Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

三度目の正直。

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こ・・・今度こそ・・・

こ・・・今度こそ・・・

去年奇跡の復活したアボカドさん、結局枯らしてしまいました。新月サンには「手が回らなくて枯らすくらいなら最初からやるんじゃないっ!」と散々怒られてしまいましたが、諦め切れなくて今年も様子を見ていたら、なんと地面から新しい芽が出てきました。

今年こそ枯らさないで育てなきゃ・・・ 
やっぱり冬は屋内に入れてやらなきゃダメかなぁ。東京辺りだと路地でも大丈夫みたいんだけど・・・

いつか土に還るまで

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中瀬石巻市の旧北上川河口にある中洲(中瀬地区)は、故石ノ森章太郎さんらによって「マンガッタン」という通称を与えられています。石巻を萬画文化で町おこしし石ノ森萬画館を立地させ、情報発信しています。本家のマンハッタン島のようにインディアン部族の言葉で「丘の多い島」というほど起伏のあるところではなく、さりとてインディアン部族が「俺たちがみんな酔っ払いにされちまった所」と伝えたような逸話が・・・あるわけないですが、石ノ森さんは少年時代、この場所にあった劇場まで実家から2時間かけて自転車で映画を観に通ったというから、両者の伝えからは心酔というキーワードにはたどり着けるかもしれません。

そんな場所ですから、マリンパークの一角に、自由の女神も佇んでいますが、起伏ばかりか強固な堤防を持たず、船舶を接舷させやすくして漁業や観光、流通の拠点としていたこの地は、津波被害をもろに受けました。そして痛々しい姿ながらも、じっと海を見つめています。

以前は本家ほどではないにしろ、教会やマリーナや工場などが林立していたマンガッタンも、ほぼ突端から奥の萬画館まで見通せてしまう現在。この中洲でも新たな堤防建設が始まっていて、その敷石に使う砕石が鉄の箱いっぱいに置かれていました。これがしばらく来ていないうちに、ほとんど全部、隣に設置されたもう一つの箱に移し替えられていました。

箱と箱の間には、なぜか事務机があります。引き出しの中には油性カラーマーカーペンが入っていて、誰彼となく、誰でも、砕石に日付や名前、メッセージを書き記すことができ、何かを書き込んだ石を、書き込み済み用の箱に入れてくれという、国土交通省と施工業者の試みです。書き込みを待つ砕石は、もうほとんど残っておらず、そろそろ回収して新しい石を投入した方がよさそう。

自由の女神は、像自体はFRP製なので、土に還ることはかなわないのですが、いずれ、復興の進展をみて取り壊される方針だとか。

それでいいと思います。

ほほー。

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見つける私も私・・・

見つける私も私・・・

ディスプレイとにらめっこしてたら目が疲れたので、緑で癒そうと外の植木鉢を見に行ったら・・・ ちっちゃい花に見覚えのあるシマシマ・・・

「蚊が血を吸うのはメスが卵を育てる栄養源を確保するためで、オスは吸血しない。メスも通常は蜜や果汁をエサとする。」っていうのを、子供の頃読んだ昆虫図鑑で知っていたけど、実際に花の蜜吸ってるところを見たのは初めて。
ふーん、本当に蜜吸うんだねぇ。

恋文の町

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恋文ポストまたもや1号郵便投函箱丸型です。レギュラー仕様の朱色ではなく、カシスレッドに塗られた独特の赤。

このポストが「それ」であるかどうかを確認したら、どうやら本物は近傍の公園内にあるらしいですが、まっぶるマガジン秋田版の地図を見ていると、「恋文ポスト」とマーキングされた表記があって、その地図縮尺から正確な場所が分からなかったものの、道の駅ふたついにあるこのポストには、由来を記した看板が添えられています(でも名称までは明記されていなかった。うかつだった)

なんだよ、本物じゃなかったら記事の素材にならないよと思ったのですが、きみまち恋文全国コンテスト、というイベントのことは、それこそ20年近く前に別の場所、筑波研究学園都市で、地域おこしのためのシンポジウムに出ていて聞いた記憶がありました。このコンテストは1994年に開かれていますが、きみまち阪の町を訪れるのは、それ以来初めてのこととなります。というより、ここだったのだとは知らずに、二ツ井は大舘と能代の行き来の途上で素通りしていたのでした。

