2005年の秋から乗り始めて、中古車としてはもう立派に減価償却してもとはとれてますが、90年代にV6の2500に乗っていた人たちって、この車をどんなふうに見ていたのだろうと、ふと思うことがあります。突然これに乗った人と、1600から2000と排気量を上げてきた人とでは、少し印象が違うことでしょう。それぞれのエスクードに、良いところも悪いところも内包されていましたから。ひとつはっきりしていることは、これだけ走らせても記録的な数字であって、まだ記録にならないということ。上には上がいます。そこまで行けるかどうか、まだスタートラインに立っただけのような気分です。
地球12周めに入ってます
ところで1988年
スズキエスクードがデビューした1988年。世界各地でUFOの出現と大規模通信障害が多発しました。国連宇宙局は、80年代に入ってから外宇宙からの侵略に備えていたものの、一時的に鎮静化したこの騒動を軽視して、防衛シフトも緩めていた矢先のことでした。その折、宇宙ステーション・テラが「巨大なローマ船」という通信を残して壊滅してしまいます。国防軍は、建造を中断していた宇宙防衛艦「轟天」の作業再開と乗員の編成を急ぐのですが・・・
それにしても、この2代目轟天は格好悪い。
77年当時、「未知との遭遇」や「スターウォーズ」に触発されて、特撮は日本のお家芸でもあるとやっちまった感の拭えない、しかし迎え撃つつもりだった映画ですが、もちろん封切られたころにはエスクードなんかかけらも存在してません。「惑星大戦争」の舞台が、たまたま88年という設定でした。
コンセプト提言が29年前に行われ、4年後にこのクルマが登場したとき、世の中は昭和でした。他社にタフトやラーダ・ニーヴァのようにコンパクトな4輪駆動車は存在していましたが、国内メーカーにはまだその市場は芽生えていませんでした。ただし、苗床は「カリフォルニア」「カントリー」と呼ばれる仕様の、各社のステーションワゴンの中にあったように思えます。ホンダシビックシャトルは、最もエスクードのコンセプトに近い「クロカン四駆ではない」SUVの先駆けと言えるでしょう。3代目ワンダーシビックは、4ドアのフェリオがあとから追加されますが、3種類の車体構成という意味でも、エスクードの先鞭をつけていました。
今思うと、ジャンルは異なるとはいえ、ワンダーシビックの3ドアにカブリオレがラインナップされていたら、エスクードは負け戦のデビューになってしまったかもしれません。もちろんシャトルはクロカンなんかには使えませんでしたが、親父が持っていたことがあり、うちで使っていた頃、裏山に物資を運ぶのには重宝しました。
実はエスクードのデザインコンセプトが議論されたころ、二階堂裕さんは、シビックではなく、ホンダシティのスタイルを例に挙げて開発陣に説明したのだそうです。なるほどTA01Wの最も古い、オプションも取り付けないすっぴん状態の姿は、グリルまわりがプジョー205シリーズ風にまとめられていますが、ブリスターフェンダーはシティ譲りということか。いやはや、シティにロングボディが出ていたら・・・と、もうそういう余計なことを言うのはやめとこう。
クロカン四駆として見たとき、この中途半端さはなんなんだろう? と歯牙にもかけなかったのが25年前の僕の第一印象でしたが、JA71で出かけたスズキのディーラーを後にして、いきつけの喫茶レストランで注文していたのは、角切りステーキもミックスフライもパスタもピラフもワンプレートに載っている、「海賊セット」というランチメニューであったその心理に、当時まったく気づいていなかったのです。
29年前のニーズ 後編
ホープスターON型が無ければ、はたしてジムニーの誕生があったかどうか。これはそのままエスクードの誕生にもつながる、スズキの4輪駆動車のつながりと言えます。よくよく考えてみると、骨格はそれぞれ受け継がれて誕生している車。
乱暴なことを言うとエスクードなんて何割かはジムニーそのままだし、ジムニーだって元をたどればよそのメーカーが開発したものがベース。それを言いかえれば、現行型のエスクードこそ、3代目にして初めて、他のプラットホームに依存しない新機軸を、初めて実現したモデルなのではないかと思います。そういう視点で解説するメディアは、実はあまりいないようです。
29年前のユーザーニーズによって生み出された初代エスクードは、ニッチだ隙間だと言われながらも、結果的にはコンパクトクラス、ライトクロカンといったジャンルを確立しました。しかし、中編で「ありそうで無かった」と書きましたが、それはあくまでスズキの中での話です。1600クラスの四駆がそれまで存在しなかったわけではなく、エスクードの誕生と同じことは、1970年代にすでに起きています。
