衛生的にどうなんだろうと思いながら止めない(笑) 今回は新月サンが湯船に入ってますが 私が先に入っても同じ事するのよね。 風呂にいるのはどっちでもよくて ただ単にお湯が舐めたいだけみたいです。 (だからって水皿にお湯を入れても飲むわけではない・・・)
話がジムニーですからまあ無責任にもほどがあるようなことしか書きませんが、ジムニーノマドとやらは「シエラ比60万円プラスらしいです」と、Cyber‐Kさんが教えてくれました。これは本体価格のことでしょうから、登録など諸経費を加えた、4ATの乗り出し価格は値引きを0と考えた場合、300万円をちょっと出るくらいでしょうか。勘違いしてはならないこととして、ジムニーと言えども車格は1500ccの小型車だということで、当節そんな価格帯なのねと思わされます。
36年前に1600ショートの限定車を買ったとき、エスクード・ヘリーハンセンリミテッド(5MT)の乗り出し価格が265万円でした。その後93年にGリミテッドノマド(4AT)を買い足したら243万円、さらにヘリーハンセンを下取りにして手に入れたカタログモデルのV6ハードトップ(オプションてんこ盛り4AT)の乗り出しが250万円。そうかそのあたりが利益回収できる範疇かと勘繰ったものです。
ジムニーノマドとやらの割高感は否めませんが、89年から95年にかけての経済情勢や物価変動を比較して考えると、今では小型車版ジムニーも300万の壁を背負うんですね。それだけ立派になったんだと思えば文句の言いようもないでしょう。エスクードのノマドだって、出てきたときには内装がチープだの質感が安っぽいだのと散々な言われ方をしてましたから。
ノマドはノマドの再来となりえるのか。エスクードの方は前世紀に無くなっちゃいましたから、ここを比べても意味がありません。そうだと思える人にのみ遊牧民は戻ってくるものとイメージしています。
どうせうちのエスクードは「5ドア」で「ノマド」のサブネーム剥奪されてるもん(笑)
長く昵懇にさせていただいている大洗町の「旬彩きくち」さんもことし開業三十周年を迎えました。確か僕は開業三年目あたりから通っているのですが毎週のように顔を出すような常連でもないから、顔と名前を覚えてもらっているだけありがたいと言えばありがたいことです。クオリティを維持しながら諸々値上がりの時代、見るところを見ると結構苦労しているんだなあとも感じますが、ここ数年他府県ナンバーのクルマが増え、午前中から予約でいっぱいの繁盛ぶりです。
この時期ですから鮟鱇鍋を求めてやってくる客が絶えません。大洗の鮟鱇鍋は、味噌味付けに工夫を凝らしているので海辺でよく振舞われるどぶ汁を踏襲しながらも見た目とは別に洗練されているのが人気なのかもしれません。鮟鱇というと八戸や下関の漁獲量が国内随一ですが、なぜか茨城もトップクラスで昔から鮟鱇鍋なら茨城と銘打たれています。それにしてもきくちの大将もだんだんとお年を召してこられた。また新たな十年を頑張って過ごしていただきたいです。
世間ではリッター185円平均(首都圏)だというレギュラーガソリン小売価格は、国によると「まだ補助金出しているから200円にはならないだろう」って、どの口が言ってやがるなふざけた政策途上です。BLUEらすかるもBLUEらすかるΩも燃料タンクは大盤振る舞いの70リットルですから、500キロくらい走ってフルタンクにするともう泣けてくるわけです。この車体にしてこの容量、スズキも六気筒エンジン開発時には燃費に自信が無かったんでしょう。
しかし大事なことですが、500キロは余裕で走れるのがTD61Wの底力。やろうと思えばさらに100キロを上乗せできます。TD51Wで850キロ走らせる友人もいます。でもこの友人、周囲のトラフィックの流れを阻害する走らせ方でもないのです。そういった運転は見習わねばならんよねと真似をすることと、行きつけのセルフスタンド経営者が頑張ってくれているおかげで、250キロでの給油においてなんとかカタログ燃費のリッター10キロを上回れています。
結局、こんなものかなーと思わせる近似色は、メルセデスの特注色にあったライトブルーのメタリックでした。これを見つけるために塗料の通販サイトでカラー名を調べ、その名称とコードで画像検索し、80色ほどを比較しました。あくまでも近似色です。脳内補正かけまくりで無理やり納得するという、俺も年とったなあの心境です。吹き付けた瞬間は銀色が強くでて自分の方が蒼ざめましたが、乾燥させるうちに青味が浮き出てきました。しかし粒子が粗くざらつきます。あとで磨こう。
前回の記事でお気づきの方は、ごまかしの利かない良い目をお持ちです。前回の時点でなにげにルーフエンドスポイラーがついております。このパーツは、同スケールで某ポルシェの型式を覚えられなかったオープンカーから剥ぎ取りました。パーツ代として換算すると3500円です。1/43というスケールでの流用はなかなかコスト高になります。このあとTD11Wには付いていないルーフレールも調達しなくてはなりませんし、うちのTD61Wに付いているフロントガードやらスペアタイヤのスコップやら、最大難度と思っているエアロバグガードとこのスケールでのラジエターグリルもどうにかしなくてはいけないのです。タイヤとホイールの問題もあります。
だからこその雑でいい加減な逃げ道を置いておかなくてはやってられません。それはさておき、最初のサーフェイサーを吹くとき、元の塗装を剥がさないという手抜きもやってます。が、ちょっとだけ削ってみたら、お見事という薄い塗膜で仕上げられており、ハイストーリーのミニカーのクオリティを一部垣間見るのでした。この作例なんか二次塗装で肥大化の恐れもあるんですが、今のところそれほど目立っていないと思います。
さて「ほぼ」週刊ですので、次回は2月2日のローテーションなのですが、この日は節分行事だとかつくばーど®in天狗の森04だとかの記事が優先されますので、前後にずれます。
森永製菓が制定したという「ホットケーキの日」が1月25日で、その由来が「1902年 1月25日に北海道の旭川気象台において日本の観測史上最低気温(-41.0℃)を記録したことから、寒い時期にこそホットケーキで温まってほしいとの願いを込めて」だと、そこら中の雑学サイトがまたぞろ異口同音なんですが、「それっていつ制定されたの?」という疑問に答えてくれるところがやっぱりありません。肝心の森永製菓も取り次いだ日本記念日協会もそれを記していないのです。
記念日申請の理由がなんとも破天荒な話です。が、森永製菓はノリが良いというか責任感がありまして、2019年に現地にて実証実験もやっています。ということは、少なくとも申請と制定はそれ以前に行われていたのでしょう。
僕は零下41℃もの寒さは経験がありません。仙台赴任時代に一関と気仙沼の境あたりで零下20℃は体験しています。その倍の寒さにあやかり、ホットケーキと同日に制定されている「中華まんの日」も、屋外で食おうなんて気にはなりませんわ。確かに何か胃袋に入れれば多少の熱量にはなると思いますが、この明治のこの日の前日、あの八甲田雪中行軍遭難事件が起きていまして、その際の外気温が零下20~25℃だったというから、やっぱり食うなら屋内にしといた方が無難です。