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  ~懲りない傾向~

地球12周めに入ってます

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4444442005年の秋から乗り始めて、中古車としてはもう立派に減価償却してもとはとれてますが、90年代にV6の2500に乗っていた人たちって、この車をどんなふうに見ていたのだろうと、ふと思うことがあります。突然これに乗った人と、1600から2000と排気量を上げてきた人とでは、少し印象が違うことでしょう。それぞれのエスクードに、良いところも悪いところも内包されていましたから。ひとつはっきりしていることは、これだけ走らせても記録的な数字であって、まだ記録にならないということ。上には上がいます。そこまで行けるかどうか、まだスタートラインに立っただけのような気分です。

行くなら超早朝か

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林道パジェケンさんの案内で、山形県境に近い福島市郊外の林道を2・5本走ってきましたが、写真と違ってけっこう眺望の良い場所があり、福島の市街地が見下ろせる。新緑の時期だったら日中走るのもいいけれど、思いきり夜明け前の早朝に出かけていくか、午後からゆっくり入って夕暮れの街を見渡すか。そういう楽しみの出来るルートです。

2・5本のうちの1ルートは独りで走ったことがありましたが、距離が短い。ここだけだとツーリング行きましょとは言いにくかったけれど、走りつなぐと、途中の舗装区間も含めるのですが、なんだかんだ言って20キロ以上移動していました。山全部を使うと、30キロを超えて周回できます。

折り返しポイントにレストハウスがあって、ジンギスカンだとか焼肉だとかを食えるというのも実に都合がいい上、標高が700メートルの後半まで登るため、夏でも木陰ならけっこう涼しそうです。

まあその手の視察が出来ていなくて、「林道行きます」にはまったく引き合いを得られませんでしたが、基本ルートがフラットダートで締まっていたり浮き砂利でズルズルだったり、枝に入ると藪とかガレとかの、変化に富んだところでした。

ところで1988年

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轟天2スズキエスクードがデビューした1988年。世界各地でUFOの出現と大規模通信障害が多発しました。国連宇宙局は、80年代に入ってから外宇宙からの侵略に備えていたものの、一時的に鎮静化したこの騒動を軽視して、防衛シフトも緩めていた矢先のことでした。その折、宇宙ステーション・テラが「巨大なローマ船」という通信を残して壊滅してしまいます。国防軍は、建造を中断していた宇宙防衛艦「轟天」の作業再開と乗員の編成を急ぐのですが・・・

それにしても、この2代目轟天は格好悪い。

77年当時、「未知との遭遇」や「スターウォーズ」に触発されて、特撮は日本のお家芸でもあるとやっちまった感の拭えない、しかし迎え撃つつもりだった映画ですが、もちろん封切られたころにはエスクードなんかかけらも存在してません。「惑星大戦争」の舞台が、たまたま88年という設定でした。

そして四半世紀

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軌跡コンセプト提言が29年前に行われ、4年後にこのクルマが登場したとき、世の中は昭和でした。他社にタフトやラーダ・ニーヴァのようにコンパクトな4輪駆動車は存在していましたが、国内メーカーにはまだその市場は芽生えていませんでした。ただし、苗床は「カリフォルニア」「カントリー」と呼ばれる仕様の、各社のステーションワゴンの中にあったように思えます。ホンダシビックシャトルは、最もエスクードのコンセプトに近い「クロカン四駆ではない」SUVの先駆けと言えるでしょう。3代目ワンダーシビックは、4ドアのフェリオがあとから追加されますが、3種類の車体構成という意味でも、エスクードの先鞭をつけていました。

今思うと、ジャンルは異なるとはいえ、ワンダーシビックの3ドアにカブリオレがラインナップされていたら、エスクードは負け戦のデビューになってしまったかもしれません。もちろんシャトルはクロカンなんかには使えませんでしたが、親父が持っていたことがあり、うちで使っていた頃、裏山に物資を運ぶのには重宝しました。

実はエスクードのデザインコンセプトが議論されたころ、二階堂裕さんは、シビックではなく、ホンダシティのスタイルを例に挙げて開発陣に説明したのだそうです。なるほどTA01Wの最も古い、オプションも取り付けないすっぴん状態の姿は、グリルまわりがプジョー205シリーズ風にまとめられていますが、ブリスターフェンダーはシティ譲りということか。いやはや、シティにロングボディが出ていたら・・・と、もうそういう余計なことを言うのはやめとこう。

