あの東北新幹線E5系をモチーフにした、なんと駅弁。思わず中身も見ずに買ってきてしまいましたが、お子様ランチでした。そりゃそうだよなあと、こっそり晩飯として食っているわけです。
茶飯風ピラフ?をベースに、ミニオムレツ、エビフライ、ハンバーグ、ソーセージ、ミニアメリカンドッグなど、まあまあそこそこの中身です。はやぶさの先頭車両を模した造形ゆえか、器の価格が相当なものになるのでしょうね。ちょっと高い。牛タン定食を選んだ方がいいのかもしれない。しかしここは、ブーム?に便乗です。
石ノ森 章太郎さんが鬼籍に入ってからもう13年にもなる今、自分自身が宮城県で暮らしているという巡りあわせは、ひとりのファンとしては不思議な感慨があります。生家のある登米市にも、萬画館のある石巻市にも、1時間程度の移動で行けてしまう。今のところ、出かけていられる余裕がないのですが、生家でそのままに保存、公開されている氏の少年時代の勉強部屋。窓辺に置かれた机の風景を、また眺めに行きたいと思っています。そういえば、塩竈市には長井勝一さんの漫画美術館もあるんだ。長井さんは「月刊漫画ガロ」を創刊させた編集人で、それ以前は貸本漫画の文化を創り出した人でもあります。
ゲゲゲの女房を見ていた人には、長井さんをモデルにした登場人物も出演していたことを思い出されるかもしれませんが、つまりその時代となると、僕自身とは、ずれがあります。長井さんも15年前に逝去されていて、80年代末期には低迷を始めていたガロも、浮き沈みの後に90年代末に休刊となっています。
その年、石ノ森さんも亡くなられているのですが、最後の最後にプロット構成を進めていた作品の一つが、サイボーグ009の完結編。「2012 009 conclusion GOD’S WAR」と呼ばれることになる物語で、三部作のうちの第1巻は、執筆を長男の小野寺丈さんが共著者として2006年に出版しています。石ノ森さん自身が書き出している導入部分においては、1960年代の「石森さん」が、サイボーグ009を描き始めたきっかけについて語られています。
009たちは21世紀に実在するサイボーグたちで、彼らの闘いの記録を描かせるために、超能力者である001が過去の「石森さん」にテレパシーを送っていたという発想でした。その事実を伝えに、病床の石ノ森さん(ややこしいけど1990年代)のもとに、やはり001の力によって、2011年の未来世界から、ギルモア博士がタイムスリップしてくるという展開でした。
おお、2011年ですかい!
その後の009たちの闘いと大団円は、まだ発表されていません。ミレニアムとも言われた2009年(かなりこじつけ)にも動きがなかった。しかし表題とされる神々との戦いの年代には2012年と刻まれており、これを逃すとまたもや未完の大作となってしまう・・・
2011年。なにか起こりそうな、いやそんなこと起こってほしくないと言った方が適切なことしの、今日は石ノ森さんの命日。
「イチゴ!」「バニラ!」「メロン!」で、「イ・バ・メ、イバメイッバッメ!♪」 と歌が聞こえてくるわけではありませんが、そこへ持って行ったかというバンダイの新製品。仮面ライダーオーズをベースとした、ガンバライドバトルアイス電王やWも含めたガンバライドカード全10種類のいずれかが同梱されています。さすがにカード集めはもうどうでもいいですが、アイデアにのまれて買ってしまいました。イチゴ味は、バニラの上半分をコーティングしてあり、メロン部分もそうなのだろうと思ったら、そちらは中までメロン。まるまるイチゴだと、バニラとは接合できないのか? 味として飽きられてしまうのか? そこは不明です。
頭部・上半身・下半身で能力を組み合わせられる仮面ライダーオーズの特徴を三色アイスに持ってきたのは、アイデアですが、オーズには同属性三種類によるコンボ形態があります。ならば、ブルーベリー、ラズベリー、ストロベリーで「ブラストコンボ」とかが出てきたら「当たり、その場でもう一個!」 なんていう限定物を混ぜたらいいのにと思ってしまったけれど、この場合のコンボ味はやっぱりしつこいんだろうねえ。
作家の福井晴敏さんの価値基準の中心軸には「伝説巨神イデオン」があり、その後出会う作品という作品をイデオンと比較しし、「この三十年間、『伝説巨神イデオン』を超える作品にはついに出会えなかった」と、雑誌掲載の手記で述べていました。あくまで福井さんの基準です。
