Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

そして四代目

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escudo4thiV‐4とかVITARAとか言われ続けながら、結局は「エスクード」を名乗ることになった新型SUVは、シルバーウイーク前に各販売店網の展示車や試乗車発注が行われたそうです。世間では10月16日頃の発表と取り沙汰されているので、その準備段階としては展示車発注のタイミングがだいたい1か月前というのは、リアリティが出てきたということでしょう。もうそろそろ一般人にも広報サイトがお目見えしてくるものと思われますが、ここへきて「ノマド」は名乗らないのではないか?という話も聞こえており、やきもきさせてくれるデビューです。

このモデルのエポックは、エポックと言っていいかどうか定かでありませんが、FFとフルタイム四駆の2本立てだということ。過去にFRの二輪駆動版という存在はありましたが、FFのエスクードとなると開闢以来の新機軸で、別にクロカン性能や本格四駆性能は要りませんわ、というユーザー層への拡張策がひとつの戦略となるわけです。

そういうニーズがあれば、の話だけど。

それ以前に、急速に失速していった三代目の販売意欲(2005年当時はメディア展開も積極的に行って売り出していました)のように、営業サイドがほんとに売ろうという気概を持ってくれるかどうかが曖昧ともみられます。それは車体色にも言えることで、iV‐4やVITARAが鮮烈にデビューアピールした青系グリーンやオレンジ系のような能動的なカラーは無いようで、さらに最近流行のピラー・ルーフの色違いというツートンもやらないらしい。今のメーカーの各モデルに用意された主要車体色で占えば、国内においては白とかこげ茶色とか黒とか濃銀のような無難中の無難路線しか出てこなさそうな、でもって「四駆たるエスクードならグレー系でしょ? これは四駆にしか設定しません」という売り手側の保守路線が繰り出されそうな、それしか出ないのかカラーセンスと言いたくなっちゃう専用色のあてがい方もありそうで、なんか不安。

確かに初期の三代目ではグレー系が主体でしたが、後期において好まれているは黒主体のはず。しかしそれも、他にポップなカラーがないから渋めで選んでいるだけで、ブルーやグリーン、オレンジ系があったら、そこに人気が出てくると思うのです。退色しやすいソリッドの赤を早々とやめた三代目での決断は正解だったと感じていますが、同時にベージュ系を無くしてしまったのはどうだったのかなあと、今でも疑問に感じています。

曲がりなりにも新型なのだから、威圧感ではなく若々しさでアピールしてほしいのですが、どうなることやら。第4期のルパン三世だって、ジャケットの色青なんですから。

と愚痴ってたら、「こげ茶はないけど青と黒のツートンは用意するぜ。あと銀というよりグレー。四駆専用色なんてケチなことはしないぜ」という天の声がありました。

 

海岸ランナー 前編

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s-DSCF00118経済企画庁は2か月ほど前に景気のリセッションを公言した。80年代後半に膨れ上がったバブル経済の終わりの時だ。ただ、街の風景をなんとなく眺めている分には、不景気がやってくる印象は感じられなかった。

そんなことよりも、どうにかして外回りの仕事をこじつけそのまま直帰を決め込む算段にあらゆる努力を講じた僕は、契約を済ませてあるディーラーへたどり着くことが先決だった。

水曜日の広島市内は桜も終盤。街路樹はどんどん新緑を芽吹いている。ディーラーの軒先には、何台もの軽自動車と一緒に、初めて見るスクエアな赤い四輪駆動車が初期整備を終え、真新しいナンバーを取り付けられ僕を待ち受けていた。

そう、ラジアントレッドマイカと呼ばれている深みのあるワインカラーを、発注時に一か八かで選んだ僕の予想は的中した。これはいい!

本当は、オパールブルーメタリックという、淡い水色の車体色を希望していた。ところが88年にデビューし90年にマイナーチェンジをしたこの車は、昨年秋にまたもやマイナーチェンジが繰り返され、せっかくラインナップされた水色をいとも簡単にカタログ落ちさせたのだ。それに代わって登場したのがこの赤い車体色。あとはチャコールグレーメタリックの黒っぽいやつしかない。ハードトップには定番色のダークブルーメタリック、ロングボディには専用色とみられる濃緑色のダーククラシックジェイドパールがあったが、僕が選んだのは屋根を開けられるコンバーチブルで、赤か黒かの二者択一。ならば選ぶのはこっちだろう。

