうのは、いつのことになるのやら・・・

 

こう見ると多いのかも。

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なんだか不思議。

なんだか不思議。

いつぞやの「使い方の判らない機能」で〝緑だけ拾う〟を使って撮った我が家の庭です。
ふーん。こんな写り方するんだ。

モノクロームに緑だけってなんか異空間みたい。

手前に姫蔓蕎麦がわらわらと生えているんだけど、あの葉っぱは緑じゃないからグレーの塊になっちゃったわん。

そして船は飛ぶ・・・?

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ふね先日の新潟行で、待ち合わせまでの間に海岸を散策していたところ・・・

 

船が飛んでおりましたよ。

 

その日から45年

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500000km2011年7月30日、kawaさんのTD11Wが月までの距離を走りきりました。これは奇しくもアポロ15号の月面着陸と同じ日で、その日から40年めの夏。いいとこに持って来たなあと感心したものです。

で、そういうことなら。ってんで、BLUEらすかるは「アポロ11号の月面着陸の日」をめざしまして、7月20日、無事につくばーど基地に帰還した時点で50万キロに到達いたしました。その日から45年後、というところがちょっと半端なうえ、この距離だと着陸できる適当な場所が軌道上には無い(大失笑)

 

かねこ今回の道のりは、もちろん仙台の作戦室からスタートしたのですが、経由地に新潟市を選択しました。おいたマンさんととうまくんが「晩飯食いましょう」と声をかけてくれて、Looplineさんが「それならタレかつ丼激ウマの店に行きましょう」と誘ってくれて、「夕方から仕事だったけれどまあいいやで行きますねー」とふっじいさんも駆けつけてくれました。

19日夕方、新潟大学の真正面にあるとんかつ屋さんに連れて行っていただき、激ウマに加えて激安なタレかつ丼をたいらげ、その後ガストに席を移して車談義です。

ガストはとりあえず置いといて、とんかつのかねこはボリュームやら値段やらでは評判のお店とのことで、タレかつ丼という新潟市ならではの献立も堪能させていただきました。

石岡帰路は関越まわりの北関東道経由。連休初日の割には全般交通量が少なく、マイペースで走っても4時間未満で基地に到着できまして、20日の法事をこなし、石岡での夜会に臨むことができました。

この石岡夜会がまたありがたくもうれしいことに、コムロさん、新月さんと風花さんらと晩飯を食っているところへ、ギガントさんご夫妻、AMGさん親子が時間差でやってきてくれて、時間を忘れて新潟の報告やら八月以降のイベントやらスポーツタオル企画やらをめぐって対話が続きます。

話はここで終わらず、それじゃあそろそろ御開きにしましょうかねと、会計を済ませて駐車場へ出たところへ

「久しぶりに通ったらエスクードがいっぱいいるんで寄っちゃいました」

と、おおとりで現れたのがとにいさんでした。まさしく昨年の妙高高原・杉野沢での遭遇劇の再現です。

やーもう全車が一堂に会するところはまとめて撮りようがなかったので、挿絵はそういうふうにくっつけちゃったものですが、6台のエスクードが時間替わりで並んでおりました。いつもの石岡夜会の賑わいをいただくことができて、果報者であります。

 

しかし50万キロの余韻もへったくれもなく、21日は谷田部にてタイヤの新調ののち、岩手県大槌町に向けて出発です。

 

 

 

 

五七(ごしち)日

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ドライブ中有の途にある母を供養するため、海の日の連休は三十五日法要を行います。故人はどちらかというと山girlな人で、リュックサックの荷造りの仕方は教えてくれましたが、シュノーケルの使い方は教えてくれませんでした。どのくらい山girlだったかは親父に聞けば話が早いけれども、早いだけでなく長いのでやめておきます。というより、たぶん聞かなくても話し始めることでしょう。僕が生まれる以前のことですが、北アルプスやら南アルプスやらの主要峰はすべて登頂しているという、けっこう見かけによらないお袋なのです。そう言われてみれば、一番古い記憶は野辺山の野原でキャンプをしたことで、粉末のメロンソーダを水筒の水で溶いて飲ませてもらったときの情景です。

親父と、親父の兄弟は全員山岳部出身で、お袋は親父と交際したばかりに山登り(実は岩も登れた)の手ほどきを受ける羽目になったのです。これが僕に受け継がれなかったのは、60年代に入ってからのこと、この兄弟どもがそろってモータリゼーションの洗礼を受けてカーキチ(死語)に転向してしまったからです。しかもそれぞれの愛用する車と同じメーカーの車には乗ってはならぬというくっだらない不文律を作りやがった親父たちの煽りをくらい、僕の場合は親父のお下がりのホンダZから始まったものの残されていた開拓地はスズキにしかなく、ジムニーからエスクードに至る人生が待ち受けていました。

