Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

忘れ物はないですか?

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自問自答です。

いよいよ明日、つくばーどin朝霧高原Ⅴを開催するにあたって、毎度のことながらイベント性薄くて間が持たないんだよなーという苦悩をどうにかしようと、今回はGレイドというのを久しぶりにやってみる予定です。ところがこのレイドのレギュレーションも固まっているわけではなくて、いろいろ思い出してみると、前回のようなやり方では手間がかかりすぎることも判明しました。

そこで思いっきり手を抜くこととなりました。

今回、宝探しと言いながら、実際にはくじ引きみたいなスタイルになっています。ただしGレイドの軸であるゴミ拾いは残しました。いや、ふもとっぱらにゴミが落ちているかどうかを考えると、この段階で破綻しているような気もしますが、これを見つけ出さないと、後半戦には進めません。

宝探しでは、SPFYOさんが提供してくださった小型容器が活躍してくれます。しかしこの容器に収まるサイズのカードを用意するのが大変でした。でもって、容器にカードを封入したあとで、そのカードのどれと何の景品を組み合わせるのかをやっていなかったことに気づいて、今になってリストの作り直し中。なんかもう、つくばーど本筋のイベントを管理してくれている幹事の苦労そっちのけで、準備をあそんでしまっています。

私の曲を聴けーっ、かと思ったら「観れーっ」だった

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和邇さんちの娘さん姉妹は、数号前のスーパースージー誌上に、和邇とーちゃんの車と一緒に登場しており、どっちが和邇ねーちゃんで和邇いもうとかは、まあだいたい見ればわかります。

と書きながらも、和邇姉妹に会ったのは昨年のふもとっぱらがなんと9年ぶりだったので、あんなにちっこかったのがこんなに素敵なお嬢になったのかと驚くばかりでした。しかも、うちのいい加減な子育てと違って、和邇とーちゃんの徹底的な英才教育が施されており・・・と、その話は面白すぎるのでいずれまた。

先日、その和邇家を切り盛りする和邇かーさんから宅配便が送られてきまして、つくばーどin朝霧高原Ⅴのための差し入れなどをいただいたのですが、その中に和邇ねーちゃんが所属する楽団の演奏集が入っていました。

和邇ねーちゃんはジーンズのベルトにベレッタなんか差して街を歩いているかと思えば、颯爽たるサックス奏者でもあったりするので、きっと前者がとーちゃんの英才で、後者がかーさんの教育であろうと想像されます。つまりこのCDは、その演奏を聴けるものなのだろうとライナーノーツに目を通したのですが、奏者の中に彼女の名前が無い。

よくよく点検していくと、「ジャケットデザイン:和邇 娘」とある。

そっちか!

これはいいことを教えてもらったぞ。次回、記念物の制作の時には、デザインワークスを頼んでしまおう。

宇宙最小のお宝ですが

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つくばーどin朝霧高原Ⅴでは、ちょっと遊んで「Gレイド」という余興を行います。これをやるのは実に何年ぶりかのことで、しかもまだ一度しかやっていない。よってルールも忘れかけていますが、Garbage(ゴミ)を拾ってお宝に換えるというもの。

ふもとっぱらの管理体制化で果たしてゴミなんか落ちているのか? という第一のハードルを乗り越えていただき、とにかく回収してもらったゴミと引き換えに、お宝入手のためのキーアイテムをお渡しします。そのあとは、レイドにトライしてのお楽しみです。

 

タイトルでは宇宙最小、などと書いていますが、お宝となる賞品のいくつかは、ウエストウインの島監督からの提供ですから、最小なんていうのは失礼千番な物言い。最小なのは、つくばーどが用意する方の賞品だと思ってください。かなりろくでもないものが混ざっております。

こういうのはねえ、ほんとだったらタイヤ4本だとかエンジンオイル1缶だとかのスポンサーでも捕まえられればいいのでしょうけれど、なにぶん手弁当でやっていますので、時間つぶし程度のゲームにしかならないのです。

レイド前半はゴミを見つけられるかどうかにかかっています。後半は、これは早い者勝ちです。ノリと勢いでお宝獲得していってください。

来たれ 朝霧高原へ!

