Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

大安売り だから人気?

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200人近いスーパー戦隊勢揃いを「35作品めのお祭りだから」とやってのけたかと思えば、「40周年だよ」と歴代の仮面ライダーをまたまた勢揃いさせてしまう、やけっぱちなのか商魂なのか判別つけにくい今春のライダー映画は、90分にわたっていろいろな仕掛けをちりばめるのだとか。

つまりは子供から「見たい」とリクエストされたときに、とーちゃんも(へたするとじーちゃんやばーちゃんという場合もあるのではないか?)ちょっとは見てみたいと思わせる企みでしょう。歴代悪の大幹部も、すべてオリジナルとはいかないでしょうが、出られる人はほぼ出てくるらしいです。

しかし、制作サイドさん。大きな勘違いをなさってます。

「藤岡弘、佐々木剛 宮内洋 納谷悟郎各氏はそれぞれ仮面ライダー1号、2号、V3、ショッカー首領の声を担当する夢の実現」

って、あなたそんなことはやってのけても当たり前のことではないですか。そこにあえてエポックを見出そうとしているのは、これを裏返せば、もはや往年の本郷猛、一文字隼人、風見志郎をそのままの姿で登場させることは叶わないからという現実を突きつけられていることなのです。納谷さんの声にしたところで、ここ数年の銭形警部を見れば明らかなように、衰えを隠すことはできなくなっていて、「仮面ライダーtheNEXT」のときに首領として復帰していた折にも、あの怖い声の迫力はなくなっていた。

いやひょっとすると、誰かしら往年とはいかぬまでも素顔で出てきて「変身」を披露するのかもしれませんから、そこには淡く期待を寄せていますが、いきなり仮面ライダーに出てきてもらっても、あんまりうれしくないのが、とーちゃん世代の心理ではないかと思うし、記号化された「仮面ライダー」と、存在自体が仮面ライダーである連中との壁は、なにをやっても埋めつくせないような気がするのです。せめて、仮面ライダーである以上は、役者さんを並べることができないなら、サイクロンから1台残らず、すべてのライダーにバイクをあてがうべき(仮面ライダーシンをどうするかはちょっと一考)で、ニューサイクロン2台とハリケーンだけでお茶を濁して、あとのライダーたちはのっしのしと歩いてきたなどという、ディケイドの映画のようなことをやってはならないのです。

もう一つの勘違いは、これだけぞろぞろと出てこられることの興ざめ感は棚上げされているエンターテイメントの功罪。ショッカーの改造人間は、せいぜい2体くらいで暗躍してくるからリアリティや怖さがある。1体だったら爪の先にまで神経使えと演出もできましょうが、これだけいたら、ただ突っ立っているだけ、素のままで走り回る「キグルミ」というのが必ず出てくる。そういうのに限って、画面で目立ってしまうものです。このポスターだけを見ていても、なんだってほっぺたふくよかなアクターをライダーマンに起用しているのか、マダラオオトカゲのはずのアマゾンライダーが、つい猫みたいな拳のポーズで決めているなど、やれやれな出来栄え。1号、2号に至っては、お前ら気合いたりねーぞという力の抜けた姿なのです。

スーパー戦隊と仮面ライダーしか作れなくなってしまっているとは思わないけれど、やっぱりクリエイターとしての創造力は低下しているとしか感じられない、40周年というキーワード。財産を大安売りするよりも、思い切ってこんなのやめちゃったほうがいいよと言い切りますが、言うだけ言いながらも、たぶん映画館には行ってきます。

乗り遅れていた

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ダンゴム解放戦線甲殻兵器・・・!

