不燃ゴミの日だったので、割った食器を出しに集積所へ行ったら
立てかけて置いてあった、書院。
多分、私が二台目に買ったのと同じやつだな。
一台目は東芝のRupo買ったんだけど、調子が悪くなって
買い換えようとしていた時に、自分も使いたい母が
「お母さんはシャープのじゃなきゃ使えないの」と言い
書院を買わされました(笑)
嫁に出る時置いてきたから、暫くは使われてたみたいけど
パソコン買った時に処分したろうなー・・・
(その頃には壊れかけてたって話だし)
8月の天文学分野のニュースで「プロキシマ・ケンタウリにおいて液体として水が存在できそうな環境の惑星を発見した」というヨーロッパ南天天文台の論文(ネイチャー)に、何かが引っかかって「なんだっけなー」と数日経ってしまいました。
プロキシマ・ケンタウリという恒星はケンタウルス座の「右足の蹄」に位置する赤色矮星で、地球から約4.2~3光年の距離にあります。
論文を伝える多くのニュースは「わずか4.2光年」と言っています。光の速度で4.2年かかる。どう「わずか」という認識なのか知りませんが、1光年の距離は約9兆4600億キロもあります。その4倍ちょっとって、どんだけわずかなんだよ?
人類が実験した最速の飛翔体に宇宙探査機ボイジャーがあります。これが秒速17キロで太陽系から遠ざかっていますが、この速度でもプロキシマ・ケンタウリまでは7万年くらいかかってしまう計算だそうです。ブルーアースかヤマトを持ってこないとお話になりません。が、リープ航法メカも波動エンジンも存在しないので、別の方法を考えなくてはならない。
現在研究されている技術に、超軽量の帆を張り、これにレーザービームを照射する推進加速で、理論上は高速の20%に乗せることができるという恒星間航行飛翔体が取り上げられており、これでようやく20年ほどで到着できるレベルに押し上げられます。あくまで所要年月のところだけ現実的な話をしても、20年とか50年のオーダー。最初は無人で、次に数人での仕掛けにしても、途方もない計画になるのは間違いなく、今はまだ宇宙電波望遠鏡の力で観測するところから始めなくてはなりません。
あ・・・ 途方もない仕掛けでようやく「なんだっけなー」の引っ掛かりを思い出したよ。宇宙世紀0153年、シリンダー型スペースコロニーを二基連結した巨大宇宙船「ダンディ・ライオン」が、このプロキシマ・ケンタウリに向けて旅立っていくのです。1995年に「機動戦士Vガンダム」の外伝として長谷川裕一さんが描いたエピソードです。95年といえば岩石型外宇宙惑星が多数発見されたころでした。あの外伝、先見性があったんだなあ。
霙が路上教習と初の高速教習に明け暮れていた週末、霰の方はインターンシップで一時帰省し県内では有名企業の体験研修を受けていました。が、単独運転に関してはへなちょこを自称する彼女は自宅からこの会社へはとても通勤できないと泣きを入れ、吹雪夫妻の家に居候して出かけておりました。吹雪は風花と生き別れの姉妹という設定がありますが、もちろん雷蔵の実の妹です(どこからどこまでが真実で嘘つきなんだかという突っ込みは不許可です)
日曜夕方、こちらは夫婦で「晩ご飯何にしようか」「野菜炒めと冷ややっこがあればそれでいいやー」と対話しながら2人して買い物してきた食材を冷蔵庫に入れている最中、霰から電話が入り「これから吹雪おばちゃんたちと打ち上げに行きまーす」という一言で、買い出した食材のすべてがお蔵入り。待ち合わせ先の焼肉屋までひとっ走りです。
霰にしてみれば来年が本格的な就職活動と卒論を同時進行させることになるので、まさしく明日を捜す一環のインターンシップでしたが、
と、最近田舎の行政が積極化させている「U活」にも目を向けているようです。まあそりゃそうだわな。などと吹雪夫妻と我が家で盛り上がったのですが、親子(僕は飲みませんが)で飲みに出たのはこれが初めてか。
目下、一家離散中の我が家で最も多忙なのが霙です。合宿免許取得教習に放り込み、毎日びっしりと講習を受け、検定をクリアし、路上教習の人となっております。
「姉ちゃんがストレートに卒検も本検も受かっちゃってるからなあ。あれけっこうプレッシャーなんですよー」
というわけで、そのうちぷらすBLUEの専任ドライバーが誕生する予定です。親が言うのもなんですが、ステアリングの遊びだとかペダルの踏み込み加減の癖だとか、霰のときには意見として表現できなかったクロカン四駆の特徴を、乗った瞬間言葉で指摘してきます。でもあれかなー、やっぱり何か専用にあてがった方が、ぷらすBLUEの延命にはいいですかねー(もうすっかり計画だおれ)