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さあ11月です。今月は「つくばーどin朝霧高原Ⅴ」の開催です。24日土曜日10時頃から、静岡県の富士山麓、ふもとっぱらにて開く予定です。基本はデイキャンプですから、後片付けも含めて日暮れくらいまでやってるつもりですが、帰るのがめんどくさいよという人のためには、そのまま現地の合宿所で二次会もやります。

で、なにをやるのかというと、まあこの地のロケーションを活かしきれていないのでイメージが希薄です。それでも、エスクードという車をごそっと並べて、記念写真を撮ろうとなると、実にふさわしい野原なのです。

区画線の切られた駐車場に整列させるなんていうのは、よそのミーティングでやってもらえばいいから、ふもとっぱらでは、あっち向けたりこっち向いたり、雑然と放牧させるように、歴代沢山のエスクードに集まってもらおうと、富士山寄りの牧草地を借り切りました。これは、僕が当番でやっている岩間なんかじゃできない開放感があります。

もっとも、天候が悪かったら泣くしかないというリスクもはらんでいます。そのときはそのときで、土砂降りでもなければですが、まずはうちの霙のはいぱーてるてる結界三段返しで防御策を講じ、いざというときにはコムロさんの空間弯曲能力で裏の裏の裏技を繰り出すまでです。勢揃いの撮影は、午後1時頃に行います(雑然と並べるのにも、けっこう時間がかかるのよ)

いずれそのうち、いつかは誰かがもっと大きなものを実現させることでしょうけど、今のところ、エスクードユーザーが一堂に会して壮観な眺めを創出できるのは、つくばーどのイベントだけです。こう書くのは不遜すぎるのでどうかと思いますが、ここだけと言ったって、ユーザーさんの協力がなければ不可能な話です。

だから、つくばーどはイベントといってもクラブミーティングではありません。エスクードに乗っている人ならば、どなたでもおいでくださってかまわない。エスクードに興味のある方もまた然り、OBも同様です。

ぜひ、遊びに来てください。コンタクトは幹事のSIDEKICKさんでも、雑用の僕でも承っております。

十三夜の月夜

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十三夜だったのは先週の土曜日、27日の夜のことです。TA01Wさんとricoさんと青影さんが那珂川でキャンプを設営するというので、そろそろマンネリ化してもいるのですが牛タンを仕入れ、午前様帰りで立ち寄ってきました。

来月から護岸工事でしばらく侵入できなくなるというので、この場所では事実上ことし最後の野営です。さすが10月下旬ともなると、河川敷は日中から川風が巻いて体感温度が低い。夜中に基地へ戻ったら庭がもう暖かいのなんの、というくらい、現地では焚き火がありがたい熱源となっていました。

AMGさん親子、コムロさん夫妻、ギガントさん夫妻、s.DOさんが次々と合流して、五目と栗の炊き込みご飯やら宇都宮焼きそばやらおでんやらチリコンカンやら大きな梨やら薄皮饅頭と大福やらカステラやら、なんだかすごい宴会だぞ。な月見の夜となりました。

気負いのない野営は、これもまた楽しいのです。

 

WILDWIND U-ta

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U-taさん。といえば僕の知人たちにはBMW318tiの所有者で知られている大阪の人ですが、こっち(仙台)のU-taくんは、JA11Wのワイルドウインドの所有者。ジオランダーMTを履き、延長シャックルやデフガード、サイドシルガードを装備し、BLUEらすかるよりも下回りのクリアランスが確保されています。

彼くらいの年齢の頃、僕も71に乗っていたけれど、こんなにいじることができなかった。こんなに、とはいえ、それは主観の話で、全体的には見た目がノーマル。ごちゃごちゃとした改造を行なっていないところには、好感が持てます。

がしかし、擦り傷切り傷(いや切り傷はない)はBLUEらすかるの方が多い。やっぱりそれだけ車体がでかいのか、僕の運転が下手なのか。と考え込んでしまうほどすっきりした車体なのです。

