こんなところにエスクードなんて
「伊香保 おもちゃと人形 自動車博物館」は、個人による収集コレクションを有料展示している地方発のアミューズメントパーク。昭和三十年代の横丁文化や店舗の再現、レコード、プロマイド、ポスター、おもちゃにテディベアとここまでくれば誰もガラクタとは呼ばないだろう(うちの収蔵なんかは要するにまだまだガラクタ)という数と装い。難を言えば上へ下へとめぐる順路がバリアフリーに対応しておらず、またところどころ通路が狭く、知らずに車いすで入館してしまった来客が立ち往生してもスタッフがそれに気づかないところがあります。
最初は面白がってあちこち見物しながら、最後の頃にはけっこう汗をかいて出口にたどり着こうとすると最後の最後に喫茶コーナーを置いておくところが「このやろー」(笑)なんですが、横丁文化ゾーンを過ぎてから入り込む自動車ゾーンが、自分でも乗ったことがあったり親父や叔父貴たちが乗っていたりしたものと同じ車がたくさん保管されています。とはいえスズキのビンテージなものなんてフロンテくらいしかないわけで、いくら三十年近く前で昭和の車とはいえ、こんなところにエスクードなんてあるはずがない。
実はこの建物のなぜか撮影禁止区画にMiniMini博物館コーナーがあり、二十台以上の様々なミニが展示されているのですが、その最後の一台が「Mini四駆」と呼ばれるハイリフト改造モデル。成田にある自動車整備士学校の学生が制作したものなんですが、これのシャーシ側をよくよく見ると、エスクードなのです。
・・・いや、それだけの話ですよ。
すいません、それ以上話題にできる素材はありません。
水平線や上空に雲のない月の出。満月だから大潮とも重なりますが、できれば凪いだ宵の口に巡り合えれば、38万キロの彼方から光の道が届きます。
得てしてこういう時に限ってカメラを持っていなくて、慌ててケータイで撮るしかない(先月の満月)のですが、最近のスマートフォンならもっときれいに撮れるでしょう。今夜あたり月齢が15になるはず。あったかい格好して波打ち際をめざしたくなる天候だとよいのですが・・・
聞くところによると今回の満月は久しぶりのスーパームーンだそうで、耳にした話では地球との距離が35万キロくらいに近づいているとか。写真は日曜日の16時過ぎに厚木の246号から眺めた月の出です。まあ充分満月。満月だからこのあといろんなことが起きましたよ。
恒点観測員340号の憂鬱
恒点観測員340号の後ろ姿と思われるこれは、須賀川市の松明通りに昨年3月ごろ現れたらしいです。
別名ウルトラセブンと呼ばれていますが、実はこの名前が本名なのか、地球人によって付けられた通り名なのか、今まで誰も語ってくれていないのです。1967年に初登場したときには、目撃した地球人から「何ですかあれは? あれは何ですか!」と言われていたのに次の回で、ウルトラ警備隊のアンヌ隊員からもう何の疑いもなく「ウルトラセブン頑張って!」と応援されているので、その間の経緯がうやむやになっています。
まあ恒点観測員340号の名前がどうであるかを語り出したら、「初代のウルトラマン」だって本名じゃなくて科学特捜隊のハヤタ隊員が付けたもの・・・とキリが無くなるのでここまでなんですが、それはともかく、松明通りの彼が恒点観測員340号だとするなら、東北道の阿武隈サービスエリア上り線にいる彼はいったい誰なのか?
