時節柄ひらがなで書けないタイトルです。
これ、別につくばーどのイベントがあったわけではありません。
二代目の陰に隠れて見えなくなってますが、2台置いて先頭には現行モデルもいるのです。
「数字で上がったのはわかったけど、見た感じの変化が知りたかった」
と、最低地上高の記事に対して追加の質問をいただきました。
同じ個体の施工前後の写真を同時期に撮影しておけばよかったと後悔しながら探してみましたが、同じアングルのものってなかなか無いのです。
見つけ出した2005年の買取直後のスタイルが上の写真です。納車前はサイドステップまで付いてましたからもっと低く見えたけど、まあダックスフントかコーギーです。
下の写真が、翌年に足回りを交換した直後の姿。タイプMのホイールなのでタイヤはスタッドレスだから、タイヤ外径はこの時点ではまだ、さほど大きくなっていません。純正規格がいかに低いかがお分かりでしょうか。といっても向きが反対だし角度も異なるので、またしても判別しにくいかもしれませんが、今では見慣れてしまってこれがエスクードの当たり前の車高だと思い込んでしまってます。
これも昔話ですが、初代エスクードが開発された時期は、ジムニーの二代目、SJ30が2型か3型になったころからです。エスクードの登場時には、ジムニー側はJA7Ⅰの3型に移行していました。TA01RとJB23Wは10年の時を経ているわけですが、かたや「ジムニーに乗っている人が次に乗りたいと思う車」、そして「ジムニーを受け継ぐジムニー」という、けっこう重大なテーマを背負って生み出されたもの同士なのです。
JB23Wは、車体の安全基準について、小型車に準ずる改正を施された軽自動車なだけに、JA時代に比べるといくらか寸法が大きい。うちのぷらすBLUEの車高が上がっていなかったら、ちょっと車高を上げただけで初代のエスクード以上にに堂々とした車体に見えます。
ショートの01系がいかにコンパクトであったかという見方もできるのですが、規格改正に恵まれたことで、3代目ジムニーには可能性や自由度が拡充されたとも言えるのです。だからこそ23はジムニー史上最長の2代目シリーズを受け継ぐのに充分な素養を持っているのです。モデルライフこそまだ2代目には及びませんが、単一機種で10型まで来ていることが、その成熟度として現れています。
しかしSJ30からJA22までめまぐるしくエンジンやサスペンションなどの変更を受けた2代目には、その進化自体の面白さと、ブランドを確固なものにしてきたという実績があります。そのことは念頭に置いておくとして、エスクードとジムニーは、TA01ショートとJB23Wの間柄において、2代目ジムニーをそれぞれの立ち位置で引き継いだモデルなのです。
えっ? でも僕はもうジムニーには乗りませんよ。それが信念ですもん。
さるムックによる往時のインプレッション記事ですが、かつてこれほどミスマッチな谷田部テストがあっただろうかという企画です。これが行われていた頃はまだ昭和。谷田部のオーバルトラックも健在でした。いまでもテストコースが当時のままであったら、三代目エスクードの企画本でなら必ずトライしていたことでしょうし、ほんとにバンクを走らせていただろうなと思わされます。
言うに及ばず、このエスクードは1型です。OHCの8バルブです。ATの車体はGMのそれを組んだ3速もの(でも手引書を見るとロックアップ式なのね)です。
およそテストコースで走らせた経験のある人といえば、メーカーサイドの人々だけでしょう。部外者では「こんなところに持ってきちゃって・・・」と、青ざめる人もまだいない時代でした。編集者だってノリだと思うのだけれど、出てきた数字のまとめ方に困ったのか、予想外にいい出来だったのかは謎です。
それでもライトウエートという前評判による「優れた高速加速性能」だとか、8バルブでロングストロークの意味するところに「低速から太いトルク」という言葉は、適切なところを見出しにしているのが感心です。
実際に1型に乗ったことのある人は、この手の記事には照れ笑いを浮かべるしかなかったのですが、上記の2点については偽りはありませんでした。この手の車で加速性能といっても、最高速度を競うレベルじゃないので、そっちは程度問題ですが、低速トルクの使いやすさは逸品だったのです。
今や谷田部は左の写真のようなバンク跡も削られてしまい、つくばエクスプレスの駅前開発が進んでいるようで進んでいない街と遺構の入り混じった風景。通りを流していても、初代とすれちがう機会はめっきり少なくなりました。