「いやー、山に行くことはあるんですけど、クロカンはやったことがありません。このタイヤうるさいんですよ」

おいおい、何を言い出すんだ(笑)。と、よくよく聞けば、この状態で知人から譲り受けたジムニーなのだとか。だから、宮城界隈の林道のことを尋ねても、ほとんど情報は得られない。山といっても舗装道路の域にとどまっていました。

というわけで、それでも土地勘は僕よりあるわけですから、方面だけ案内してもらって、林道探検に出かけようかという対話を始めたところです。さらに、彼の先輩というか上司も70プラドに乗っているので誘ってみるわけですが、彼もまた林道は知らない領域の人。

もったいないぞ、君たち。雪が降ってくる前にスケジュール調整しようぜ。

 

邂逅の午後

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細かいことは、大雑把にレポートをまとめてありますが(どういう日本語だ?)、5型に進化したエスクードに乗る、みずきち80さんが、そのエスクード・クロスアドベンチャーを披露してくれました。

クェーサーグレーメタリックの車体と、特別仕様のダークカラーのメッキグリルやアルミホイールは、実にシックなコーディネートに仕上がっています。

これで特別仕様卸したてのままだというのだから、カタログモデルよりも人気が集まるのは間違いないでしょう。その価格差は17万円ちょっとというところです。

いまさらながら、三代目エスクードの4型については、まだしみじみと見たことがなく、外観以外をそのまま5型が受け継いだという前提で眺めたのですが、3型以前とは異なる小さな変更が(あるいは3型で施されたものもあるかもしれないですが)があることや、作り方の品質など、初代と比べたら雲泥の差です。

ネット上の評価では、これでもボーダーラインに乗っていないようなあれこれが語られていますが、まあ正直言えば「よく言うわ」といったところか。なんだかんだと言って、けっこう真面目なクルマ作りをやっています。それだけに、スペアタイヤ問題についての憂鬱も残ります。

それはともかく、すっきりした分凡庸になったかと思われていた後ろ姿ですが、撮影場所へ移動する途中でクロスアドベンチャーを追い越していくドイツのSUVと比べると、おしゃれではないけれどエスクードの押し出し感は他車よりも強いのがわかります。ルーフラインが僅かに後方へ下がるゆるやかなアールを描いているものの、エスクードの全体的な形がクラウチングスタイルであることによって、後ろ姿は相変わらず「ごつい」のです。

いろいろな意味で、5型を見直すことのできた、良い機会をいただきました。

そのうえ、初めてお会いするみずきち80さんであるにもかかわらず、全く予想外な人の名前が出てきたり、在住地である岩手県の話題で共通の盛り上がりを得たり、実に楽しい日曜の午後でありました。

合流に使った喫茶店が、女子大生がたくさん訪れる店だというのも、気に入っちゃったぜ。

90年代の奇跡

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昇る太陽を待ち受けるTA01W。1990年代当時にリリースされていた、イタリア・オートエキスポ製のキャリアとガードを取り付けたシルエットは、ぱっと見たら、うちで乗っていたヘリーハンセン・リミテッドベースの最終形態そのものですが、ヘリーハンセン標準だったキャリアエンドスポイラーが付いていないことで、この個体が別のエスクードであることが識別できます。

つくばーどのギャラリーにも出ているこのハードトップは、コムロさんが最初に乗ったエスクードです。

当時、このスタイルのコンプリートとして、「スーパーデザインコレクション」というコーディネートがオーダーできましたが、コムロさんはそのことを知らず、ショップ情報を頼りに独力でこれを仕上げたそうです。僕がヘリーハンセンをいじった頃は、コンプリートオーダーはなくて、ガード類に関してはやはりディーラー情報から部品を見つけ出し、イタリアからスズキに船便が到着するのを待っていた経緯がありました。

こと、ガードに組み込む2種類4灯の補助灯に関しては、二度ほど車検が通らず、地元陸運と欧州法規のすり合わせで時間がかかりました。それと同じことを、数年後に、しかも隣町でやっている人が出てくるとは、思いもしませんでした。

「県道43号線で、実はその頃、そのヘリーハンセンとは何度かすれ違っているんですよ。まさか雷蔵さんだとは思いもしなかったわけですが」

彼と出会うのは、僕がエスクードに乗り始めて10年後の春のことです。そのときにはお互いに車が変わっているのですが、これがまたTA11WとTD11W(コムロさん)だという、なんとも数奇な出会いとなるのでした。

