Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

帰ってきたワンダバな夜

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BLUEらすかるが帰ってくる予定はまだ立っておりません。週末、霰の誕生祝いのために帰省して、再び仙台に戻ってきた次第です。が、大きめの地震が去ったあとの北日本の豪雪の影響が、福島県あたりにも及んでいて、東北道も時速50キロ制限。これはこれで、ロートルなぷらすBLUEにはありがたい速度・・・なんて思っていたら甘くて、降雪の中でも普通に時速100キロでトラフィックが機能しているのです。安積パーキングエリアまではFRで走ってきましたが、こりゃもう危険だとパーキングに入り、四駆に切り替え。そうです、五型までの初代は、オートハブはついていてもドライブセレクト4WDではないのです。いっぺんどこかで停車させないと四駆にできない。だから切り替えどころの判断が肝心です。

安積パーキングエリアから本線に戻って北上すると、栃木県内を通過中にどかーんと追い越していった黒いミニバンが、郡山でガードレールに突き刺さっているではありませんか。そのあたりから断続的な吹雪と、少しずつ路面に雪が積もり出す状態が、蔵王をすぎるまで続きますが、これたぶん、まだまだ今シーズンとしては時の口なんだろうなあと恐れをなすのでした。

いくらかオイル上がり気味のぷらすBLUEですが、それでも四駆は四駆。凍結していなければ短いホイルベースでも安定して国見以降の登り下りのコーナーを越えてくれます。21年前の車ながら、頼もしい限りです。しかし、夕方には雪から曇りとなるハズだった仙台市内が、まだ雪。さてこのまま明日の朝まで降り続くとすると、コンバーチブルの幌屋根は一体どうなるんだろう?

そこが一抹の不安・・・

ワンダバな夜

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遂に自走不能に陥った(ちっとも自慢になりません)BLUEらすかるは、積車に揺られて福島市の郊外に一泊。レッカー業者さんのご好意で代車を借り受けることとなり、月曜日の業務はなんとかこなしました。その合間を縫って、本来の主治医と連絡を取り、地元から主治医の積車が福島まで急行。代車を返却して積車に同乗させていただき、基地へと引き返してぷらすBLUEを持ち出すことになりました。

ぷらすBLUEは朝霧高原のつくばーどの時点で、まだ夏仕様のまま。しかし、月曜日の夜のうちに、霰と霙が納屋からスタッドレスタイヤを搬出して、車内に積み込んでいてくれました。

急いで主治医のところへ持ち込み、タイヤ交換とともに、念のためにエンジンオイルの量を点検したところ、やっぱり先週の富士山往復で回しすぎたか、不足分の補給をしたら1リットルも減っていた。おいおい、焼き付いたらどうすんだよ。と苦笑いですが、どうやらこいつもピストンリングあたりの魔滅が進んでいるらしい。オイル上がりの症状と思われます。

それでも背に腹は変えられないので、じっと定速度で仙台まで持ってきました。福島から基地までは助手席だったので、体力的にはありがたく休息できましたが、とんぼ返りで水曜日の日付になった頃に仙台到着。これで寝られればいいのだけれど、このために一時的に放り出している仕事を明け方までに終わらせねばならない。

結局は徹夜になってしまうのでありました。そしてここから時系列がリアルタイムに戻るのですが、主治医から早速、一時診断(試走点検)の連絡が。

「普通に走って100キロまで気持ちよく加速した。これ、またもやECU絡みじゃないでしょうか。うちには古いテスターしかないので、ディーラーでもう一度ログから点検し直します」

・・・なんだとーっ!?

その日が来た

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やれやれ、こんなのを見るのはタイロッドエンドが抜けて前輪軸が壊れ、林道から自力脱出したとき以来ですよ。

ミッションがいかれてしまっては自力脱出は不可能。もはやこれまでです。

余所様がやっている

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9月18日付の「売れない先入観」を引き当てていただけるとわかります。

この日のブログにおいて、スズキがエスクードに対して軽自動車はおろかスイフトに比べても全くと言っていいほど宣伝しないことを揶揄して、

 

 

 

いまさらダカールラリーやらどこぞのヒルクライムに出て行けと言う気はありませんが、たとえばその昔、スターリング・モスがフロンテSSを走らせたアウトストラーダ・デルソルでの長時間試験走行のような企画に、「あれ? 見たことないぞそんなグランドビターラ」というようなカスタム仕様と、カタログモデルを同時に登場させるのもありだと思います。どうせなら、イタリア国内だけでなく、五大陸全部キャラバンする。誰にやらせるんだという部分は、全国のアリーナ店から社員を募って、これを遂行する。別にプロレーサーやタレント、ましてやインディー・ジョーンズなんか起用する必要はないのです。

