いやそれだけです。
うーん・・・なんかこう、しばらく動かしたくない。でも高崎まで出かけなくちゃならねーらしい・・・
往路は北関東道でひとっ走り。帰路は立ち寄り先を転々としながら、群馬と栃木の県境は林道越えもしましたが、ロングダートのあちらではなく、未舗装路0mの峠。いつの間に舗装したのよ?
というわけですでに320キロほど増えてます。
我が家に2台もエスクードがあって、そのうえジムニーもあって、当たり前のような風景になっていますが、老朽化したサニーを入れ替えることとなった場合、ビターラを薦めてくる旦那には悪いのだけれど
キザシは年内いっぱいでなくなるそうですが、そうなっちゃうとSX4もモデルチェンジしてしまったスズキというメーカーでは、セダンが選べなくなるのです。
※編集部注 キザシの後継モデルが2018年くらいにあるらしいという噂だけはあります。それがセダンかどうかは知りませんけど。
私、セダンが好きなんです。だけどSX4やキザシみたいなデザインは嫌なんです。3代目のシルビア/ガゼールや、高くて買えなかったけれどU13のブルーバードSSSや、前に乗っていたFB13のサニーみたいなのが良いんです。時代の流行で、そういうのが何処のメーカーからも出てこなくなって、猫も杓子もぬめっとしたデザインばっかり。
まさかのアルトラパンがセミ・セダンだなんて言わないでしょうね。
どうしてビターラにセダンを設定しないんでしょう。ビターラ、百歩譲ってフロントのデザインは良いんですけど、後ろが当たり前のようにハッチバックのSUVなのが許せないんです。何とかの一つ覚えのようにどれもこれもトランクリッドを持つ車が無いのって、商品企画なめてるんじゃありません? ビターラ・セダン、隙間の中の隙間じゃないかと思うんです。本格四駆の中身を持ってて、セダン。そんな路線が出てくるんだったら、旦那に言われるまでもなく、メーカー鞍替えして選んじゃいます。
※編集部注 以上、マジで雷蔵の家内の談をまとめました。
「あんたこの間、初代のMR2がどうとか言ってなかったかっ!」
↑ ある亭主のぼやき
うちのヘリーハンセン購入の話を書き始めるとほんとに外伝の場外乱闘になるのでここは割愛しますが、このエスクードは狼駄さんのコンバーチブルと同じ1型で、ハードトップでした。新車、中古車押しなべても1型に乗ったことがあるのは我々二人と、コムロさん、きうさん。バンを乗り継いだKazooさんととにいさんくらいかもしれません。89年式なので、このエスクードの現物を見た人は唯一、風花さんだけでしょう。その風花さんも知らないことですが、ヘリーハンセンには独自独断で「EXCALIBUR」という呼称があてがわれていました。
アーサー王伝説に登場する聖剣エクスカリバーは、フランス語圏ではエスカリバーと呼ばれていたこともあり、この剣はもともとカリバーという名前であったものが折れちまうわけです。それを鍛え直すことでESとかEXという冠がついていくのですが、うちのエスクードもカスタム化していく過程でそうなるのよと、今ならこっ恥ずかしいネーミングをつけておりました。
で、この話は10年以上埋もれていき知られざる封印となっていきます。ところがこの時代、鹿児島県のとある町の1人の高校生が、
「俺、将来はゲームシナリオライターか小説家になって一旗揚げるんだ」
という野心に悶々としながら、EXCALIBURという題名のヒロイックファンタジーを書きなぐっていたのであります。RPG世代ですね。しかしながら内容までは知りませんけど、オリジナルを創造しようという作品に対して、使い古されている古典的アイテムを題名にしている時点でそりゃだめだろうと、今だから言っちゃう不安材料満載の作品と思われます。
その物語に登場するヒロインの名がLucia(ルシア)と名付けられていたそうです。ラテン語の「光」に由来する名前です。この少年が大人になり、光のイメージを投げかけてくる白い車体と出会い、少年時代のヒロインと重ねあうまで、その日から6年ほどの歳月が流れることになります。参考までに、この物語の主人公の名前が、Loard。
おいっ、白狼とか言ってた割にはずいぶんと可愛らしい名前を隠し持っていたじゃねーか!
