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  ~懲りない傾向~

象徴的な封切り

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封切られたのは2日前の土曜日ですが、復活物とはいえ、ようやく仮面ライダーでもなくスーパー戦隊でもない、メタルヒーローのそろい踏み。だからって評価するわけじゃないんですが、これは象徴的な出来事だと感じます。これで同シリーズのぶら下がりを続けられては元の木阿弥ですから、うかつに褒められない。

だけど、ライダーと戦隊しか作れない情けない流れを変えられるかもしれない(既にそのライダーの方はまたもやとほほな路線が発表されていますし)可能性を、ここに見出したいと期待するわけです。

宇宙刑事に関しては、映画を見ていないので大したことを言えません。特命戦隊ゴーバスターズに客演したギャバンのアクション用着ぐるみで、主に肩のあたりのアルミテープ丸出しな質感に唖然としたくらいです。ただ、見てきた人に聞く限りでは

「作ればいい、3人出せばいいってもんじゃないよ」

ということなので、脚本の側で何かとてつもない勘違い製作映画だったのか?

話を戻して、何が象徴的かというと、このライダー・戦隊から変化した流れが、1972年(と、その前後)の第二次怪獣ブーム、変身ブームから、ちょうど40年めにあたることです。そのころ、どれだけとんでもなかったかというと、書き出すのがめんどくさいからウィキペディアを引用します。なんだこりゃ、というくらい、対ウルトラマン、対仮面ライダーというヒーローの乱発時代。既にその二作はシリーズ化していますが、対、に相当する番組は、あの手この手でスーパーヒーローを創造していたのです。

ただし、ウィキが綴っている第二次ベビーブームによる児童増加・・・というのはちょっと違うと思います。71年から74年あたりを第二次ベビーブームとするのが日本の場合ですから、ヒーロー乱発の自体とそれは重なっている。いやしかし、生後2年か3年の幼児がこんな番組を見て熱狂していたとは思えない。視聴者層はもっと上の年齢のはずで、5年から10年くらいずれているのではないでしょうか。

それはそれとして、もう一方で、その頃生まれた人たちが、この手の番組企画においては今、けっこう偉いポジションにいるはず。さらにその10年ほど下の世代が、現場の中心ではないかと思います。だからこそ、当時夢中になったヒーローを自分の手で動かしたい気持ちはわかるけれど、それはあんたたちの独創性を阻害しているか、マーケットの変化を理由に手を出せない気弱さか。としか感じられないのです。

そこへきて、せめて宇宙刑事。メタルヒーローシリーズに手をつけたのは、新しいことをやってよという可能性への期待になるか、いよいよどツボにはまる負のループから抜け出せなるかのどちらかです。

そのうえで評判芳しくないということは、やっぱり作り手の力がついていないってこと?

もキュッ

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おいおいおい・・・

たぶんなんのことか、誰にもわかんないよ。

娘らから贈られたプレゼントですが、クラフト・ライト・ファイターの幼生。ああもうその辺からしてわかんないだろうよ・・・ これが人型の巨大ロボになるわけですよ。

でももう三年も前の映画だしなあ。よくこんなの見つけてきたものだよ。

真っ赤なスカーフ

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どうせ上映のない仙台ですので、あえて乗り遅れを続けますが、2199も第三章が封切りだそうで、ここで来るかのエンディング曲に「真っ赤なスカーフ」。基地に帰ると、まだシングルレコードが残っています。

当時これを聞いた祖母に「ロカビリーのあんちゃん、とうとう演歌に転向したのか」と言わしめた、あの歌です。先月流れたニュースでは「決定した」と報じられていましたが、この選曲は「とうに決定していた」もののはず。ここら辺で流さないと、物語の展開上タイミングを逸してしまいます。

太陽圏を出るまでは、素材となるエピソードが沢山あるため、第二章までは控えめだった新しい展開も、この章から積極的に取り入れてくるようです。予告映像で印象的なのは、アナライザー・ロボットとガミラスの機械化兵士との交流らしき場面。前線ではガミラスとの共同作戦も見られるそうですが、四話分の尺にどれだけのシナリオを起こしているのか興味深い。そのためには捨てたエピソードもあるでしょうけれど、昔の一話分に比べると、今の一話分はとんでもなく情報量が高密度なので、見応えはあるのだろうな・・・

にもかかわらず、少なくとも宮城県内には系列の映画館が二つ以上あるんですけど、なんでこの作品は東北を見放しているのか納得できない。沖田十三(福島)、相原義一(岩手)、榎本勇(青森)、原田真琴(秋田)と、主要登場人物に東北出身者が大勢いるではないか・・・と、すいません、榎本とか原田とかって、誰?

