BLUEらすかるは11日の深夜、仙台市内で43万キロを刻みました。
あと300キロを走ると、とねるーどらすかるが持っている記録を塗り替えることになります。
ここから先は、V6のエスクードでは未踏の域です。
いったい月に何冊の雑誌に目を通すのだろうと驚かされっぱなしの、SUZUDASのwizardさんが、モデル・カーズの掲載記事から「ジムニー、エスクードのミニカーが出てくる」とブログで書いていたので、同誌を買ってみたところ、1月末から2月はじめにかけてドイツで開催されたトイショーのレビューでした。
オランダのネオ・スケールモデルが2013年の新製品としてラインナップしたものの中に、なんだ今どきと思わせるTA01Rが加わっているのです。43分の1スケールで、レジン製のようです。またしても海外ブランドの方が懐が広いのか。というより、ネオの商品展開が隙間狙いなのですけど。
オランダのスズキユーザーが、「ことしはビターラデビュー四半世紀だぞ」などと盛り上がっているとは思えないけれど、たとえ左ハンドル仕様でも、この際ありがたいムーブメントだと受け止めたいものです。しかし問題も幾つか。これが向こうでリリースされても、日本の問屋業が輸入してくれなかったら手に入れにくいし、仙台のミニカーショップが仕入れてくれないと・・・ハードルが下がらないよ。
エスクードに降って湧いたミニカーブーム?は、これよりも先に、あの「国産名車コレクション」でも、夏頃に出る197号が、なぜか「1992年」と断り入りのスズキエスクードとなっています。なぜこの年式なのかは、モデル制作用の取材対象がたまたまその年式だった。ということくらいしか思いつかない。ついでに言うと、このムックの仕入れている付録ミニカーは、フランスのノレブ製だったはずなので、やっぱりエスクードに関しては、海外ブランドの評価の方が高いということでしょうか。
本業の忙しさは悪いことではないのですが、予想外に忙しい。しかも「貧乏暇なし」系の忙しさというのが、ほんとに悪いことではないのか?状態の昨年末から年度末にかけての現在です。25年web企画の進行状況も惨憺たるありさまです。
というところに送られてきた、もう懐かしいったらありゃしないダカールラリーの写真の数々。企画に協力して下さっているアピオの尾上茂会長からの、原稿修正指示書とともに提供していただいたエスクードのスチルです。それぞれ異なる年次のものを選んでいただきました。
これでわかることは、ダカールラリーの大半は、二代目エスクードの車体が使われていたという風景です。もちろん初代も走りましたけど、二代目の勇姿をあらためて引き出そうと、これらを使う予定です。
もっとも、姿かたちが二代目であって、ミッションやらエンジンやらあちこちの四駆から移植した特注品ですから、それがエスクードなのかどうかという議論はついてまわります。一時期はそこに葛藤を感じていましたが、尾上さんは当時から、自らそのことについて隠すことなく語り継いでいます。そこが潔い。だから押しかけていって取材をお願いしたのが昨年のことでした。
じゃあ初代いいところないじゃん。という図式になってしまうので、初代に関しては、オーストラリアン・サファリでの勇姿を用意しようと、せっかくだからこれに参戦した二階堂裕さんも連れて行ってしまって対談してもらっちゃえという、ありそうで無かった(ほんとにいままでの四駆メディア上では無かった)企画が実現しています。
しかし材料は揃ってきたものの、編集やっている時間がないのよ。3月になったら二階堂さんのところに写真を借りに行かなくちゃならないけど、行く時間があるのか状態です。いやそれより、この写真をデジタル化しなくちゃならないじゃん。よく考えてみたら、うちにあるスキャナーって、Windows97時代のものだったよ。もう動かせるパソコンないよ。
1996年式の車体を2005年に手に入れたとき、外から見えない部分の錆がだいぶ始まっていました。そこから各所の防錆をやり直して使ってはきたものの、昨年暮れの時点でフロントストラットの付け根がもはやこれまで状態に。この三か月ほどの修理期間中、アッパー側の車体に再度外科手術を施しました。まあ2005年以降34万キロも走らせていたのですから、よくここまで何事もなかったものです。
しかし燃料系統の修理でガソリンタンクを外したところ、車体後部の下部にもこのような錆の再発があちこち出てきており、第二段階の補強が必要のようです。まだ風花さんちののまちゃんのときほどには傷んでいないので、床板の張替えまではやらなくて済みそうです。
現行モデルでよく云われていた錆びやすいなんて話と、それらのモデルで実際に見たことのある症例、これと比べたら、どうってことないレベルだよねえ。
いっぺん修理に出すとなかなか帰ってこないうえに、完治したかどうかがまたわからないという例のパターンですが、ひとまず様子を見てくれと戻ってきました。
「今回は福島で止まったからまだ近かったけれど(近くねーよ)、今は岩手の北との行き来が主なんですよ。止まっちっャたら助けに来てくれる?」
「いやー・・・それはー・・・」
なにしろミッションではないかと始まったらECUかもしれないときて、やっぱりミッションかなーと後戻りしながらフューエルポンプとフィルターの交換に至ったという。
なんだか、前回エンジン載せ換えのときの前哨戦と似ているのです。ちっょと怖い。さらに、こいつもついに、風花さんののまちゃんと同様の外科手術の必要性が出てきました。それについては車検までだましだまし乗るか。
