とりあえず一通りは点検してもらって 通常の範囲ではナンも無し。 ただ、毎回ではないんだけど異音がするので どうしたもんだか・・・ 新月サンはリアのショックかなぁって言うのだけど 何分にも肝心の音がしてくれない事には 整備士の人もお手上げだもんねぇ。 初回車検までは保証の内なので、いっその事 交換するのも手ですよと、営業さんには言われました。
閉塞成冬、まだ関東平野に雪は来ていませんが、大雪の候です。ようやく冬の装いが落ち着いてきました。よもやここまで来て夏日が来るなんてことになったらぞっとします。そのためにも天地の「気」の対流には一区切りつけてもらい、閉塞となっていただきたい。だけど「大気」の対流には留まってもらっちゃ困るので、木枯らしに吹かれても文句は言わないことにします。まだまだあちこち駆け回らねばならないし。
本日あたりは快晴ならば太陽に続いて月が空に上がってくる頃。真冬の快晴の空の色は、昔乗った1989年式ヘリーハンセン・リミテッドの車体色に用いられていました。次に選んだのは真夜中の空で、今はたぶん夏の空の青なのだと思いますが、JA71に使われていたインビエルノ(古代スペイン語圏の冬の意)ブルー・メタリックをエスクードに流用した89年のヘリーハンセンリ・ミテッドは、代々続いた同系限定車の中でも最高傑作の色合いです。
例年にないほど故障を続けたBLUEらすかるでした。ご想像の通りそれでも車検を通したわけですが、この整備でようやくブレーキ系統のマスターバック周りの部品が届き、フルード漏れを止めることができました。前後のハブベアリングも新しくなり、近日中に900000kmのラインを越えることができそうです。そのあとの距離を1年で走り切るのは不可能ですから、2025年の暮れあたりが目標になっていくでしょう。そうなれば、1台を20年所有するのも僕の中では新記録になります。
実は上記の作業は本日時点でまだ継続中なんですが、代走で使っているぷらすBLUEの方が、朝は何でもなかったのにさきほど動かしたらoverdriveのパイロットランプが明滅を繰り返し、なんだか4速に上がらない感じです。
えーっ? ミッションかスイッチ側の故障か、はたまたECU?(どうやらECUの単発エラーだったようです)
「修理のためのパーツ取り寄せに追加が出ました。うーん、届いたら突貫で作業しますが、終わるの20日くらいになります」
というわけで、年内の90万キロ到達は断念です。とほほ・・・
ぼちぼち本年のヒーロー周年ものも店じまい時期です。1993年12月5日は、「ウルトラマンパワード」の第1話がビデオリリースされた日。ハリウッドで初代ウルトラマンをリブートさせたことがエポックでしたが、ウルトラマンの造形についてはアメリカに日和りすぎた感が否めず、誰の演出なのかM78から来た異星人なのに(日系人と融合したからなのか?)決めポーズの一つが合掌という妙なキャラ感で浮いた部分もありました。
特撮技法についてはオープンセットや操演など、意外と古典的な手段を効果的に用いており、脚本(ベースを執筆した伊藤和典さんと山口宏さんの進言と、向こうの作家側のテイストがうまくまとまった)も初代リブート+αな秀作だったと思います。ただこのウルトラマンは戦い方にも演出上の制約を受けてか巨人らしさの表現か、序盤は鈍重。相撲の鉄砲が意識されているようですが、関取だってもっと俊敏。
防衛チームのセットや航空機のデザインはウルトラマンよりも(趣味的にですよ)よく出来ていました。際立ったのは変身に用いるフラッシュプリズムが独鈷杵の形をしていること。いかにも密教なんですが意匠のまとめ方もさることながら、これを握った変身のシークエンス時、初代の縦型ベーターカプセルは発煙筒でも焚くのか?な姿なのです。横型のフラッシュプリズムはごく自然に拳を突き上げることができる。玩具の中にも異星の工業製品的なテイストを産み出した傑作です。
鎌倉です。もうなんというか、観光ではなく栃木に行ったり千葉に行ったりで窓際にすらいないぞのロートルな自分です(言ってて自分が哀しい)
これと真逆な長谷の大仏は、創建年次が不明ながらざっと800年くらいこの場に鎮座したままという。気の長さか忍耐力の強さかと、感心させられます。台座を除くと高さが約11m。もしも立ち上がったらマジンガーZくらいになるのかとか余計なことを考えます。
長谷の大仏を立ち上がらせてしまえという妄想は、僕のオリジナルではなく故・実相寺昭雄さんのもので、「ウルトラマンタロウ」で撮ろうとしていた逸話があります。なんでNGになったかはまあ、セットを作るだけでもとんでもないコストがかかっただろうし、高徳院側の快諾を得られなかったからかもしれません。このシナリオは後に板橋しゅうほうさんが読み切り漫画に起こしています。そういえば奈良の大仏も星野之宣さんの「ヤマタイカ」で動き出そうとしていました。