東北に来てからこっち、山ぜんぶ燃えてるぜ、というばりばりの紅葉ピークを堪能したことがありませんでした。来た年の秋はそれどころじゃなかったし、翌年はタイミングを逸し、次の年は入院(笑)
ことしは偶然にも山越えの機会と時期が合致し、高原の山すべてがオレンジと褐色というシーンに巡りあいました。だけどこういうときに限って曇天。せっかくの紅葉も要綱を通してこないといまひとつ映えません。森が彩られているうちに、もう一度くらい出かけられるといいのですが、そうもいかんだろうねえ。
「空へ還る日」の挿絵に使っている写真は2009年の撮影で、震災以前のミスビードル。この海岸にも津波は押し寄せ、機体はバラバラになったと聞いていましたが、この3年半の間に復元されていたようです。
ほっとした。
1958年の今日、月探査のためにパイオニア1号が打ち上げられ、さらに10年後の今日、アポロ7号が打ち上げられたエピソードとは関係なく(ないのかよ)、軌道など未定のまま漂流してきますので、基地にも作戦室にもおりません。
土曜日は諏訪湖の西側、日曜日は八ヶ岳山麓あたりにいますが、ものぐさですからまず登山はしていないはず。
BLUEらすかるを見かけて声をかけてくれた人にはお茶の一本も振る舞わせていただきます・・・つて、一本てなんだよ。と、実際には三本用意していましたが、こんなんで声がかかるんだったら今頃とっくに著名人になってるわ。
長野県も山梨県も、台風の動向を気にしていたのですが出かけてみれば快晴。蓼科高原に上がれば浅間山が、白樺湖から霧ヶ峰まで進めば八ヶ岳から南アルプス、北アルプスに加えて富士山までもが雲海から顔を出していました。
前日午後、宮古から盛岡に移動した折、岩手山が雲一つなく眺められたことに続いての慶事です。天候に恵まれて、道が空いているというのがなんとも幸運。
ただし紅葉はまだちょっと早かった。これは午後に走った林道でも同様でした。が。何から何までうまく行くというのも虫が良すぎます。
で、午後の林道はTA01Wさんと青影さんが企画した諏訪湖西側の林道散策とキノコ料理の一泊というやつに、林道だけ合流させていただきました。
SPFYOさんとkawaさんの後に続いて走るのですが、あんたらペース速すぎだぜ(汗)
我々は辰野で別れて宿に向かいまして、今に至ります。あとはまた明日。
石巻市の港周辺は、水産業関連の民間施設がずいぶん復旧してきました。旧盆前には魚市場の一部も操業再開しており、残りのブロックでも建屋の工事が進んでいます。工事中の市場の岸壁に漁船が接岸しているというのは不思議な光景です。
ここが完成すると、端から端まで800mを超える岸壁と市場建屋となり、東洋一の規模になるのだとか。3年前の今頃はまだヘドロのにおいが立ちこめ、全壊した建物とがれきの山でしたし、地盤沈下で海水が入り込み一帯が冠水していたのですから、よくここまで復興したなあと思わされます。
旧北上川をはさんだ対岸のの門脇地区などはまだまだこれからの風景ですが、このあたりもまたがれきと廃墟の荒れ地でした。そこら中に積み上げられていた自動車のスクラップも、いつしか姿を消し、火災で中が焼けてしまった小学校の校舎をのぞけば、3年半の昔に何がおきたのかはもうわからなくなってしまったかもしれません。
ここは自主再建する人々のための区画整理が始まっており、3メートルくらいの土地のかさ上げが行われます。看板のあたりから向こう側には復興祈念公園が整備されるそうです。あと3年もすると、全く新しい町に生まれ変わるでしょう。
二つのエリアを結ぶ、旧北上川をわたる日和大橋も、出退勤時間は混雑しています。でもべた踏みをするほどの坂じゃない。そう見せるのには、ちょっと望遠が足りなかった。
しかし橋の名の由来となっている、ここからみた向こう岸にある日和山には、北側斜面に思わずべた踏みしたくなる「物見坂」というのがあります。自分で通ったのが下りだったので、そういう傾斜に見えたのかもしれませんが、積雪時には行きたくないなあという坂道です。
石巻百景というウェブサイトがありますので、そちらをご覧ください。物見坂の下からの風景は旧サイトにありました。
それにしても記事をアップロードした数時間後に、女川、石巻から東松島にかけて時間あたり120ミリの豪雨で、各所に床上浸水被害が出て、大雨洪水警報と共に土砂災害の警戒も開始されているようです。変わってきたとは言えどもまだ復興は途上の街。けが人や二次災害が起きないことを祈るばかりです。