「次の車検も通すよ」 という頼もしい一言でした。
http://tsukubird.org/tbiwama17/01.html
新車登録からずーっと1台のエスクードに乗り続けている人々。これには、その間5台乗り継いだ僕では、到底敵いません。
以前、あおいろさんと初代の故障修理の雑談をしていた折、その内容から「そんな話題をエスクードでですよ? もう立派にエンスーの領域じゃない」と言われたことがありますが、故障の話題じゃなくても、とんでもない人たちがいるよなあと思わされる日でした。
もっともこの3台も無傷で20年過ごしてきたわけではありませんから、それでもまだまだ乗り続けるというのは、やっぱり猛者なのです。
1992年式の3台。昨年、3台ともワン・オーナーのまま、新車登録から20年を走り抜け、もちろん現役で活躍しているエスクードと、ノマド、SIDEKICKです。1台で月までの距離を走るというのも尋常ではありませんが、1台の車を乗り続けるということの方が、ずっと高い価値観を持っていると思います。しかもそれぞれ、エンジンをブローさせてもユニットを載せ換え、床が抜け落ちても床板パーツを調達してレストアし、所有権を娘さんに脅かされても別のビターラ貸与で切り抜け、手放さずに乗ってくれているところが、脱帽ものです。
「3台そろって成人式をやりましょう!」
という和邇さんの提案によって、本日(成人の日は明日ですが)、天狗の森の神社(交通安全もやってはいますが火伏の神社ですけど)に参拝することとなりました。
「しまった、そんなエポックがあるんだったら去年やっとけばよかった」
後の祭りでもう遅いよというのが、AMGさんのコンバーチブルと、うちのぷらすBLUEで、どちらも91年式。仕方がないので、一浪しました混ぜてください組という荒技を使って、後ろの方に並べさせてもらう予定です。もっともこの2台は新車登録時からワン・オーナーではありませんから、上記3台の足元には及ばないのです。
よその四駆雑誌・・・が、どれほど生存しているかというと、とほほな昨今ですから、エスクードが扱われるケースも限られてきます。それで引き合いに出されるのがTeamWESTWINの話題となるのは、ある意味作為的なところもあります。だってこういうのがなかったら、この雑誌は100%ジムニー専門誌で、&エスクード、と綴ること自体ができなくなる。
いやもうしかし、そんなのはどうだっていいのです。ほっといたって満席状態のジムニー話題のページには能動的に仕掛けていかなければエスクードの企画は割り込ませられない。九州かわら版の高橋さん、大きくページを確保してくれました。
TDAを戦った後藤・川添対談というのは、こちらでも既に収録を終えているのですが、先に出てくると聞いて「しまったーっ」と思っていまして、おそるおそる読んでみると、いくらか違う。あ、これなら25周年企画に用意している対談はそのまま活かせるぞとほっとしております。
でも、今号のスーパースージー誌のこのページで一番注目すべきは、サブカット扱いの小さな写真の隅っこ。
これは川添選手の娘さんか? もう英才教育が始まっているのか!(そんなわけない)
http://www.paridaka-info.com/w/
とはいえ、もう何年も前からアフリカ大陸を走っているわけではなく、今年のルートもリマからサンティアゴへ南下します。人類発祥の地という遺伝子のなせる技か、アフリカの水を飲んだ人間は、また再びアフリカへ戻って行きたくなる。と言われていたパリ・ダカールラリーでのプロパガンダも過去の話です。
日本人エントラントがこの競技に参加したのは81年の第三回が最初で、30年近い戦績を持つ民族でもあります。乱暴に言ってしまうと好事家というか道楽というのかの参戦形態で、四輪はスターレットとランドクルーザーという組み合わせから始まり、モトでは第四回目からスズキのDR500が参戦して完走しています。
あのアピオの尾上茂さんが、エスクードを持ち込んでパリ・ダカールラリーを走ったのは97年から05年にかけてで、意外と最近の過去のことでしたが、初回から三連続リタイアというとほほの結果もあってか、初回など車輌情報がまともに残されていないのが寂しいかぎりですが、もとが市販車であってもプライベーターの改造車クラスではそんなものなのかもしれません。
97年以前の尾上さんは、5~6年にわたって四度、オーストラリアンサファリを走っているため、ダカールへの登場が後発となったこともあります。当初はバハ1000をジムニーで考えていたそうですが、尾上さん曰く
「あんなの(タイムアタックレース)ジムニーやエスクードじゃぶっ壊れちゃうね。オーストラリアンサファリのようなラリーレイドが、エスクードにはペースも距離的にもちょうど良かった」
とのことで、二階堂裕さんに言わせると
「パリダカは異常な距離だねえ。エスクードではフロントデフがもたなかった」
という話を聞かされました。アピオのパリ・ダカールラリーを振り返ると、貴重な記録として、他社エンジンやミッションの換装のことはともかく、最後は二代目エスクードをベースにして走ったということがあります。市場において不人気と言われた二代目は、アフリカの砂漠を駆け抜けていたのです。このへんのエピソードは、尾上さん自身が著書に綴っていますが、ESCLEVでもそのうち、まとめに入る予定です。