剛力招来しちゃったよ

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それにしてもこの組み合わせはすごいわ。しかも、ごつい方の所属が「怪人同盟」って、団塊世代と少し下でないとわからんだろうに。キョーダイン同様の扱いというのはなんだかなあ、です。これ、当然、超力招来もするんでしょうね。

40年の筆圧

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石ノ森章太郎ふるさと記念館で開かれている、永井豪さんの原画展を見てきました。永井さん自身は1967年のデビューですから、40年以上の履歴を持つ漫画家。40年というのは、デビルマンとマジンガーZの、誕生以来の年月のことです。

もうすっかり忘れていましたが、この二作品が同じ年に生み出されていたのは、当時の永井さんがクリエイターとして頂点を極めていたことを思わせます。もっとも、マジンガーZは、永井さんのプロダクションと東映動画(当時)のタッグによるアニメーション展開によって昇華したものでしょう。

魔王ダンテを見るまでもなく、あばしり一家やハレンチ学園といった作品のテーゼからイメージしても、永井さんの指向性は、デビルマンであったように感じます。

原画や複製原画を見ると、あの爆発というより暴力的なエネルギーを放っていた、たかだかB5版かそこらの漫画雑誌の連載が信じられないくらい、永井さんの作画は丁寧な筆だなあと思いました。好みで言ったら、上手な絵であるとは思いませんが、なんかこう、マッドアーティストが「ぐははははっ」と狂気を放射しながら、ガリガリとペンを叩きつけていたんじゃないかと想像していたのが申し訳ないという印象です。デビルマンの終焉のページなどは、雑誌で見た当時の言いようのない静寂以上の静寂、虚無がにじみ出てきます。

今、画力のある作家があの手この手でデビルマンを作り直し、永井さん本人も書き直しているけれど、やっぱり最初に産み落としたシーンは、そこで完結して他者を寄せ付けない魅力があります。マジンガーZも然りですが、こっちは前述のようにアニメーションで描かれた世界観が大きなウエートを占めるので、別の機会に持ち越します。もっとも僕の中ではそれら以上にハレンチ学園が大きくのしかかっているのですが。

言えるわけないでしょ

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そりゃ企画段階でぺらぺらとしゃべれるはずもないでしょうが、押井守監督がインターネット放送において「機動警察パトレイバー」の実写映像化について問いただされ、意味深なコメントを述べました。

パトレイバーの実写といえば、過去にパイロットフィルム的な試みが行われ、特番や特典映像でも世に出たことがあります。数日前、コミカライズを担当したゆうきまさみさんなどは「どの作品もドラマ化の話なんて来たことありませんよ」とツイートしていましたが、横のつながりは定かではありません。

現実の建機の世界があれだけ進んできたほどですから、それこそ映像技術の方はもっとやりたいことができる。二足歩行でがしがしと走り回り、五本指のマニピュレータで超大型拳銃や電磁警棒を振り回すなど、造作もない。だけど、これまたそれこそゆうきさんのデビュー時代のアニパロ漫画じゃありませんが、いまどき変形も合体もしないロボット(注 ウルワシアスGで検索してください)を・・・ というのが、パトレイバーにも当てはまる。僕は嫌いですが、世の中実写ロボットはトランスフォーマーの域にまで行ってしまったのです。

いや、実写って、実写じゃないんだよ実際には。

ここへきてパトレイバーを特撮(多分こっちの方がしっくりとくる)で作るというと、押井さんのことですから、実験的な描写技術を携えてのことと期待しています。が、この人のロボット感は、いわゆるイングラムやグリフォンのような八頭身でかっこいいといったそれではない。むしろ歩く鉄瓶か魔法瓶という物言いを、かつてはレイバーに対するイメージとして語っていた人でもあります。そこが原因で、デザイナーの出渕裕さんとは大喧嘩になったとかそれ自体がやらせだとかの件も有名な話でしたが、押井さんが一時期仕事に恵まれなかったとき、彼を迎え入れたのもパトレイバーでした。

観客側がいまさら過去の波風をどうこう言う筋合いもありませんが、押井さんが「ルパン三世」で干され、「サイボーグ009」でも干され、という過去の映像企画の破綻は、それによってそれらの作品がぶち壊されずに済んだという功罪もあるのです。もしもパトレイバーの特撮化が実現するなら、いまどき変形も合体もしないけれど、AV98式って相変わらずかっこいいじゃねーか。というツボは抑えて欲しいところです。

二代目の蒸着

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来月20日の封切よりも早く、二代目宇宙刑事ギャバンことギャバンtypeG、十文字撃が地上波に登場のようです。本編がインターミッションに入った特命戦隊ゴーバスターズへのゲスト出演は、映画の宣伝企画として最適ですね。映画の撮影は終了しているだろうから、小道具のサイバリアン(二代目用は青いのか)も惜しみなく投入しているのはポイントが高い。でも、車体にSUZUKIって・・・入っていないんだろうなあ。

