Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

蒸着とはメッキのことだから

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0.05秒でメッキ落ちしたかどうかは定かではありませんが、マクー空間に引きずり込まれたら、いきなり「良く知っている場所だった」というのが、僕にとっては笑っちゃったり哀しかったり(なんでそんなとこマクー空間にするんだよー)の、家内が大葉健二のファンでなかったら観たりしないぞ、の気分ではありました。

しかし宇宙で遭難した地球人が、バード星で1年間くらい研修するだけで、宇宙刑事になれてしまうところがすごいんだけど、だからこそ二代目は歴戦の勇者の初代には大幅に敵わないってのは頷けてしまう。

大葉健二さん、御年57だとか。そこに勤続30年の迫力というキャラクターの立ち方があるだけに、彼以外の誰ひとり引き立たないのは、作り手の責任だと思います。あんなに強くてスパルタで二代目をぶっ飛ばしておいて、ちょっとしたきっかけで二代目を認めて襲名させるというのは、無理やりな話。ベタな展開でも、初代のコンバットスーツに経年劣化があって、形状維持できなくなるようなピンチに陥って、こりゃ危ないってところで二代目が一念発起して助けに入って、初代のレーザーブレードを譲り受けて二刀流でハイパーダイナミックを放つ。というやり方の方がわかりやすかったでしょう。

そういえば、コンバットスーツはマイナーチェンジしていながらも、30年前のテイストを尊重したデザインワークスは、宇宙刑事シリーズならではの独創感があります。が、蒸着から結晶に至るまで、要するに変身前の制服に関して何も考えていないセンスの悪さと着こなしのできない役者たち。真逆にパートナー娘のコスチュームのこっ恥ずかしさ炸裂という何を考えているのか神経を疑いたくなるセンスにはびっくりです。初代シャリバンの相棒くらいの衣装にしとけばよかったのに。

いや、ミニスカートじゃなくてホットパンツでいいからさ。

 

直撃の着弾

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こんなものにその値段を? と、たいていの人は思うことでしょう。しかしこの30年近く、ウルトラのイベントなどでアンケートを書く機会があった時には、必ず筆頭に挙げてリクエストしていたのです。ウルトラマンメビウスの登場時に、セレクションとして一部の防衛チームのピンズセットがリリースされたことはありますが、所詮は一部でした。

ちくしょー、やりやがったよ。来たら飾ってやるよ。

使い棄てのリピート

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ほーら出てきちゃったよ。仮面ライダーウィザードが魔法使いで、悪魔(いつから悪魔が敵になっているのか知りませんが、テレビシリーズの敵も広義には悪魔なのか?)と戦うとなれば、やるだろうと思っていました。まあそれにしてもS.I.Cかぶれ、悪魔でありながらヒーローだったはずのアクマイザー3も、敵扱いだとこの醜い造形なのが哀れです。自らが主役だった番組でも、最後には封印されちゃったし、使い棄て感増幅。せめて彼らも超力招来で、超神ビビューンに転生させてもらえれば救われるんですが、そこまでやるかな。

私はこの日が来るのを・・・忘れていたのだ

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小学館お抱えの有名漫画家8名が、それぞれの代表作を読み切りで各誌に掲載し、単行本化し発売しての売り上げを震災復興に寄付するという企画だそうですが、ずいぶん昔にも、あちこちの雑誌で読み切り掲載によるリバイバルというブームがあったのを思い出しました(当時の企画はチャリティではなかった)

聞いた話では「鉄腕バーディーEVOLUTION」のエピローグ編だけ、連載終了後に別の雑誌に読み切り掲載したら、掲載誌が売り切れで手に入らなくなったとかですから、今回も雑誌の売上に貢献するんでしょうねえ。

というわけで企画の妙。究極戦隊コウガマンが、堂々の24ページで登場! なわけではなく、この読み切りは「究極超人あ~る」でありながら、コウガマンで乗り切るというアイデアの勝利。CDのドラマでは何度か展開しているコウガマンも、あ~るの連載中に扱われたのはたった一度でしたから、堂々の主役掲載というのはありそうでなかった意表の突き方です。

しかしそれならばゆうきさん、これは50ページで月刊サンデー枠でやってこその読み切り大作だったのじゃないかと思います。R・デコを出してきたのはポイントが高いけれど、あ~るの周りを固める迷?バイプレイヤーの半分が出ていないじゃないですか。

「あ~るを50ページなんて、間が持つわけねーだろうっ」

とか言われそうですが、それはごもっとも。24ページというのもまあたいしたものではあるのです。が、窮屈そうですよ、出ている彼ら。

大河の澱み

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作品というのは作り手のエゴの表れであるから、それに沿ったものが出来上がるのは致し方ないこととして。「天使編」「神々との闘い編」に対して、監督と脚本という立場からオマージュしつつ作り手の解釈を見せたかったというのなら、この映画は原点となったと思われる二つのエピソードに対して、何ら王手を打ててはいないということです。