超えたか超えなかったかは、クリエイター側には大事なことなのだと思いますが、見てきた側にとって、出会えなかったとしたらそっちのほうが重大。作り手に「だからキミはぼんくらなのよ」と言われようとも、超える超えないの領分ではなくて、面白かったかそうではなかったかの判断で手応えを感じていたいと思います。
いやその、福井さんの論評がどうのこうのという話ではなくて、たとえばイデオン以降、手応えを感じたアニメーションが無かったということはないよと、僕の基準ではけっこう緩め控えめに見ているだけのことです。
ただ、メジャーであり定番の域にある作品群が、その亜種ばかりを作り続けることや、かつての傑作という看板に頼ってリメイクに走ることは、いいかげん転換してほしい。そのことはこの十数年言い続けています。
その意味で、実は今年が放送30周年であったイデオンが、年末ぎりぎりで映像ソフトの再販やら上映会イベントが行われたものの、お台場あたりに設定同寸のプロップを建築確認取得してまで作るにいたらなかったことは(モノのたとえですよ)、コアなファンにとっては変に担ぎ出されなくて良かったのかなと感じました。これもまた、機動戦士ガンダムをどうこう言うわけではなくて、模型やソフトの領域をはるかに超えて商業ベースの神輿にされてしまうことより、世に出された映像自体が語り継がれていることのほうが、作品にとって本望なのではないかと思っているのです。
当時のトミーによるイデオンの「奇跡合体」玩具をいじってみると、ボタンひとつで三つの車両形態から戦闘形態にバシャっと変形し、それらがさらに合体してイデオンになるばかりか、電子音はともかく要所要所が発光するというギミックは、玩具として面白い。一方、数年前にバンダイからリリースされた超合金魂は、造形と変形(ボタンひとつではない)と全身の可動を良くぞここまで両立したものと驚きながらも、樹脂で作られたイデオンソードなんか、白々しくて手首にはめ込む気にもならない。しかし、テレビ放送のエピソードや映画の話題は風化することもなく語れる。リアルタイム世代の役得とはいえ、それを新たに作り直してもらう必要はなくてすんでいます。
少なくとも、レベルの格差が甚大ながらも、福井さんの言いたいことは理解できて、同じような評価を下せているつもりで、30年間引っ張れているなあと思えるのは、作り直しでもなんでもない、唯一無二のフィルムに収められた物語なのです。そして同様に手応えのあった物語を、この間たくさん見ることができたのじゃないかなあと思います。なぜなら、イデオンの物語は人々の出会いの不幸であって、どんなに叙情的な締めくくりに持っていっても救われない。ましてその大団円の最後のシーンの一部には、アニメが使われていない(いやそれは重箱の隅)。でも・・・嫌なんだけれど、ここまで突っ込んでいってでも、子供向け番組のレッテルを貼られている世界をぶち抜きたかったんだなあと、作り手の突っ走る様を見せ付けられたことは確かでした。
と、友人がお子さんと観て来たという「仮面ライダー×仮面ライダー OOO&W feat.スカル MOVIE大戦CORE」(何だこの異様に長いタイトルは)のパンフレットを見せてもらって「げげげっ!」
なんか、見たことの無い装甲車が登場しているではありませんか。
形としては、仮面ライダーWに登場していたリボルギャリーに良く似ていますが、細部の意匠は、物語の上ではWよりも過去に活躍したことになっている、仮面ライダースカルのモチーフでまとめられており、いやーな予感がよぎりました。仮面ライダースカルとは、Wに変身する2人の青年の片方を弟子として、私立探偵を営んでいた鳴海荘吉が変身する姿。我々の世代としては、スカルマンのオマージュ的なキャラクターです。
友人によれば
「鳴海は現役バリバリの時代、スカルになる以前から、Wに出てくるミュージアム(悪の組織)と戦っていて、シュラウド(えーと、解説するとまずそうなので割愛)ともコンタクトがあった。だから探偵事務所の奥にこれが既にあって、スカル用のマシンもあって、あとは鳴海自身がそれらを行使するかどうかだけの段階だった」
ということで、まあ使っちゃうわけですね。この装甲車はスカルギャリーと呼ばれ、スカル用マシン・スカルボイルダーと連結して相互に強化される設定のようです。この展開が描かれたことによって、Wの時代により強力な装備となり、大型化されたリボルギャリーが存在することも、W専用のハードボイルダーがスカルボイルダーと酷似していることも、ついでに言えばWの相棒である仮面ライダーアクセルが、わけのわからない変形合体を遂げるアクセルガンナーの技術的なベースになっていることも、すべて明らかになっていくわけです(たぶん)