なんだこりゃ? と手に取ってみれば、ページをめくってもめくってもスズキの車。ベストカープラスだけど、しまいにはバイクまで。珍しいこともあるものです。このタイミングでなんでこの企画? というより広報予算をずいぶん獲得できたんだろうなあと、つい購入しちまいましたよ。内容はね、まあ推して知るべしの域を出ていませんが、いまどきスズキで63ページも使うところがすごい。すごいけどiM‐4を次期ジムニーの予想コラムにのっけるのは保守的過ぎてだめですよ。
そこは、位置づけとしては初代スイフト/イグニスの系譜では? と冒険発言しなくては。
しかしここでも不遇なエスクード。カラー1ページを割いているにもかかわらず、カタログのCG加工したスチルという扱い。5ナンバーサイズの傑作とか名車初代とか言われても、現行モノがこれほど広報サイドから制限されては、名車の歴史だって無かったも同然じゃないのさ。
意外なところで意外な画像ファイルが持ち出され使われているのは、もはやそれを逆に引き当てることの方が楽しみになりかねないご時世ですが、岩手大学の研究室が、どこからどうヒットして見つけていたのか、エスクードのエンジン構造イラストをESCLEVの枝葉のページから引用していました。
引用、と記してあるから許してあげるけれど、「見つけちゃったぞ」とだけ意思表示しとこう。
だけど引用された割には、画自体はたいして役に立っていないんじゃないかという記事ではあります。
夜を越えて走り出したのはロコモライザーではなく、97年式初代最終型のTD51W。その積算走行距離、517000キロ! そうです。ご自身の休養で2013年からマラソンクラスを遠ざかっていた、あのitoさんが、現役復帰されたのです。 げげっ、以前お目にかかったとき、まだ500000キロを越えたくらいだったのに、休養とか言いながら距離が伸びてるし。BLUEらすかるだってこの間かなり頑張って走ってきたのに、ちゃっかり射程範囲にとらえられてるし・・・
そんなわけで、お互い間違いなく第3者が見たら驚くオドメーターなんですが、それでも歴代では暫定2位と3位。ここから再び熾烈な首位争いが繰り広げられるのであります。
「おかげさまで、ろくに動かしていなかったわりにはエンジンの状態はいいですよ。一度は手放そうかとも考えたけれど、励まされて維持しておいてよかった」
そうか、調子いいのか。大丈夫か?うちのTD61Wは・・・
このコンセプトモデルの佇まいや大きさなどから、ジムニーシエラのあとを引き継ぐSUV・・・と初期段階では感じたものの、どうにももやもやが残ってしばらく放置していました。が、やっぱりこれが小型クロカンの後継車とは思えない。もちろんそれは、iM‐4の在り方を否定するものではありません。クロカン要素のニーズは満たせませんが、かつてのテンロクエスクードノマドに限りなく近いという部分では、決して悪くないのですから。
ではどこにもやもやするのかと言えば、新型アルトで打ち出してきたこのシルエットです。ジムニーシエラではありえないと同時に、エスクードの系譜でもない。累計で言えば、これって初代スイフトに最も近いのではないかと考えたら、ちょっと落ち着くのです。
いやいや、スイフトは現在の形があるから、それを先祖がえりさせることはないだろう。と言い聞かせ、あくまで2000年にデビューした当時の初代に限定して考えます。つまり、それをスイフトと呼ばずに済む方法論があるわけです。スイフトと言えば、ネーミングにおいては日本のそれと海外のモデルとは車種が異なり、海外版の2代目カルタスベースモデルで使っていた名前を、日本のニューモデルに持ってきたのが始まり。だから日本で言う初代スイフトは、海外ではIGNISと呼ばれました。
これじゃないか? 量販されるiM‐4の素顔は。
焔とか炎とか篝火という意味合いを持つネーミングは、日本人受けするかもしれません(まあ「イグアナみたいでいやだ」という人も絶対にいると思うけど)。超飛躍すれば、篝火と言ったら玉鬘。美貌と数奇な運命に翻弄された彼女が描かれる源氏物語の世界です。
さすがに妄想するにしても飛躍しすぎ。名前の付け方は人でもクルマでも難しいですから、あてにしないでください。
昨日の二代目エスクードの記事は、今号のスーパースージー誌上連載の原稿を書くきっかけとなった話のまとめでした。これを言っちゃうと自分に跳ね返ってくるのですが、要は雑誌のインプレッションをどこまで本気にとらえるかということでした。
