Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

ささやかなる一服を星あかりのもとで

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一服作戦室から持ってきてもらった雪村誠さんの「ブラネテス」と、やまむらはじめさんの「蒼のサンクトゥス」を、もう何度読み返したことかの読み返し。業務から離れ(られてないんですが)てるときに、小説であろうと活字の本なんか読みたくないのです。送り付けられた専門書類なんかロッカーの中に放り込んでやります。もう何しろ志低くなってます。

どちらの漫画も四巻、五巻完結なので、すぐ読み終えてしまいますが、ベッドの周りに家財道具が増えるのも問題ありなので、これくらいがちょうどいい。今回はあらためて描写やら描き込みを観察して面白がろうとしております。

それで早速釘付けになるのが、「ブラネテス」の第一巻に出てくるこの話。宇宙勤労者にして愛煙家というフィー・カーマイケル姉さんの武勇伝ですが、何度読んでも痛快。そして今回に限っては、今の自分の境遇が、喫煙できないこのエピソードでじーんとこさせます。

病室は5階、喫煙許可ゾーンは病室から15mほど歩いたところにある業務用エレベータで1階に下りて、そこにある裏口からさらに10mくらい先にある・・・らしいのです。ナースはもちろんリハビリ担当のお嬢さんも教えてくれなくて、処方された薬の説明に来た薬剤師のお兄さんからようやく聞き出した最短ルート。

でも、今はそれが、大気圏再突入よりも困難なミッションなのです。

Team WESTWIN Warriors#067

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jxcd13-10恋の浦ガーデンで開かれた九州ジャンボリーとの共催イベント、JXCD第四戦の結果がきました。Team WESTWIN からは後藤誠司選手が参戦し、無差別級のP2クラスこそ第3位にとどまりましたが、群雄割拠の2000cc以下であるP1クラスは優勝を遂げたそうです。このP1クラスがなぜ群雄割拠かと言えば、オフロード系四駆のダートトライアルとして、無差別級に出てパジェロエボリューションと真っ向勝負する人は少ないということと、車両ではリッタージムニーや、それをベースとして改造するマシンの幅が広いということでしょう。

 

形はジムニーでもM18を積んで、足回りはどこかで見たフロント独立懸架でリアリジット(そんなの国産車じゃアレしかないのよ)などという改造車がやって来るわけです。

「乗れてました。見えてましたか?」

後藤選手はにこにこしながら島雄司に尋ねたそうですが、実は主催者ブースにいる島監督からは、コースを走る彼らの様子は見ることができないらしい。

「でも音でわかるんですが、M18の高音がまたいい音色で響き渡るんですよ。たいていの人はそちらに気をとられるはずです。しかしエスクードのJ20Aがカムに乗って響かせる音って、聞いたことないだろうと。今日はまさにその最高の音を聞くことができましたね」

つまり、後藤選手は徹底したファストインファストアウトでコーナーに攻め込み、アクセルを踏みっぱなしでコースを駆け抜けているのです。大牟田から恋の浦に移転する際、恋の浦の傾斜やアップダウンの切り返しについては、リスクが高いとまで言われていたのですが、九州勢は早くもこのコースをものにしてしまったようです。

「案の定ハイパワー車には一歩及びませんでしたが、全開で登って行って急速な右ターンを消化すると、今度は下りながら左のターンが待ち受けています。ここをよく攻略したなと思います。ノーブレーキなんですよ」

島監督の分析によれば、各コーナーでの細々とした処理にはまだまだミスの目立つ後藤選手ですが、肝となる一点を攻め込んだ時に猛烈な進化が見られるということです。ノーブレーキで行くことは、要するにハイパワー車が力みを抜く一瞬にタイムを詰め寄る、エスクードとしては非力さをどうにかカバーする作戦とも言えますが、このコーナリングにおいて、突っ込んでくるフロントに少しのブレもないというのが後藤選手の走りです。

この様子を見ていた主催者陣営も、

「島さんは、もう彼に教えることは無くなったねえ」

とつぶやいたそうです。

「まあ乗れているときの後藤くんには手が付けられないと、川添くんが言うほどですから、この勢いのままTDAでの勝負が楽しみです。後藤くんは後藤君で、パジェロエボの廣瀬選手に負けていますから、まだまだエスクードの戦闘力を引き出してくるでしょう」

