Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

稿料出ないんですけどね

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2015/ 9/ 5 15:48

「白狼外伝」で、狼駄さんが少年時代には広義で言うところの物書きを目指していた逸話を紹介しましたが、実はその野心はささやかに現実となっており、何号か前のスーパースージー誌上にエスクードコンバーチブルのリポートが掲載されています。読者投稿ではありません。そして、あれだって商業誌ですから、事実上の物書きデビューです。でもって今回、二度目の登場。TDA第二戦において後藤選手のエスクードに同乗した試乗記が、今号にリポートとして掲載されました。

あの雑誌もいつの間にかメインタイトルがジムニーになっちゃって、サブタイトルの〇〇専門誌からエスクードの名前が消えちゃいました。100ページあったとしてもエスクードが出てくるのは2ページしかないし、今回だってそのどちらもTDA絡みで同じ個体(それ以外にも小野さんのページに別のが出てた)。情けないったらありゃしないのですが、そのことはさておき、練習走行時とはいえ無敵(今のところ)のエスクードに同乗し、その様子をリポートするなんていう企画は、これまでになかった。そこが今回の醍醐味だと思います。

この連載コーナー、今回で39回目になります。そのなかでも一番面白いかもしれません。ただし、ひとつだけ吐露してしまうとですね、連載開始以来ただの一度も原稿料というやつをもらっていません。過去に掲載されたあらゆる四駆雑誌での企画ページの際も、一切の謝礼を辞退してきました。それじゃ読者投稿と変わらないじゃん、と言われそうですが、固定ページを持っているということが重要なのです。だから狼駄さんも手弁当リポートです(ごめんよっ)

あっ書き忘れてはならぬ。書店における今号(90号)の発売は9月9日ですんで、今出かけても並んでません。

さて次号が出るのは11月9日になりますが、この頃ってモーターショーを経て、あの国内仕様ビターラが世に出ている頃かもしれず、次回の話題をどこに持っていくかがかなり難しいタイミングです。それというのも次号の入稿締切が10月のアタマだから、どうにも間に合わない。それならそれでエスクードユーザーの声を聴きに行った方が有用だよね、と、次号は四国に在住する三代目エスクードのユーザーさんに話をお伺いする企画で進行中です。

 

 

 

復活のとき

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td61w0905震えるな瞳凝らせよ・・・じゃなくて、凝らさなくてもこの低さは一目でわかります。ローダウンなんかじゃありません。これが本来のエスクードの佇まいなのです。あの頃「RVは視点が高いので運転しやすい」なんて雑誌が常套句のように書いていましたが、笑っちゃいます。

でも、BLUEらすかることTD61Wは、10年前の今日、ごく普通のこのような姿で納車されたのです。

td61w0905b何一つバージョンアップしていませんが、初代(ややこしいけどつくばーど採用エスクードの初代)ヘリーハンセンから先代らすかるに移植したドアミラーカバーとリアハッチの我が家専用エンブレムだけは保管していたので、あらかじめ用意していき陸運事務所の駐車場で貼り付けました。この5日後にボンネット上のエアロバグガードが追加されますが、このダックスフントかコーギーか(しかし彼らの足の方がよほど伸び縮みする)と言いたくなるノーマルの足回りは半年ほど続きます。

つち88000キロから走り出したこの個体も、今は55万キロ。当時、タイガーⅡからタイガーシャークに乗り換えたエリア88の風間真みたいに思っていましたが、彼の場合は間にクフィルやドラケンが入っているので、むしろザクからグフに乗り換えたランバ・ラルに近い。その辺はどうでもいいけど、88000キロ分はクーポン券。自ら50万キロを走らせるにはまだ3万キロほどが宿題です。奇しくもその距離がバッケンレコード587000キロに符合してくるのが不思議な因果です。

経験と教訓

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ホース2先週末、前後のデフオイルを交換するためにフジ・オートに入庫した折、渡辺代表が

「雷蔵さん、四駆に入らないけど、ホースに亀裂でも入ってないかな?」

と、4WDインジケーターの点灯が鈍いことを指摘します。確かにトランスファーの切り替え後、若干のタイムラグが起きていたので点検すると、ストラットタワーバーに取り付けてあるバルブ側のホースに亀裂が入っていました。

ホースここからのエア抜けが発生して、アクチュエータの動作が鈍くなっているので、緊急修理。いやなんのことはない、ホース全体の劣化は大したことがなかったので、亀裂の入っている部分を切除してつなぎ直すだけです。

「ここはタワーバーから伝わる振動で切れてしまうんです。ドライブセレクト四駆が動かない、という症例は、まずここのチェックですが、BLUEらすかるの場合はトランスファーレバー側のスイッチも疑わしいなあ」

