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  ~懲りない傾向~

お花見プロジェクトやりましょう

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つくばーどサイトでは毎年3月から5月頃にかけて、「桜の風景」というweb写真展を開いています。毎回各地の人々が近所の花見スポットから名所の桜に至るまで、さまざまな桜の写真を提供してくれます。
ことし、この大震災のさなかでどうしようかと1時間ほど迷った挙句(1時間かよ)、ことしやらないでどうするんだと意を決しました。東日本のかなり大半の地域で、被災されている方々の数も計り知れませんが、そこはお詫びします。花粉症の方々にとってもつらい季節ではありますが、それもごめんなさいと申し上げます。

それでも、たまには空を見上げたいと思います。河津桜は既に開花していることと思われます。ソメイヨシノについては、日本気象協会の予測が目安になるでしょう。ことしは、基本テーマを「近所の桜」でいきましょう。「遠出して撮ってこられるぜ」、という方には安全に留意していただきながら、お任せしますが、あまり労をかけずに、「近所のこんなのでもいいの?」といったものでも充分です。

ぜひ、桜の風景をお送りください。下記要領でお待ちしております。
送り先はリンクに記してあります。

http://tsukubird.org/other/sakura11/sakura2011.html

ご提供いただく写真のこと。
640x480ピクセル(1点)
320x240ピクセル(2点)
写真の紹介コメント(場所や日付、風景の解説)

写真のサイズ変更が困難な場合はこちらで調整します。メイン写真がどれになるかを、ファイルナンバーやファイル名でメールに明記してください。なお、ファイル名にはひらがな、漢字、カタカナを使用しないでください。
締め切りは、とりあえず根室あたりの桜が開花するまで。

つくばーどサイトはクルマ道楽の作りですが、この写真展ではクルマと桜をジョイントする必要はありません。
クルマとのジョイントの際には、ナンバー文字消し加工はこちらで行います。逆に人物が写っている場合、顔にモザイクなどをかけませんので、ご周知下さい。

よろしくお願い申し上げます。

救急病棟にて

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実は日曜日の夜、不覚にも38度の熱が出まして、病院に担ぎ込まれました。具体的な体温はわかりませんでしたが、よもやインフルエンザだったらどうすっか!と、救急車に来てもらったのです。その車内で問診を受けながら、どのくらいの熱だったのかを計ることとなり、急患を受け入れてくれる病院に搬送してもらうことができました。

結論から言えばインフルエンザの疑いはなく、血圧が異常に高いことと喉風邪という診断で、そんなんで救急車やら急患受入れやらを煩わせてしまって申し訳ないことになりました。が、救急隊員もドクターも親切に受け入れと対応をしてくれて、なにより対話ができていることのありがたさを実感しました。

14日のブログで「逃げ出しようのない境遇ながら、逃げ出したい場所のある人間にとっては、けっこうこたえます」と書きましたが、そのあとに、このくだりを綴るつもりが、気力が落ちて中途半端になってしまいました。

風邪の件とは別に、血圧に関して、茨城においては主治医の治療と指示を受けて薬の処方を受けており、先週末の帰省には医者にかかりに行くという予定があったのです。処方されている薬がなくなるタイミングでもありました。そこへ来ての被災で動きが取れなくなったため、これは困ったと思っていたところへのこちらの病院。迷惑をかけながらも、担ぎ込んでもらえたことがどう幸運だったかというと、被災以前の段階で、急病になった場合どこにどんな病院があり、どういう道順でそこへ行くかを熟知していなかったからです。かかりつけの主治医への信頼は大きいので、定期的に帰省してそこで診察を受けるからと、紹介状はいらないと言って仙台に来ていた。車の維持管理も、床屋に至るまで、いきつけに委ねていますから、すべて茨城。それを悪いとは微塵も思っていませんが、詰めの甘さも露呈しました。

なんだよ、よそ者を築き上げているのは自分自身なのだよ。

日曜日の昼間に痛感していた疎外感は、夜遅くに半分くらいは小さくなって、熱の下がるのと一緒に少し楽になりました。まあ書いちゃったものは取り消せないので、よそ者である事実は変わらないんですけどね。

という具合にやたらと長い前置き(前置きだったのか!)を切り上げて、担ぎ込まれた病院では、非常事態ゆえに処方してもらえる薬が2日分なのです。これが切れたらどうするのかという不安のもと、昨日、急患で入った診察代などを支払いに出かけ、この病院でのIDを取得してあらためて高血圧の診察を受け直し、30日分の処方を得ることができました。