今回、島監督は車体の軽量化を図っています。ヘッドライト、左右ドアの窓ガラスを撤去し、アクリル板に置き換えました。しかし監督自身は程度問題の対策として処置したとのこと。エンジンの性能に、まだ余力を見出しているというから、驚きです。何しろ言わずもがなの十五年以上前のクルマなのですから。

 

真夜中の旋律

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まがじん痛み止めと痛みの鬼ごっこのような日々。昼は安静とリハビリで過ごして夜は安静と睡眠で過ごせ・・・るわけもなく書類だ原稿だ講演の依頼だ(すいません、これは丁重に辞退しました)に苛まれながら、原稿書くったって図書館に行けないのよと、インターネットを徘徊して資料探しをするのですが、どうしたものか、ネット上の情報というのは図書館や資料館の書物ほどの信頼性を抱けないものがあります。それでまた悪循環に陥るわけで、ときどき仕事をぶん投げて、違うものを探し当てたり当てなかったりするのです。

それでびっくり、この楽曲とン十年ぶりの再会。

日本テレビ開局20周年の企画番組だったとかで、当時そんなことまでは知りませんでしたが、この「さよなら・今日は」は、ちょっともう解説しきれないほどめんどくさい豪華キャストのドラマでした。それでまあそんなドラマをまたよく見ていたものだ(たぶんチャンネル権がお袋にあったのでしょう)と思うけれど、ドラマの話は置いといて、チューリップともガロとも違う不思議な旋律と声色で、まがじんというグループに耳が釘付けになったのでした。おそらくまだ、つくばーど基地には、挿絵そのもののジャケット装丁のシングルレコードが残っているはずですが、彼らの楽曲を聴くことができたのはこれ一曲のみでした。

この曲は赤い鳥の「目覚めた時には晴れていた」(後にビリー・バンバンや伝書鳩もカバー)、ビリーバンバンの「さよならをするために」につながる旋律で、いずれも坂田晃一さんによる作曲。誰ですかそれは? というジェネレーションに対しては、「母を訪ねて三千里」とか「ふしぎな島のフローネ」とか「南の虹のルーシー」とかの音楽プロデューサー… まだギャップがあるとすれば、「コクリコ坂から」の主題曲の元の歌の作編曲をやった人です。そういえば、まがじんのこの曲の作詞を担当した万里村ゆき子さんが、コクリコ~の主題歌の元々の作詞をやっています。

が、こういうデータは後年知っていくお話で、子供時代の自分には、強烈に耳に残る旋律で印象付けられたものばかりです。しかし引き合いに出した二曲よりも鮮烈に体験したのは、まがじんの曲を知るさらに1年前に出っていたこっちの曲でした。これはもう阿久悠さんの詞にも持って行かれた感がありますが、なんというか、ほら、片思いの一つも始まっていたかもしれない(そういう記憶はすでに干からびて、無い)ませた小僧が、ロックンロールな方向にのめり込む直前によろめいた旋律だったのです。

あー、たった一曲になげーよ・・・ でもすべてテレビがもたらしたものだったのね。ついでによくよく見てみたら、ここに出てくるドラマ(アニメーションは除く)って、全部、浅丘ルリ子さんの出演や主演なんだけれど、僕自身は浅丘さんは苦手なタイプです。

禁断の禁煙勤労

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喫えない笑っちゃいけないんだぞ、と先取りして断っておきながらも、雷蔵が寝たきり入院なんて構図を笑わずにはいられないだろうよとも思うわけです。

僕だったら、自分のことだから笑っちゃいます。

だからあなた方は、笑うな。

いや、笑わないでくださいお願いします。

などと馬鹿をやっいる場合ではないのです。

こんな状況下でもへらへらとブログが更新されているものだから、

「あっ、雷蔵さん、大したことないですね。じゃあ頼んである原稿は予定通りに」「なーんだベッドの上でも仕事してるんじゃない。それならこれやって」「まあ病気じゃなくてよかったよねー、原稿書くのは頭と手先だから腰や足には影響ないし」