ホース3渡辺代表がなぜ、デフオイル交換の前にこんなことを始めたかというと、アクチュエータ側のホースがフロントデフの中を通っており、目視点検のためなのか設計上そうなってしまったのか、ドレン穴の中、真正面に来ているのでした。

「昔これを知らなくて、デフオイルの給油機を不用意に差し込んでホースを傷つけてしまったことがあるんです」

ホース1このような構造はおそらく後期型初代と二代目のエスクードだけなのですが、渡辺代表は給油機先端にゴムホースのアタッチメントを取り付けて作業しています。経験と教訓が活かされているのですね。

週末関東人の真実 前篇

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sk01「週末関東人」という言葉を編み出したのはコムロさんだったと思われますが、なにしろ20世紀末の話なので記憶が定かでありません。何を意味しているのかというと、90年代終盤から2002年くらいにかけての週末は、どこかしらで何かしらのツーリングやオフロード走行会や夜会などが、「開かれていない日の方が少なかった」ということにつながっていきます。

 

もちろんそれは関東地方に限ったことではありませんけど、我々の行動しやすい行動半径は関東で、アルファベットを符牒とした走行ポイントに集まってはクロカン遊びをしたり、ランダムに選んだファミレスで晩飯を食いながらエスクード談義を繰り広げておりました。

その都度、声をかける人が幹事になり、予定の合う人々がそこに集まってくる中、ほぼたいていのイベントに現れていたのが、ダークブルーメタリックの3型ハードトップ。バンパープロテクターを兼ねたランプステーに一対の補助灯をつけ、当時の流行だったディッシュタイプのアルミホイールにBFグッドリッチのオールテレーンを履いたシンプルなエスクードは、SIDEKICKさんが最初に乗り出した92年式モデルでした。

このエスクードが初めて姿を見せたのは、メーリングリストによってコミュニケーションを図っていたEOSが北軽井沢で開いたクロカン走行とキャンプのオフラインミーティング。99年の春のことです。以来、6月のつくばーどin新治や翌年からのあちこちのミーティングに出かければ、だいたいこのエスクードがいる。本人談によれば、参加していないのは雑誌・4WDエクスプローラーが開いたエスクードミーティングくらいで、アピオの上総湊クロカンキャンプにまで「着の身着のままで行ったら、尾上さんに自分用の椅子くらい持ってくるのが基本だとたしなめられました」と、顔を出していました。

sk02あまつさえ、なのですが、どういうわけかほぼ毎年、紅白歌合戦とゆく年くる年を、つくばーど基地のテレビで見ているのがSIDEKICKさん。要するに週末と盆暮れには茨城にいるという理屈で、週末関東人の異名を持っていたのです。

え? SIDEKICKさんってどこの人かって? 遠州灘の鰻ともやしと餃子の町・・・というより、スズキエスクードの生まれたところですよ。つくばーど基地まで、ざっと350キロ。

まさかのマフラータオル

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mufflertowel02「スーパーデフォルメチックなのができました(笑)」

コムロさんがマフラータオルの企画を始動しています。例によって歴代エスクードのほぼすべてのシルエットがモチーフですが・・・ マフラータオルは以前作ったスポーツタオルに比べて、長さは同じですが幅が半分しかないため、このようなチョロQみたいなデザインにせざるを得ず・・・

「いや、このチョロQチックなところがいい!」

というわけで制作提案です。目標単価が1150円とのことなので、オーダーが30を越えたら発注決定とします。

タオル地の色については、現時点ではこのサンプルのウォーカーギャリアっぽい青系グリーンですが、てっぺんの文字列が真面目すぎて面白くないので(まあ前回に考えたの俺だけどさ)、ここは変えようと思います。

rurbanvehicle since1988
万能 半端 (二文字に分けて相々傘でくくる)
The truth of ESCUDO

というのを考えていますが、却下されたらどうすっかな・・・

尚、前回のスポーツタオルをまだ受け取っていない方にお願いですが、オーダーされた枚数と受け取り方法の希望をお知らせください。パソコンがクラッシュした折、注文データも紛失してしまいました。申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。

 

厳冬に備え

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2015082417110000

残暑の次は厳冬と話が極端で馬鹿みたいですが、今シーズン用のスタッドレスタイヤを注文。ジオランダーにしていた昨年に対して、再びブリザック・・・と思ったらDMV1はすでに215/70R16だと在庫希少。またもや全国探してもらうというのも申し訳ないので、先シーズンから登場したらしいDMV2に切り替えます。発泡ゴム構造になったことで、経年に関わらずグリップを失わないとか。ぬ? しかしそれは裏を返せば摩耗しても新しい表面が食いつくってことで、摩耗しきっちゃうと意味が無いような・・・