原作者であった石ノ森章太郎さんは、神、という存在の解釈について、人類よりも高次の生命のようなものを考えていたような気がしますが、そこを単なる宇宙人ロジックで済ませたくなかった。

そこで、迫る締切の中で散々考えあぐねた上に昇華しきれなかった。というのが、「サイボーグ009」が未完に至る所以でした。「009 RE:CYBORG」では、その部分にどんなアプローチをするかが関心事でしたが、神、という存在を諸民族のイデオロギーからではなく、生物の本能的な畏怖や恐れに対して脳が描き出す思考的なビジョン。との、008ことピュンマによる解釈・・・を彼のファイルによって朗読した004ことアルベルト・ハインリヒ(今回、彼は饒舌すぎです)の説明までは、納得がいくレベルでした。

それは、解釈の展開によって、ゼロゼロナンバーサイボーグが戦ってきた「悪」の体現ともつながるから。

しかしそのビジョンがなせる技なのか、実際に神が存在するのか、この映画は結果的に「いる」と示唆しながらも、曖昧に流した。そこは承服できません。挙げ句の果てに「思い願えば叶う」という導きでは、困ったときの神頼みでしかないではないか。彼らは天使編の幕切れ前に、神が人類の造物主として存在し、人類の出来栄えに失望したから粛清して作り直すという恫喝に対して、「人類すべてが落伍者ではないはず。自分たちはそれを伝える抵抗者として捨石になる」とまで決意しているのです。

009こと島村ジョーは、その意志のとおり、今回もきちんと抵抗者としての訴えを叫びましたが、いかに最強のサイボーグといえども、できることはそこまででしょう。映画であり、エンターテインメントだとしても、その先を淡々と描かれてしまうと、もう興ざめでしかない。

ついでに言えば、パンフレットや参考書によって設定を紐解いていかなければ、世界観が解説しきれない作品なんていうのは、それ自体が突っ込みどころのオンパレードであり、009という世界観に胡座をかきすぎた作りだとも思います。

最初に、作り手のエゴだと(これはあくまで擁護の意味)書きましたが、果たして本当にそうなのか?

そこかしこに、企画段階で刷り込まれた他の監督候補や企画者たちの記号が見え隠れし、別の作品の作風に縛り付けられたビジュアル、過去の作品から抜け出すことができていない音楽、そういった妥協の塊感も感じるということは、あっちこっちのエゴに巻き込まれて、なんとかかんとか形にしましたといった雰囲気か、はたまたそういう記号にかぶれているだけのプロ感覚の欠落がぬぐい去れない。

いいとこ50点でしょう。でもそれって、民族設定の矛盾からGジュニア、なんてかわいそうな改名をさせられていた005に対して、「そんなこと知らないよ」と言わんばかりに堂々と「ジェロニモ」、と呼ばせた開き直りに対して、です。

実はこの映画、全体の構図は「天使編」でも「神々との闘い編」でもなく、サイボーグ009モノクロ放送時の最終回「平和の戦士は死なず」の焼き直しに等しいのです。だから50点どころか20点もあげられない。

無茶な論理

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「終わらせなければ始まらない」とかなんとか言いながら、遂に始まる009 RE;CYBORG。もともと未完の大作であったサイボーグ009でしたが、なぜそんなに完結編にこだわるのかが、昔からのファンとしては理解できないことです。

決論から言っちゃえば、原作者は天使編でギブアップ宣言をして、その後はオムニバスなエピソードを綴っていくことで、009の戦いや葛藤を描いてきた。それでいいのだと思っています。原作者以外の誰がやろうと(たとえ身内であっても)、それは本筋としての009とは別のものなのです。

ここまで今風のキャラクターデザインにしてしまうのは、ある意味その時点で逃げ道と同じだと思います。まだ2001年にリメイクされ、地下帝国ヨミ編で締めくくった平成版のほうが潔いし、1966年のモノクロ作品は、子供心に戦争の怖さや嫌悪感を嫌というほど突きつけられたという、恐ろしさがありました。

でもって、これは言い切れると思うのですが、009に限らず、大見栄切って完結編だ。とやったところで、いつの日かまたリメイクされてしまうのがこの手の大作。ならばその後は誰がやろうと構わないじゃないか。という論理にもなるのでしょうが、原作者が完結編を描ききることができなかった作品は、どこまで行っても未完の大作であるべきです。

だからいちいち、終わらせなければ、なんて構えることはないのよ。

 