10年後は定かでなかったが

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20年も経つと、建設機械も前後のキャタピラを可働させて立ってみたり、両腕でがれきや資材を持ったり切ったりするのです。1988年頃に描かれた、東京湾岸の巨大土木工事という世界観を背景としたロボットアニメの時代は、これはまだ技術的検討と構想の域でしたが、機動警察パトレイバーにおいては

「この物語はフィクションだが、10年後は定かではない」

と謳っていました。

「よーし、造っちゃる」

と、イングラムやレイバーの活躍する様に刺激された当時の若者は、その後技術屋になり、双腕建機を実用化させてしまったわけです。

最近、日立建機がリリースした新型双腕建機は、片方の腕で対象物を持ち上げ固定し、もう片方の腕のアタッチメントで、じゃまなケーブル類を切断したり、対象物自体を破砕する能力を有しています。

そういう細やかな作業って、人力でやってきたのだけれど、建機でおおざっぱに解体した後でないと人が現場に入れない。安全確認やら何やらで、作業の中断という時間的なロスが課題だったのです。これが救助作業現場だとして、作業がストップしてしまうのはやはりもどかしくなる。

その部分に技術的アプローチを重ねて開発されたのが、まさにレイバーの前身と言っても良いかもしれない双腕機。新エネルギー・産業技術総合開発機構の補助事業から生まれてきましたが、メカニズムもすごいけれど、これを操縦する際に使うOSの方もすごいと思う。プロト機を実際に見たのは昨年のことですが、作業環境の設定やフィールドの確保と実機操作によるデータ取りなどは、造っただけでは得られない。これを実際に使用する建設企業のノウハウが活かされています。

見る者の視覚的効果と影響も考慮して設計・デザインされていくパトレイバー・イングラムとは真逆の実用性ありきな、汎用土木作業機械の姿。むしろ、押井守さんなんかには、こういう無骨なやつのほうが好みなのだと思われますが、実写版で撮るという押井監督のパトレイバーって、どうするつもりなんでしょ?

エロイム・エッサイム(違)

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魔法だとか魔法陣だとか言われると、つい口に出してしまいますが、新しい仮面ライダーは、そういう呪文はたぶん唱えないでしょう。唱えなくてもいいんだけれど、魔法の発動時のSEエフェクトというか、何者かの「しゃべり」がうっとおしすぎる。

Wやオーズ(もともとは555あたりから?)アイテムに組み込むサウンドギミックに音声を使い出していますが、うるさいことこの上ない。といって、いまどき「ソロモンの笛」でぴーひょろろっていうのは流行らないのでしょう。まあどうでもいいのです。興味の対象はバイクでしかないのです。

マシンウインガーと呼ばれるスーパーバイクが、どの程度活用されるのか。そこに力を入れてくれれば、あとは多くを望みません。ただ、ライダー特撮にCGを多用しすぎるのは興ざめで、あー、いかにもトランポリンだとか、ワイヤーだとかの、泥臭さが残っていたほうがいいなと思います。でもウィザードのこのキラキラ感だと、そういうのが逆に邪魔になるのか・・・

習慣性と常習性

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仮面ライダーで育ったお父ちゃんたちより10年若い世代のお父ちゃんたちが狙われる時が来たのか、単発には終わらなかった宇宙刑事ギャバンの登場。しかもギャバン&ギャバンをやって、あと二人の宇宙刑事が御蔵入りのままになるはずがありません。

そればかりか、その気になったら宇宙刑事シリーズではなく、メタルヒーローシリーズという風呂敷を広げることができる。17作品もあるのです。もうやめられない止まらないですね。ライダー、戦隊とは異なるものをという産みの苦しみの時代とその教訓はどこへやら、です。

ギャバンを創り出した時、視聴率が取れなかったらクビだとまで、当時のプロデューサーは宣告されたそうですが、今は「仮面ライダー」の記号をつけておけば新規のヒーロー企画も成立するという、クリエイターにとって不幸の時代。そのうえ度々言いますけど、過去の資産の使い回しで企画が通るなんて、自動車メーカーが見たら泣いちゃうよなあと思わされる売り手市場なのです。

いや真面目な話、この二代目ギャバン(左)が通るんだから、01時代のエスクードをそっくり復活させたっていいじゃんか。と言いたくなります。

何から何まで新しかったかといえばそうとも言い切れませんが、ソフトバンクによって生み出されたケータイ捜査官7や、タカラトミーが打ち出したレスキューフォースで、ちょっとは流れが変わるのかと期待していたのに、老舗の大手がこの路線で食いつぶしを続けているようでは、21世紀を代表する新しいヒーロー像というのは、当分登場しないのでしょう。