Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

ESCUDOに乗ってしまったあと

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88年からさらに10年・・・経ってしまうとエスクードが2代目になってしまって僕はそれに乗っていないので、2年ほど巻き戻して1996年。雑誌は四駆専門ではありませんが、モーターファンが別冊で出したSUV特集誌。各メーカーのクロカン四駆も特別仕様だけでなく車体色までスタイリッシュに群雄割拠しています。バブル経済はとうに崩壊していますが、だからと言って市場の歯車をすぐには止められなかったこともなんとなく解かります。

齢8年めともなると、初代エスクードにもさほど新鮮味はなくなっており、マイナーチェンジしたばかりの2型のV6モデルがカラーページで紹介されることもなく、6型のテンロクノマドと比較しつつのモノクロページでの掲載(双方4AT)。ライターさんはエスクードの本質として軽量とコンパクトさに扱いやすさを見出しており、フロントヘビーなV6よりもテンロクモデルに好意的な書き方をしています。

TA11W-1が、モノコックボディを将来の示唆として言いたかったのか、自動車雑誌得意のシャーシの古さが車体の重さに関わると。その割には剛性感が低い車体で、ハンドリングもダルであると。この辺が四駆雑誌でない編集のまとめ方なので致し方ないのだけれど、6型ロングあたりで1220kgという車重が重いかモーターファン(笑) RAV‐4のロングが、2000ccながら10kg軽いのだそうです(あゝ・・・ショートでもV6の4ATは1250kgあるよ)

1996そして96年。7年乗った1型のテンロクから、1型のV6に乗り換えてまだ1年に満たなかった我が家は子育ても1年に届かない頃でした。いざとなったらの3型テンロクノマドも所有していましたが、このあともう1人増える子育てにショートのエスクードで不自由を感じることはなく(むしろチャイルドシートをノマドに載せ替えることの方がめんどくさかった)、夫婦そろってミニバンという選択肢は考えたこともなく、その後の流行には乗り遅れていきます。

乗ってしまった8年め。そのエスクードで地球と月の距離を走ろうなどとは思いもよらず、そういうあほな企画を立ち上げる以前に、今交流のあるエスクード仲間の大半とは知り合うきっかけもない(約1名、のせられてノマド買っちゃった女の子がいますが)時代。それでもぼちぼちモデルチェンジの噂らしきものは聞こえ始めていて、「去年買ったばかりのこれよりいいのが出てきちゃうのは辛いなあ」とは感じ出していました。

ちなみにこの年まだ、先代らすかるとなるTA11Wには愛称など付いておりません。それはこのあと2年後のお話となります。

 

ESCUDOなんて知らなかった頃

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1988年夏といえば、僕のクルマはジムニーJA71のパノラミックルーフでした。当時筑波研究学園都市にあった喫茶店に事務局が置かれていた日本ジムニークラブ筑波支部(既にありません)の面々からは、これですら「こんな豪勢なのジムニーじゃない」とからかわれたものでしたが、それはまあSJ30から乗り換えたら「気持ちは判らんでもないです」と自ら思っていた頃のこと。その喫茶店にも4×4マガジンがありました。

この号がスズキエスクードを取り上げたのは、速報記事に続く2度目。2度目は試乗による評価特集が定番の雑誌でした。あらためて当時を読み取ると、特集が組まれているのは280GE、シエラスポーツサイド、キャンパー仕様のパジェログリーンフィールドと以前だったらモデル回帰しそうな年回りだけれど今の日本じゃ環境だなんだと息の根を止められたラインナップ。

そんな中で巻頭特集にあるエスクードは、確かに「なんだこれ?」という異彩を放っています。同誌をして、主流のRV四駆はすべてルーツを持つ進化形で、全く新しいモデルとして出てきたのは74年のタフト以来と説明するほどですから、エスクードの登場は地味にも革新的な出来事だったと言えます(いや、エスクードもフレーム自体はジムニーからの進化形ですけどね)