ダイハツによるタフトの登場は、まさにトヨタランドクルーザー、日産パトロール、三菱ジープとジムニーの間を埋める、驚きの発想でした。タフトの車体をみれば、軽自動車とさほど変わらないディメンションであることがわかるでしょう。歴代モデルでは、ここに1000~1600ccのガソリン仕様と2500~2800ccのディーゼルエンジンが載せられました。テンロクのガソリンエンジンはトヨタから供給されたもので、タフト・グランと呼ばれるようになります。
そのまま、エスクードの歴史と同じです。
ところがタフトの後継車、ロッキーが、エスクードより2年あとに登場したことが、ダイハツにとっては良い方向に転じなかった。質実剛健路線からの逸脱が、世の中に受け入れられてしまったのです。いや、質実剛健の世界が四駆のそれであったからこそ、キワモノとも言えるエスクードが受けてしまったと言った方が適当でしょう。29年前の発想と路線転向は、スマッシュヒットをきっちりと当てていったのです。
しかしその車づくりの闊達な手法が何処で薄れたのかが、その後のモノづくりとは裏腹に時代を見違える、メーカーの姿となっていきます。ダイハツがロッキーの次に送り出してきたテリオスとテリオス・キッドは、言ってみればジムニーの軽規格と小型車枠と同じ考え方でしたが、クロカン四駆からSUVという次世代ジャンルを引き出す大胆な試みを果たしました。さらに海外モデルは別として、テリオスシリーズがコンパクト路線を維持したことが、大きなエポックになっていきます。
その頃、2代目へスイッチしたエスクードは、やがてグランドエスクードへと大型化し、車格をひとつ上へと進化させ、3代目へと移行していきます。一方ダイハツは親会社の意向が抑止力となっていたのでしょうか。大きな車を作る力は持っていたと思うのですが、テリオスシリーズの後継車は、ヴィーゴとなるわけです。狭いと言われたエスクードを大きくしたらでかいと言われ、ちょうどいいサイズならヴィーゴだとまで言われるこの車のディメンションが、初代のノマドとほぼ同じというのは、実に象徴的です。
29年前、先読みをしようとしたニーズの聴取層は、ジムニーユーザーだと言われていました。それはつまり、単なるジムニーユーザーというだけではなくて、国内のユーザーを念頭に置いていたからではないでしょうか。世界戦略という3代目の売り込み戦術に、この思想が盛り込まれていても、ニッポンのクルマという受けは通用したように思います。
事実上、初代エスクードのラインナップとして最後の車種。それがTD61Wです。この頃の主力車種は2000ccモデルの51Wでしたが、直4のレスポンスの良さはあったものの、トルクの面では2500ほど力強いわけではありませんでした。やはり2000ccのV6版でも同じことが言えて、それらを経て61Wに乗り換えると、長距離を走っても疲れない、ここ一番の踏ん張りどころでクロカンに活かせるという、意外な評価をできるのです。僕がマラソンクラスのツアラーとして、あおいろさんがクロカン用のアイテムとして選んだ理由は対極にあるようで、同じ性能をそれだけ幅広く使えることにエスクードの面白さがあります。
この写真を撮った後、偶然にも別行動中に同じV字セクションに迷い込んでいますが、あおいろさんは谷間を果敢にクリアし、僕はもちろん谷には落とさずに土手側を乗り越えという抜け方をしています。
「足の伸びが悪いよね。だいすけさんのジープ並みに動かないとねえ」
って、なんてことを言うんだの意見があおいろさんから飛び出すのですが、この2台ともリアサスのパーツが異なっており、ZコイルとランチョのBLUEらすかるはコイルスペーサ―とマウント変換ブラケットで、あおいろさんのエスクードは、バーニィブランクスのコイルとマウント位置を下げたカヤバ。コイルのしなやかさは、おそらくZコイルに軍配が上がるのではないかと思います。だけど絶対的な性能では、あおいろさんのエスクードの方がクロカン寄りにいじってあるため、勝負にならないのがBLUEらすかるです。
「いや、だって。うちのはまだスタッドレスなんだからさー。もっとも履き替えてもオールテレーンでしかないけどさ」
ちなみに、だいすけさんの走り方はこんな感じ。これと同じことをBLUEらすかるにやらせるんじゃないよ(笑)
でも、2500のエスクードは、このコンディションの土の固さならば、マッドテレーンを履いていればクリアできるトルクを有しています。問題はフロントサスの構造で、いくら自由長の大き目(あくまで純正比)なオールドマンエミューでも、構造上こんなに動いちゃくれませんから、フロントアンダーガードやフレームをこすり付けていかなければ、うちのクルマじゃ登れません。脚が伸びない動かないと言いながらも、あおいろさんのでならクリアは可能。