8月14日の43万キロ到達からわずか4日後の18日の宵の口。先代のらすかるは不意に車線変更してきた右隣の車両に鼻先をひっかけられて弾き飛ばされ、歩道と車道を分離する幅広のコンクリートブロックに叩きつけられて4輪ともホイール破損、ホ―シング破断、ノーズというよりガード類大破の全損という顛末をたどりました。夢の途上から、たった300キロしか走れていなかったのですが、ここで命運が尽きました。
歩道に歩行者がいなかったことや誰一人けがを負わなかっただけでも幸運でしたが、目の前が真っ暗になりました。
まあそんな話は展開しても面白くもないのでやめておきます。10年前、そんなことがあり、先代は地元の車の主治医が回収してくれましたが、その主治医が先ごろ亡くなられ、失礼ながら告別式には出られず、新盆参りをさせていただくこととなりました。
40数年、地元の車屋として我が家に限らず地元で走るほとんどの車の面倒を見ていた有限会社の社長は、「黒澤年男に似てる」とおだてると喜ぶ昔気質の親父でした。家業は娘婿さんがあとを継ぎ、何年か前からBLUEらすかるの専属ドクターになってくれていますが、ひと時代が幕を閉じるという虚無感は否めません。
あの挫折の日から10年。季節だけは規則的に移り変わっています。
2005年8月14日。とるねーどらすかること先代のエスクードTA11Wが福島県いわき市で43万キロに達しました。乗り出し10年を2か月後に控えた真夏の早朝のことです。旧盆休みの渋滞を避けて、とんぼ返りの行程でした。当時、これだけ走っても伝説のノマドにまだ15万キロも届いていない葛藤と、よくぞここまで来られたものという実感とが入り混じった気分でしたが、正直なところ、こんなことができるのは生涯一度きりだよなと思っていたのです。
この年の春、一足先にコムロさんの二代前のエスクードノマドTD11Wが退役し、翌年の春にはたけさんのエスクードTD51Wが現役を去りました。機能と架装を両立させるコムロさんと、見た目はノーマルで悪路走破性能を引き上げるたけさん。そしてショートホイールベース至上主義の、ロングボディーのエスクードには否定的だった僕(とか言いながら-僕はテンロクノマドも使っていたのですが)。彼ら以外にも沢山の個性的なユーザーが思い思いの考え方で、二つと同じ方向性のないエスクードがぞろぞろと集まっていました。
それぞれのユーザーについて振り返るのは別の機会に譲り、自分のことに絞って記録を見ると、同じ年の2月に40万キロを刻んでいるから、この頃すでに月単位で5000キロという馬鹿みたいな運用が行われています。今だから言えることですが、ノーマルシートでこの走りは、重量級の自分にとっては過酷な条件です。至上主義であるはずのショートホイールベースも、マラソンクラスを走るのには諸刃の剣と言っていいでしょう。そういうネガティブ要素を棚上げして、夢の途上にいた夏でした。
実は15年前の夏、いや1999年の夏だったか。僕はほんの数日間だけ、エスクードコンバーチブルに乗っていました。え? そんな経歴があって、なぜつくばーど採用歴代エスクード史に組み込まれていないのだ?(そんなマニアックなこと言う人いないよ)ということになるのですけど、そのコンバーチブルは狼駄さんのTA01Rだったからです。彼が夏帰省する際、「こいつを長期間放置するのは初めてなので、車上荒らしが心配なんです」と僕に預けてくれた、貴重な体験でした。
それより遡ることさらに11年(ここは元号で書くけど、昭和63年だよ)、そこがエスクードコンバーチブルとのファーストコンタクトで、その個体は東京の神保町に近い辻沿いにあったカレーハウスの店員の女性が乗っていた、やはり白い01R。その車体色に対して黒い幌の色は野暮だなあと思いながらも、エスクード自体をかっこ悪いと思っていた僕に、あれ? でもこの車、幌を取ったら全然シルエットが違ってしまうんだ。と、少しだけ興味を引くことになったのです。
「屋根ですか? 開けたらかっこいいと思うけど、排気ガスとか埃だとかが入り込むのでまったく開けたことありません。あれを買うならハードトップの方が良いですよ」
カレーハウスのお姉さんの感想に、そりゃそういうもんだろうなと思いながら、その頃まだJA71に執心していた自分にとって、街角の店舗脇に停めてあるクローズドコンバーチブルの車体は、不思議に何かを訴えてくるものがあったのです。