と書きました。

これを前提にした話なのですが、スバルフォレスターが新型車を繰り出して、五大陸10万キロのテストデモ走行を、非常にわかりやすい宣伝素材としてアピールし始めています。

http://foresterlive.com/ あ、こうすればリンクを貼れるのか。

9月に自分でこのアイデアを書いたときには、「馬鹿だお前って。考えが浅いよ」と言われるだろうなと思っていたのですが、よそではやっているではありませんか。とどのつまりは、やる気があるかどうかなのかなあ。

そうなると、フォレスターではやらないだろうというあほな企画を考えねばだめじゃありませんか。いや、あほと言ってしまっては身も蓋もないのですが、どうせここまで大きくなっちゃった車体ならば、開き直って後部座席より後ろを幾ばくかストレッチして(モノコックの現行車体を流用できるのかどうかは知りませんけどね)、ダブルキャブピックアップにしてしまったら、僕はこのエスクードを買いに行ってしまうかもしれません。

なんでかって、ここまでやれば汎用品を使っていろいろといじれそうだもの。

Team WESTWIN Warriors#060

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沢山のエスクードユーザーが朝霧高原を撤収している頃、九州ではTDA2012シーズンの最終戦(写真はTA01Wさん提供)が開幕していました。

ここまでの2戦を連勝してシーズンチャンピオンに王手をかけている川添哲郎選手と、その2戦を落としてきた後藤誠司選手。どこをどう切っても、あとが無い後藤選手がどのように最終戦に挑むのか、川添選手は持ち前のカードシャッフルをどう仕掛けていくのかが見どころでした。ポイント上、後藤選手が最終戦を優勝しても、川添選手がベスト4に入ってくれば、川添選手のシリーズタイトルは決定なのです。

「端的に言って、川添君が緒戦で負けて、四位決定戦へとスタミナ温存しながら勝ちに行ってしまうシナリオだってあり得たのです。しかし彼は今回、それをやらなかった。緒戦から全開で対戦相手を下して、後藤君に攻め込んでいきましたよ。後藤君は後藤君で、必ず来ると思っていたそうです。そうなれば一矢報いずにはいられない」

島雄司監督はいつになくクールさを装うのですが、内に秘めた熱さをこらえるのに必死だったというのが本当のところでしょう。彼らのライバルであったパジェロ勢の代表格、廣瀬選手が番狂わせのように敗退した一幕をはさみながら、決勝ラウンドは後藤対川添のエスクード対決。最初からかけ引きなど持ち出さず、お互いの力の激突の末、後藤選手は川添追撃を跳ね除け、最終戦の優勝を果たします。が、ポイントランキングとしては川添選手に軍配が上がり、シリーズタイトルが確定しました。

「なんとか連覇は防ぎました。この決着は来季につけます」

「やっぱり最後の最後はごっちゃん(後藤君)でした。悔しいけどあいつは強いです」

後藤選手は、今シーズンの走りにわずかな迷いを抱いていたそうです。軽量級ながらパワーも兼ね備えるエスクードを自在に操る、牛若丸のような川添選手に対して、軽さとパワーで派手なパフォーマンスにも見える振り回し方をしてきた後藤選手だけに、それで二敗を喫したことは痛恨事だったのです。

今まで培ってきた戦法が通用しないということは、自らの戦いの構築が間違っているのかもしれない。なにしろ、相手は同じ性能、同じ戦力のエスクードです。勝敗の行方は、ドライバーにかかっているのだから、勝てない原因は自分自身にあるのかと、惑わされるのも無理はありません。

「後藤君は、最終的には自身のスタイルを貫きました。川添君がかけ引きに出なかったことと、後藤君が真っ向勝負でぶつかったことは、広い意味では我々TDAに取り組む者のスピリッツそのものを表現してくれたに等しいのです」

実は川添選手は、「僕はまだ、ごっちゃんほどにエスクードの力を引き出せていないんですよ。彼の走りを追いかけていくと、それがわかります」と話したことがあります。川添選手にとっては、後藤選手の大胆なドライビングは、一種の芸術。これをひとつずつ崩していこうとする川添選手の戦いは、まさに匠の技なのかもしれません。だから、この最終戦の結果は、現在の2人の実力の表れでもあるのです。

さてしかし、その実力はおそらく紙一枚の薄さを隔てた裏と表。次回は何が起こるかわかりません。そういった期待を持たせてくれるようなシーズンの幕引きでした。来年のTDAは、きっと、もっと面白くなります。マイナー車と言われているエスクードが、これほど座を盛り上げるレースは他にはありません。来季の行方が楽しみです。

もう確実に冬

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2008年に起きた岩手宮城内陸地震の山崩れ現場近くまで行ってきたのですが、既に国道は凍結・積雪対策で夜間が通行止め。尾根向こうの別の国道も、終日通行止めになっています。ゲートの鎖を外してもらって、先導車に続いて進む林道は、途中まで開放してよーと思ってしまうフラットダート。標高は400m程度ですが、朝イチだったら積雪5センチだったとか。