こちらは、2代目エスクードからパジェロロングに乗り換えたもっちゃさんの登坂。谷の様子がわかるでしょうか。それにしてもトレッドが広いから谷に落とさなくても乗り越えられそう。というか、落とす人たちのそれは、半分は趣味性だよなあ。BLUEらすかるは無難に左側をすり抜けて登っております。
29年前のニーズ 中編
「車体寸法、足回り構造、エンジンの排気量と総重量など、すべて私が提案しました。ジムニーを拡大してオンロードも快適に走らせるとなれば、自然とTA01Wのスタイルになる。デザインは担当リーダーの仕事で、当時はエンジン、ボディ、デザインなど分担された項目をそれぞれ1人の責任者が一貫して任されていた。だからクルマがまとまっていくのも早かった」
エスクードの父。と呼ばれる二階堂裕さんの談。それが1984年当時に議論されていた、新型小型4輪駆動車の基本設定でした。この時期、ジムニーはSJ30が登場していましたが、意外にも短いモデル末期にあります。
SJ30といえば「タフ&ニート」という振れ込みによって、ジムニーに多様性をもたらしたモデルの始まりとも言える(のかもしれない)でしょうか。わずかな期間しか所有したことがないので評論できる知識も記憶もないのですが、これを譲ってくれた四駆の師匠が乗っていた、それ以前のジムニーに比べると、外観においてはアクの強さはかなり和らぎ、逆に、だからこそ2代目ジムニーのスタイルが長く踏襲されていくきっかけを作っていたと思います。
確実に女性ユーザー層を視野に入れている。変遷を見ても、マイナーチェンジの内容はジムニー枠の中での上質化を図っています。そして多様化の反面バリエーションの整理も行われますが、屋根付き、幌屋根という車体構成はきちんと維持され、後に軽自動車排気量の拡大によるJAシリーズへ移行するルートと、小型車としての1000や1300への派生も行われます。
これをそのまま放置しておくと、ジムニーは80年代末期に、ひょっとすると小型車枠で大きく進化していたかもしれません。事実、JA51に載っていたG13A型エンジンは、1600ccに格上げとなりました。テンロクジムニーという路線が、実は敷かれようとしていたとも考えられるけれど、そうはならなかった。
「ジムニーユーザーが次に乗りたくなる車」
二階堂さんのその提案が、すべてを決定していくわけですが、なぜ1500ではなく1600だったのか。ここは今でも興味のある部分です。
「開発着手時点で、ロングボディの構想もあったし、ピックアップも考えられていた。ピックアップトラックは現実的じゃないねと抹消されたけれど、ロングはノマドとして追加実現したでしょう?」
この車体バリエーションにおいて、理想的なパワー・トルクはテンロクという結論がなされたそうです。ただしG16Aに関しては、失敗するかもしれないという懸念があったとのことで、もしだめだったらG13Aをエスクードに載せる話も進んだ。実際に北米では、1300のエスクードがリリースされています。
G16Aは、1型だけが8バルブでシングルポイント点火式の構造。どっかんターボのJA71から乗り換えたときには、中低速トルクの太さで乗りやすい半面、テンロクってこんなに上が伸びないのかなあ。やっぱりそこがクロカン四駆の端くれってことか。と勝手に納得していました。
これが2型においてカムはシングルのまま16バルブ化され、点火はとりあえずマルチポイントっぽくなり、程度問題ながら高回転が使えるようになりました。トルクもそこそこに出ていたことから、ノマドの登場を見ることとなります。しかし2型を搭載したハードトップやコンバーチブルは、クロカン四駆とはちょっと異なる世界をも与えたように思います。
ところが、それをジムニーとして考えると、まずそんなのはジムニーじゃないだろう、という考えが浮かぶのです。今なおSJ30をこよなく愛する(たぶん)二階堂さんにとっても、さらなる乗用車化を、ジムニーではやりたくなかったというのが、なんとなく根っこのような気がしてなりません。
そうこうしながら新型の小型4輪駆動車は誕生するわけで、ありそうで無かった「1600ccクラスのコンパクトでありながらメーカーフラッグシップ」が世に出てきます。出来栄えは、当時の品質ですから推して知るべきですが、ひとつの完成形としてスタイルを定着させていたジムニーから一歩先を踏み出そうとしたデザインは達成しました。
Pioneers’talk
ウェブの構成で4ページというのがどのくらい長編なのか、短編なのかはわかりませんが、下に広告の入った新聞で、記事部分1ページ分くらいの文字数ってところでした。1時間、とお願いして、実際には3時間もしゃべっていただけたのは、聞く方も面白いし楽しい。
おまたせしましたの、尾上・二階堂エスクード対談を「エスクード誕生25年企画」に掲載しました。Pioneers’talkが、そのコンテンツとなっております。
問題は・・・読んでくださった方が面白いかどうかは・・・わかんねーです。

