実際には本日これから仕事納めの仕事日なわけですが、週末も近づき28日が日曜日という暦の流れによって、例年よりも早い納日。
納まる気がしない今年の仕事納め
なつかれくさしょうず
これを「乃東生」と綴るのが難しいというか、読めませんです。世間では冬至の方がポピュラーですが、どんどん冬が深まっていく中、ほとんどの草木が枯れていく中で、ウツボ草だけは芽吹いてくる時期で、そのことを記しているのが「なつかれくさしょうず」。そんな地上の営みとは関係なく、公転周期と地軸の角度の関係によって、当時の頃は昼の時間が10時間を下回る、朝が来るのも遅めの時期です。記事の方も「乃東生」と関係なくなっていきます。素直に冬至のことだけ書けよってなもんです。
スーパーフレックスな仕事時間の関係により、湾岸線から晴海に向かって都内にたどり着く頃、まだ空は夜の景色です。豊洲のあたりで気がついたのは、ほんのわずかな時間、ほんとうに一瞬に近く、東京タワーの光が見えることです。日中、ここを通ってもわからなかった。
一方、東京スカイツリーは都心の外延部にあることから、中央環状線や豊洲より東の湾岸線からならばまだ遮るものが無い。無いけれど、なんかこう、見えているからといってありがたみも無い。これは世代なんでしょう、東京タワーが見えるとなんとなく嬉しい。寒々とした冬の大気をまとった時期ならではの眺めです。
・・・なにが冬至なんだかこの記事
高速周回路跡 今では跡形もないです
BLUEらすかるを手に入れた頃の谷田部テストコース跡は、まだバンクがそのまま残されていて、このあたりに建つ商業施設群の影も形も無かったのですが、今はバンク跡の方が跡形もなくなってしまいました(別の場所に切り刻まれたバームクーヘンじゃあるまいし、のようなオブジェ化したものが残ってはいますが)。このまま放置しておくと、乗り込んじゃう輩も出てきて危険と言えば危険でしたから撤去されるのも仕方ないのですが。
今やテストコースは県北部に移転し、筑波はつくばと呼ばれるようになって、かつては自動車産業の一ジャンルとして様々な試験実験が行われていた昭和史も夢のあとです。谷田部と聞くと、自動車雑誌での企画記事をよく思い出しますが、つくばエクスプレスの沿線開発はいとも簡単にモータリゼーション文化の一大拠点を消し去ってしまったのだなと感じます。デビュー当時のスズキエスクードも、この周回路を走らせた記事が残されています。
メガトン怪獣に降ってこられたらBLUEらすかるなどぺしゃんこですからそれは願い下げですが、天高い秋空そのものが写りこんでくれるのは歓迎です。朱の背景に青いものが紛れ込むと、主観としてはきれいには思えないのに、その逆だと青が朱を映えさせるのは不思議です。ただ、ブログ用に縮小をかけたらあまり目立たなくなってしまいました。といってトリミングしたら何を伝えたいのかもわからなくなってしまうところが撮り手の下手さを露呈しています。
秋が足早にやってきて、さっさと行ってしまうような今年の割に、里の紅葉がなかなかピークになりません。戦場ヶ原あたりまで行ってくれば見ごろだとは思いますがまあめんどくさくて、いろは坂の渋滞も経験したくない。うつろう風景の中にクルマなんか置くんじゃないよと言われそうなので、人のいないところを探すわけです。それもなかなか大変なんで、クルマの中に風景を刻む分には文句ないだろうと試したらこんな感じでした。
老朽化となれば仕方もないが
言われてみれば食えないものばかり
中国から朝鮮半島、台湾にも源を持つススキですが、日本列島も原産地として名を連ねている、秋の原風景が広がっています。芒の腹は銀の色、陽光を受け、やわらかく跳ね返し風に揺れる景色は、箱根の仙石原が有名です。実は天狗の森の奥地にもそれに匹敵するススキの原があって、あるんだけれどもうそこまで歩いていくのが馬鹿らしくて何十年も前の記憶しか残っていません。それだけ歳月が過ぎているから、植生自体が変わっているかもしれないですが。
月見の際に団子と一緒に飾られるススキは、それそのものが月の神の依り代だという伝えによるもので、月光を受ける姿もまた古代の人々の琴線を動かしたのでしょう。尾花と呼ばれているから気がつかなかったけれど、ススキは秋の七草のひとつでもあります。が、葛、撫子、女郎花、藤袴、桔梗のいずれも春の七草と違って「粥に乗せられる以前に食えるものがないぞ」という、季節を愛でるものとして挙げられています。ススキ、イネ科の植物なのにねえ。
「国境の長いトンネルを越えると」に続いてこの言葉でまとめられる書き出しは、川端康成が「雪国」に綴ったセンテンスで、実際には上越線の清水トンネルのことであろうといわれていますが、清水トンネルは後の複線化によって上り方面の一方通行となり、雪国を目指せるのは下り線に加えられた新清水トンネルの方。霰なんかは新潟時代に上越新幹線で大清水トンネル経由で、雫さんは子供のころ、おばあちゃんと新清水トンネル経由で新潟のおじいちゃん実家に行き来していたそうです。
その新清水トンネルが開通したのは1967年9月28日。「雪国」は1935年に書き出しとなり37年に初の単行本が出版され、47年まで書き続けられ完結した、当初は長編ではなかった文学。それでも新清水トンネル開通まではさらに20年が過ぎていきます。実は「雪国」は康成による添削版の「定本雪国」や原稿復刻の「雪国抄」「プレ・オリジナル」と複数あって、これらの刊行の頃には新清水トンネルも出来上がっています。車で出かけてしまうと、土樽のWループを見上げるのが常でした。