車検証の記載事項を確認してキーを受け取る。営業マンに送り出されて一度は運転席に座りかけたのだけれど、僕は意を決して車の後方にまわり、リアウインドーを構成しているスクリーンのファスナーを開いた。営業マンが手伝ってくれて、屋根を形作るためのフレームからデッキトップを外すための最初のホック類をぱきぱきと切り離す。ものの5分もせずに屋根部材はすべて取り払われ、四輪駆動車はピラーフレームこそ籠のように残るものの、オープンスタイルのコンバーチブルとなった。

思わず腕組みして見とれてしまう。実はコンバーチブルには車の形を変えてみせるのと同時に、幌をかけていれば黒と赤のツートンカラー、外してしまうとラジアントレッドマイカ一色への変化が楽しめる。自分がオートバイに乗っていたこともあると思う。セダンではなく四駆、それもオープンボディにできるやつを選んだのは、開放系の趣向からだ。

nh06悔しいけれどパジェロJトップは高くて手が出せなかった。地元民としてはユーノスロードスターという選択肢もあったのだけど、僕の趣向とはちょっと違うかもだなと、幾ばくかでも背の高い四角いクルマに乗りたかったのだ。だから、エスクードという真新しいジャンルのコンバーチブルは、僕のニーズを大部分満たしてくれるクルマと言えた。

 

クラッチを繋ぎ、通りへ走り出す。1、2速はかなり近く、乗用車というよりトラック寄りのギアだが3速からは素直な繋がりを見せる。僕は国道2号線を東へ向かうことに決めていた。

 

羽目を外して三千話

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ぱとらすかる三千里 =11 781.8182 キロメートル。子供の旅する道のりと考えたら、現代でもなかなかのものです。ブログの記事三千件め(さっき、風花さんが上げてくれました)も、けっこうやったじゃん、と思うのですが、これ出力して書籍にでも・・・と言えるほどまともな記事を書いてこなかったことが悔やまれます。せめて挿絵くらいはとライブラリを探しまくったけれど、アメデオのぬいぐるみなんかありませんでした(そこか、三千)

仕方なく、アライグマぬいぐるみに被り物シリーズが出てきたころのやつなんですが、「フランダースの犬」と「あらいぐまラスカル」の間に「母をたずねて三千里」が制作されているということをイメージできれば(できねーよ)

そういえば「~三千里」が放送されていた頃よりずっと昔、担任の教諭が今で言う読み聞かせというのを毎朝やってくれて、十五少年漂流記だとかクオーレ(三千里、が収録されている)だとかいろいろな物語を読み上げてくれました。あれをちゃんと聞いていれば、もう少しましな人間になっていたのかもしれませんが、その頃問題児だったらしい僕は(本人は知りませんが、職員室ではそうだったらしい)教室の窓から遠くに見える裏山の稜線からロケットが飛び立ち、山麓の池が割れて巨大ロボットが現れ、神社の社から地下基地に入っていくというろくでもないことばかり思い描いていましたね。

想像は創造(オリジナル)でなければだめだ。という指向に行きつくのは、それからずっと後のことです。

三代目(デッキトップが、ね)

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気のせいではないと思いますが、合皮の生地素材がわずかに薄くなっているように感じられます。実は外した幌が新品だった折にも、最初についていた幌よりなんとなく薄くなったかなと思いました。

ということは・・・やっぱり気のせいなのか?

台風一過の南蔵王

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不忘山01先日の東北豪雨の成り行きを、ツーリング幹事のパジェケンさんは大分心配していましたが、春の高津森山は確かに雨降りでしたけど僕はどちらかと言えば晴れ男なのです。行けると踏んでの南蔵王、不忘山林道には、午後2時に分け入りました。

当然ですが、木漏れ日なんか射してくるいい天気です。不忘山林道は宮城と山形を結んで、高いところは標高800から1100mくらいまで駆け上がるダート。

下界の蒸し暑さなどどこへやらの気温と、早々と紅葉の始まった森を抜けていきますが、相変わらず宮城側のダートは荒れ気味というのが定番。山形側は林業が盛んなため、同じダートでも道が踏み固められています。とはいえ、2015年9月現在のルート状況は健全。林道走行速度を厳守していれば、快適なツーリングが可能です。

不忘山02まあ・・・さらに台風が来ればどうなるかは保証の限りではありません。倒木や落石は各所に生じていましたし、山形側ではあと3回くらい豪雨を食らったら道路ごと持っていかれそうな路肩の亀裂も見られました。それより先に宮城側で土砂崩落が起きそうですが。実際、この路線は通行不能になることが多いので、今回はかなり良好なコンディションで走れたといえるでしょう。

