果報を寝て待ってるんですが
カーナビゲーション上の地図には雪だるまマークと通行止めサインが出ていた妙高小谷線の杉野沢林道側でしたが、新井の街では上着などいらない暖かさで、初冠雪はしているものの、妙高山の山肌も真っ白ではない。
「こんなんで通行止めであるはずがない」
と笹ヶ峰まで登ってみれば、紅葉は先週いっぱいでピークを過ぎてしまい、景色の方は残念なあんばい。それでも日曜日は雨だというので、歴代エスクードの走る姿を撮影するなら土曜のうちだねと、例によって2分間の時間差スタートで1台ずつ走っていただきました。
最後の1台が通過したあと、家内にBLUEらすかるを動かしてもらって撮影という段取りを決め、少し離れた撮影ポイントで待ち受けるのですが、いつまでたってもうちのクルマだけやって来ない。これはまさかの故障かまたもやパンク? と、駐車した場所まで戻ってみると・・・
車内はぽかぽか陽気であったらしく、彼女はうたた寝をしておりましたよ。
ばばば・・・ばかやろーっ
という一幕があって、自分ちの撮影はぐだぐだなんですが、今回の撮りで、参加者ではないカワサキのシェルパが不意にコーナーに現れ、その雰囲気になんとなくシャッターを切ったところ、ライダーがこちらにやって来て停止し、
とか言うわけです。
なんと、このところエスクードのイベントには姿を見せていなかった、とにいさんではありませんか。彼は全く独自のツーリングで飯綱高原に来たついでに回って来たそうですが、こちらが土曜日に笹ヶ峰に入らなければコンタクトは無かった。こういうことがあるのですねえ。
急きょ「つくばーどin岩間ⅩⅩ」を告知しました。
この13年で、これまで最多の開催をもって多方面に多大な迷惑をかけているミーティングなのですが、TD61Wや62WとそのOEMは、2500ccの排気量であり、
「これとエスクード誕生25年をからめて何かやりたいですね」
と耳打ちしてきたあおいろさんのあくまでも誘惑ならぬ提案に、乗ってしまった僕が全て悪うございます。
このV6にして2500というエスクードは、歴代で最初に小型車の枠を超えたモデルで、しかし車体は1600モデルにちょっとだけ架装しただけの、内寸で言ったらテンロクと変わらない「うりゃっと作ってしまった」モデルです。逆説的にみれば、小さな車体に余裕のエンジンを載せているという、仕上げようによってはけっこうなホットモデルになったかもしれない素材なのです。
V6の2000を経て乗り換えてみるとよくわかることですが、回してなんぼと言われていた2000シリーズに対して、そんなに回さなくともちゃんと走る余力があるのです。そこはパワー、トルクともに大きくなっているから当然として、その出力をオンロードにおいてもオフロードにおいても安定的に使えるということは、ツアラーとして楽ちんだし、クロカンの場面でもねばりを発揮できるのです。
61Wでそう感じるんだから、よりオンロードに振っている62Wなんか、かなりいいんだろうなあという話はそのうちするとして、いずれの型式も販売期間が極めて短かった(特に61W)ので、どれくらい集まって来てくれるかが楽しみでもあり、不安でもあります。
まあミーティングの趣旨もさることながら、当日は狼駄さんが久しぶりに焼肉屋を開店してくれるということも吉報。取材の冷やかしも含めて、どうぞ遊びに来てください。
エスクードのようなシンプルなラインで構成された車に慣れきってしまうと、ジュークのぬめぬめっとしたラインにはぎょっとさせられ、いやいやいやいや・・・こんなザクレロみたいな形なんて、と思っていれば世間的には新しいトレンドとして大いに受け入れられて久しいです。
しかしザクレロではなく、帝国のストームトルーパーだったとは気がつかなかった。いや、だって・・・それってショッカーの戦闘員だとか、ダーク破壊部隊のアンドロイドマンだとか、デーボス軍のゾーリま・・・と一緒ですもん(言いすぎです)