「いいじゃないのよ。四輪駆動車に乗った男どもは今まで一人もいなかったんだから。ジムニーかっこいいわよ」

お袋はそうやって褒めてくれるのが上手でした。まさかとは思うのだけれど、いつしか不文律は消滅して、親父がジムニーに乗り出したのは、この逸話をお袋から聞いたからではないのか?という気もするのですが、

「あんたが乗ってた頃はよかったけどさー、そりゃ乗せてもらうんだったらエスクードの方がゆったりしていて楽だわよ」

なんてことを言って笑っていた話は、親父にはできませんです。

 

最初の月命日

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18物持ちが良いだけでなく、使い倒す人でした。

朝、起きてからの日課のひとつだったはずの日めくりは、亡くなる前日のまま。

物には、それが使われることで魂が宿ると言っていた。だけど、この日めくりを再び動かすかどうかで、ちょっと葛藤があります。

末は植物園か?

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実はもっとある・・・

実はもっとある・・・

新月サンがずっと前に貰ってきた蘭を植替えしたら、
株分けする羽目になり増殖・・・
そして義妹がお客さんに貰った観葉植物が2鉢増加。

今は外に出してるけど、この他にシクラメンが4鉢とディフェンバキアが2鉢。植替えの時に分裂増殖させてしまったシャコバサボテンが4鉢・・・

頼むからこれ以上増えないでくれ・・・

棚から非常食

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ばりぃさんおおぅ・・賞味期限切れてるぢゃねーか。

まあいいか。

19日と20日の夜会に平気な顔をして現れたら、腹は壊さなかったよということで。

機能がよく解らなひ・・・

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これは多分〝トイカメラ〟モード

これは多分〝トイカメラ〟モード

いつも使ってるコンパクトカメラ。色々なモードがあるんですが、いまひとつ使い方が解らない・・・ 
で、画像を後で見ても何モードで写したのか覚えてなーい(汗)
・・・それじゃダメじゃんねぇ。

これは〝赤〟だけ。

これは〝赤〟だけ。

あと、特定の色だけ写るモードとかもあるんだけど、どんなシーンで使ったもんだか・・・?

ウルトラ作戦第一号の日

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m78先日、ウルトラマンの日をどうにもお茶を濁す形で扱ってしまったので、やり直し。

7月10日がその日に充てられているのに、放送開始日の17日はほとんど話題にならないのが不憫であります。10日はウルトラマン前夜祭という形で、公会堂で開かれたお披露目イベントが生中継され、事実上ウルトラマンがブラウン管(そういう時代なんだもん)に姿を現したことで、ウルトラマンの日という栄誉を与えられています。聞けばこの日は、戸籍上の円谷英二さんの誕生日でもあるそうで、諸々妥当だよねという記念日として、逸話自体は有名なもののようです。

なぜそのようなことになったのかも有名なエピソードで、前番組であるウルトラQの最終回が放送中止の憂き目にあうことが事前にわかり、ウルトラマンの放映第1話「ウルトラ作戦第一号」は、予定通り17日で待機し、円谷プロとTBSとで苦肉の穴埋めをするため、お披露目イベントを企画するに至ったそうです。

しかしこの第1話も撮影順で行くと2番目あたりの話数で、撮影初弾は第2話として放映されている「侵略者を撃て」。そのような入れ替えは珍しいことではないのですが、ウルトラマンの黎明期はごちゃごちゃとした喧騒の中にあったようです。

それを言い出すと、ウルトラマンの初稿での名前がベムラーで、これは決定稿時点で第1話に登場する怪獣の名前に変更されたことも因果な話題です。そしてこのM78星雲宇宙人は、科学特捜隊のハヤタ隊員によって初めてウルトラマンと名付けられるのです。それが1966年の7月17日の出来事でした。

・・・あっ、ウルトラマンというネーミングは10日のイベント時点で明らかになってしまっているという突っ込みはこの際不許可です。それよりも、後に初代ウルトラマンと呼ばれるようになった彼ですが、もうすぐ生誕半世紀となるにもかかわらず、彼の本名がいまだ謎のまま。ウルトラセブンもそうなんですけど、いずれそこにも企画の手が伸びていくのでしょうかね。