パジェケンさんのTD54WもBLUEらすかるもこの秋に車検を控え、やれ足回りが限界だとかタイヤが坊主だとかドアの内側に錆穴がとかの、三代目エスクードもだんだんと満身創痍になってるなあという状態。うちの足回りもフロントは悲鳴を上げ出しているので、無理は禁物です。

不忘山は御前岳とも呼ばれていますが、古今和歌集に「みちのくのあぶくま川のあなたにぞ 人忘れずの山はさかしき」という蔵王連峰を指し示す歌があるので、こちらの方が著名な名前です。しかし御前岳の名の方がより古いとか。戦時中にB29が墜落し乗務員が全滅したという、話に聞いた程度の知識しかありませんが、よくよく考えると蔵王の中でも特に古い時代の火山の懐を走ってきたことになるのね。

 

週末関東人の真実 番外篇

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車両は実物ですがシーンは本編とは異なります

<小湊F2顛末記 プロローグ>

いつもながらのドタバタではあったが、出発することとした。
時刻は、99/07/02の18時少し前だった。
今回の目的には、私の割と近くに公用が有ったNOBUさんを迎撃する事も含まれて居り、この時間に出立と相成った次第である。
牧之原SAにて、NOBUさんと合流、時刻は18:30・・・

聞けば、通常電車営業が多いが今回は交通至便で無いため(自家用)車使用を申請したとの事であった。確かに、御前崎の端では、交通至便では「無い」。
早速、休みどころでただの茶をすすりながら(笑)話し込む・・・

途中、とにぃ氏の携帯乱入(笑)有り、聞けば運転中の由、呉々も安全運転にてと強調してしまった。

さて、メシでも?となったが二人ともさほど空腹ではなく、また雨も降り出してきたため、続きを富士川SAで、ということになった。
牧之原を出るや否や、・・・なかなかの降り。移動のペースも上がらない。しかし、フォーメーションを組む事がこれほど緊張するものとは・・・
普段よりも一層アクセルワークに気を付け、結果足に妙に神経を配ってしまう私であった。

・・・富士川SA着、20時を少し回ったか?
SAでメシを食う事など、ちょっと記憶に無い事ではあったが、偶然?二人とも「味噌カツセット」を頼む(って、食券方式だったけど)
聞けばNOBUさん、二輪から四輪への移行組との事で、一日に赤キップを二回切られた話など、互いの武勇伝?披露から、趣味の話まで盛り上がった(趣味の共通点を発見した。
次は海老名SAまで、と言うことで、今度はNOBUさんをリーダーに隊列変更した・・・NOBUさんのペース、早い早い。二輪経験者の見切りとかそういった走行のセンスってあるのだろうか、まぁ私も車間は詰めたがる(笑)方なので、法定速度「遵守」(?)で雨を切り裂いていった。

・・・海老名SA着、23時にはなっていなかった。
予想通り、足柄停車では「休み過ぎ」となったであろう(それほど疲れてなかったし)
またもひとくさり話に花が咲く。。。
が、徐々に忍び寄る疲労、・・・さぁ、都心へ向かうぞ。

江戸橋JC→箱崎JC辺りは「お約束」だったけど、それ以外は特にストレスを感じることもなく、京葉道路の鬼高PAに着いた(いつもこんな調子なら・・・>首都高)
NOBUさんは、それでも?直帰しない予定ではあったが、急遽??変更され、幕張で流れ解散と言う事になった。今回の道中楽しませて頂いた旨、そして、再会を祈念して互いに車中の人となった。
幕張のランプで最後並走し、互いに手を挙げハザードを点く、そんな一瞬が心熱くさせた・・・

・・・しっかしぃ、館山自動車道って、「暗いし、単調」だった(ついでに、車も少なく寂しい)
途中の、そして唯一の市原PAがさしずめ「オアシス」を思わせる。このあと、長狭街道をあと少しで走破、という時、耐え切れずに「爆睡」。
目覚めて、一度会場を確認し、引き返して鴨川のローソンで再び仮眠する。
雨は酷い、こんな事で大丈夫なんだろうか・・・