それは面白かろうし、納得の展開。スカルはなんともおいしい役どころだなあ・・・と思う反面、こちらとしてはマジですか? の驚天動地です。
「そんで・・・これ、作るの?」
友人はにこにこしながらそう言うのです。うちのTOYS HANGERでは確かに、過去に何個かの、販売されていない(その当時は販売されていなかった)ライダーマシンを自作したことがありますから、これもやっちゃうんだろ? のノリで聞いてくるのです。
「いやいやいや、こんなの無理っ。第一、改造用ベースのリボルギャリーなんか持ってませんっ」
「だってお前、スカルボイルダーのときは、おもちゃが出るだいぶ前にあっさり作ったじゃん」
「あれはきわめて安い食玩があったからだ。加工もわずかで済んだからだし」
スカルボイルダーにはちょっとした恨み(笑)もあります。名前も無しに出てきた一瞬のシーンで、調べてみても「スカル専用ハードボイルダー」としか表記されていなかったマシンゆえに、これは勝手にスピンアウトできそうと、マシン名まで考えながら改造した経緯があります。後に玩具化され、スカルボイルダーという名称も決定して、こちらとしてはへなへなと・・・ 今もって、古いほうのマシンが後付け的なネーミングであることには納得できないのですが、決められてしまうと何も抵抗できない。
「だからさ、今度のも、市場に出てくる前に作ってしまうのが男ってもんだよ」
「か、勝手に言うなっ。ただでさえ『スーパー1のVマシン』と『響鬼の凱火』が揃わなくて、うちのハンガーは半端なのだ。この上こんなものまで増やしやがって!」
まったく、本家のスピンアウトには敵いません。もうこんなのは、安価なやつがリリースされるのを期待するだけです。
艱難辛苦を乗り越えて、滅亡のふちから人類を救った宇宙戦艦とその乗組員を、わずか一年足らずで人類が忘れ去ってしまったり、ましてやその存在を疎んだり、そんなことをするわけ無いじゃないかと思ったのが、「さらば~愛の戦士たち」だった。なんかもう、復興と繁栄ぶりは何処か別の異星人がヤマト帰還前に介入していて、こっそり人類を堕落の道に陥れていたとしか思えないほどの、滅亡なんて無かったも同然状態でしたが・・・
そんなシチュエーションをお膳立てして人類総じてだめなやつらに仕立て上げるのも釈然としないまま、それでも白色彗星帝国から守るのだとヤマトを担ぎ出され、やつらならこの難局を打破するだろうと期待していれば、最後の最後は特攻でケリがつく。
それは、それは「明日のために今日の屈辱に耐える」という信念を貫いた、沖田十三の子供たちのやることではなかろう! と、僕はヤマトと訣別したのでした。
その後はシリーズご周知のとおり、続編のためには無かったことだらけになってしまうし、挙句には誤診の一言で沖田まで生還しちゃうし、その沖田自身がヤマト自爆のトリガーを引くという決断をするし・・・といったものづくりには閉口しながらもようやっと完結かいと思っていたのにわけのわからぬままに復活しちゃってやれやれの世界でした。
だから、今回、ほぼ戦後の人たちによって作られたヤマトがどんなテイストに行くのか、あらぬ期待を抱いていました。ストーリーを書いてしまうわけには行かないので奥歯にものの挟まった物言いになるけれど、池内博之くんが登場した瞬間、オチがわかってしまう映画なのです。なにもヤマト的フォーマットにはまり込まなくてもいいじゃん。違ったことができなかったのかなあと、切れない因果の糸を感じた次第です。じわじわと盛り上がっていって薬室充填120%まで行ったところで、思いっきり電源ケーブルに足を引掛けられて、作業中のパソコンが落ちたって気分。まあ・・・そんなことを思ったのは僕だけなのでしょう。山崎貴監督自身は子供の頃、そのオチにこそ「やられた」らしいから、こりゃ何を言ってもそうなっちゃうのね。
1945年に轟沈した戦艦が254年もの間原形をとどめていて(実際には真っ二つだか三つだかになって沈没していますが)、あまつさえ地球の海が干上がるほどの遊星爆弾の攻撃にさらされていながら直撃も受けず、こつこつと地下から改修を施して宇宙船にしてしまうというセンスオブワンダーも裸足で逃げ出す物語の冒頭について、話が盛り上がってしまいました。