しかしこの号にはもうひとつ、それまでの四駆とこの当時のRVの区切りについての紹介記事がありました。いわゆるスタイリッシュなRVとして車体設計を具現化したのは、エスクードより2年早い日産テラノだと考えていたのですが、同誌によれば軍用車やトラックからの進化と決別した事例は81年に生まれたいすゞビッグホーンだったと。ではエスクードがもたらした革新とはなんだったのかといえば、この手の車種体系に混沌を巻き起こすきっかけだったのだろうと思います。

混沌って穏やかじゃないじゃん。とも言われそうですが、ここから20年もすると、自動車のカタチが明確なセダンとそれ以外、というくらい「以外」のカタチがもうわけがわからないクロスオーバー化しています。もはやRVのRは日常に埋没し、SUVに呑みこまれたわけです。

この20年で肥大化したのはキャブオーバーRVから分化したミニバンで、この風景はそれらがハイブリッド化し延命を続けていますが、さらに10年後にどうなっていくことか。

と、今だから考えの及ぶ話で、翻って88年夏。譲ってもらった30のエンジンが吹き抜け、買い替えた71のまるで落ち着きのないピーキーなターボに慣れてきた頃、翌年のことなんか何も想像してませんよ。少なくともゲレンデヴァーゲンだとかシエラの巨体を持て余すなら、手足のように使える小さいディメンションに傾倒していましたから。

真夏のタイヤの盲点

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サイドウォールここ数日「サイドウォール破損」「パンク」の検索キーワードが増えていますが、すいません、対策を紹介できるような記事はうちにはありません。いや、サイドウォールが裂けたパンクは、もはや使用を諦めるしかありません。写真は林道のクレバス跨ぎの際、クレバス内に次ぎ出ていた尖った礫にひっかけてしまった悪い例。サイドウォールはトレッド面よりも強度がありません。サイドウォールを破損させる危険はクレバスに限らず、藪に紛れた硬い枝や岩などいろいろ考えられます。

サイドウォール2特に真夏の林道ツーリングに出かける際、自宅から100キロや200キロを移動し突っ走ることで、タイヤ全体が素手では触れないほど高温になっており(これ測ったことないんだけど、要研究ですね)、そんな状態でクレバスなんぞに擦り付けると「へたくそ」と自嘲するだけでは済まなくなります。現在、どれほどのSUVからスペアタイヤが廃止されたかどうかは知りませんが、パンク修理キットでは太刀打ちできないダメージ、ケータイが圏外という状況は絵空事ではありません。

クレバスタイヤ付きホイール1本のコスト削減、メディアが好き勝手に言う「背中にタイヤを括り付けるなど時代遅れ」の評、まあそんなところにしょっちゅう行かないでしょという短絡判断等々、スペアタイヤ廃止の経緯は様々でしたが、車本体の安全装備は充実していくのだから、スペアタイヤ及びその搭載キットについても、メーカーオプション選択できるようにしてほしいところです。

風の通り道

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残暑見舞い

なんてことだ!

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na-01rマツダ内部で初代ロードスターのレストアや部品供給に関する検討が始まったとか。実現すれば来年後半からビジネスラインに乗ってくるとか。

 Response.

古き良き愛すべき車で言えば、初代エスクードのそれこそ1型だったら昭和の車ですよ。でも仮にスズキがこういうことをやるとなれば、やっぱりジムニーになっちゃうのでしょう。

でもでも、初代のジムニーのレストアはともかく、部品供給(一説によると今でも出てくるらしいが)にどれだけ企業アピール度があるか。それにメーカーがやらなくともすでにサードパーティーでそれができるのがジムニーですし。

思い切りひいき目で見てしまいますが、こういうことを何かの間違いでスズキがやるなら、エスクードでやってほしいしやる価値が・・・多少は、いや微塵くらい、ある・・・んじゃないかなと(微塵じゃやってくれねーってば)