翌年、エスクードが誕生1周年を迎え、記念限定車としてヘリーハンセン・リミテッドが登場し、後頭部をぶん殴られたような「なにこれ全然違うじゃねーか!」という衝撃的なかっこよさにやられた話は、もうあちこちで語りつくしました。
しかし、全国限定400台だったこのエスクードは、欲しいって買えるほど甘くはなく、この頃の地元のメインディーラーであった土浦スズキ曰く「うちにコンバーチブルの割り当ては無くて、ハードトップが2台だけ。片方はもう売れました」とつれない返事。かくして残った1台を巡っていくつかの引き合いと攻防を展開する羽目になり、コンバーチブルという選択肢も関心も、どうでもよくなっていったのです。
続きに関心のある方がいたら書きます。コメントが入ったら続行決定。
1台めに客を乗せてシーソーの端までバックでクライム。続いてもう1台に客を乗せてシーソーに乗り込みます。
それだけでもなかなかのインパクトがあります。
もう1台側のお客。最初の1台に置き去りにされた方は阿鼻叫喚の悲鳴連発。すでに何を言っているのか聞き取れません。おお、素晴らしいパーキングブレーキ性能。などと言ってる場合じゃない。
偶然見ていた「世界の果てまでイッテQ!」とかいうバラエティー番組のコーナーですが、当然こちらの2人にもとんでもない事態がおきるのです。
今どきこんな年式の固体がこんな形で活躍しているとは。と、テレビを見ている側はちょっと感動。
いつ頃のモデルだろう? せいぜい1か2型だと思われますが。2台とも前後のホイールが違うところなんかが泣かせます。まあ元気に余生を過ごせているだけよしとしよう。ガレージには白い車体のものも待機しています。
てなわけで車内は地獄絵図の叫び声が渦巻き、2台目が前進したり後退したりしてシーソーゲーム。
番組サイトに放送内容コンテンツがあるので、そのうちアップロードされるかもしれません。いやいやいや・・・なんぼエスクード好きでもこれは誘われても勘弁してくださいだなあ。
スピードパーク恋の浦ではTDA第三戦が開幕しますが、その前にちょっとだけ、第二戦を観戦した狼駄さんの尻を叩きながらまとめてもらったリポートを。
キャリアから降ろされるその車体を見て、目頭が熱くなるのを抑えられなかった。
後藤選手が「この車、見るの初めてですか?」の問いに私は申し訳なく頷いた。「これで5年やってます」そうか。もう5年も経ってしまっていたのか・・・
今は監督となった島さんが私にヘルメットを差し出す。これはもしや
はいっ、すいません、ここまで。
最初は及び腰でしたが脅したりなだめたり、その気になれば「1200字」だと言ってるのに2000字も書いてくる力の入れようです。泣く泣く800弱、切りましたけどね。
どんなに工夫して後藤選手のレースを伝えようとも、同乗した体験には絶対にかなわない。これをリポートしなかったら、何しに恋の浦まで行ったんだとド突きまわすしかないじゃありませんか。
「いや、なんだか獅子舞が応援に来てくれたようですよ」
と、島監督は笑いながら話していましたが、狼駄さんもやるべきことはやってくれてました。リポートの出来不出来よりも遂げたことの方が今回は重要。いやいや、校正する側はにやにやしながら「嬉しかっただろうなあ。舞い上がってるもんなー」と、臨場感たっぷりに読みつつ、
「ここは切る、これもボツ、何回おんなじフレーズ使ってんだこのやろー」
と、可能な限り原文を活かしてすっきりさせました。
そんなわけで、リポートは9月9日リリースのスーパースージー090号をお待ちください。
さて第三戦のリザルトですが
一位 スズキエスクード(TA51W)
二位 パジェロJトップ
三位 グランドチェロキー
四位 スバルフォレスター
TA52Wの川添選手は今回も事情により欠場。午前中の練習走行ではフォレスター(二代目モデル)とエスクードのタイム差が二秒以上あり、加えて舗装区間などは五十℃にせまる酷暑で、後藤選手が脱水症状気味と、さすがにスバルには負けるのか?というムードも。
島監督によれば、
「コースレイアウトにストレートを二か所設けたのがフォレスターにとって有利になっていました。ゴール手前には舗装区間があり、ここでの立ち上がりはやはり200馬力クラスのターボに軍配が上がりますね。エスクードはコーナリングで詰めていかなければ勝てなかった」
後藤選手曰く