普通なら、そんなことはありえない。しかしこれがないと話が始まらない。でもなんでわざわざ沈没船を改修するのかというところに、実は突破口があるのです。
当時、石津嵐さんが書き下ろした最初の小説版において、日本海軍はこの戦艦を建造するとき、鉄板と特殊合金の二重構造で設計を行っており、偽装した鉄板の下の特殊合金は海中や大気圏外においても気密性を保持でき、腐食もしないという性能を有していたため、2199年にも原形をとどめており、宇宙船の船体として使用に耐えうるという内容が書かれていました。多少なんてもんじゃない強引な設定ながら、これを知っていると、あの赤錆びた鉄の塊が一皮剥けるという展開は放置していられるのです。だからといって、内側をあれだけいじれるって技術の説明にはなりませんが。
今度の映画では、そのあたりをどう解釈するのかスルーしちゃうのか、興味ありますねと言ったところ「じゃあ観に行きましょう」という展開に。取引先の専務殿とですよ、いいのかほんとに? 戦艦といっても、頭に「宇宙」がついてるんですよ。いやさ、SPACE BATTLESHIPっすよ! と狼狽するものの、よくよく聞いたらこの方は古代進のファンをン10年という、まさしく歴戦の勇士でした。
まあなんとなくそんな本編外設定はスルーされているような気はするのですが、だいたいそんな特殊合金が20世紀に開発されていながら、冥王星会戦の沖田艦隊はぼろくそにやられるような船ばかりというのが納得できないんですよね(でも、沖田艦はとりあえず生還しているし、ゆきかぜも土星に漂着はしていた、という船の強度はなにげに描かれている)
表題は挿絵について言っているのではありません。挿絵の写真は素人の特撮ですので、こんなんでも「潜航中のスカイダイバー」と言ってくれる人がいてくれたら御の字です。ただ、スカイダイバーをCGで描くとか、それを別撮りの背景に合成するとかの加工をしていないという点では、ひとまず古典的技法にはのっとっています。単に庭石の上に置いて撮っただけ(それって特撮なのか?)
それって特撮なのか? と書いておきながら円谷英二さんの言葉を借りれば、特撮は特撮だとわかる映像であってはならない。との、ひとつの捉え方があります。
日本の特撮の醍醐味である着ぐるみと操演(主に吊るし撮り)が、それをどこまで体現できたかはともかく、実写版と言いながらも役者と双璧の存在である宇宙戦艦がフルCGで描かれているのは、個人的には不満で、これは最近のウルトラマンからそう感じていたのですが、戦艦のようなごつく巨大な物体であればなおさら、その威容や鈍重さをプロップワークで見せてもらいたいのです。
このプロップは残念ながら見に行けませんでした。こんなの作るなら、撮影にも活用すべきだと感じます(使ったのかなあ?)。こういう技法で巨大なものを描こうとしたひとつの例を挙げれば、円谷プロにおけるマイテイジャックの出動シークエンスやジェリー・アンダーソンによる謎の円盤UFOなどに感化されているためか、臨場感の感じ方が違うのでしょう。フルCGの超弩級宇宙戦艦がこれに肉薄できるのか。そこが興味の的です。
1970年代のヒーローが使っていたスーパーバイクは、押しなべてエンジンに原子炉が搭載され、それ自体がとんでもないコンパクトさという超テクノロジーながら、スペックを見るとなかなかチープなものでした。
本郷猛が最初に乗ったサイクロンも原子力ジェットエンジンで、たぶんタービンを回してジェット噴射(チェーン駆動じゃないということか)で走っていたらしい。原子炉なんて、立花藤兵衛さんはいったいどうやってメンテナンスしていたのか、そらおそろしい話ではあります。
でも出力は200馬力くらいで最高速度が400キロと、オートバイとしてはすごいけど原子力でもそんなものなんだーという数字でした。最近のライダーマシンはほとんどホンダのバイクから起こされているので、HRCのGPマシンで比較すると、ガソリンエンジンで200馬力は実用域にあり、速度も300キロ台に載せてきていますから、現代においてはわざわざ核分裂まで持ち出さなくとも、仮面ライダーの専用マシンは比較的容易に作り出せるようになっています。最近のライダーは改造人間じゃないから、改造人間の肉体に準じて・・・などと深く考えなくてもいいようだし。
数年前の映画で描かれた「仮面ライダーtheFIRST NEXT」でも2台出てきたサイクロンは、市販車のカスタマイズによる超高性能バイク、という設定でした。しかし内燃機関の種類に決着がついたものの、サイクロンというマシンのデザインとアイデンティティーにはこだわりを持つ人がいて(僕もそうです)、サイクロンの排気に集合菅は似合わない。6気筒分のサイレンサーがあってこそのサイクロン。という造形が、時々出てきます。