が、院外処方で入ってみた薬局に、薬の在庫が充分にない。壊滅的被災地の避難所にさえ、満足に医薬品が行き渡っていないのだから、これは文句の言いようもない。店によっては最大7日分まで。という張り紙さえ出ています。このあたりでまた、地元の人なら短期に通院するのにも慣れているだろうしなあと、来たばかりの人間にとって厳しい現実を見るのです。3軒目の薬局で、14日分の受け取りができて、残りは医薬品が補充できたらという話となりました。ありとあらゆるものが枯渇していることをいろいろな側面から知らされます。

ところで、自分であんなセリフを、受け狙いでもなんでもなくいう羽目になるとは思いもしなかった、今回の急患。どこにある病院に搬送されたのか、わからない僕は、診察を受けて落ち着いたあと、まじめにこう言うしかなかったのです。

「あのー、ここはどこなんでしょうか?」

インターネット

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国家の革命をも成就させるほどに発達したインターネットの情報ツールは、そんなたいそうなことではなくとも、孤立している今の生活に、元気を分け与えてくれる役目を果たしてくれています。だけど首都圏の被害状況を知るに至っても、こちらも何もしてあげられない無力さも味わうのです。まあそこはほんとに、空元気ででもお互い頑張りましょーと言うしかない。

あちこちのツイートやブログを見ていて、やれやれと思うことや、ぶっとばしてやりたくなることを書いているものもあるのだけれど、見に行かなければすむことをつい見てしまうのも、自分でもさもしいなあと恥ずかしい限り。しかし共通の事象に面していながら、まだ余裕と猶予があるという地域の情報も入ってきてしまうのが、インターネットの世界なんですね。節約の話を書き出していながら、実は所有している資産の自慢話をしたかっただけの大ばか者から、政策の不手際を専門に叩いてくる正義感のつもりでも大局は見なかったことにしている小バカな記事まで、いろいろです。これらが入り混じると、正論までもが穿った見方をされていないかと心配になります。といって、自分もブログというツールによって好き勝手なことを書いているのだから、これが癇に障る人もきっといることでしょう。そこはもう、ごめんなさいとお断りするしかないのですが・・・

被災以来、絵日記のように楽しみ、そこそこ工夫をしてきた挿絵をやめたのは、それほど大した意味ではないのですが、仕事で被災地を歩いて・・・僕がうろちょろできる範囲は不幸中の幸いにも修羅場の土地ではありませんが・・・それでも今の仙台の風景を、自分のブログで見せたいとは思えなくなったのです。テレビの特番で散々見せ続けられた瓦礫の山や泥の海と同じ風景を、なんで個人の好き勝手な書き殴り文章に添えられましょうか。未だに続く大小の余震を受けながら、誰かが怪我をしたり亡くなられた現場を毎日見ていると、ネットの中でまで、違う土地での似たようなスチルを見せられるのは、きついですよ。我々はスポークスマンではないのですから、そこまで頑張ることはないと思います。

一方で、ありゃっと思わされるところで、僕自身のことを案じてくれている記述を見つけると、逆位相で胸がしめつけられます。ありがとう、うれしいです。だけど、最近のネット環境は功罪入り乱れてセキュリティの壁も立ち上がっている。そこに登録してログインしないと、お礼のコメントも書き込めない。SNSという環境になじむことができない、古い体質の自分が問題ではあります。うちのサイトの掲示板も、このブログも、不正な書き込みやスパムの類はブロックしたり削除したりを手作業でやっていますが、可能な限りどなたでもコメントできる環境でありたいからです。

阪神・淡路大震災のころのインターネット環境は、今のそれとは少し違っていたような気がします。もっとも当時だと万人のツールというわけでもなく、役所や企業、大学の枠組みで構築されていた時代でしたか。神戸の被災状況をスチル入りで情報発信している大学の研究室に、新聞社だったかが「そのスチルと記述を使わせていただきたいのだが、どういう手順を踏まえればいいか」と問い合わせたところ、「変なこと言いますね。インターネット上の情報は共有して活用されるべきものだと思うけれど」と返答が返ってきたっていうエピソードは、著作権法のなかったころの、それこそ都市伝説なのかなあ。SNSの時代になってから、そういったオープンなネットワークとは異なるものになったような感じがします。

