昨年暮れにぷらすBLUEで踏んづけたばかりでしたが、今度はBLUEらすかるでやってしまいました。
全く同じく右リア。
次が起きたら犯罪の可能性を疑うことにしよう・・・
我が家個人的には、先代当主の一周忌を執り行います。早いような長かったような1年でしたが、13日に命日が巡ってくるので、菩提寺の案内に従い、本日法事となりました。
そういう日なのになんだって「宇宙刑事ギャバン」なんだよと言えば、ギャバンって子と父の物語という印象の強い番組だったから。
でもって、1982年3月5日というのが「宇宙刑事ギャバン」の放送開始。本日はまさしくギャバン登場40周年なのでした。特撮の世界でウルトラが無くて仮面ライダーが無くて、スーパー戦隊がまだ太陽戦隊サンバルカンと黎明のとき、それらのいずれにも迎合しない新しいキャラクターを産み出したという、画期的なヒーローでした。
すいませんすいません、そんな日に法事なんか組んじゃったのは、現当主の責任です。
僕らが所帯を持ったころ、クルマのラジオからはZARDのGood-bye My Lonelinessが流れていて、表題にしている相馬裕子のデビューアルバムはまだ世に出ていませんでした。なんだそのややこしい書き出しは。と自分でも思いますが、それが1991年3月の話。31年も前のことになってしまいました。二級後輩だったはずの家内は、いつのまにかため口をききやがり、一家の大黒柱と言っても過言ではないしっかり者となりました。
ことしが31年目だから当たり前のこと、昨年は結婚30周年で、我が家にあるエスクードコンバーチブルが91年式なので「真珠婚の年回り」にも花が添えられているなあと思っていたら、その年にデビューしていた日産フィガロが年末ぎりぎりに転がり込んでくるという珍事・・・いや慶事が起こりました。
なんですかねえ。この91年エフェクト。結婚式の準備に追われ、仕事を3週間分まとめてやっつけていた当時、フィガロなんて車の登場は、春先になって以降のNHK放送のアインシュタインスペシャルに出てきたへんてこなクルマ(フィガロ)を見るまで知らなかったし、この頃乗っていたエスクードは1型ハードトップで、コンバーチブルは50歳を過ぎたら探そうなどと適当なことを言っていたのです。要するにどちらも縁遠いクルマたちでした。
エスクードのコンバーチブルは、50歳を待たずに来るべくして手元にやって来ていますが、まさかフィガロが(なんせフィガロですよ。守備範囲にもないよ)これと並ぶ風景を見ることになろうとは。
そのような雛祭りで耳の日の3月3日は、どちらかを借り受けて「Wind Songs」ではなく、ちょうど30年目にあたる相馬さん2枚目のアルバム「空と海の出会う場所」を聴きながら仕事に出かけたいのよと頼んだら、「幌車でお出かけください」と言われてしまいました。フィガロの方は、既に母娘で交渉が進んでいるようです。
キャニオンで独り、昼飯を食おうと席に座って注文をして少し後、表の国道をヤマタノオジロ(あまりに久しぶりに書くので、わかんない人多数でしょうが、霰のハスラーのことです)が華麗に素通りしていきました。
なんだ? 出張外出でもしているのか? と思っていたら、どこかでUターンして戻ってきました。
ということで、昼飯をおごってやることになるわけですが、親を前にすると遠慮がない。値段の高いBセットを頼みやがります。Aセットと何が違うかというと、エビフライが特大サイズなのです。まあいいけどさー。と、そのあと、背広姿の僕を見ながら
「そだよ。でも今日は早朝から出先取材だからもう終わりだ」
「仕事してるのがわかって安心したわー」
いつ頃の太古にさかのぼるのか知りませんが「第二の月の27日目」、大洪水から逃れたノアの一族が神の宣託を受け、漂着している方舟から初めて、水の引いた大地に出られたということです。ここでノアの一族は供物を捧げ感謝祭を開き、神はそれに答えて二度と洪水を起こさぬ契約の証として、空に虹をかけたと・・・
「今日」は、そういう日らしいですがノアの話は置いときます。
虹を見つけることには吉凶双方の言い伝えがあり、民族によって分かれるようですが、その前に「虹っちゃ何色に見えるかよ?」の方が面白い。7色だろう、と、思うじゃないですか。でも雨上がりに見かける虹を眺めて、あそこが何色であのへんがこの色と、明確に識別して指をさせたこともない(あー、それって俺だけかもしれないけど)