極論を言えば、日常で実際に乗っている人の言葉には、かなわないよという論理です。それを棚上げして原稿を書いているので、まあ呉越同舟ではあります。
などと思っていたら、今号のジムニーロードのページにて、二階堂裕さん自身が珍しくもエスクードについて書いている。なんだこりゃー(おいおい)と一読してみると、初代のフロント、リアサスの設計について工夫を凝らしたのがエスクードだったけれど、これがドイツで「高速道路の印象が悪い」とクレームをつけられ、二代目ではセンターアームを廃止した3リンクになってしまった。ということが、エスクードの個性を剥奪される出来事だったと紹介しています。
初代の開発史についてはこれまで何度も書かれているなかで、このドイツからのリアサス不評という部分は初出しのエピソードでした。いやはや車に関してはハードルの高いお国柄のクレームですし、初代は北米以上にヨーロッパねらいのモデルでしたから、メーカーも慌てたのでしょう。しかしそれを北米ターゲットの2代目においてやっちゃったところもちぐはぐ感のある話です。
しかしさー、こちらの連載記事でそのリアサスの設計変更をあえてクロカンに見切りをつけて万人向けに転じたと論じているところに、同じ号で痛烈にカウンター当てられちゃったよ。
「あれはね、今はなぜあの記事かを明かすことができないけれど、思うところあって特定の人たちに読ませたくて書いたの」
二階堂さんに尋ねたものの、そこははぐらかされました。でも2代目に続いて現行モデルのモノコック化や没個性化に触れて、そういった変革を極力回避しながらジムニーが個性を維持し続けていると結んでいるから、記事が誰に対して何を言わんとしているのかはおおよそ想像がつきます。
まーそれにしてもドイツの人々、大きなお世話を言ってくれたものだったのだわ。そりゃセンターアームはばたつきますわよ。でもショックやコイルやタイヤの選択で乗り味はいじれるのよ。でなけりゃ24年も前の幌車や17年前の5ドアを面白がって乗り続けないよ。
TD62Wを主体とする2代目エスクードが紹介された昔の雑誌で、かいつまんで言うと見出しの通り「コーナリングはいいけど乗り心地が固い」という評価がありました。62Wのグリルが初期のハニカムデザインなので、2代目にV6‐2500が追加された98年2月以降、まだ2代目が初期型の頃の記事です。
GMと手を組み北米市場に攻勢をかけていた時代でもあり、二代目においてはアメリカで流行していたスタイルが要請されました。しかし、形はともかくその大きさについては、シートの着座ポイントが良く出来ており、運転姿勢に無理のないアップライトなポジションをとりつつ、全体的に視界の確保された室内です。
これは、アメリカの市場では狭かったかもしれませんが、今にして思えば日本国内では高齢者も女性も扱いやすいサイズです。初代に対して二代目の室内空間は、左右方向に1センチほど広い。たった1センチが、助手席で大きな効果を発揮しています。
単なる走りとはいえ、普通に走らせて素直に動くというのは重要な要素です。リアサスに5リンクを加えた2代目は、初代に比べてコーナーを思ったように曲がっていくことができ、ロールがきちんと押さえられています(初代比ね)。同時に、2代目に採用されたラックアンドピニオンのステアリング形式と、フロントサスを構成する初代譲りの骨太なAアームの効果でしょう。実際にはラダーフレームにボディを載せる際の接点となるブッシュ類が軟らかく、ダート以上の悪路では当然揺さぶられますが、オンロードでの道路の継ぎ目を踏み越えるときの感触は、四駆として考えた場合かなり上品だと思います。
だから、これで乗り心地が硬い、という表現はもはやエスクードをクロカン四駆としては見ず、乗用車に限りなく近いSUVとして捉えられていたのかなあと感じさせられる記事です。しかしそもそも、この頃から乗用車というかセダン系の車も、硬い足回りの乗り味が次第に好まれ主流になっていったような記憶もあるので、なんだってエスクードごとき(不適切表現)で固いなんて書かれたんだろうとも思います。
二代目のコピーが「クロスカントリーセダン」というものでしたが、その言葉尻を取られたってことだったのか・・・?
だけどその後三代目に代替わりしたころの別記事を見ると、二代目の2000ccと3代目の2000ccを直4同士で比較していながら、写真がV6‐2500だったりするくらい、雑誌の言うことなんていい加減なんです。