などなど、人をなんだと思ってるんだの見舞いついでの仕事の依頼。

「悪いが俺は休暇だ。真っ白なシーツ、美しい看護士たち・・・」

「なに馬鹿ぬかしてんですか。今はただの飛べもしないアライグマ男でしょー?」

てめー、いつか覚えてろよ・・・と、断りきれない自分。

しかしそれらの依頼は、それはそれで入院費などを稼げるからありがたく受けますけど、古い体質の物書き仕事には、現代の病室というのは煉獄なのです。

明るいうちは原稿書きに費やせそうですが、検診やら回診やら配膳やらリハビリ指導やらで、意外と小刻みに行事が追いかけてきて、中断。日が暮れると午後9時で消灯ですから、モニターの明かりが同室の患者の迷惑にならないよう早々と中断になってしまうのです。

真夜中は・・・この病室の患者、全員、無呼吸症候群だぜ。これは初めて恐ろしいと思った。

そんなタイムテーブルで、遅々として進まない原稿ですが、最も厄介なのは、現状の臥せった自分は、一服の煙草が吸えないという過酷な環境にいることです。

僕がかかっているのは整形外科だから、吸ってもいいんです。

指定の場所にさえ歩いていければ・・・

ああっ、ブログ書いてる場合じゃないっ(でも更新される)

兄弟艦、親父の艦

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2199-lastそんな演歌みたいなタイトルつけたくないですが、宇宙戦艦ヤマト2199の最後のドラマは、換えることのできない沖田の去就と、放射能除去装置に代わるコスモリバースシステムの仕掛けとなった古代守が場を固めていきました。

このコスモリバースというシステムについては、ドラマ内で取りざたされた波動エネルギー兵器の危機感以上に、危ない爆弾をヤマト世界に創造してしまったような気がします。星のエレメントについて、その星を思う心の扱い方をなぜあの二人の立場でやってしまったのか。そこに落とし穴があります。

思いという表現を人の魂、ひいては命を吸い取るかのようなシステムの印象は、40年近く経つのに森雪の衣装をそういう風にしか描けないのかとかいう苦笑いとともに、速いとこ改めるべきでしょう。と言っても今さら遅いのかと、エンディングを眺めてまたびっくり。

テレビ放送版に関しては、言ってみれば「月9」のお株を奪いそうなエンディングにまとまっています。うちの女性陣に言わせると「アニメのエンディングテーマ曲をJUJUが担当するって珍しいよね」とのことですから、第7章分たった4回の起用はかなり贅沢なもののようです。最終回のみ、エンドロールはドラマとかぶせましたが、絶妙にシンクロしていました。が、あえて宮川楽曲を押しのけてそうする必要があったのか。劇場や映像ソフトと異なる音楽の差し方には多方面の事情を感じざるを得ません。

それでねー、あー終わっちゃったよーと病床で痛みに耐えながら見ているときに、間髪入れずに「完全新作劇場映画 2014年」などという画面を出さないでくださいよ。そういうのは1週間早いよ。それでもってまた矢継ぎ早に「ヤマトどころではないでしょうけれど、最後の最後でやられましたー」とか、和邇さんからメール着信があるもんだから、はからずも次回作のプロット深読みしちゃったじゃないですか。まあまずはコスモリバースのための原料について、もうちょっと違う組み立てをするべきかなあ。

 

 

乗り遅れた終電

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この先へといっても「北鉄」は電車じゃないですが。

「あまちゃん」の最終話は、BSの入る病床付属のテレビで見ていたため、朝は二度、衛星放送と地上波との時間差で見ることができました。ううっ、こんなに遅くなってから書くのって、完全に乗り遅れてる。でも、朝のドラマはときどきスピンオフした特別編なんかを作るので、まだ便はあるかもしれない。続編だとかパート2(これはスペシャルとか特別の枠ではない、半年放送枠のことむ)じゃなくていいから、もう一回乗せてくれっ。と思った人はけっこう多いんじゃないでしょうか。

これ、スピンオフを作るにあたって(作ると決めつけるな)、スピンオフどころか小ネタ満載の部分だけ抽出して、大ネタな話をやってしまえないかと思っていまして、最終話で天野アキと足立ユイがまだ未開通区間の鉄路に踏み入っていくシーンを見て確信してしまったのが、この映画。いや全然イメージが重ならないだろうと言われるのは必至ですが、いまどき勝手にトロッコを走らせてどこかへ行ってしまえる路線なんて、架空の「北鉄」と夏の北三陸沿岸の風景意外に無いじゃありませんか。

