1970年、アメリカ上院議員エドマンド・マスキーによる「1975年以降に製造される自動車に対し、1970~1971年の基準の90%以上、一酸化炭素(CO)、炭化水素(HC)、窒素酸化物(NOx)を削減する大気清浄法改正法」の時代、蒸気機関から脱して久しい自動車には内燃機関に代わるエンジンがなく、そこかしこの自動車産業が躍起になって対策を講じ、ホンダによるCCVが一石を投じました。ガソリン車に続きディーゼルエンジンも散々苛め抜かれ、クリーンディーゼルが生まれていきました。
そういった技術と制度との格闘の末、炭酸ガスを排出しない発動機ならEVという新機軸へのトライアルは、なんとなく技術が土俵から逃げ出しているような気がしてなりません。
ここでほざいているのは電気自動車が逃げ打ちという話ではなく、温室効果ガスを削減する超長期目標の中で、電気というエネルギーがどこまで夢の可能性をもつのかという展望。今年の夏、不思議にも電力需要ひっ迫といったニュースをほとんど目にしませんでしたが、自動車の世界に電気が主力エネルギーとして定着すると、電力需要はどうなるのか。再生可能エネルギーにも流行り廃りの予兆があったりメガソーラー発電所自体が山林開発で環境破壊と言われたり、洋上風力にはコストがかかりすぎるという問題も浮上しています。
すると、政策的なかじ取りは原子力発電に向かわざるを得ない? 消費者は当然そのことについて考えていかねばなりませんがそれと同じくらい、自動車産業は、商品販売が電気に頼る世の中をどうするのか考えているのかと首をかしげるのです。それこそ原発は安全でクリーンと言われた時代は昔話で、にもかかわらずそんなに安全なら東京や大阪の臨海部にでっかい原発作りなさいよとは、誰も言わない。
自動車の電動化って、数をこなせば価格はこなれるのかもしれませんが、数が増えていくことによって生じる問題というのは内燃機関のときと変わらないのではないか。そして一番違うところは、モーターにせよ電池にせよ、自動車屋さんの領分外の技術で、エンジン燃焼効率良くするんだと汗を流していた自動車屋の真骨頂ではないよなあと思うのです。