Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

全てはそれを実証した自分の責任だ。なのに君たちまで巻き込んだ

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「つくばーどのこの記事のオチは(私の)構想と同じだったのでドキッとしました」(笑)

などと言いながらCyber‐Kさんが送ってきたエスクードの写真でタイヤを見たら、オープンカントリーに履き替えている。既に構想内にあったことだそうで、ヤマタノオジロのオールテレーン化計画と呼応していたとも言えるでしょうか。

「225/60R17によってタイヤの外径が34mm大きくなったので、若干リフトアップに貢献してます。オープンカントリーRTは思ったよりロードノイズが気になりました。音量というより低い周波数のノイズが目立ったかなという感じです。少し砂浜を走りましたが、ツルツルのジオランダーSUVより砂を掻いてくれます(当たり前ですが)。オンロードの乗り心地は扁平も上がったおかげなのか突き上げ感が激減しました」

サイズのこともあるし、エスクードとハスラーの車体やサスペンションのこともあるでしょうけれど、履いている車によって印象は変わるみたいです。

うちの女性陣曰く「乗り心地とか燃費とか気にしてたら仕事(出張)にならないわ」「見てくれの割には静かでちょっと肩透かし」。なんというか、性能二の次な感じです。

32年目の32万キロ

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金曜日に失敗しながらも絶妙のオドメータ数字を刻んだぷらすBLUEは、土曜日に近所での買い物などでちょこちょこと距離を詰めながら、日曜日に無事32万キロに到達しました。

初年度登録から32年、1年に1万キロのペースとして平均値に持ち上げたのは、我が家に来て酷使され始めてからです。

そして土曜日のこと。歯医者に出かけるために一度車庫に赴いたところ、幌の左後部が外れかかっているのでこれを直そうとデッキトップとリアスクリーンを外そうとしたらファスナーの固着で動かない。CRCを取りに行くためキーをこんなところに置いたまま家の中に入り、そのこと自体をすっかり忘れて別の鍵束を持って車庫に戻ったら歯医者の予約時刻が迫って作業している時間が無くなり、まったく気づかぬまま歯医者まで片道3キロを行き来していたのです。

・・・あ、あぶねーっ

なんですかね、そろそろ認知症を警戒しないといけないですかね・・・

在りし日の宝石

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既に交流の途切れた人ですが、2006年当時アフリカで家畜への診療と伝染病予防接種活動をほぼ自費で展開していた「獣の女医」こと滝田明日香さんは、サバンナを縦横無尽に走り、走ればスタックして動けなくなるという七転び八起きのドクターです。彼女がその頃使っていたのが、1993年式ヘリーハンセン・リミテッドのエスクード。これを彼女が手に入れたのが2003年。ああ、今年はエスクードについては縁のある年回りだったと思い出しました。

既にエスクードは退役してローバーか何かに乗り換えているし、マサイ・マラでの活動もかなり大きく育っています。昔、知人から「エスクードが表紙写真の本がある」と教えられ、その内容に驚きコンタクトさせていただき、2007年につくばーど®で紹介した頃はまったく無名でしたが、情熱大陸の採用あたりでブレイクしました。今考えると、無謀っちゃ無謀ですが、彼女ほどエスクードとクロカン性能と日常を結び付けた人はいないなあと感じます。

※つくばーど®サイト上のマサイ・マラ診療巡回プロジェクトリンクについては、現在はすべてリンク切れしています(うっかり解除し忘れてそのままだわ)

止まってしまいました

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AT車のエンジンストールなんてしゃれにもならないことになり、信号待ち停止からの発進や渋滞低速走行での症状が突如現れました。

エアコン不調をどうにか克服し、フロントグラスも社外品調達で切り抜けてきましたが、さて今回のトラブルがアイドルスピードコントロールバルブだったら、もう部品がありません。どうやって直せばいいんだ?

誰が最後に笑ったか

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BLUEらすかるのフロントグラス交換が終わり、戻ってきたらば検査標章がこんなところに貼られていました。ことしの7月3日から、法令が変更施行されるものです。主治医、仕事が速い。

しかしですよ、エスクードやハスラーはフロントグラスが立っているからそれほど煩わしくはないけれど、これそんなに絶対必要な処置なのか?