僕はもうしばらく、ログインしたきゃ登録者になれ、という世界とは距離を置いて、どこかの馬の骨でいたいと考えるのです。

よそ者であることの実感

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地の利に明るくないこと、頼れる人がいないこと、何よりも地元の人間でないということ自体が、ここにいたくないという心理を働かせるのです。

家屋を失った人たちは、それどころじゃないことは理解できるけれど、土地に根付いて生活している人たちは、浮足立っていない。逃げ出しようがないのだから、そうすることが一番、元気でいられるのでしょう。これは、同じ逃げ出しようのない境遇ながら、逃げ出したい場所のある人間にとっては、けっこうこたえます。

2晩目の余震の中で

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帰省するつもりだったから、洗濯物がたまっているなあ・・・

土曜日の午後に並ぶだけならんでわずかに物資を追加調達したあと、市内ではスタンドが大混雑で給油のしようもなく、思い立って48号線を天童まで行ってきました。そしたら山形県も広範囲で停電していて、宮城同様にガソリンや灯油を買い求める車の行列。2軒で「もう灯油だけです」と断られ、3軒めで「今日は2000円分だけ出してます」のやっぱり混乱ぶり。

仙台の被災と、岩手の惨状しか、ワンセグ放送やFMラジオのニュースでは聞くことができなかったので、山形の様子はまったくわからなかったのです。作並温泉を越えてから、FM山形を受信して、停電の状況や復旧の様子をようやく知り得ます。

ここで感心したのは、山形のFM放送はリスナーの投稿とタイアップしながら、どの町のどのあたりが停電解消したか、どこへ行けば何を売っているかを、ずっと放送していたのです。仙台ではそんな余裕はない状況とはいえ、放送されるのは津波の録画と被災地ごとの死者、行方不明者の数ばかりで、ライフラインがいつどんな形で復旧してくるのかの情報は得られなかった(とある局のみ、都市ガスの復旧段取りを説明していましたが、それを聞いて当分復旧しないということがわかるとは・・・)

不謹慎ながら、こっちにいたら東京都内の交通マヒと避難所の帰宅難民の数なんかどうだっていいんだよと思いながら、繰り返される被害拡大ばかりのニュースと、真っ暗な窓の外の遠くの空が赤い景色を一晩中見せられたら、気が滅入るのでした。そしてコムロさんと取れた連絡の中で、茨城の状況がかなり良くないという話に慄然としたものの、当然のことながら基地周辺の情報はニュースに流れるはずもなく、やきもきさせられています。

携帯電話の爆発的な普及が通信網の混乱を招く災害時だけに、つながらない家族との連絡途絶は今も継続中。なんとかならんものか・・・ だけど東北の各地でも新たな地震が相次ぎ、長野や新潟へも拡大している状況。我が家だけ・・・っていうわけにはいかないのだなあ。さっきまで皆さんそれぞれの被災のツイートやブログを拝見していましたが、みなさんそれぞれに大変だったこと、お察しします。

ひとまず生きております

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ご周知のように被災しております。昨夜はライフラインが壊滅して真っ暗闇の部屋で凍えていましたが、現在は電力が復旧し、水道も今のところは出ております。被災された方々、なくなられた方々に言葉もありませんが、まずは報告いたします。メールや電話をくださった皆さんにも、厚く御礼申し上げます。

震度7というのは、仙台の目抜き通りをとろとろと走っているのに、まるでロックセクションをダッシュしているような感覚でした。街路樹は揺れるわ窓ガラスや外壁が落ちてくるわの様子など、見ていてもなんだかわからず、音だけがそこらじゅうから突き刺さってきました。

しかし目抜き通りにいたからこそ、車もつぶれることなく、自分自身も怪我ひとつ負わずに事務所に戻ることができ、フロア内の惨状を放置せざるを得ないとはいえ封鎖し部下を帰宅させ、まだ明るいうちに作戦室にたどり着けました。県内各所や隣県の被害を考えれば、たぶん奇跡です。

これから物資がどの程度入ってくるのか、見当もつかないほど、街の店頭には何もありません。かろうじて昨日のうちに確保できたわずかな食料と、えいるさんが転勤祝いに提供してくださった非常食キットが、ここ数日の生命線となりました。だけど当分、街から動けそうもないです。茨城の被害も想像以上に大きいらしいので、ストレスがたまります・・・