ななな、なんですかこれって? と、利根川近くの自然科学館で発見したこいつを後で調べてみると、製作者のブログはもう三年も前に更新が停止していた。なんだかよくわからないまま、気づいた時にはどうも乗り遅れていたらしいです。

サイド3に萩の月

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これも古本屋で発掘してきた、購入は2度目の「Developers 機動戦士ガンダムBefore One Year War」。ジオン公国が独立戦争を勃発させるはるか以前、ザク・モビルスーツの開発秘話を抱腹絶倒に描いた漫画です。

熱核融合炉搭載型のモビルスーツ試作組立は、開発を担当したジオニック社でも及び腰で、町工場に下請け発注するというお話。ガンダムというと年表の隙間を埋める戦記物ばかり描かれる中で、戦記物とは無縁のプロジェクトX的なこの手のスピンオフは、大好きなのです。

連載中は全く気にも留めていなかった一コマに、今回読み直していて気が付きました。モビルスーツ試作機の製造を受注したサイド3の町工場(このサイドで町工場というシチュエーションが、なんともアバンギャルド)ホシオカの従業員のおばちゃんが、時々違法輸入とされているお菓子を食べているのですが、最初に出てくるのが「萩の月」なのです。こんなところに仙台との接点が出ていたとは・・・と、作者の山崎峰水さんの出身が宮城なのかと思えば、出身地は千葉県だそうで、これは全くの偶然なのかもしれません。有名なお菓子ではありますし。しかし違法輸入ものなのか。すると合法で類似品があったりするのか?(あるんだろうなー、「ズムの月」なんてのが)

ジーク・ジオンな街

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マジですか? と見つけてしまった、公国シンパのいるらしきサイン。変な街だ(いや失礼)

でも、聞くところによると、あのダース・ベイダー卿が身にまとっている漆黒の衣装の、特にヘルメットの部分は、伊達正宗さんの鎧兜がデザインのベースになったという逸話もありますから(あまり関係ないぞ)、こういうイデオロギーの潜伏するような街なのかもしれないなあ。

などと考えながら近づいてみると・・・

おいおい・・・裏でつながっているのかよ!(ジャミトフ・ハイマンならやっていたかもしれないけど)

街角にて

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アウトレットものを前に腕組みする004ことアルベルト・ハインリヒ。戦闘用の防護服スタイルではありますが、彼の日常は長距離トラックの運転手。自分が運んだ荷物が無事に店頭に並んだかどうかを確かめに来ているのかもしれません。

今回は街角探訪をしている余裕がなかったのですが、石巻の駅前を中心とする繁華街では、あちこちに石ノ森キャラクターが佇んでおり、来客を待ち受けています。これがオブジェでなくて、アンドロイドか何かで動いて歩いているのを見るような時代も来るのかなあ。

 

中洲へ渡る橋の袂から見えてくる石ノ森萬画館は、登米市中田町の石ノ森章太郎ふるさと記念館とともに、ことし、開設10周年を迎えます。

サムネイルだと建物の左半分が切れてしまっていますが、宇宙船のイメージを表現しています。こちらから見えるディティールは「後ろ側」らしいです。なぜかというと、3階にあってコクピットをイメージしたというカフェの窓が、旧北上川の河口の方を向いているから。あそこは操縦室ではなく、単なるラウンジかと思っていた・・・

 

館内は展示スペースと映像ホールの撮影が禁じられています。順路に従って展示物を見ながら上へ上へと螺旋状に見学していけますが、ところどころにギミックも仕掛けられています。エレベータはギミックといえるほどのものではありませんが、御覧のように井上和彦版島村ジョーがアナウンス。

「君はどこに降りたい?」

それは002ことジェット・リンクのせりふだよ・・・

豪快な一幕

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いやもうなにがなんだか・・・と、仮面ライダーディケイドの劇場版第一弾に出てくるオールライダーを見たときに思ったものですが、これはもはやそんなレベルじゃないね。

シリーズ化されて半世紀を過ぎているスーパー戦隊は34番組あって、それぞれ3から7人の隊員が出てきていたのですから、いまさらひとりの仮面ライダーが複数形態に変身したところで追いつくこともできない(たぶん・・・数えたことないので)13日から放送が始まる35番目のスーパー戦隊「海賊戦隊ゴウカイジャー」の冒頭で、歴代の戦隊を登場させるようです。

CG合成ではなく、スーツアクターをこれだけかき集めてって、なにやら地方でのアトラクション要員まで手弁当参加であったらしいですが、シリーズが35年も続いていると、子供向け番組だなどと侮れない熱気をはらんでいますね絶え間なく、というのは厳密には正確ではなくて、1978年だけ、このシリーズが作られていない。しかし水戸黄門だってこうはいかないでしょうし、うへー・・・「忍者部隊月光」だとか「アラーの使者」だとか言っても、うちの霰や霙にはわかんないけど、すでに「自分の生まれた年にやっていたのはこの戦隊」という対話が親子で成立する世代もいるわけです。

んー・・・13日って、つくばーどで天狗の森で夜明かししているときじゃないか。朝飯作るの誰かに任せて、テレビ見てていいですか?