クロカン四駆として見たとき、この中途半端さはなんなんだろう? と歯牙にもかけなかったのが25年前の僕の第一印象でしたが、JA71で出かけたスズキのディーラーを後にして、いきつけの喫茶レストランで注文していたのは、角切りステーキもミックスフライもパスタもピラフもワンプレートに載っている、「海賊セット」というランチメニューであったその心理に、当時まったく気づいていなかったのです。

出題と傾向の探求

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ばばへら7月に開催する買い出しトライアルは、秋田県の風物でありソウルフードとも言うべき「ばばへらアイス」が出題となります。CPを探すBレイド、販売場所を伏せる買出しトライアルそれぞれの方式に反し、今回は最初から課題をオープンとしています。

なんせオープンにしたところで、どこでそれが売られているかは「その日でないとわからない」し、単にばばへらアイスを食うだけでは済まない、ベテランの売り子さんが盛り付ける「バラの花に形作られたばばへらアイス」を見つけ出すことがレギュレーションですから、最初からわからないのと変わりありません。

 そういうものを課題に出すからには、主催者側もちゃんと勉強しておかないといけないだろうと、読むならこれだ、の一冊を手に入れて読んでおります。由来や歴史などは、おおむねわかります。インターネット上の百科事典サイトでほとんど同様のことがダイジェストされてもいまが、たぶんにこの書籍が出典になっていそうな気もします。

しかしこの本を読んでも、ベテランの売り子さんはどこに店を出すのか。そこまでは書かれていませんし、開催日に秋田のどこかでお祭りやら地域イベントがかぶっていると、ベテランさんはそっちに行ってしまうんじゃねーか? と、今から心配。

「彼」には任せられない

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re cyborg映画上映の折、僕は「20点もあげられない」と感想を書きましたが、DVDを買っちゃうところが逃れられない009へのファン心理であります。いやいや、単発の映画として見たらば、これはこれで面白いことは面白いんです。だから、とあるアニメーション監督さんなどは「50点」と論じたのだと思うのです。

だけどこの映画は攻殻機動隊じゃないし、ましてや「天使編」「神々との闘い編」に決着をつける、といううなら、これじゃいかんだろうと感じたのが、上映時の率直な気持ちだったわけです。それは、モノクロ時代のサイボーグ009の最終回と見比べればわかります。

「具体的な存在としての神にはしたくなかった」

監督と脚本の神山健治さんは、このソフトのライナーノーツで語っていますが、それならば、とヒトが神を描き出すきっかけとプロセスの解釈についてはいかにも甲殻っぽいながら面白かったのだけれど、その論調で逃げ切ろうとしなかったのは無責任。結局は「我々の世界の外側にはもっと大きな存在があるのではないか」として、天使の化石とやらを扱っている時点で、それはもう立派に具体的な存在じゃないかと思うのです。

というわけで、「平和の戦士は死なず」に出てきた人心を惑わす目つきの悪い人形と、今回の天使の化石はほぼ同一のガジェットであり、この映画は頭のてっぺんから足のつま先まで、「平和の戦士は死なず」を今風に描いただけ。それで決着をつけたというなら、「009も作者も疲れてしまったのです」と休載宣言した、当時の原作者の方がよほど正直です。

ライナーノーツのインタビューによれば、リップサービスとして「(続編も)あり得る」とおっしゃる。劇中でヒトの世を滅ぼさんとする悪意としての「彼の声」は、それをとらえた者の解釈次第で、その者を正義にも悪にも変え得る。009とは対極の立場で「彼の声」を成し遂げようとする新たな敵との闘いが予見できるという続編への構想だそうですが、よもや誰がやってもいい続編を本人が語ろうとは。

彼には任せられませんです。へたをすると「太平洋の亡霊」とか「復讐鬼」あたりを焼き直して「Xの挑戦」を作りかねない。

 

その頃の女優

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trackerジオ・トラッカーのやたらとブラックアウトしたがる、特にグリルまわりの表現はどうにも理解できないのですが、赤い車体色は、この車にはよく似合います。

という前振りは置いといて、さてこの女優は誰で、何の映画かドラマか。

あとがきを読んで

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単行本忙しさにかまけて、この本を買い求めるのを忘れていました。喫茶店で朝飯をとりながら、ゆうきまさみさん島本和彦さんの掲載はブログの素材に扱いましたが、その他のマンガも一通り雑誌掲載時に目を通しました。