聞いた話によれば、エスクードコンバーチブルに関して、それに乗っている人々以外でこの車を評価してくれているのって、実はロードスターユーザーに多かったりするそうですよ。

 

Team WESTWIN Warriors#096

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jxcd2016-2後藤誠司選手にはこんな気遣いというか、意識があります。

「ブログを通して我々のレースを見てくださっている皆さんにも応えたいんです」

島雄司監督のところのブログがずっと更新されていないので、このコメントは「Team WESTWIN Warriors」を読んでくださっている方々へのものです。

そんなコンセントレーションのとり方も彼がダートトライアルを勝ち進む原動力となるわけですが、別の見方をすれば負けられないというプレッシャーを背負うことにもなる(負けるたびに折檻だ修行だデコピンだとえらい言われようですから)

だから彼がしきりに「J20Aに相性のいいタービンないですか?」と聞いてくる気持ちも理解できたし、JXCDのようなパワーレースに進出するようになってその葛藤が強まったこともわかるので、島監督にも「そろそろ考え時かもしれないですね」と後藤君援護の対話を仕向けてもきました。

監督は監督でエスクードTA51WのJ20Aエンジンに対して「カムに乗って甲高く吠える、なんてセリフがありますけど、J20Aはまさしくそれなんですよ。あいつら寄ると触ると『4AGが、SR20が』と泣きを入れてくるんですが、エスクードのエンジンを部品単位で吟味していくと、ブロックだけでなくポンプ類ひとつとってもとんでもない逸品が使われているんです」と反論します。

それでも愛弟子の懇願をどう受け止めるか、監督自身にも葛藤はあります。ここ数日、監督自身も資料を取り寄せ計算を繰り返し、机上でいろいろと考え事をしていたのですが、後藤君は後藤君でウエストウインの店舗に足を運び資料に触れるにつれ、幾ばくか心境の変化が生じたようです。その進言で監督も腹を決めることになったのですが・・・

後藤君は今のエスクードでやらなければならないことがあります。それは最大のライバルである川添哲郎選手と彼のエスクードTA52Wを51Wで打ち負かすこと。この難関を外して先へ進んでしまえば、きっとあとで悔いを残すでしょうから。しかし川添君は川添君で「ツボにはまったごっちゃんは鬼神のようです。でも・・・自分もそこへ突入できないこともなさそうです」と言います。

難関は高く厚そうです。ま、そのときはそのときですが、後藤君のエスクードが大きな転換点を迎えたことは確実です。

 

ビートルの軌跡

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オールドビートル2003年の今日、メキシコで生産されていたフォルクスワーゲン・タイプ1の最終組み立てが終了し、世にいうオールドビートルが65年の幕を引きました。総生産数約2153万台は、未だにどんなメーカーの車種でも打ち破れていません。

しかも、ドイツ本国では78年に生産終了したこの車種の2代目を20年後にデビューさせ、ビートルの愛称も正式なブランド名として継承させ、2011年には三代目へとバトンタッチしています。

そのニュー・ビートル、ザ・ビートルはいずれもそれぞれのデザインを有するものの、基本フォルムはあのスタイルを踏襲しているところに、歓迎と拒絶に分かれながらもビートルの存在価値を残しています。もちろんデザインだけでなく、エンジンそのもの、そのレイアウトと駆動方式、サスペンションの在り方は2代目でドラスティックに変わっています。

最近ようやく気付かされたことは、エスクードが4代目に移行したことと、オールドからニューへと変遷したビートルは、同じ歩みをしているのだという点です。ここまでのモデルチェンジは、おそらくジムニーにはできなかった英断でした(今後はわかりませんが)。さすがに初代の総生産台数は、世界中の実績で束になってかかっても敵いませんが、いま、街なかで初代のテンロクハードトップに出会うと、オールドビートルの半分にも満たない年月だとしても、元気に走っている姿には感銘します。

そして現役を受け継ぐ4代目が、ちらほらと巷に姿を現していることも、同じように頼もしく感じるのです。一方、そろそろ3代めの幕引きが近いという声が届いてきて、やろうと思えばローレンジで時速100キロへも引っ張り上げられるような「四駆」はもう出てこないだろうなあ(そんなことする人なんて一握りのマイノリティだしね)とも思わされます。

うちのじゃないです(笑)

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まあ車体同じだからねえ

間違えられても仕方ないか

初めてメールをいただく人から

「雷蔵さんのエスクードが長期取材車になったそうですね」

と問い合わせがあり、

え゛っ なんですかそれ?