でも、パーソナライズという言葉はもろ刃の剣でもあり、たとえばシャア専用なんとかの車がたまたま信号待ちの交差点で出逢ってしまったら、そりゃあばつの悪いこと請け合いです。そこへ行くとこちらは帝国の兵隊さんですから、たぶん紅いのが複数台そろってしまってもレッドショルダー部隊くらいのごまかしは利きそうですが、それだったらカタログモデルの黒いやつを買ってきて、ベイダー卿に仕立て上げた方がましってもんです。もっともその黒い極めて似たような仕様がとなりに並ばないという保証も、絶対ではありません。
エスクード仲間がミーティングにやってくる風景を長いこと眺めてきて、感心してしまうことがここにあって、お互いにパーツやカスタマイズの情報交換を飽きもせずに繰り返していながら、瓜二つのそっくりさんがいないということです。パーソナライズというのは、ほっとくのに限るんです。
2006年の今日、いわき市の海岸線で、パジェケンさんと遅い昼飯を食っていました。彼のTD54Wは2型にマイナーチェンジしたばかりのモデルで、前日に納車されたバリバリの新車でした。かたやうちのTA01Rも、まだ(笑)納車したてのどノーマル。いわきまで走るともうこんなシートは許せねーっと言いたくなる、痩せてる人専用の純正品です。
一部ご婦人方には評判の喫茶店は、震災後も健在とのこと。基地からなら1時間で行けるこの店に、仙台からだと3時間以上かかる2013年。と書いてみたものの、店の写真が残ってないんだわこれが。
7年矢の如し。とは、過ぎたからこそ言える話で、この年月を実際に過ごすとなかなかの長さであったと思います。01R、ぷらすBLUEは当時7万キロちょっとのところで、今19万キロ。まあちょっと普通じゃないですが、パジェケンさんはあの日、
「これ(彼のエスクード)で月まで行けますよね。いや僕は、100万キロをやりたいんです」
と、まだ100キロを越えたばかりの3代目エスクードに期待を寄せていました。そしてすでに、20万キロもの距離を出しているのです。
うーん、こんな車に誰がしちゃった? ですよねえ。
とはいえ、マラソンクラスはまだまだマイノリティです。
TD61WとTD62Wにお乗りの方へ
つまり、V6エンジン2500ccのエスクード(初代、2代目)に乗っている方々。同時に同タイプのプロシードレバンテ(初代、TJ61W。2代目、TJ62W)に乗っている方々へのお願いとお誘い。
3代目エスクードのショートボディーに次いで、歴代で最も販売期間の短かった(と思われる)この型式のエスクード、レバンテは、今、どれくらいの個体が現役で走っているのだろうか。ふとそのようなことが気にかかり思い立ちました。一度、このモデルに特化したミーティングを開いてみたいという提案です。
「おもしろいじゃないですか。エスクード誕生25年めに、2.5リッターの集まりを呼びかけるのも。でもぼくらの2台だけじゃシャレにならないですよ?」
という、やはりTD61Wを所有するあおいろさんの意気投合と、プレッシャーをいただいたので、現在の参加予定は2台でスタートしました。
日時はこれから調整が必要ですが、ひとまず11月23日(土曜日、勤労感謝の日)あたりで、場所については遠くのユーザーさんにはごめんなさいで、茨城県笠間市のあたご天狗の森公園大駐車場でと考えております。
「いやそういうのはイベント化せよ」
という声が大きければ、スカイロッジのバーベキューサイトくらいは確保します(えっ、食材どうしよう)
もちろん、イベント化するしないにかかわらず、エスクードユーザーさん、レバンテユーザーさん、SIDEKICKでもビターラでも冷やかしにいらっしゃいの、結局はイベントですね。
この模様は、スーパースージー誌の取材記事にさせていただく予定です。61、62所有の皆さん、ぜひご協力をお願いします。
「うちら2台だけだったら?」(あ)
「かっこわるいから載せない」(ら)
フロントフレームロック
コンバーチブルの幌を脱着する際、フロントグラス上部の左右で幌を固定するパーツ。フロントフレームロックと呼ばれていることは、今回の部品発注で初めて知りました。
パーツナンバーはSGAの78520-60A02。これは右側の梱包についていたラベルのものですが、左側は確認するのを忘れました。でもこれって左右対称だよね?