ところが、エンジンを実在のユニットとして考えると、FIRST版のサイクロン1号のようにCBRをベースにされたらそれはありえない。じゃあどうやって6気筒にするんだ?という葛藤から、オリジナルの解釈をするわけです。ちょうどこの頃、motoGPのレギュレーションが変更され、HRCではRC212VからV型4気筒に変更した経緯がありました。しかしそれ以前のRC211VはV型5気筒エンジンだった。これをもってきて、実はサイクロン1号にはこのブロックをさらに改良して、V型の前も後ろも3気筒という特注ブロックを供給してもらったという設定をでっち上げることで、映画に出ていたサイクロンがさらに改良され、6本出しのサイレンサー仕様になっているという展開を描いたのです。
にもかかわらず、最近購入した2009年版のサイクロンを見たら、なんとサイレンサーは6本なのに、エンジンが4気筒に変更されているではありませんか。なな、なんでそんなことをするんだ? と、しばし考え込んでしまいました。いやまあこれだけの大排気量なら、わざわざ集合サイレンサーにしなくても中低速のパワーもトルクも活用できる(サイクロンの中低速って何キロくらいなんだよ)でしょうが、だからといって、なにも4気筒の排気を途中から2本株分けする必然性も、素人には見出せないのです。
現代のエンジンならば、6気筒のシリンダー構成でなくとも、ハイパワーは引き出せるのでしょうけれど、そこはサイクロンゆえに排気を4本にまとめることはできなかったということか。しかしそこにこだわるのなら、一定の説明がほしいなあと思うわけです。
セルメダルという特殊な硬貨(流通貨幣ではない)があれば、その自販機があるところならいつでもどこでも、用途に応じた缶ツールを取り出すことができるばかりか、自販機自体が移動用オートバイに変形して、勝手に走り出せる(たぶん乗り捨て自由)。「仮面ライダーOOO(オーズ)」の世界では、ヒーローのスーパーマシン、ライドベンダーがシェアリングシステムによって供給されているところに眼を引かれます。スーパーマシンでありながら、量産ものなのです。
世界中どこでも武器を調達できるシステムというと、「キャプテンスカーレット」における地球防衛軍・スペクトラムの隊員が、派遣された土地で様々に偽装された現地エージェントから、追跡戦闘車を受領する場面が古い記憶にあります。この場合は身分証明書の提示がキーとなっていました。少し昔だと、「電脳警察サイバーコップ」でも、ウェポンツールの搬送システムが、都市内に張り巡らされていました。
こちらはZAC(電脳警察)のメンバーと本部の通信を介しての搬送射出と受け渡し。他にもあったかもしれませんが、いずれも特定の有資格者にのみ与えられたシステムで、シェアリングとは縁遠いものです。
オーズの場合は、セルメダルを持っているかどうかの分岐点はあるものの、持ってさえいれば一般人だろうがオーズの敵のグリード一味だろうが、これを使いこなせるところが、事実上のシェアリングと呼べるでしょう。ただし、カンドロイドというアフターパーツをくくりつけると(カンと言っても・・・ドラム缶なみだなあ)トライドベンダーに進化し、これはオーズの、しかも特定の形態でないと乗りこなせなくなります。そのシステム管理者も開発者も明らかになっている分、いくつかの出自を説明できないライダーマシンよりも、説得力があるかもしれません。ただし、ライドベンダーの動力源だとか、マテリアルについては、逃げ切りされて説明の得られない部分もたくさんあります。
量産市販がなされていたかもしれないライダーマシンを、平成シリーズで列挙してみると、以下の感じでしょうか。
仮面ライダークウガ/トライチェイサー2000A(警視庁はじめとする全国いくつかの県警察本部には支給されたことになっている)
仮面ライダー龍騎/ライドシューター(販売されていないが、ミラーワールド突入用共通マシン。あ、こいつシェアリング元祖だな)
仮面ライダー555/オートバジン(開発メーカー・スマートブレイン社の商品宣伝に出ているので市販しているはず)
仮面ライダー響鬼/竜巻 凱火(基本は量販車のカスタマイズ)
仮面ライダーtheFIRST NEXT/サイクロン1号、2号(量販車のカスタマイズ)