ご存じのように、虹は太陽光が雨粒のスクリーンを透過し分光されて起きる自然現象。このことをフラスコの水などで科学的に再現した幾多の学者の中で、最も有名なのがニュートンの実験で、プリズムによる分光が7色とされたことが、戦後の日本の教育に浸透して、我々の虹が7色と結び付けられていったとのことだそうです。
ところがこの虹の色の認識は地域や民族によってまちまちで、8色から2色までさまざま。アフリカでは「薄緑」が目視されていて、日本人より得している気がします。欧米では「紫はともかく藍色は認めにくいから除外だ」という感覚により、6色の認識が多いようです。この、藍色を数えられる我々だからこそ、世界最古とも云われる青の色を再現する藍染を継承できるのかもしれないと、ノアのことなんかどこ行っちゃったんだという結論に至るのでした。
NTT東日本から、「お宅の敷地で使わせてもらっている電柱と電線の設置使用料を支払うから連絡頂戴」という、親父あての封書が来ました。何年かに一度、この使用料の振り込み時期が来るらしいです。
NTTについては固定電話の回線名義変更も料金引き落とし変更も済ませていたのですが、情報の共有はされていないみたいです。
ということはこの連絡票にある新規登録用記入欄に書き込んで送り返せばいいのかと思ったら、
「申込者が変わった場合は別途契約し直すからそこには記入しなくていいよ」
なんだかめんどくせー段取りだなあ。
しかし今回の手続きにて、基地の前を上り下りしているあの坂道に、公的な路線名があることを初めて知りました。土地の人々は異口同音に「権現坂」と呼んでいたので、僕もそう刷り込まれていたのです。今は市道扱いと思われますが、とある町道の「枝線」でした。
はー・・・大昔は裏山に上がる馬車道と参拝のメインストリートだったのに、昔から枝線なのかー。
だーれだこんなものを基地に持ち込みやがったのはーっ と憤っていたら、サニーのブロワーモーターが壊れ、家内が借りてきた代車でした。
「なんかねー、ターボがひゅーひゅーうるさいのなんの」
うちにあった7型や霰のハスラーのターボが静かなんですよ。試してみると(乗ってるし)昔乗っていたJA71よりもひ弱な音ですが、逆にレスポンスが良い。
リアに見覚えのある切り文字がありまして、なんだよこれって親父に頼まれて俺が切ったやつだよ。このJB23、僕と親父と共通の知人の所有だったものでした。主治医に聞いたら、免許を返納して処分したいとのことで、引き取られたとか。既にナンバーも変わっていました。
走行15万キロを超えていましたが、状態は悪くない。クロカンには使われていない個体で、たまに長距離で山形県往復をやっていた、基本的には乗用車扱いだったはず。切り文字は残しておいてという要望だったそうですが、あんなもの剥がしちゃったっていいんだけどね。
今後我が家が借りる代車ってこれになっちゃうのか?
3連休初日の大雪は、つくばーど基地においては口ほどにもない降雪量で、やっぱり夜が明けてからの朝のうちの凍結が大敵でした。裏山に上がれば多少は雪遊びもできたのですが、喪が明けないうちは行っちゃならない神域というローカルな掟があるため、炬燵で丸くなるしかないのでした。すごかったのは木曜夜のスーパーマーケットだったそうで、買い物から戻ってきた家内曰く
昼のうちに町中の人々が買い出しに来たようです。しかし霰も霙もうまい具合に金曜日が公休日に当たっていて、各自イエノミ食材を調達してきたため、金曜夜は具沢山のラーメン、土曜日は寄せ鍋と、スーパー巣ごもり状態でした。
こうして何事もなく日曜日になるわけですが、明日でいいや、今夜やるか、の原稿にまだ着手していないという体たらく。1500字で10回分の依頼で、締め切り来週末。
はい・・・ごもっともです。
ふと気が付いたら、裏山へのバイク(自転車)用誘導案内板がいくつも立てられていました。コーナーの数については異論があるんだけれど、この案内板の規定はたぶん、ヘアピンカーブレベルのアールで数えているのかもしれません。
平均斜度も出ているから走る人はわかるんだろうけど、カーブ6個と思っていると、ゆるい曲がりで痛い思いをしそうな気がします。
と、バイクをやっている、というより10年前すでにここを攻略しているあおいろさんに聞いたら
「もうかなりの有名度らしいよ」
と教えられました。案内板の数日後にはロードペイントも・・・
ところで、季節ごとに気温差の変化が出るから表示自体は不毛なんでしょうけど、このルートはスタート地点とゴール地点の気温差が、この時期だと5℃以上異なるので、途中にある大気の逆転層の上は、ふもとが雨でもこんなこと(過去写真)になってます。
今日あたりは雪にならなくても凍結しているでしょう。