はやぶさ弁当

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あの東北新幹線E5系をモチーフにした、なんと駅弁。思わず中身も見ずに買ってきてしまいましたが、お子様ランチでした。そりゃそうだよなあと、こっそり晩飯として食っているわけです。

茶飯風ピラフ?をベースに、ミニオムレツ、エビフライ、ハンバーグ、ソーセージ、ミニアメリカンドッグなど、まあまあそこそこの中身です。はやぶさの先頭車両を模した造形ゆえか、器の価格が相当なものになるのでしょうね。ちょっと高い。牛タン定食を選んだ方がいいのかもしれない。しかしここは、ブーム?に便乗です。

八戸の弁当屋さんが開発して販売しているようです。はやてが登場した時にも、こういうのがあったんでしょうかね。

神々との戦いへの追悼と期待

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石ノ森 章太郎さんが鬼籍に入ってからもう13年にもなる今、自分自身が宮城県で暮らしているという巡りあわせは、ひとりのファンとしては不思議な感慨があります。生家のある登米市にも、萬画館のある石巻市にも、1時間程度の移動で行けてしまう。今のところ、出かけていられる余裕がないのですが、生家でそのままに保存、公開されている氏の少年時代の勉強部屋。窓辺に置かれた机の風景を、また眺めに行きたいと思っています。そういえば、塩竈市には長井勝一さんの漫画美術館もあるんだ。長井さんは「月刊漫画ガロ」を創刊させた編集人で、それ以前は貸本漫画の文化を創り出した人でもあります。

ゲゲゲの女房を見ていた人には、長井さんをモデルにした登場人物も出演していたことを思い出されるかもしれませんが、つまりその時代となると、僕自身とは、ずれがあります。長井さんも15年前に逝去されていて、80年代末期には低迷を始めていたガロも、浮き沈みの後に90年代末に休刊となっています。

その年、石ノ森さんも亡くなられているのですが、最後の最後にプロット構成を進めていた作品の一つが、サイボーグ009の完結編。「2012 009 conclusion GOD’S WAR」と呼ばれることになる物語で、三部作のうちの第1巻は、執筆を長男の小野寺丈さんが共著者として2006年に出版しています。石ノ森さん自身が書き出している導入部分においては、1960年代の「石森さん」が、サイボーグ009を描き始めたきっかけについて語られています。

009たちは21世紀に実在するサイボーグたちで、彼らの闘いの記録を描かせるために、超能力者である001が過去の「石森さん」にテレパシーを送っていたという発想でした。その事実を伝えに、病床の石ノ森さん(ややこしいけど1990年代)のもとに、やはり001の力によって、2011年の未来世界から、ギルモア博士がタイムスリップしてくるという展開でした。

おお、2011年ですかい!

その後の009たちの闘いと大団円は、まだ発表されていません。ミレニアムとも言われた2009年(かなりこじつけ)にも動きがなかった。しかし表題とされる神々との戦いの年代には2012年と刻まれており、これを逃すとまたもや未完の大作となってしまう・・・

2011年。なにか起こりそうな、いやそんなこと起こってほしくないと言った方が適切なことしの、今日は石ノ森さんの命日。

コンボじゃない

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「イチゴ!」「バニラ!」「メロン!」で、「イ・バ・メ、イバメイッバッメ!♪」 と歌が聞こえてくるわけではありませんが、そこへ持って行ったかというバンダイの新製品。仮面ライダーオーズをベースとした、ガンバライドバトルアイス電王やWも含めたガンバライドカード全10種類のいずれかが同梱されています。さすがにカード集めはもうどうでもいいですが、アイデアにのまれて買ってしまいました。イチゴ味は、バニラの上半分をコーティングしてあり、メロン部分もそうなのだろうと思ったら、そちらは中までメロン。まるまるイチゴだと、バニラとは接合できないのか? 味として飽きられてしまうのか? そこは不明です。