「再来年用のも一緒に注文しちゃいますか?」

見積書を打ち出しながら店長が笑いやがりますよ。

それはまあ、この税込値段で組み付けも古いやつの処分もやってくれるっていうんだから、2セット買ってもばちは当たらないよな。

 

夏 2005 

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2005早いものです。10年経ってしまいました。あの日、東京は練馬のスズキ直営中古車販売店に、まだ白かったとにいさんのTL52Wに乗せてもらって出かけて行った時、2度目の月軌道到達もその先のことも考えちゃいませんでした。この日の10日前に先代をぶつけられて全損の憂き目に遭い、目の前真っ暗な中、自分の条件に見合ったエスクードは、インターネット上に3台を見つけていましたが、そのうち1台のTD11W(青)は島根県。2台めのTD11W(緑)も愛知県でした。

2005-1唯一関東圏で見つけたのがTD61W。1オーナーもの96年式で8万キロを出していましたが、中古車なんて当節そんなものだろ、と現車を見に行きその場で現金支払いの覚悟で臨みましたが、事前に電話で問い合わせたときにお店の人は「いやしかし・・・状態は良くないんですよ」と教えてくれた通り、それはもう普通の人だったら絶対手を出さんわなという見えないところは錆まみれのエスクードでした。サイドステップなんかステップ側の取り付け部材が腐っていたしね。

2005a半分びびるお店の人を前に現金払いで契約書にハンコを押し、納車まで9日ほど時間を下さいと進言されたことには快諾して、9月5日の引き渡しを待つことになります。巷では3代目エスクードが久しぶりの好評の出足で、V6だったらTD94Wが存在していたときに、わき目も振らずに初代の後期モデルですよ。それも極上品ならいざ知らず、手負いの野良でも拾っちゃった状態。お店のせいでもなんでもありませんが、言ってみれば体よく在庫処理できた売り買いだったと思われます。

2005b現在の姿、そんな風には見えないでしょ?(ぱっと見には、ですが) 普通の人だったら満足して乗り換えるであろう22万キロまでまともに走ったし(満足しなかったからエンジン載せ替えましたよ)、月軌道2度目も果たせたし、今じゃ暫定2位ですから。あの日、9日間をかけて出来うる限りの錆落としをやってくれた練馬のお店には、今なお感謝しております。さらにはこれをコンディション維持してくれている二代目主治医と、地元のディーラー整備課にも頭の下がる思いです。

 

白狼外伝 ♯03

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ww-021人暮らしの勤め人とはいえ、車1台を所有維持するのはそこそこの経済負担となります。だから維持しやすいアイテムとして、まだ漢字を当てず、ローダと名乗っていた青年は、それまでJA71パノラミックルーフに乗っていましたが、いろいろあってこれを手放し、しかし不便にも限度が来て上司に相談のうえ、JA51の出物を見に出かけていくことになります。

ああ、前回から6年経過しております。95年夏の話です。

ジムニー1300は、青年の経済負担内でもどうにかなりそうなプライスタグがつけられていましたが、彼はその中古車店で、偶然にもエスクードと邂逅するのでした。5年落ちながらなかなかの値段であったエスクードはしかし、彼の上司が乗せてくれたカルタスコンバーチブルと同様、車体後部が幌で構成された独特の佇まい。

彼は一瞬にして「ルシア」と再会し、恋に落ちてしまったのです(たぶん)。そうして彼の描く物語は、海へ走り山へ出かけ、同じエスクードに乗る仲間とのコンタクトを通して全く異なる世界を導き出していくのです。原稿用紙に独り向かうのではなくウェブを使った能動的なコミュニケーション。「Eact」の誕生。90年代後半、エスクードを素材にしたウェブサイトがいくつか登場していく中、ツーリングやデイキャンプを企画し自ら焼き肉を振る舞うスタイルをとって、多くのエスクードユーザーをオフラインで結び付けていったのが、白いコンバーチブルと、彼です。

その動機はどこにあったのか。まだ「ルシア」の名をカミングアウトしていなかった当時の彼に聞いたことがあります。それが99年の、第1回目のつくばーどでした。残念ながらその頃すでにEXCALIBURは無く、我が家のエスクードは「らすかる」に代わっているのですが。お互いに名付けたアイテムの持つ宿縁を知りませんから、雨の日のバーベキューが淡々と続くばかりです。