「レース中のエアコン禁止ルールを提案したけど受け入れてもらえなかったんで、次回までに僕もエアコン取り付けます」
しかし次回はもう秋だけどね。
「トイレット」の録画を見てみたら、予告編の映像では解らなかったけれど、TA01R(レジントップ)でした。日本じゃ希少車なんですが、トロントあたりならまだそこそこの台数が走っているのかもしれません(映画の撮られた2009~10年ベース)。レジントップというだけで充分変わり種なので、ホイールといい外装品の無いノーマル具合といい、全くいじっていないと思ったら、どうもシボレーものらしきエンブレムを外してしまった形跡があります。タイヤカバーは当時の北米での純正品Sマークデザイン。
乗っているのは物語の主役といえば主役の次男ですけど、実際には彼の同僚のインド人の研究者から借り受けたもので、パニック障害の発作が出た兄を迎えに行くという短いシーンでの登場。日本仕様にはない助手席側のアシストグリップが当時はうらやましい装備でしたが、しょっちゅう使うのか?と考えるとピラー部についてりゃそれで間に合うものではあります。それにしてもこの次男坊、運転中に鳴り出す携帯電話をとろうとしやがって、予告編のようなことになってしまう。撮影でもマジでぶつけていて、ノーズは哀れな状態となります。
ぶつけたシーンなど出したくないので兄を連れ帰ってきたシーン。この映画、欧米人が関心を寄せる日本のアイテムを横軸に据えていて、そのひとつが題名でもあるトイレ。いわゆるシャワー付きトイレのことです。もうひとつが、次男坊の趣味であるロボット(キャラもの)フィギュア。どちらも3000ドル。って、ビンテージだからって、たかがフィギュアがそんな値段かよ。DNA鑑定料も火災保険の支払い料も3000ドルという一種のわらかしでもありますが、次男はフィギュアをあきらめ、言葉の通じない日本人の祖母のためにトイレを改装します。
荻上直子さんの監督作品。「めがね」はまだ観たことがないのですが、「かもめ食堂」がちょっと退屈だった以上に、この映画も退屈感があります。なにしろ投稿Do画の尺で片付くであろうシャワートイレってすげーという外国人のリアクションが題材ですから、縦軸に少しは重めのエッセンスを持ち込まなくてはならない。カナダに呼ばれて住み着いたはいいが、呼んでくれた娘が他界してしまい、言葉も通じず、孫とともに暮らすこととなったばーちゃん。外国人の孫たちはどう接し、理解し合っていくのかという物語を描くのには、転と結が駆け足すぎ。しかもその結末はなんだよ!な不愉快感で締めくくられる。なにそれ、笑ってほしかったの? と、少し重めのエッセンスを吹き飛ばしたいかのような顛末は、僕の中では蹴飛ばしてやりたくなります。
エスクード、初代だって中古で3000ドル以上するんだよ(たぶん)
昨日に続いてヒーロー世界のエスクード。機動刑事ジバン、特警ウインスペクター以降のテンロクエスクード登用の痕跡は不明ですが、第14作の「重甲ビーファイター」(95年)で、突然ラジアントレッドマイカツートンのTA11Wが出現します(主にオープニングですが)。これが実に困った登場で、ド派手に水しぶきを上げながら、河原を爆走しやがるのです。おいおい、ビーファイターって自然と動植物を愛する若者が昆虫の力を借りて侵略者と戦うヒーローなんだろ?
だめだろ「RV(を乱暴に運転する人)が自然環境を脅かす」と言われだした時代にこんな画を撮っちゃー。と、どんな馬鹿者が乗っているのか見てみたら、紅一点であるレッドル(2代目)に変身する鷹取舞という女性でした。この娘の設定は、能天気な性格だけど敵であっても一つの生命として接する気さくな人物で、敵を更生させたり説得をしたりと、命と心の存在を大事にしている・・・って、そういう人が河原を爆走しちゃいかんがな(そういうところは能天気なんでしょうか)
レッドル(左端)は赤いメタリックの強化服。V6エスクードの車体色にあった赤ツートンはイメージにぴったりだったのでしょう。奇しくもこの時代の2000ccエスクードには基本色は赤と青と緑の3色しかなく、ビーファイターのインセクトアーマーに見事に重なります。が、残る二人にエスクードは支給されておりません(笑) この頃、エスクードの販売宣伝的は脂が乗りきった時代でした。これ以降、ヒーローさんがエスクードに乗ってくれるケースは見かけなくなります。