象徴的な封切り

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封切られたのは2日前の土曜日ですが、復活物とはいえ、ようやく仮面ライダーでもなくスーパー戦隊でもない、メタルヒーローのそろい踏み。だからって評価するわけじゃないんですが、これは象徴的な出来事だと感じます。これで同シリーズのぶら下がりを続けられては元の木阿弥ですから、うかつに褒められない。

だけど、ライダーと戦隊しか作れない情けない流れを変えられるかもしれない(既にそのライダーの方はまたもやとほほな路線が発表されていますし)可能性を、ここに見出したいと期待するわけです。

宇宙刑事に関しては、映画を見ていないので大したことを言えません。特命戦隊ゴーバスターズに客演したギャバンのアクション用着ぐるみで、主に肩のあたりのアルミテープ丸出しな質感に唖然としたくらいです。ただ、見てきた人に聞く限りでは

「作ればいい、3人出せばいいってもんじゃないよ」

ということなので、脚本の側で何かとてつもない勘違い製作映画だったのか?

話を戻して、何が象徴的かというと、このライダー・戦隊から変化した流れが、1972年(と、その前後)の第二次怪獣ブーム、変身ブームから、ちょうど40年めにあたることです。そのころ、どれだけとんでもなかったかというと、書き出すのがめんどくさいからウィキペディアを引用します。なんだこりゃ、というくらい、対ウルトラマン、対仮面ライダーというヒーローの乱発時代。既にその二作はシリーズ化していますが、対、に相当する番組は、あの手この手でスーパーヒーローを創造していたのです。

ただし、ウィキが綴っている第二次ベビーブームによる児童増加・・・というのはちょっと違うと思います。71年から74年あたりを第二次ベビーブームとするのが日本の場合ですから、ヒーロー乱発の自体とそれは重なっている。いやしかし、生後2年か3年の幼児がこんな番組を見て熱狂していたとは思えない。視聴者層はもっと上の年齢のはずで、5年から10年くらいずれているのではないでしょうか。

それはそれとして、もう一方で、その頃生まれた人たちが、この手の番組企画においては今、けっこう偉いポジションにいるはず。さらにその10年ほど下の世代が、現場の中心ではないかと思います。だからこそ、当時夢中になったヒーローを自分の手で動かしたい気持ちはわかるけれど、それはあんたたちの独創性を阻害しているか、マーケットの変化を理由に手を出せない気弱さか。としか感じられないのです。

そこへきて、せめて宇宙刑事。メタルヒーローシリーズに手をつけたのは、新しいことをやってよという可能性への期待になるか、いよいよどツボにはまる負のループから抜け出せなるかのどちらかです。

そのうえで評判芳しくないということは、やっぱり作り手の力がついていないってこと?

もキュッ

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おいおいおい・・・

たぶんなんのことか、誰にもわかんないよ。

娘らから贈られたプレゼントですが、クラフト・ライト・ファイターの幼生。ああもうその辺からしてわかんないだろうよ・・・ これが人型の巨大ロボになるわけですよ。

でももう三年も前の映画だしなあ。よくこんなの見つけてきたものだよ。

真っ赤なスカーフ

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どうせ上映のない仙台ですので、あえて乗り遅れを続けますが、2199も第三章が封切りだそうで、ここで来るかのエンディング曲に「真っ赤なスカーフ」。基地に帰ると、まだシングルレコードが残っています。

当時これを聞いた祖母に「ロカビリーのあんちゃん、とうとう演歌に転向したのか」と言わしめた、あの歌です。先月流れたニュースでは「決定した」と報じられていましたが、この選曲は「とうに決定していた」もののはず。ここら辺で流さないと、物語の展開上タイミングを逸してしまいます。

太陽圏を出るまでは、素材となるエピソードが沢山あるため、第二章までは控えめだった新しい展開も、この章から積極的に取り入れてくるようです。予告映像で印象的なのは、アナライザー・ロボットとガミラスの機械化兵士との交流らしき場面。前線ではガミラスとの共同作戦も見られるそうですが、四話分の尺にどれだけのシナリオを起こしているのか興味深い。そのためには捨てたエピソードもあるでしょうけれど、昔の一話分に比べると、今の一話分はとんでもなく情報量が高密度なので、見応えはあるのだろうな・・・

にもかかわらず、少なくとも宮城県内には系列の映画館が二つ以上あるんですけど、なんでこの作品は東北を見放しているのか納得できない。沖田十三(福島)、相原義一(岩手)、榎本勇(青森)、原田真琴(秋田)と、主要登場人物に東北出身者が大勢いるではないか・・・と、すいません、榎本とか原田とかって、誰?

剛力招来しちゃったよ

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それにしてもこの組み合わせはすごいわ。しかも、ごつい方の所属が「怪人同盟」って、団塊世代と少し下でないとわからんだろうに。キョーダイン同様の扱いというのはなんだかなあ、です。これ、当然、超力招来もするんでしょうね。