検査標章の取り付け位置内容について国土交通省の自動車局は、運転者からもクルマの外側からも車検証の有効期間を確認しやすいよう、貼付位置を「前方かつ運転席から見やすい位置として、前面ガラスの運転席側上部で、車両中心から可能な限り遠い位置」説明しています。
ただこれにはパブリックコメントでそこそこの反対意見があったようで、クルマのフロントグラス部分の角度や構造によってはかえって運転者の視界を妨げると食いつかれました。そこで運転者の視野の邪魔になるなら「運転者の視野を妨げない前方かつ運転者席から見やすい位置」に貼り付けることを認めています。

だからさ。

いついかなるときも運転者が車検情報を視認しなくてはならない理由というのが結局は曖昧なのです。そもそも自分で乗っている車の車検満了時期なんて、はじめから頭に入っているし、うっかり忘れていてもガソリンスタンドやらディーラーやらから葉書通知の営業が来ますわ。いついかなるときのうちの大半が「運転中」ということになっているこの法令を作った役人は、霞が関まで鉄道と地下鉄通勤でクルマなんか持っていないんじゃねーか? と思ってしまいます。

あるいは「なんでもいいから仕事しろ。でないと次年度の予算削られるんだぞ」などとプレッシャーでも背負っていたとかね。

蛇足ながら今回のガラス交換で気になってくるのは、これなんかより社外品って、どこのメーカーのガラス? という点です。メーカー視認プリントは、対極的に助手席側左下の端っこにあります。

つまりこれは「うちのメーカー視認プリントが運転者の視界を妨げてはならない」という意志(もしくは役所指導)があるということです。

八百哩ペイント

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なんのこっちゃと思われそうなタイトルですが、フロリダのマイアミからカリフォルニアのロングビーチまでの道のりが、ざっと800マイル。マミポコさんのTA01W「お嬢」は97年式の初代最終型で、車体色がマイアミブルーメタリックとシルバーのツートンでした。腰から下の銀はそのままに、青の部分を塗り替えた色が、ロングビーチブルーというターコイズ系の青緑です。ゆえに面白がって「八百哩ペイント」と呼びます。

ちょっと意外だったのは、このロングビーチブルーって、スズキの塗装色ではなくBМWのものだそうで、異国でバイエルン州のメーカーがカリフォルニアをイメージしてカラーリングのネーミングをするんだなあと・・・まあそれを言ったらスズキだってフロリダをイメージしているわけですが。

この2つのカラーイメージの街について調べてみたら、ロングビーチにはもっと意外な縁があることを知りました。東部からの入植が行われたロングビーチは、その都市名を正式に定めたのが1888年。エスクード誕生100年前のことでした。もうひとつ、あと少しで月軌道に達する「お嬢」ですが、ロングビーチ(カラー)になったということは、ヒューストンに「より近く」なったのです。もっともフロリダにはケープカナベラルがありますが。

 

35周年に寄せてみたーっ

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と、マミポコさんの「お嬢」ことTA01Wが24日の夜に355000キロを刻んだのですが、5000キロオーバーしちゃったというのでエスクードのデビュー日から5日ほど寝かせておきました。

次号のスーパースージー137号にて全バラ全塗装のお話を書いていただきましたが、すみませんモノクロページなので肝心の車体色がわかりません。

彼女のエスクードはフロントの外板を主体にほぼバラバラにされ全く新規の鋼材を使って組み直され、さらにパーツストックとして必要とされるものを廃盤前に買い付けたと言います。

なんでこんなに楽にパーツ調達が可能なんだ! と思っちゃいますよ。彼女のメカニックさんと鈑金屋さんの腕前おそるべしです。

新生「お嬢」の車体は、マイアミブルーメタリックからロングビーチブルーへと塗装されています。スズキには無い色。どんな色かって? 簡単に言えば、太平洋だったら遠浅の海に斜めに太陽光が入る午後二時以降の海の色です。これ順光だったらいいけれど、逆光やら薄暮やら夜間だと撮影がとても難しいなあと、リサイズのためにМSペイントで展開したら、マイアミブルーに見えるという不思議。МSエッジのフォトだと正常に出ます。

35年

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5年ごとに同じようなことにならないよう書き続けてきたら、さすがにもう引き出しが空っぽです。年老いて情熱が薄れたのかもしれないし、もう俺の出る幕じゃねーよというさとりかもしれません。

否定派で始まり、デビュー1年後の限定車にノックアウトされて始まったエスクード歴だから、僕の場合まだ34年でしかありません。

でも、年数じゃないし走った距離でもない。このクルマが良い、と思ってくれたら、それでもう十分なのです。そんな共通の思いを持つ人々が、ずっといてくれることは、一ファンにとって心強いことこの上ないのですが、まあなんというかこういう地味な活動だとメーカーは見向きもしてくれません。いやいや、それでいいって言ってるじゃん。

世の中のSUVという市場ジャンルは、そろそろ飽和しているのではないかと感じます。僕に言わせりゃただのハッチバック。市場価値とブームが過ぎ去ったとはいえ、クロカン四駆の台頭した時代は、個性の塊ばかりでした。そこに斜めから切り込んだエスクードが、まさかCCVからRVと市場を開拓し、SUVジャンルの礎になろうとは思いもよりませんでした。