<そして、貴重な体験をした一日の始まり>
少し早目に行って、受け付けに確認すると、走行会なる予約は無い由、マジ焦る・・・
携帯が通じない、「参ったな」
しかたなく最寄りのデイリーストアまで行って電話すれば「今朝方6時ごろ出ましたから」と言われ、まぁよかった、戻るべぇと思ったその視界に3台のジムニーが飛び込んで来たのであった。
その3台が件のメンバーとは露知らず、すれ違いでコンビニを後にした。再び会場すぐ傍で待つと、先程の3台がやってきた。飲み込みが悪い(笑)私も流石に思考回路が作動し、近づく・・・
でも、使用料って高いのね(\5.250/台也)・・・ま、しゃあないって。
その時、妙に受け付けの兄ちゃんが気張っていた事には気がつかなかった。

取り敢えず、開けた所に車を止める。
既に、単車を持ち込んだ別の面々が2ストの軽快なサウンドを振りまいていた。
ん、最新ジムニーのおっさん(笑)が名刺を出す素振り・・・あぁ、この人が、社長かぁ(爆)
で、「早速喉湿し」と称しテーブル/イスをひろげくつろぐ、社長 (ご相伴に与ったのは言うまでもない)
「何、イスも持ってきてない?ダメだなぁ、基本だよ、基本」
と笑いながら言われて、
「凄くきさくな人だなぁ」と思った。
面子だって、決して多くない(4台5名が5台7名にはなったが、それが全て)し、APIOの名を冠しているとはいえ、この程度の盛り上がりじゃあ、と思ったが・・・
「いや違う、この人、ホントに好きなんだ」と考え直した。
でなきゃ、わざわざこんな所まで出張って来ることないんだ。そして、社長のファンになりました(笑)←思考回路は極く単純・・・

「あんた、どういう関係?」と尋ねられた。浜松ナンバーって事で、スズキ関係者かと思ったそうだ。で、「EOS」という倶楽部に属している、とごく簡単に説明させてもらった。
「そのクルマで出るの?」と言われ、(笑われながらも)あっさりと辞退した。
一目見て、とうてい我が哀車(笑)では歯が立たないと思ったから(正しい選択であった)

「で、どうすんの?乗る?」と社長に促され、全く図々しくも便乗させてもらうことにした。

<柄にもなく、熱い思いになった>
社長のドライビングは大胆、かつ的確であった(←なんて陳腐な)
伊達に数々のレースに「自ら」ハンドルを握ってない。
クルマも、随分乗用車的にソフィスティケーテッドされた最新型とはいえ、赤いロールバーが既にタダモノではないことを主張していた。
「うわ、うわ、うわ・・・(笑)」と思っても、さのみダメージもなく走り続ける。
これなら、・・・ジムニーに転ぶか(笑)←許してね(意味不明)

他の車も「溶けた」走りを展開していた。
「相模さん」は、自車にかなりの自信を持っているらしい(と、社長談)
まずは、「行ってみる」で、「行ってから考える」
その走りは遺憾なく発揮され、いきなりの斜面登りで左回転の横転をかましそうになった。
「おいおい・・・」と皆でレスキューする>とはいっても、最低限のアドバイスと車体保持(笑)
・・・そしてその場は、登る事は諦め、下る事となった。

「高山さん」は、逆輸入車の「有無を言わせない」ハイリフト改造車(笑)
なんせ、タイヤとフェンダーのクリアランスが「頭を突っ込んでいられるほど」車高が高い(更笑)
だが、悲劇は突然に訪れたのであった。
「キラージェイ」という思わせぶりなセクションでの事。ここは、幅がそこそこ狭い登りだが、なんせ轍が深く腹をこすりながら登るのは必至、てな感じ になっている。で、果敢にアタック、途端に「バキバキバキ・・・」等と嫌な音がした。
見れば、・・・車高上げるためのブロックがふっ飛び、プロペラシャフトがポッキリと折れ飛んでいた。
取り敢えずこの場を脱出しなければならない。出発点に戻るにも、最高で3台で牽引する羽目になった。
そして、いきなり野戦整備が展開されたのであった。

クラッシュの洗礼は社長をも襲った。
豪雨で沢状態になったあるコースを下り始めた時(本来は登るものらしいが)、先頭の「相模さん」が水たまりにはまった(床上浸水する位の深さ)
これを救出中に社長のフロントドライブシャフトが、「折れた」。衝撃荷重の凄さか・・・
車での牽引は諦め、ワイヤーレバー等で脱出出来たが、これには八王子さんの充実装備に助けられた(予備のワイヤ、スリング、シャックル等満載)
あと、ちょっとした土木作業とかも有った(片側が壁の水たまりをかすめるのに端を少し埋めるとか)