熊そば

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東北版つくばーど初の企画は、sugiさんお誘いの熊そばを食いに行くツーリングとなりました。内容は、だいたいこんな感じ。宮城県栗原市の「狩人」まで、作戦室からだと70キロというところです。

sugiさんちと、ふっじいくんは、それぞれの行動計画に基づき土曜日から松島で牡蠣をはじめとする海産物うまいものめぐりを、TA01Wさんとricoさんは石巻まで足を伸ばして観光しておりました。僕は盛岡での仕事が終わり次第仙台に戻り、合流して牛タン定食夜会から参加です。2次会は作戦室での飲み会にて、エスク談義と大樹君の進路相談と、ふっじいくんの・・・以下略。

sugiさんは、5年ほど前に「狩人」に行ったことがあって、熊そばのうまさに魅了されたそうです。唐辛子の量を調節して辛味を出した汁に、やわらかめの蕎麦とともに、熊肉が入っています。この汁は一緒に出てくるご飯にかけて食うのです。蕎麦が苦手な場合は、うどんで頼むこともできます。これらは定番の献立で、予約によって注文出来値料理としては「熊どんぶり」「鹿ステーキ」「熊大トロ」などもありますが、予約したうえでさらにご主人が食材を獲ってくることが前提となるため、ちょっと手軽には食えないのかもしれません。

やっぱり未知の国?

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次回のBレイドは3月下旬、TA01Wさんのコーディネートにて、北関東で開かれます。それでこちらでは、5月ごろに南東北でやろうかなと考え、レッキを開始しています。自分でも見知らぬ土地ばかりですから、一応地図であたりをつけて、現地に赴き情報収集しながら、CPになりそうなところを探して歩くのですが、行ってみたら「本日休業」だったり「道がなくなっている」だったり、ルートをつないでいくのもなかなか大変です。

おまけに道中、すれ違ったのがジムニーJB33だったとはいえ、G‐えすくさんと邂逅していることにも気づかなかったという間抜けっぷりです。

今回のレッキで、スタート地点とゴール地点は確定し、CPも8割くらいは候補を見つけてくることができました。しかし中には「SSレイドに回したいなあ」というのも現れてくるのです。写真のこれなんか、Sレイドの課題の場所その5以来の、古代生物との遭遇じゃないでしょうか? もうこういうのはどっちに出そうか迷うわけです。でもまあ、これは候補ではなく確定しちゃおうかな。

踏んできました

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もちろん仕事で移動していたのですが、花巻から遠野、釜石、大船渡、一関と廻って560キロ。遠野から釜石に至る仙人峠の自動車道終点近くで330000キロを刻みました。しかし焦ったのは、トンネルまたトンネル、トンネルを出たらトンネルという路線なので、どこで刻むかわからないタイミングとなり、トンネル内だったらもうあきらめるしかないと覚悟を決めてました。

さあ、あと54200キロ(帰宅時のカウント)。先は長いね。

今日、明日あたり

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写真は先代らすかるのときのものですが、BLUEらすかるも今月25日か26日あたりに330000キロを越えそうです。先代のときは、つくばーど in 山梨の帰り道に、小海駅前で踏んでいます。2003年9月のことでした。ここから約2年で、先代は月軌道にたどり着くわけですが、BLUEらすかるが300000キロに達したのが昨年の5月。9カ月というのはまあまあのペースですが、先代の300000キロから330000キロまでは、たった半年でこなしていました。

月割りで考えると5000キロ足らずなんですが・・・ 今さらながら元気いいよなあと思わされます(自分のことだろうっ)

そうは言っても、まだまだ月軌道への道のりは遠いのです。昨年の東京勤務でペースが落ちていたこともありますが、月軌道に迫っているのは360000キロを越えているしろくまさんと、kawaさんの2人。ただ、しろくまさんは最近、やはり通勤距離が短くなったとのことで、ちょっと足踏みをしているそうです。

kawaさんはひょっとすると、370000キロにさしかかっているか、越えたかもしれません。kawaさんがつくばーどやESCLEVに登場してくるのは2004年の5月からですが、このとき彼のノマドはまだ極めてノーマル仕様に近く、150000キロを越えたくらいでした。しかしそこから数えても、この7年でざっと210000キロ以上を走っているわけですから、彼もまた元気というか、鉄人です。一時は30000キロ以内に追いついたんだけどなあ・・・ どーんと引き離されてます。