頭部・上半身・下半身で能力を組み合わせられる仮面ライダーオーズの特徴を三色アイスに持ってきたのは、アイデアですが、オーズには同属性三種類によるコンボ形態があります。ならば、ブルーベリー、ラズベリー、ストロベリーで「ブラストコンボ」とかが出てきたら「当たり、その場でもう一個!」 なんていう限定物を混ぜたらいいのにと思ってしまったけれど、この場合のコンボ味はやっぱりしつこいんだろうねえ。

カーテンコール

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作家の福井晴敏さんの価値基準の中心軸には「伝説巨神イデオン」があり、その後出会う作品という作品をイデオンと比較しし、「この三十年間、『伝説巨神イデオン』を超える作品にはついに出会えなかった」と、雑誌掲載の手記で述べていました。あくまで福井さんの基準です。

超えたか超えなかったかは、クリエイター側には大事なことなのだと思いますが、見てきた側にとって、出会えなかったとしたらそっちのほうが重大。作り手に「だからキミはぼんくらなのよ」と言われようとも、超える超えないの領分ではなくて、面白かったかそうではなかったかの判断で手応えを感じていたいと思います。

いやその、福井さんの論評がどうのこうのという話ではなくて、たとえばイデオン以降、手応えを感じたアニメーションが無かったということはないよと、僕の基準ではけっこう緩め控えめに見ているだけのことです。

ただ、メジャーであり定番の域にある作品群が、その亜種ばかりを作り続けることや、かつての傑作という看板に頼ってリメイクに走ることは、いいかげん転換してほしい。そのことはこの十数年言い続けています。

その意味で、実は今年が放送30周年であったイデオンが、年末ぎりぎりで映像ソフトの再販やら上映会イベントが行われたものの、お台場あたりに設定同寸のプロップを建築確認取得してまで作るにいたらなかったことは(モノのたとえですよ)、コアなファンにとっては変に担ぎ出されなくて良かったのかなと感じました。これもまた、機動戦士ガンダムをどうこう言うわけではなくて、模型やソフトの領域をはるかに超えて商業ベースの神輿にされてしまうことより、世に出された映像自体が語り継がれていることのほうが、作品にとって本望なのではないかと思っているのです。

当時のトミーによるイデオンの「奇跡合体」玩具をいじってみると、ボタンひとつで三つの車両形態から戦闘形態にバシャっと変形し、それらがさらに合体してイデオンになるばかりか、電子音はともかく要所要所が発光するというギミックは、玩具として面白い。一方、数年前にバンダイからリリースされた超合金魂は、造形と変形(ボタンひとつではない)と全身の可動を良くぞここまで両立したものと驚きながらも、樹脂で作られたイデオンソードなんか、白々しくて手首にはめ込む気にもならない。しかし、テレビ放送のエピソードや映画の話題は風化することもなく語れる。リアルタイム世代の役得とはいえ、それを新たに作り直してもらう必要はなくてすんでいます。

少なくとも、レベルの格差が甚大ながらも、福井さんの言いたいことは理解できて、同じような評価を下せているつもりで、30年間引っ張れているなあと思えるのは、作り直しでもなんでもない、唯一無二のフィルムに収められた物語なのです。そして同様に手応えのあった物語を、この間たくさん見ることができたのじゃないかなあと思います。なぜなら、イデオンの物語は人々の出会いの不幸であって、どんなに叙情的な締めくくりに持っていっても救われない。ましてその大団円の最後のシーンの一部には、アニメが使われていない(いやそれは重箱の隅)。でも・・・嫌なんだけれど、ここまで突っ込んでいってでも、子供向け番組のレッテルを貼られている世界をぶち抜きたかったんだなあと、作り手の突っ走る様を見せ付けられたことは確かでした。