価格は1個1100円税別。左側パーツの赤いラッチ部分が欠けてしまったので、幌を固定できませんでした。そこで左側はインシュレーターで縛りつけ、応急処置していました。今回は左右両方を新調・交換。
部品単価が安いに越したことはありませんが、この部品の材質や構成点数から考え得る製造工程などを思うと、さらに「無いと困るのよ」というユーザーの事情も加味すると、こんな値段でいいんだろうかとも逡巡します。だからと言って0がひとつ余計に付いていたら困りますが。
しかし、これ2個だけだからそんなことを言えるのでもあり、1個あたりの単価は決してたいしたことのないV6エンジンのパーツが、エンジン一体を成したときに、オーバーホールの部品代は恐ろしいことになるのです。
歴史の綴り SUZUKI百余年
SSC出版から「HISTORYofSUZUKI」なるムック本が贈られてきました。特別付録として、ナンバープレート用サイズのSボルト2本がついて1900円税別。浜松のスズキ本社に併設されたスズキ歴史館所蔵の貴重な機織り機から、2輪、4輪のダイジェスト紹介に始まり、モノづくり企業として歩んできたスズキの歴史が歴代社長や分野ごとにまとめられた、読み応えのある一冊です。
Sボルトとは、エンジンシリンダーヘッドやサイドブレーキなどに使われていたメーカーアピールのSマーク刻印入りボルトのことで、昭和40年代のスズキの車両には標準使用されていたものだそうです。詳細は同書巻末に解説があります。
このSボルト解説の冒頭には、スズキの紅のSマークのデザインの由来、そのデザインのヒントになった日本酒のラベルについてのエピソードがあります。近年のエスクードユーザーの多くが、フロントグリルのSマークが嫌いだと、軽自動車主力メーカーの車に乗ることを恥ずかしく思ってかの声を上げますが、このようなエピソードをぜひ読んでほしい。それでもなおかっこ悪いし嫌いだというのであれば、むしろエスクードには乗るべきではないと、言ってあげたいと感じた次第です。
その視点を同書に向けて目を通してみると、スーパースージーがサブタイトルにジムニー・エスクード専門誌とうたっていながら、どう切り開いてもジムニー本を作る編集部がまとめた本になっていることも見てとれます。実際、読み応えがあるので、重箱の隅をつつくように、エスクードの分野にのみ絞ってこれを指摘します。
エスクードに関する記述は、ジムニーの輸出仕様であるサムライが、北米において横転しやすい車両だという吊るし上げを受けた問題を経て、サムライに代わるブランニューとして登場したことから書き出されていて、1600からスタートして2000、2700のグランドエスクードへと成長したことが記載されています。
あれっ? 3代目のことはばっさりと切り捨て? なぜ?(ただし年表にだけ2005年のモデルチェンジという記録は載っています)
モノづくりの観点で言えば、初代エスクードはそのフレームがジムニー譲り。エンジンのG型とてサムライ、ジムニー1300のG13Bの進化と言っていい。ジムニーだって、極論を立てればホープスターON型4WDという、他社が開発したベースモデルから誕生した車なのです。これに対して、3代目エスクードは2代目以前の骨格には依存せず、ほぼすべてがスズキのモノづくりから生み出された車両です。デバイスとして買い付けに至ったESPよりも、メーカーとして研究してきたカム式LSDの方が高く評価された経緯すらあるのです。
その、メーカーとして初めて無垢の四駆を作り上げた実績が、丸ごと抜けているのはどういうことか。
メーカー内でのお荷物的な位置づけからオミットされてしまったのか、ユーザー層の正当な評価が得られていないからなのか。真意は判りませんが、フラッグシップという言葉は、Dセグメントとして誕生したキザシに持って行かれてしまったのです。冗談ではない。GMの基本設計とはいえ、エンジン排気量は3200ccを搭載するに至った歴史を、エスクードは有しているし、小型車枠から抜け出たというのであれば、グランドエスクード以前にTD61WのV6‐2500の初代がある。モノづくりの歴史を綴る書籍の編集に対して、それらをマニアックな指摘だとして一蹴することはできないと思います。