秘訣の伝授

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フジミの製品としてリリースされているTA01W・・・を改造した幌モデル。マッド風の大径タイヤに交換され、車高が上がっています。幌のフレームは前側が省略されたり後ろ側が簡略化されていますが、サンバイザーやアンカーとシートベルトなどが作りこまれ、窓も半分開いているという幌車の軽快感が演出された、思わず持ち帰りたくなる出来栄え。そしてこれはSIDEKICKとして仕上げられ、左ハンドルなのです。これを作った人にはお目にかかれませんでしたが、展示している模型屋さんのご主人とお話をすることができました。

「沢山の顧客が、メーカー(フジミ)に問い合わせをするのですよ。それがニーズとして受け止められるから、再販につながるんです」

なるほど。金型が潰されない限りは絶版扱いにはならないけれど、モデルに対する版権が関わるから、需要が高まらないと再販できないということなのですね。すると、「現行エスクード出してくれ」と全国的なリクエスト攻勢をかけると、どうなるんだろう?

 

復活の火

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素直に「復活の日」と書こうとしたのだけれど、小松左京さんのSF小説と間違えそうなので、一文字いじりました。しかしそこには何も意味がなかったりややこしかったりするだけです。

夏場から相談を受けていた、和邇さんのTD02V(初代ですが02、ステーションワゴンですがWでなくV、というのが逆輸入仕様の型式)サイドキック・ロングのエンジン不調が、ひとまず修理完了したとのこと。この車も92年式くらいの個体で、あちこち傷んでいたものをだましだまし乗ってきた古参のエスクードです。

和邇さんには30年来の付き合いだったショップが、彼の生活圏内に所在しているのですが、このお店は残念ながら世代交代してエスクードの取り扱いは激減し、次第に修理屋整備のノウハウも薄れてしまったのだとか。今回の入庫で真っ先に手を入れたクランクプーリーのパーツ分離、偏芯による始動時の稼働異常についても、原因を確実にはつかめなかったそうで、そういうことならと、フジ・オートの渡辺さんに診てもらっておりました。

フジ・オートにおいても、初期診断ではタイミングチェーンやファンベルトとカバーの干渉かな? と考えられましたが、渡辺さんはクランクプーリーの経年劣化を発見して交換修理に臨みました。その後、引渡しまでに試運転で走り込み、音と稼働の状態を念入りにチェックしたそうで、今後は機会を見てエンジンマウントの交換も行われます。渡辺さん、最近は自ら撮影した写真を取り込み、タブレットを使って故障箇所や修理の内容を説明してくれるらしく、和邇さんも不調と推測を照合できたとのことです。

話をうかがってみると、今回の不調原因は、しろくまさんのノマドでも確認されたことのある、プーリーの偏芯だったようです。それを聞いて、こちらとしては後手を踏んだなと反省しているのですが、特定の症例ではなく複数の事例として確認ができたことで、同様の不調個体のためにデータを活かせるでしょう。

 

おかあさん

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と、便宜的に呼ぶのですが、おかあさんが長年乗ってきたエスクードがいよいよ退役になるとのことで、その勇姿が送られてきました。このシーンはこれから林道に出かけるのではなく、街へ降りるのです。背後に山小屋があって、そこまでは道もなく、エスクードは傾斜10度の開墾された斜面を100mよじ登って、山小屋までたどり着くために愛用されていました。まさに生活四駆ですが、毎回クロカン。凄まじいというか、素晴らしい。まだ15万キロで、車検も残っているのが残念ですが、おかあさんがいるのは岡山県なんだよなあ・・・

おかあさんのところのお子さんたちも皆さん独立され、お孫さんも出来たとか。月日は流れるものです。

失速の加速度

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おっとびっくりの、アメリカンスズキモーター社が米国連邦破産法第11章に基づく更生手続への申請を決議というパブリシティ。要するに北米市場からの4輪撤退です。

もともと現地ではグランドビターラなんて売れていませんでしたし、カナダのカミ・オートモーティブとの合弁はリーマンショックの1年後に解消していて、現地生産機能を放棄していましたから、同社が車両供給を受けられるのは日産の現地生産ピックアップトラックOEMか、日本からの輸出枠。

円高状態が長く続いて青息吐息だったはずです。

リーマンショックの折、同社はグランドビターラのコンパクトさをアピールして、恐竜的肥大化したアメリカンビークルよりも経済的なのだと宣伝しましたが、そのアメリカンビークルを、現地の人々は捨てなかったということでしょう。

スズキのアメリカ進出は1963年に遡るそうです。これはモーターサイクルメーカーとしての進出。自動車販売は意外に新しくて、85年から。サムライ・ジムニーの横転事故問題という難癖をつけられ、サイドキック・エスクードで巻き返してきた北米市場も、2007年あたりがピークだったようです。今後は現地法人での騒乱も落ち着いたと思われるインドを軸に、東南アジア市場を固めていくとのことですが、足元を固め直すのも忘れないで欲しいです。