「僕だってヒトの彼女と巡り合いたいんですよ」

実に率直な願望でした。いやしかし、「ルシア」の車内は西に東にデイキャンプの道具を搬送してきた反動として、油と焼き肉のにおいが染みついており、ネギまみれと呼ばれる今なお健在のあの焼肉の美味さには申し訳ないけれど、それじゃあ女の子なんか乗せられないよという残念な状態となっていました。

ww-05がしかし、2000年春に開かれたカレーコンペのつくばーど では、何気に隣にいるのです。それが「ルシア」を手に入れてから5年越しの望みの一つがかなった証。ここで初めて、女性名詞であったルシアは人知れずその名をたたみ、「白狼」へと移り変わっていったのだと思われます。こうしてみると、狼駄さんがエスクードコンバーチブルを所有していたのはわずか5年と、意外にも短い期間だったことがわかります。ただこの5年間というのはエスクードの右肩上がりの時代でもあり、ユーザーコミュニティーについても黎明期でありました。

クロカンのエキスパート、林道知識の専門家、カスタム化の先駆者と、様々なエスクードユーザーが各地で活動する中、オンラインで彼らを結び付けたユーザーとして、ノマドに乗っていたひできちさんという仲間がいました。そのオンラインのコミュニティーをアウトドアに連れ出し、その様子の語り合いをひできちさんの掲示板に戻すという双方向の窓口を立ち上げていったのが、狼駄さんと白狼だったのです。

ご存知の方は既読のコンテンツだと思われますが、この項を「外伝」とした理由は、本人による「白狼伝」が存在するからです。そしてこの正伝がまだまだ完結にはほど遠そうなので、続きを読ませてほしいからという邪な考えも手伝っています。

それからもっと重要かもしれない要望。現在の「ENCOUNTER」サイトのミーティングレポートの大半がリンク切れ。あれだってエスクードの交流の大事な記録ですから、ロートル勢の物忘れがひどくならないうちに再構築を遂げてほしいところです。

というわけでこの項完結。次は週末関東民のお話を来月から。

劇中車・・・かな。ひとまず

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ラスト日本テレビ系の24時間テレビは、昔だったらそのとき専用に長編アニメーションが作られてましたが、いつの頃からか番組自体を見なくなって、自分の中では視聴需要もなくなっていました。番組全体のお祭り騒ぎの度が過ぎるようになっていくことと、その日だけ泣かせようとするドラマの仕立がいやだということも手伝っています。

 

が、ことしは基地の茶の間のチャンネル権を奪われており、乍ら仕事モードだから別にいいやと「愛は地球を救う」が流されっぱなしの夜を過ごしていました。

すると、ドラマの最後の最後の回想シーンで白いエスクードが出てきたので、乍らの手を止めて見ていたら、荷物を取り出した赤井英和さんがリアハッチを閉めて・・・それで終わり。

おーいおい・・・事前にこの背景を知ってなかったらこんなの気が付きもしないぞ。番組の進行上、エンドロールも省略されてしまいました。番組前半のスポンサーにはスズキがついていたのに。劇中車そのものは中盤以降のスポンサーである日産に持っていかれた感が強すぎました。

24tv-1が、家内はこの番組を録画しておりました。

「冒頭に出ていたじゃないですか」

えっ、冒頭は乍でだって見ていなかったよ。ということで録画を再生したら、回想から始まるドラマの一番突端で登場してました。白いエスクードは一見TD61Wのようですが、これ51Wのヘリーハンセン?

24tv210年前、のシーンを再現するために、5人家族で3兄弟の子供たちを後席に乗せて出かける。ちょうど良いサイズの家族の車として活躍しておりました。

あらためて見直すと、赤井さん、ハッチの閉め方乱暴すぎです(見るべきはそこじゃないけどさ)

 

24tv3ドラマの方はどんどん悲しくなっていくので書くことはありません。ことしの番組テーマは「つなぐ」だそうで、家族の結束が描かれた物語でした。

で、さらに冒頭シーンを見ていったら、フジ・オートの渡辺代表は「エンドロール」と言われてましたが、冒頭画面下に流れるテロップの協力者一覧にびしっと入っております。おお、お店もお客さんのエスクードもちゃんとつながっておりましたね。

 

いま基地に来ると

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550000kmもれなくこの数字で駐車しております。

いやそれだけです。

うーん・・・なんかこう、しばらく動かしたくない。でも高崎まで出かけなくちゃならねーらしい・・・

320km往路は北関東道でひとっ走り。帰路は立ち寄り先を転々としながら、群馬と栃木の県境は林道越えもしましたが、ロングダートのあちらではなく、未舗装路0mの峠。いつの間に舗装したのよ?

というわけですでに320キロほど増えてます。