誰をトロッコに載せて逃避行させるのか、そこに至るプロセスをどう組み立てるのかは、一応考えてみましたが、長いので割愛。まあ誰と誰がトロッコに乗るかは、だいたい想像がつくと思いますし、「去る者は追わずだ」と言える人物もほとんど決まってます。

現実の北リアス線は、北鉄で言うところの畑野駅(田野畑駅)から先が不通状態で、一つ先の島越駅を中心に復旧工事の最盛期。工事を行っている鉄道運輸機構の久慈の建設所長さんは、喫茶リアスにご飯を食べに来ていても誰も気がつかないくらい線の細い、しかしいい男・・・というどうでもいい小ネタはともかく、ここがつながっていないとトロッコは先へ行けないのですが、物語としては「まだつながってないけど、なんかどこかへ行けるんでないかい?」のノリでいいと思います。

しかし、「宮古さ着いたらバスに乗り換えろよー」とは、さすがにローカルすぎて, アキには言わせたくないです。

 

でも妙高高原には行きます

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2004-8もうすぐ足かけ10年にもなる妙高のとん汁と林道と宴会のミーティングを、椎間板がどうにかなったくらいで中止するわけにはいきません。しかし10年経てば体もポンコツになってくるのを痛感します。写真は妙高のベースキャンプである「空飛ブウサギ」と縁が出来た頃の霙ですが、「今回は土曜日に授業があるので欠席」なんて言われるほどに年月が過ぎてまして、本日が16歳の誕生日ですよ。。

つくばーどin妙高高原Ⅹのおしらせ

 

10年前、妙高には2度出かけています。最初はつくばーどin新井~長岡とタイトルしていて、妙高は中継点だったのです(レポートの2ページ目に、挿絵と同じカットがあります)。宿のオーナーがエスクードユーザーだったり、この頃何度か行われていたとん汁を食いに行くためだけのツーリングが同じルートだったりで、これは面白いよと、この年の秋に1回目のつくばーどin妙高高原が実現しました。妙高は不思議なミーティングで、エスクード仲間たちの結婚披露宴に準じたお祝いも、何度も開かせていただいています。実に、メインイベントになるはずの林道妙高小谷線縦走よりも、結婚お祝い宴会の方が多いのです。

毎回、多忙の中時間を繰り合わせて駆けつけてくれる仲間たちに感謝するとともに、新しいエスクードユーザーさんも少しずつやって来てくれる妙高。ことしは秋の開催です。

 

取ったどー。

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にょほほほほ♥

にょほほほほ♥

新月サンが銜えて抱えて帰って来た布団乾燥機~♪
「半端な順位だったから商品賞品ないかも」(例によってコンペ)って言いながら帰ってきたので『残念ねー』で終わったと思ってたら、時間が遅くなったので表彰式とか無しで帰ってきたから判らなかっただけなんですって。後日「はい、この前の賞品」と渡されたそうな。
ズワイガニに次ぐ高額商品だわ(いや、鉢物の寄せ植えといい勝負かな?)
これで鬱陶しい梅雨時も怖くないぞー。

ドクターモウロウの島

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ほすぴたる2お騒がせの原因は、椎間板ヘルニアの発症です。

なーんだヘルニアかよ。と、まさにその程度の話なのですが、BLUEらすかるで46万キロ、ぷらすBLUEで19万キロ。それ以前に先代のらすかるで43万キロなど、エスクード歴だけで100万キロを越えているんですから、レカロシートであろうがダメージは蓄積されていたのです。もちろん自分の体重のことも目はつむれませんですが。現在、第4頸椎←訂正、腰椎あたりの損傷で、腰下から右足外側を足首まで、電流火花が走っている感じです。こういうのがもう1週間弱続いています。

痛みは生きている標だ?

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ほねばっ、ばかやろーっ。そんな歌詞は痛くない奴の言うことだっ。

というわけでBLUEらすかる、ぷらすBLUEの故障に続き、僕までもが先週の火曜日から入院中であります。単身赴任ってこういうとき不便なんだよなー・・・と、パソコンを搬入してくれた家内の前でこういう記事を書くくらいに、楽にはなってきました。三週間も入院なんて気が遠くなる話です。いずれにしましても、お騒がせしております。もったいないので続きはまた明日(おいおい)