で、何が「熱い思い」かと言うと、ロープやワイヤを持って動いたり、スコップをふるったり、まぁそんな程度の事ではあるが、自分なりにまめまめしくしたつもりだったこと。
別に「お客様」気分でいたって済むのに、いや、何もしなければ顰蹙か、という思いもあっただろうが、何よりも「皆のためになれれば」と思っていたのだろう(←今にして思えば)
・・・とにかく、何の打算も無く動いていられるのはホント久しぶりだった。「仲間意識」の素晴らしい一面だと思う。

こうして(苦笑)、一日が過ぎていったのでした。。。

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車両は実物ですが、以下同文

<エピローグ>
・・・駄文を書きちらすのはホント疲れます(自爆)
全くの尻切れトンボですが、もうええでしょう(苦笑)
帰路は金谷からフェリーに乗って、横横~横浜町田IC~浜松西ICでした。
その日初めて会った同士が、これほどコミュニケーション図れるものとは、臭いですが、人の素晴らしさを改めて感じました。

編集部注

99年当時、SIDEKICKさんが書きとめていたものをほぼそのまま掲載しました(顔文字は当ブログの主義に反するのでカット)

96年 松本

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白線流しロケ撮影の中に偶然紛れ込んできた、極めてカタログ仕様通りのエスクードノマド。右折していくそのあとから、主役(の一人)の七倉園子が交差点を横断していくほんの一瞬の出来事です。96年にフジテレビで放送された「白線流し」の第3話。この話題は前のブログのときにも取り上げ、TA01Wさんと駅前のうどん屋話で盛り上がりました。その記事で何を書いていたかはすっかり忘れてます。

ドラマの劇中使用車ではなく、何気に映り込んでいたレアケースですが、この時代だとまだメーリングリストで構築されたエスクードオーナーズクラブの「EOS」も存在しなかったころで、ひょっとすると調布のモンスターにオーナーズクラブ「EOC」が出来ていたかもしれない、黎明期以前のこと。だから誰彼となく「ノマド映ってた」「見たみた」などという対話も成立しません。

当然、どんなユーザーさんがこのノマドに乗っていたのかを知るすべもなく、それでもなんだか妙に親近感を覚え、同時に羨ましいねえと思っていました。

薗子役の坂井美紀さんは、この前年の映画「Love Letter」に出演(主演の中山美穂さんの少女時代役)していて、注目度があったところへ「白線流し」に出てきたのでどうなるかなと見ていったのですが、このドラマ自体が2005年まで特番枠で続くにもかかわらず、最後は悲恋で幕を引くというびっくりな展開の中、段々ケンが強い女優になっちゃったのも残念。そのうちほぼ見ないジャンルの火曜サスペンスや土曜ワイド専門になったので遠ざかってしまいましたけど、2011年に仮面ライダーOOOにて暴れん坊将軍と戦うラスボスになって再会するとは思いもよりませんでしたよ。

それは予想外

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青葉山ぷらすBLUEの最初の幌は、おそらく年式相応の経年劣化が進んでいたと思われ、1991年から2006年の約15年で収縮が進み、縫い目がほつれ、窓部分も割れてしまいました。これを新品に貼り換えたのが2007年の夏だったので、少なくとも2020年くらいまでは大丈夫だろうと思っていたのが大きな誤算でした。フロント側のフレームに固定させるための爪が5個とも折れてしまい、最前部のみ幌がかけられなくなってしまいました。

幌2007えーっ? そんなに乱暴に扱っていなかったよ? と愚痴をこぼしても折れた爪は再生できません。他の部分はまだ収縮もしていないので爪を交換修理すればいいかと、無理やりねじ込んで固定し長期戦で臨もうとしていたら

「雨が吹き込んできて乗れませんっ」

と家内からクレームの電話。知ってるくせに乗るなよっ!