と思わず駐車場までBLUEらすかるが「在る」のを確かめに行きかけましたよ。

どういうことかというと、こういうことでした。

あー・・・まあほら、同じ車体色というか、この同じボディーそのものが2000にも2500にも使われましたから無理もないのですが、良っくご覧ください。バンパーにフロントエクステンションバーついてません。エンジンフードのバグガードもありません。あおいろさんが「あれがうちらのアイデンティティーでしょ」というので載せているルーフラックも無いです。なによりうちのと並んだらたぶん、ダックスフントかコーギーかというくらい、低重心に見えるでしょう。

でもねー、一瞬どきっとするよねこの風貌。

こうはならない予感

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#44極めて「触り」的なオフロード性能試走を春先に行い、「四代目エスクードのつくり」という枠においてはけっこう走るじゃんと感じたものの、クロスオーバーの方向性から予感するのは、四代目エスクードをこんな風に使うユーザー層はそれほど出てこないかなという結論でした。

えっ、それじゃー書けることなくなっちゃうじゃん。

だいたいウェブの方で書くこと書いちゃってるし、同じ素材で別のページも作成してるし、三匹目のドジョウなんて都合のいいことできるわけがない・・・といってボツにしたらcyber-kさんに申し訳が立ちません。

と、三分の一くらい焦りながらまとめたのが今号のスーパースージー誌の記事です。代が変わるごとに、エスクードには何かしら新機軸が投入されてきました。それがこのモデルの市場を維持し続け、ブランドとして生き残ってきたとすれば、案外エスクードはフロンティアを走っているのです。

ただその行く先が、これまでとは異なる舵を切ったなと実感する。ポテンシャルはそこそこ持っているけれど、それをすべて引き出すユーザーは少ない。というより、そこまで意地っ張りになる必要はないなと。しかしです。Scross、イグニス、バレーノという排気量に大差のないカテゴリーに、この先エスクードも排気量の縮減を行っていくとなると、ディメンションとALLGRIPだけで魅力を牽引できるのかどうかは疑問です。

 

恋するエスクード

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恋するエスクード

写真はイメージです

二十数年前、その娘さんは初めて運転免許証を手にし、あこがれの車のカタログを隅から隅まで読みつくし、販売店で見積もりをとり、さあ準備万端!

と思っていたのですが親御さんからストップがかかり、女だてらに四駆なんか要らぬ! と認めてもらえたのはアルトであったとか。

もちろん初めての愛車となったわけですから、彼女はそのアルトも好きになって大事に乗り続けたそうですが、心のどこかにはTA01Wの姿が焼き付けられたまま、長い年月が過ぎていくこととなります。

 

そうしてこの度、彼女の手元には真っ新の新型エスクードが届けられることとなりました。自ら選んだ車、01というわけにはいかなくなったけれど、ずっと恋焦がれていたエスクードのユーザーに、彼女は晴れて仲間入りすることができます。

「だから、彼女はうちの後藤君のファンなのです。うちの競技用エスクードは51と52ですが、川添君の二代目52じゃなくて、01の面影を強く残している51。こんなエスクードファンもいらっしゃるんですよ」

ウエストウインの島雄司社長も嬉しそうに話をしてくれます。ちょっと目から鱗な話だと感じました。世代を越えてもエスクードはエスクード。こんなご婦人にはぜひともお目にかかってみたいです。