中には自身の作品がどのように完結しているかを無視しており、そのカムバックとしての書き方について何も考えていないなあというものもあれば、しれっと自身の複数作品をサービスしてしまうという変化球もあります。

 

この企画の発起人は細野不二彦さんだそうで、彼は震災と被災地を「ギャラリーフェイク」の世界観で正面から扱っています。7月からはテレビアニメーションにもなるという、荒川弘さんの「銀の匙」だけが、カムバックものではなく、現役の連載のスピンオフとなっていますが、北海道を舞台とする物語の主人公の曽祖父・・・のもう一代前が、相馬と会津の出身という間柄の夫婦として描かれているところに、企画に沿った東北応援の意図が表現されています。

実は荒川さんのマンガが一番おもしろかった。

ただ、企画とは別に描かれていたという。かわぐちかいじさんの自衛官を扱ったマンガに関して、細野さんが直談判して掲載に組み込んだ経緯について、

「自衛隊員の活躍こそヒーローにふさわしい!」

という細野さんの見識は、否定こそしませんが正しくもない。自衛隊の救助・捜索・支援活動には、間違いなくめざましい初動復旧の威力と効果があったことは事実です。しかし、彼らを被災地に到着させるに至った「道路啓開」や、3月11日夜からの救助や現地初動のまさしく最前線は、被災地にて操業していた地元建設業者の作業員たちです。機材や社屋を津波に流されながらも、残った道具をかき集めて決壊した堤防をせき止めたり、寸断された道路を修復して車両を通行できるようにしたのは、土建屋(たぶんこれは不快用語だけれど、使っておこう)と揶揄される業界の人々です。

広報能力を持たない彼らは、その血みどろの活動をリアルタイムでメディアに提供することもできなかったし、それ以前にそのようなことをする必要すら感じていなかった。だから、「写真撮るからそこどいてください」と、野戦服とヘルメットの人たちに道を開けることにも即座に応じていたのです。半壊した家屋から、建設作業員がパワーショベルのバケットに被災者を載せて救出する姿は、言ってみればパトレイバーが両腕で要救助者を確保するような光景そのものですが、その行為は平常時であれば違法であり、表に出すことのできない救助の仕方。でも、それをやらなかったら、その被災者は取り残されて命を落としていたのです。

かわぐちさんの読みきり作品には、ただの1人も建設作業員らしき登場人物もモブも描かれていないのが残念です。

しかしこの本の収益は震災孤児の育英基金や、大震災出版復興基金に寄付されるという。それだけでも、収録されたそれぞれの漫画の内容のことは棚上げしても良いのだろうと思い、あらためて読み返しています。

 

高度400キロの光

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iss写真はその光のイメージを加工したものです。

19日未明、国際宇宙ステーションがつくばーど基地上空(正しくは太平洋上)を通過するというので、霰、霙と連れ立って天狗の森に行ってみました。午前2時27分ごろ、その光は南の空に現れ、静かに基地の天空を北東へ横切って行きました。

「やー、もう気分はムッタとヒビト」「というか、宇宙姉妹」

静かに横切って行ったといっても、あっちは秒速7・7キロでぶっ飛んでいますから、この観測の90分後にまたやって来ちゃうというすさまじい速度です。午前4時には北西方向の空(日本海)を通過して行きました。任意の観測地点における肉眼視認可能時期と時間帯は、このサイトで調べることが可能。東京では21日、基地上空だと23日まで目視で観測できるようですが、それ以降は当分やって来ないので、ジャストタイミングでした。

この21日午前2時24分という時間帯は、東京湾上空から千葉・茨城を通過するので、晴天の夜だったら観測日和です。

 

林道に行きます

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福島福島市郊外なので、案内役はパジェケンさんです。
基本的には全線フラットダートで、新緑を眺めながら散歩するレベルを2ルート走ります。幅員の割に交通量があるので、区間ごとに単独スタートとします。枝線もありますが、こちらはノーマル車、3代目はやめといたほうがいいでしょう。
集合場所と時間は、ミニストップ福島庭坂店で今月26日13時。
進行状況はつくばーどの掲示板で分かりますが・・・冬の間は「林道行きたいです」「林道行きましょう」って話は出ていたのに、告知すると閑古鳥なんだよな。