唐突ですがここ2日のエスクードなお話に乗っかって、さらに10年進めた2008年の4×4マガジン。すべての、とは言えませんがエスクードファンにとっては記念すべき号でしたがその件ではありません。
先週開かれたTDAの写真が送られてこないので苦肉の策です。結果については・・・
と手を振り上げたくなる二の舞の結果で、前回フォレスターに打ち負かされたときと同じようなミスをやらかし、心理戦に臨んだとみられる川添哲郎選手の罠にはまってエスクードを壊しやがりました。優勝の川添選手は当日結婚記念日。優勝杯を受け取り足早に、颯爽と引き揚げて行ったそうです。
だからー、それが術中に陥ってるんだってばー。どうもスタート時に川添選手がストットルの空ぶかしを意図して行い、それでコンセントレーションが一気に崩れたようです。TDA開闢以来の大雨という、クロカンベースの車両に有利で、なおのことドリフトの後藤選手を祝福するようなレースコンディションが文字通り水泡に帰しました。まあ一番悔しい思いをしているのが他ならぬ後藤選手でしょうから、この話はここまでとして、再び当時の4×4誌。これは熊本で行われた初心者向けトライアル大会の記事です。中段4枚組の小さな写真左下のパジェロミニ、誰あろう後藤選手の初トライアルシーンです。
この頃後藤、川添両名とも、クロカンというよりもダートトライアルで頭角を現し始めていましたから、このシーンの話題はオープンデフの車で果敢にコースを攻める彼らのテクニックと心意気と言えるでしょう。
それにしてもNLクラスのリザルトにウエストウインが燦然と輝いている。島雄司監督は前年から現役を退いていますが、チームの層の厚さを感じさせます。
よくよく見ると、NSクラスの結果では川添選手が12位で後藤選手が18位と、なんともほほえましい記録が残っているのですが。
88年からさらに10年・・・経ってしまうとエスクードが2代目になってしまって僕はそれに乗っていないので、2年ほど巻き戻して1996年。雑誌は四駆専門ではありませんが、モーターファンが別冊で出したSUV特集誌。各メーカーのクロカン四駆も特別仕様だけでなく車体色までスタイリッシュに群雄割拠しています。バブル経済はとうに崩壊していますが、だからと言って市場の歯車をすぐには止められなかったこともなんとなく解かります。
齢8年めともなると、初代エスクードにもさほど新鮮味はなくなっており、マイナーチェンジしたばかりの2型のV6モデルがカラーページで紹介されることもなく、6型のテンロクノマドと比較しつつのモノクロページでの掲載(双方4AT)。ライターさんはエスクードの本質として軽量とコンパクトさに扱いやすさを見出しており、フロントヘビーなV6よりもテンロクモデルに好意的な書き方をしています。
が、モノコックボディを将来の示唆として言いたかったのか、自動車雑誌得意のシャーシの古さが車体の重さに関わると。その割には剛性感が低い車体で、ハンドリングもダルであると。この辺が四駆雑誌でない編集のまとめ方なので致し方ないのだけれど、6型ロングあたりで1220kgという車重が重いかモーターファン(笑) RAV‐4のロングが、2000ccながら10kg軽いのだそうです(あゝ・・・ショートでもV6の4ATは1250kgあるよ)
そして96年。7年乗った1型のテンロクから、1型のV6に乗り換えてまだ1年に満たなかった我が家は子育ても1年に届かない頃でした。いざとなったらの3型テンロクノマドも所有していましたが、このあともう1人増える子育てにショートのエスクードで不自由を感じることはなく(むしろチャイルドシートをノマドに載せ替えることの方がめんどくさかった)、夫婦そろってミニバンという選択肢は考えたこともなく、その後の流行には乗り遅れていきます。
乗ってしまった8年め。そのエスクードで地球と月の距離を走ろうなどとは思いもよらず、そういうあほな企画を立ち上げる以前に、今交流のあるエスクード仲間の大半とは知り合うきっかけもない(約1名、のせられてノマド買っちゃった女の子がいますが)時代。それでもぼちぼちモデルチェンジの噂らしきものは聞こえ始めていて、「去年買ったばかりのこれよりいいのが出てきちゃうのは辛いなあ」とは感じ出していました。
ちなみにこの年まだ、先代らすかるとなるTA11Wには愛称など付いておりません。それはこのあと2年後のお話となります。