きみまち阪、と名付けたのは明治天皇だそうで、東北巡視の際に訪れたこの地の景勝に賛美を唱えたとか。その際、1通の手紙が明治天皇を待ち受けていて、その差出人が皇后であったというのが、コンテスト開催のきっかけとなっています。由来を記した看板によると

大宮のうちにありてもあつき日を いかなる山か君はこゆらん

としたためられていたそうで、なるほどこれは恋文だわ。と。いやはや、遠路はるばるやってきた地で、こんな手紙が先に届いていたら、嬉しくなってにやにやしちゃいますな。Eメールではこの味わいは醸しようがない。

恋文とは異なりますが、僕の場合、こんな出来事がありました。震災直後の混乱期、これはことのほか嬉しかった。

千葉の仇は青森で

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アジフライ先日、エスクード仲間による内房林道ツーリングと名物アジフライ定食のイベントが催されていながら、つくばーど基地では、保有する4台の車両の冬タイヤから夏タイヤへの換装作業が待ち受けており、しかもそれを1人でやらねばならず、外出どころではなかったのでした。

不思議なことに、作戦室近郊の定食屋にはアジフライの献立が無く、玉砕以前の不戦敗。その後暇つぶしに読み返す吉田秋生さんの「海街diary」にはたびたび鎌倉の名物らしき旨そうなアジフライ定食が出てきやがって、ちくしょーいつか見てろよーという日々が続いていました。

逆転の献立は意外なところから巡ってきて、朝イチの秋田市、続いて能代市と行脚をしながら青森市を目指す途上、比内地鶏の看板が誘ってくるのを横目で素通りし、それ以外だとラーメン屋ばかりだなあと昼飯のタイミングをすっかり逸して東北道に乗ったところ、津軽サービスエリアの下り線にある食堂に、何気にアジフライ定食があるではありませんか。

こういう形態の食堂だから、もちろん冷凍ものだよねとは思いながらも注文してみると、

「今から揚げるので少し待ってくださいね」

というお店のおばちゃんのにこにこ顔に、そりゃもういくらでも待ちます、午後のアポイントに遅刻したって構わないです(おい)と、待つこと約10分。出てきたのは想像以上の肉厚の切り身がからっと揚がっていて、さくさくとした衣の中身はホクホクのふわふわ。

あ、ありがたや、津軽。1カ月近く膨らませていた煩悩が一気に解脱する思いでした。

ドクターカー2号

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ドクターカー二号先日の秋田・青森・岩手行脚の往路の朝、「あまちゃん」を見るために(笑)秋田自動車道のPAで車載テレビの受信局を仙台から秋田にチューニングしていたら、いきなり独特のマーキングを施された三代目エスクードが現れたので、あわてて写真に撮ろうとしたけれど、こんなのしか写せませんでした。そのニュースは、エスクードがけん引しているユニットの方で、現地搬送して組立使用する、緊急手術用の移動手術室が開発されたというもの。世の中はドクターヘリが普及しつつありますが、ヘリが着陸できない場所だったらどうなるのか、あるいはヘリの飛べない夜間のコード・ブルーにどう備えるのか、という課題への解決策だそうです。

このエスクードは、青森県八戸市にある八戸市民病院が運用中の、ドクターヘリと共同作戦をとるドクターカー2号(1号はトヨタRAV4)。彼らのブログにて、その存在は知っていたのですが、エスクードと言ってもどの型式なのかがほとんど露出されておらず、そのうち八戸に見学に行っちゃおうかなと思っていたのですが、3代目であることが確認できました。

って、ニュースの内容と違うところに興味が走っているという、けしからんお話。

その日の東松島

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東松島土曜日の仕事が東松島市の野蒜というところで、この地も多くの人々が津波被害に遭ったところでした。この2月に始まった堤防のかさ上げによる地方道の復旧は、聞くところによると早い部分は来月中に元通りになるとか。野蒜の奥地では高台移転の工事も始まっていて、日に日に山が削られて地形を変えています。界隈の街並みは2年前のままですが、復興のフェイズは確実に前進しています。