そのような次第で写真(前回の納品)のように8年めで幌の発注をかけたところ、デッキトップのみで106000円税別。ななな、なんですと! だって前回83000円だったじゃん。リアスクリーン分付け足されてるぞこれ。

前回、この幌代が「本体を買ったときの車両本体価格の方が安い」と笑い話になったものですが、2度目は笑われるどころか睨まれますがな。

週末関東人の真実 後篇

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sk04今でこそSIDEKICKさんやKawaさんたちの荒行だとか弾丸エクスプレスは誰もが知るところで、その行程は片道600とか800キロの時代ですが(もっとも当時、ふっじいさんなんかはSJ30で上越から茨城まで来ていたのだけれど)、毎週末のように片道350キロを走ってくるのは、はっきりと馬鹿呼ばわりされていました。

「何と言われても、オフラインミーティングは楽しいんですよ」

彼は笑いながらもう一言付け加えます。

「みなさんご存じないと思うけれど、浜松から関東じゃなくて、最初はその反対方向に走っていたんです」

3型のハードトップは、96年に4年落ちの中古車を手に入れたもので、その頃彼は、東京勤めで荒川と江戸川にはさまれた京葉道路の近くに住んでおりました。だからエスクードは週末関東ではなく、週末遠州に走っていたのだそうです。1号線だけで南下したり、246に寄り道したりの単独の深夜便は、時には長野県の諏訪湖の温泉に出かけることもあったようですが、誰と言葉を交わすわけでもなく淡々と走り続けていたのでした。

エスクードを手に入れたきっかけは、90年ごろの4×4マガジンを偶然目にしたことにさかのぼり、エスクードが8バルブから16バルブにマイナーチェンジした記事を読み、妙に垢抜けた四駆だと感じるにとどまっていたとか。この頃彼が使用していたのはU11型のブルーバードで、その前がジェミニと、四輪駆動車には縁のないライフスタイル。後に、古くなっていたブルーバードの車検満了と、たまたま5万キロという出物のエスクードが中古車市場に見いだされた日が重なったのです。

sk10こうしてエスクードを手に入れ3年ほどの「週末遠州帰省」が続き、北軽井沢で現在の仲間たちと邂逅するに至り、遠州と関東が逆転していきます。01Wで出かけた最遠地はどこなのかと尋ねてみると、2000年春に行われた猪苗代のつくばーどで、東北制覇には2000ccがほしいと、2002年にTA51Wへとスイッチし、「荒行」の二つ名へとコマを進めていくのです。まあそれでも盆暮れになると、つくばーど基地にやってきて、元日から雑煮食って昼寝して去っていく習性は変わっていないのですが・・・

 

この項完結。と思っていたんですが、古文書を発掘しちゃったので来週は番外編(かなりの長文)

次々週からは赤いコンバーチブル2車続く・・・と思います。

 

 

化かされてました

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ぽんぽこ「平成狸合戦ぽんぽこ」が封切られたのは1994年なので、何も疑う余地のない平成の話とはいうものの、舞台となったその頃の多摩ニュータウンはあらかた都市化が進んでいて、あれほど急ピッチな大規模宅地開発は多摩ではなくて、八王子ニュータウンの方だよなあと感じていたのがそもそもの混乱の始まり。聞けばあの映画は、物語自体は開発初期の多摩ニュータウンあたりが取り上げられているのだそうです。

だけど、もしそうだとすると、狸たちが夜の森の中で化かしたこの小型4輪駆動車は、まさしく「お化け」以外の何者でもなくなってしまうのです。

うわー、やっちまってるよ高畑監督・・・とぼやいたところで、映画のタイトルに「平成」とあるんだから、もともとパラドックスをはらんだ作りとなっていて、スズキエスクードが出ていようがいまいがそんな細かいことはたぶんどうだっていいじゃんか。と蹴飛ばされるのです。

でも、化かされたというのはそのことよりも、先日の放送を見ていて「ありゃっ、ハードトップだよ」と声を上げてしまった僕のことなのでした。

今回の放送が2度目か3度目くらいのオンエアだと思うのですが、この映画は封切り当時はばからしくて見ていませんで、最初の地上波放送が初見でした。そのときは、何を勘違いしたか、このエスクードをハードトップではなく、白い幌のコンバーチブルだと思い込んでいたのです。

まあつくばーど基地なんて多摩ニュータウンどころか地上波デジタルへの移行時に「電波過疎地」に認定されてしまったド田舎でしたから、アナログ地上波のテレビ映りもまともではなかったので。

お恥ずかしい話ですが、つい先日、その誤認がとけました。

このエスクードは1型のようですが、たった1シーンの短いカットのわりには実に丁寧に書きこまれています。ドアミラーの下半分に影を入れるなんて、やらなくてもいいようなところをやってくれているので、ミラーカバーの形状ひとつがそれっぽく描かれています。