謎のプロジェクト

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もう毎日毎日やたらと検索して探してくる人が多くて、だけど知りたいことなど一行も書いていないのが申し訳なさ過ぎて、だったら検索に引っかかるキーワードを無くしてしまえと思い至ったのが遅すぎでしょうか。

謎のプロジェクトと言えばね、一昨年のこの頃(2012年10月のことです)、

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こんなことを仕込んでおりました。2013年がスズキエスクードのデビュー25周年だったので、20周年のときほどではないにしろ何かやりますかと、無い知恵を絞ってやっていたわけですが、沢山のユーザーさんが参加して下さった20周年に比べると、実働できるスタッフはほとんどいない手弁当状態だったので、ほんとにたいしたことができていません。12年の10月時点ではまだ伏せられているのですが、何か変わったことが出来たかと言えば、二階堂裕さんと尾上茂さんのエスクード対談を実現させたことくらいです。

二階堂さんはご存じのように日本ジムニークラブの会長ですが、現役のスズキ社員時代にエスクードの商品企画を立案しリードした生みの親。尾上さんはそのエスクードでオーストラリアンサファリやパリ・ダカールラリーを走った育ての親です。記憶をたどって知りうる限りで、この2人の言わばジムニーだったら知らない人はいない組み合わせで、エスクード談義を展開した媒体は一つもないはずで、まあニッチ中のニッチな企画ではありました。パリ・ダカールラリーに関しては、尾上さんご自身も著書を持っていますが、あれに書かれていないエピソードがどんどん繰り出されるのは、取材していて面白いことこの上ない時間でした。

しかしあれやっちゃったら、30周年で残していることってもう無いんじゃないかと、大いに困惑するんだけれど、これを書き直している現在は2014年でまだその日には4年もあるのよ。2015年にはがらりとコンセプトを変えても形だけは似ているかもしれない新機軸が出てくるらしいですが、モデルが存続するなら30周年はそっちに引っ張られるし、無くなっちゃうならこれまでユーザーさんが走ってきた軌跡を記録する手もあるかなと目論んでいます。というわけで、次にくるであろう「謎のプロジェクト」はやっている張本人にもいったいどうなるのかさっぱり分からない謎だらけなのです。

 

空色の始まり

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サイトの方では登場している写真ですが、89年の初夏、TA01WとJA71が並ぶ撮影。それまでジムニー派であった自分がコペルニクス転回を図った出来事でしたが、2台並べると全く同じ車体色。つまりヘリーハンセン・リミテッドなどと言ってましたが、塗装は軽自動車のそれをわけてもらっての仕上がりなのでした。

それでも、このインビエルノブルー・メタリックという色は、24年にわたる歴代エスクードのなかで、同年式のゴールドウイン・リミテッドにあった赤とともに、一度きりしか使われていなかった珍しい試みでもありました。

ジムニーの時には意識していませんでしたが、空色、という言葉を初めて連想させたのが、このエスクード。後に出てくるマイアミブルーメタリックⅡの方が、より近いイメージとなりますが、空色というのは、童話作家のあまんきみこさんが60年代に書いた「車の色は空の色」に由来するものです。

この系統の車体色は、あと2回ほどのヘリーハンセン・リミテッドと、2型に投入されただけで、エスクードのカラーリングはどんどんシックな方向にまとまっていきます。ラジアントレッドマイカが最終型まで存在したことも、評価すべき部分と思います。あっという間に消えたものの、三代目の1型に、初代の限定車以来のソリッドカラーの赤がラインナップされたことは、非常に英断な出来事でした。

ひるがえって89年。エスクードの車体色はスペリアホワイト、ダークブルーメタリック、チャコールグレーメタリックの3種類しかなかった。ここへヘリーハンセン・リミテッドが限定ながら投入された僅かな時間だけ、ネプチューンダークブルーとともにこの空色が加わり、5色を選択できる瞬間があったのです。そこから先は主観の世界ですが、どれを選ぼうとするか。

僕はエスクードの入口で、迷わず空色を選んだのです。