その話はさておき、野蒜から東松島市の中心地に向かって国道45号線を走ると、青く塗られたT‐2練習機の128号機が沿道に展示されています。

正確にはJR仙石線の鹿妻駅駐車スペースで、合併前の矢本町時代に空自から提供された、町おこしのモニュメントです。練習機が何故モニュメントになるのかと言えば、この機体がブルーインパルスで使用されていたものであり、現在の東松島に所在する松島基地がブルーインパルスのベースとなっているからです。第11飛行隊についてはかき出すときりがないのでリンクで割愛。

b-i現役のブルーインパルスは、90年代にT‐4練習機へとスイッチしており、実際に訓練や展示飛行で見ることができるのもT‐4のみです。松島基地は震災の折、津波による大打撃を受けましたが、ブルーインパルスは九州新幹線開業の祝賀飛行というミッションのために東松島を不在にしていたことが、不幸中の幸いでした。

この偶然と、ことし3月末の帰還は、作家の有川浩さんも素材に取り上げており、ドラマにもなりまして、「空飛ぶ広報室」という題名は、航空自衛隊の広報サイトも拝借しているようです。

普段はあまりテレビドラマを見ていない理由として、仕事の軸線と恋愛の軸遷とを同列に配置してしまう傾向が強い番組づくりがあります。まーなんというか、仕事中は仕事に集中しろよと・・・仕事中に遊んでいるとしかみなされない僕が言っても説得力はなさそうだけど、そのあたりの展開が鼻につくから、見ない傾向なのです。

もっともそれを言い出したらドラマにならないので、文句を言う筋合いでもないです。が、空井二尉の「2秒ください!」のキスシーンには、やっぱり「やれやれ」と思っちゃったのです。

それでも、つくばーど基地へ帰るとしっかり録画して保存しているものだから、ちゃっかり見ているわけですが、本日がいよいよ最終回。前回、2年前の3月11日で幕切れしたとたんの、本年3月が舞台だそうで、その1週間のインターバルにはもっともっと沢山のエピソードがあったんだろうなあと、2年とちょっとを振り返ってしまいます。

今週は帰省していないため、「あの日の松島」により近いところで過ごしているため、21時になったらリアルタイムで観てみますかね。

接   舷

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サン・プリンセスクルーズ客船というのを、まあ乗ったことがない以前に見たことがないので、青森の出発を1時間遅らせ、港まで見物に行きました。全長で261メートルくらいだというから、ペガサス級強襲揚陸艦の1番艦よりちょっと長い(なんちゅー例えだ)

昔はひとくくりに豪華客船、だと思っていたのですが、一泊最大400$ほどのプリンセスクラスだと中くらいの豪華さで、絢爛まで行くなら上に2つあるらしいです。来年は、100000トンを超えるダイヤモンド・プリンセス(クラスは一緒)もやって来るそうです。

おまえは其処で乾いてゆけ

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三角の塔へなんだか去年も同じようなことをやってまして、さっき見物してきたのですが、獣の槍を携えた少年も黄色と黒の縞模様の妖怪もいませなんだ(いつの話だ)

とりあえず寝ます。起きたら一路、盛岡経由(福田パンではないぞ)で午後3時までに仙台です。が・・・昨日の仕事の最中に、本日朝、サン・プリンセスという77000トンの大型客船が青森港に寄港してくるという話を聞いてしまい・・・

うーん、どうする? せっかくだから見物したいし・・・これは乾いてなんていられないよ。

タッチ・アンド・ゴー(無理)

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f4ej-680午前11時に羽州街道と能代街道の交差するところにたどり着いて、午後4時に松前街道と陸羽街道の交差点付近に行けと、本社が言う。

出来れば、その足で陸羽街道から宮古街道に切り替わるところに・・・

「できるわけねーだろうっ」

だいたい、朝一で新幹線使ったって、午前11時に能代になんか到着できないって。そのうえ、BLUEらすかるは音速は出せないんですから。