Team WESTWIN Warriors#067
恋の浦ガーデンで開かれた九州ジャンボリーとの共催イベント、JXCD第四戦の結果がきました。Team WESTWIN からは後藤誠司選手が参戦し、無差別級のP2クラスこそ第3位にとどまりましたが、群雄割拠の2000cc以下であるP1クラスは優勝を遂げたそうです。このP1クラスがなぜ群雄割拠かと言えば、オフロード系四駆のダートトライアルとして、無差別級に出てパジェロエボリューションと真っ向勝負する人は少ないということと、車両ではリッタージムニーや、それをベースとして改造するマシンの幅が広いということでしょう。
形はジムニーでもM18を積んで、足回りはどこかで見たフロント独立懸架でリアリジット(そんなの国産車じゃアレしかないのよ)などという改造車がやって来るわけです。
「乗れてました。見えてましたか?」
後藤選手はにこにこしながら島雄司に尋ねたそうですが、実は主催者ブースにいる島監督からは、コースを走る彼らの様子は見ることができないらしい。
「でも音でわかるんですが、M18の高音がまたいい音色で響き渡るんですよ。たいていの人はそちらに気をとられるはずです。しかしエスクードのJ20Aがカムに乗って響かせる音って、聞いたことないだろうと。今日はまさにその最高の音を聞くことができましたね」
つまり、後藤選手は徹底したファストインファストアウトでコーナーに攻め込み、アクセルを踏みっぱなしでコースを駆け抜けているのです。大牟田から恋の浦に移転する際、恋の浦の傾斜やアップダウンの切り返しについては、リスクが高いとまで言われていたのですが、九州勢は早くもこのコースをものにしてしまったようです。
「案の定ハイパワー車には一歩及びませんでしたが、全開で登って行って急速な右ターンを消化すると、今度は下りながら左のターンが待ち受けています。ここをよく攻略したなと思います。ノーブレーキなんですよ」
島監督の分析によれば、各コーナーでの細々とした処理にはまだまだミスの目立つ後藤選手ですが、肝となる一点を攻め込んだ時に猛烈な進化が見られるということです。ノーブレーキで行くことは、要するにハイパワー車が力みを抜く一瞬にタイムを詰め寄る、エスクードとしては非力さをどうにかカバーする作戦とも言えますが、このコーナリングにおいて、突っ込んでくるフロントに少しのブレもないというのが後藤選手の走りです。
この様子を見ていた主催者陣営も、
「島さんは、もう彼に教えることは無くなったねえ」
とつぶやいたそうです。
「まあ乗れているときの後藤くんには手が付けられないと、川添くんが言うほどですから、この勢いのままTDAでの勝負が楽しみです。後藤くんは後藤君で、パジェロエボの廣瀬選手に負けていますから、まだまだエスクードの戦闘力を引き出してくるでしょう」
今回、島監督は車体の軽量化を図っています。ヘッドライト、左右ドアの窓ガラスを撤去し、アクリル板に置き換えました。しかし監督自身は程度問題の対策として処置したとのこと。エンジンの性能に、まだ余力を見出しているというから、驚きです。何しろ言わずもがなの十五年以上前のクルマなのですから。
マイナートラブルの日々
なんか変な音がし始めたので、点検したところ、ファンベルトがあちこちひび割れて切れかかり状態でした。消耗品だからまあ仕方がないです。
うちの車は月単位の走行距離が尋常ではないから参考になるかどうか定かではありませんが、ヘビーユースであるなしにかかわらず20万キロ越えているなら、早めに交換しておいた方がいいでしょう。ベアリングが破損している場合もありますから。
で、ベルトを発注して交換したら、今度はアッパーグローブボックスの蓋が開かなくなるという珍妙な故障。
これボックスの蓋だけ交換できるのか? ダッシュボードごとなんてことはないよね? などとびびって問合せしたところ、2000円だか3000円だかでこれだけ取り寄せられるとか。
とりあえずひと安心。なにしろこれの中にスペアタイヤのロックナット解除キーが入っているのです。BLUEらすかるは、エンジンキーとロックナットキーが別物なのです。前のオーナーさん、何やらかしたのだろう?

