珍しく霰と霙から宅配便が届いたので開けてみたら、チョコレートと一緒に入っていた画集。
「改造人間」。
なんなんだ、そのノリとセンスは?
忙しさにかまけて怪我までしてほったらかしにしているかのように思われていますが、本年の新年会は3月16日前泊、17日本戦という形で、予定通り(3月という時点で例年の予定通りじゃないんだけど)開催することになっております。
http://tsukubird.org/topics/tbi2013.html
ことし、3月にずらさせていただいたのは、若干名、高校受験の天王山を3月はじめに控える家庭があるためです。例年だとご婦人方がチョコレートなんか用意してくれていたのですが、今回は・・・頼むだけ頼んでみるか?
それはともかく、これをやらないと、僕はことし、カレーライスが食えない(なんだそりゃ)。天狗の森の、梅くらいは咲いていると思われますので、皆さんこぞってご参戦ください。
塚原卜伝と言えば(かなり唐突)、鹿島新当流の開祖にして「無手勝流」の極意でも有名な剣豪。秘剣とも云われる「一の太刀」を会得しながらも、戦わずして勝つというある意味ペテン師・・・じゃない、策略に長けた人物だったようです。我が郷土の出の人でもあり、悪口を言うつもりはありませんが、戦わずして勝つ、の無手勝流こそが、19回もの真剣勝負で無敗は別にしても、39回もの合戦をくぐり抜けてほぼ無傷というとんでもない戦歴を残したのではないかと思っています。合戦自体が散漫としたものだったか、状況に応じてどこかに隠れていたか、後年けっこうハッタリをかましていたか・・・などの知能犯的行動が伴わなければ、いくらなんでもそれはないんじゃないかという勝ちっぷりです。
以前、衛星放送でやっていた番組が地上波に開放されて、鹿島新当流を編み出す以前の卜伝さんの若き武者修行の日々を見る機会ができたので、これを見ていると、堺雅人さんのキャラだったらてへぺろっとかやりながら無手勝流の極意を見せても絵になりそうだと、納得してしまいました。が、大河ドラマほどの予算は出ていないらしく、そこそこしっかり作りこんでいながら、時々トンデモな映像処理の香取神道流が繰り出されるのが玉に瑕です。
いやまあ、面白いからいいんだけど。
決闘を申し入れてきた相手を小島に置き去りにして、自分だけ船で引き返すという、戦わずして勝っちっゃた逸話が、無手勝流の極意。しかし現代において、無手勝流は自己流、場当たり的、行き当たりばったりといった「出たとこ勝負」の同義語でもあります。うむむ、そう言われれば、全部当てはまるのか。でも卜伝さんの策略ぶりは、自己流には違いないけれども、行き当たりばったりとは違うような気もします。
後年、彼の没後に登場する宮本武蔵が憧れていたフシがあるように、卜伝さんの伝記というのは、思わぬ人が目にしているようです。その最も意外な人物というのが、機動戦士Zガンダムの序盤に出てくる地球連邦軍パイロットのライラ・ミラ・ライラ。第6話でエウーゴ側に奪取されたガンダムMkⅡ、アーガマの部隊と実戦を交え、第7話において「ガンダムMkⅡは一見無手勝流に見えて・・・」と語っています。これも多分、我流自己流という意味合いで使われた言葉と思われますが、彼女のキャラもまた、卜伝さんの伝記くらい読んでいたかもしれないよなと感じさせるムードがありました。
とてもじゃありませんが、自分自身、「雨ニモマケズ」のような生き方は出来そうにないし、そういうものになることすら無理。宮沢賢治に惹かれるところはあっても、賢治が斎藤宗次郎に惹かれたような純粋なロジックには至らない。しかしながら「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」というところには、それに倣いたいと思うことはあります。
東北にいるのは、それが仕事だからの一言に尽きるけれど、やってきた途端にあの震災に遭い、何が何やらわからないうちに、もう2年が過ぎてしまう。復旧の直接的な現場にタッチしているわけでなし、ボランティアに従事しているわけでなし、それにもかかわらず、この2年間、ずっと被災地と対面する仕事が、自分の本業です。
どこか壊れたかもしれない。でも本来の目と耳が覚醒しているかもしれない。だからといって、それがこの地の復興に役に立つ術にはなりそうもない。要するに役たたずな存在なのです。
それでも、首都圏で暮らしていたら、ものの考え方に変化は起きなかったであろうことは、確かなのか。寝込んでいる時にうなされながら、なんだか危ういことを考え込んでいたなあと苦笑しています。
二、三日は側頭筋も脳も腫れが引かないから鈍痛は続くだろうと言われ、といっていつまでも寝込んでいるわけにもいかないので社会復帰しました。
コメントやメールでお見舞い下さった方々、ご心配をおかけしました・・・というより、まだ当事者は心配の真っ最中なんですが、こっちがうなされている間に、西にいる同い年の同僚がいつの間にか癌の宣告を受けていて知らぬ間に入院していて、日曜日に亡くなったという知らせが、電池切れの携帯電話にメール着信していたという2月の始まり。仙台に転勤してから2年経っているうちに、そんなことになっていたとはと、ろくに連絡もとっていなかったことを悔やむばかりです。
震災の日、万単位の人々が亡くなり、行方不明になっていく中、ほんのちょっとのタイミングで難を逃れ、今回、これはダメかと思ったところをなんとか生き延びることができて、運が強いのか頭骨が強いだけなのかわからない現在です。
風邪ひいて微熱でボーっとしてるところに、義弟1号が「おねぇさ~ん。梱包してっ♥」と言ってきたので、てっきり出荷する荷物でもエアパッキンで包むのかと思ったら、既にエアパッキンで包まれたちょーデッカイ箱が出てきた(汗)
定年退職なさるお知り合いに退職祝で差し上げるんですって。(おとーとよ。その場合は〝梱包〟ではなく〝包装〟と言いなさい)
「・・・で、紙は?」と聞くと「何処に売ってるのか知らなーい」って!(まぁ、予想はついたけどさ)
普通にギフト用のラッピング材として売ってるサイズじゃ間違いなく足りない大きさだし、かといって梱包資材屋さんで買ったんじゃ10枚単位とかだしねぇ・・・。
仕方ないので4枚張り合わせて包みましたともよ。
おねぇさんは頑張りました(誰か褒めてくれ・・・)