じゃあクロカン四駆ってそんなに偉いのかよ? という思いも持っています。そもそもクロスカントリーってなんだよ? どろどろごつごつのフィールドを走破するのはまあ面白いけれど、ジャンルというよりその車の性能の一部で、普段使いにはあまり縁がないのは事実です。そんな中で、エスクードの出自はニッチで半端な領域にあったからこそ、普段使いの幅が、多分ですけど並み居るクロカン四駆よりも広かったのではないかと、袈裟伐りの逃げ口上をしてしまうわけです。

それが、SUVの戸口であったかもしれないけれど、やはり乗り手の個性を引き出し、車自体に個性をもたらす出会いでもあったはずです。

個性の塊を氷解させ、底辺を広げたというのは功罪双方の見方ができます。一時的にカタログ落ちした事実は残念なことですが、35年も続くブランドには二代目以降世の中が厳しく立ちはだかり、生き抜くための模索が代替わりの原動力になっているのでしょう。さて5年後、エスクードがどんなことになるのか。地味に見守って行ければと考えます。

 

30年

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クロさんの所有するTA01W、1600ハードトップは、去る22日に新車購入から30年を迎えたそうです。近くに寄ってしげしげと見れば、その経年の刻みはありありとわかっててしまうのですが、状態は決して悪くない。ありありとわかるって言ったら、うちの2台のエスクードだって似たようなもの「以下」のコンディションです。クロさんは5年前までただ一人でこの個体を維持管理しながら、情報を得られず苦労してきたとか。

「つくばーど®のイベントに参加していらした皆さんには、整備関連から雑学、各地のグルメ情報まで、実に様々なことをご教示頂けました」

とのことです。遠出の機会も増えたとかで、僕の方もクロさんから美味しいベーカリーやらよさげな喫茶店の探訪記を教えていただいています。で、こんなのやってくれる店を知っているそうで、今度うちのも描いてもらわねば。

つる -鶴- 素材としては反則技も良いところ

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本記事は、スーパースージー136号に書かせていただいたものです。あんな駄文連載ですから読んでくれる人もいないよなあと思ったし、そもそも四駆雑誌に載せる話か? という葛藤もありました。でもどうせ恥の上塗りだということで、晒してしまいます。

1988年年5月、吉永小百合映画出演100本を記念した『つる -鶴-』が公開された。企画上の原作は木下順二による戯曲『夕鶴』だったが、この映画を監督した市川崑は、過去に同作品の映画化を木下から断られた経緯があり、そもそもの原盤である民話の『鶴の恩返し』をベースにせざるを得ないという葛藤に見舞われた。このエピソードとスズキエスクードの誕生には、同じ年の5月21日に映画が封切られ、25日に新車発売の僅差であること以外何の接点もない。

しかし斜めから見ると、エスクード誕生譚は『つる -鶴-』のそれとよく似ている。

83年頃(注、84年だそうです)のこと、スズキ社内で「次期ジムニー開発会議」が立ち上げられたが、ここに呼ばれた一人の社員によって、当時安定した人気を保っていたSJ30のモデルチェンジを固辞し、二度目の会議から「新型小型四輪駆動車開発」に方向転換させたことは有名な話だ。この社員とは本誌編集人である二階堂裕の、当時の熱意に満ちた姿だ。

場面を重ねれば、二階堂は『夕鶴』の物語を愛した木下に近い立ち位置だった。さらに言えば『夕鶴』はジムニーであり、原盤にはホープスターОN4WDという『鶴の恩返し』が存在する。

吉永記念映画ほどの紆余曲折は、新型小型四輪車開発会議には生じず、スズキ社内でも当時の若手が任されたうえ、ニッチなところでスムーズな開発が進み、『つる -鶴-』に相当するエスクードの誕生に至る。

当時四十路に入っていた吉永だが、かなりの場面で二十代とも思わせる美貌を振りまいた。歳月を経ても彼女は美しいが、齢を経ることは変わりゆく姿を留めておけない。エスクードも同じだ。クロカン四駆の苗床から生まれ、クロスオーバーSUVへの劇的な変貌は、果たして醜悪だろうか?

誕生35年を迎えてなお、これを愛でる人々が大勢いる。なればこそ「エスクードの父」と呼ばれる二階堂編集人にも、エスクードの魅力をもっと世の中に伝えてほしい。

※文中敬称略

僕は吉永さんのファンというほど彼女の出演映画を観たことはありませんが、『つる -鶴-』だけは別格でした。公開日は新作封切りなのでどうしても週末。この当時のスズキの発表物は水曜日。この僅差が埋まっていれば、エスクード誕生譚にもっと寄せられたのですが、無理やりというかチカラ技というか筆者横暴で載せてもらっております。でもこの映画を観た(封切り直後じゃなかったけど)わりにさゆりストを自称することもないんですが・・・