そんなことを気にしてどうすんだよな話ですが、松明通りには珍しくゾフィー(これはウルトラマンがそう呼んでいるから間違いなく本名)がいるのだから、松明通りにいる方がウルトラ兄弟のはず。だとすれば、それこそゾフィーに匹敵する立ち位置ということで、彼はセブン上司なのではないかと・・・
気仙沼市にはいくつかの離島があり、その最たるものが大島。約3000人が住む、東北地方にある最大の島で、本土とはわずか300~400mしか離れていませんが、定期便のフェリーでなければ行き来ができないところです。
年間延べ約60万人越え8万台を運ぶ大島汽船は明治39年の創業だそうですが、定期便に乗れるのはあと2年程度。本土と島を結ぶ橋が架けられるためです。
汽船の役目は終わるものの、観光船は残るという話で、気仙沼湾の湾というか入り江というかの風景を海から眺めることは続けられるようです。今、湾ではその大島架橋となる「鶴亀大橋」の組み立てが進んでいて、大きなアーチを観ることができます。が、これも今のうちの風景で、来年の3月には橋の架かる場所に曳航され据え付けられてしまいます。橋と道路はさらに次の年の開通予定だとか。
気仙沼の湾にはさらに、この橋よりも巨大な横断橋がそのあとに姿を現すことになります。三陸沿岸道路のルートが、なぜか気仙沼のあたりだけ海を渡すからです。汽船からの眺めはどんどん移ろい変わっていく。本土側の津波被災地もずいぶん変わりました。今しか見られない風景と思い出かけてみたのですが、小さなフェリーで車を載せるのが予約制だとまでは知らなかったよ。人間だけ海を渡ってきました。
神戸市の鉄人28号も佇み続けて傷みが出たとかで、補修と塗り直しが行われ、従前のくすんだ青から鮮やかな色調へ化粧直しされました。以前のやつもブリキ感・・・失礼、鋼鉄っぽくてスケールにもマッチしていて良かったと思いますが、なんでだろうと思ってみれば、今度の塗装は原作色に近づけたことで漫画っぽく感じてしまうからなのかもしれません。あのくすみっぷり(ウェザリング、とはちょっと違う)は、あれはあれでけっこうリアルな巨大さを表現していたのです。
それにしても、ネットに転載されていたニュースを読んだら「アニメ版に近いブルーグレーから、原作漫画をほうふつさせるコバルトブルーに」とある。アニメ版って・・・あれですか、「鉄人28号FX」に時々登場していた初代。いや、だってさ、最初の鉄人放送していた頃、うちにカラーテレビなかったからさ。
群馬県の遺跡から「東北産の遮光器土偶片」が発掘されたと聞きおよび、一般公開の期間中なんとかこれを見学に行くことができました。出土した土偶片は、東吾妻町の唐堀遺跡に埋もれていたもので、今のところこのような説明がなされています。
参考展示に、青森県亀ヶ岡遺跡から出土した有名な遮光器土偶の原寸大二次元図が置かれていました。
唐堀のものは破損(儀式により破壊された?)した頭部のみの発掘ですが、復元できれば亀ヶ岡なみの全高35センチに匹敵する立派なものです。群馬県内での遮光器土偶出土例は過去に7回あるものの、すべて何らかの方法で「オリジナルの土偶を群馬の地で模倣し制作したもの」だそうで、学芸員さんによれば今回の土偶は
「目視による推測の段階ですが、細部の造形からみて東北で作られたものがこの地に運ばれてきたと考えて良いでしょう」
説明板には群馬と東北の距離を400キロと記していましたが、それは直線距離であり、地形の高低差だとか道のりとしての隔たりを考えるとそんなものでは済まないでしょう。学芸員さんは
「縄文人は丸木舟による海上移動を行っていましたから、様々な物資とともに持ち込まれたのかもしれません」
と述べ、これは私の個人的な印象だけれど、と前置きしながら
群馬、北関東で作られていた土偶(一例として左の写真のハート形土偶)とのデザイン、造形にあまりにも差異がありすぎ、異形ともいうべき遮光器造形の土偶がどう受け止められたのかに興味が尽きない。その受け止め方によって、「こちらの縄文人が持ち帰った」「向こうの縄文人が持ち込んだ」という推理に分かれてくるのではないか? いずれにしてもこの土偶の材質など細部にわたった調査はこれから進められる。
そんな話をしてくれました。なるほどなー、図鑑や博物館でいろいろ同時に見られる現代の我々とは異なる時間軸と空間軸で暮らしていた、ざっくり3000年前のファーストコンタクトだものねえ。
このお話を聞きながら思いました。持ってきたのか持ち帰ったのかのどちらにしても、「その縄文人」にとって、相手側どちらかの縄文集落への旅というのはそうそう何度も繰り返せたものではなく、ひょっとしたらただ一度の邂逅だったということも考えられなくないだろうか。もちろん彼らはそんなことを意にも介さず縄文の道を辿ったのでしょうけれど、来週行くわ、来月くるぞ、という簡単なものではなかったはずですから。












