ぽーん♪という音がして
この表示。
普段使ってる方のリモコンなので
予備の方使えば問題ないんだけど・・・
まあ同時に替えてるから予備の方も
遠からず電池交換のサイン出るわよね。
「ハンドルが変な感触」と、ぷらすBLUEの給油に出かけようとした雫さんが言うので、パワステフルードが減ったかなと運転を代わってみると、確かに据え切りのときにゴリゴリ感がありました。丁寧にステアリング操作を行う分には異常は出ない。「なにさふんっ、どうせ乱暴だっていうんでしょー」(わかってんじゃねーかよ)などとむくれる彼女のことは無視してガソリンスタンドまで走りますが、フルード枯渇時に現れるステアリング右に切るとブレーキ警告灯の明滅はない。
給油の際に「パワステフルードの補充もやって」と注文すると「は? 何フルーですか?」などと、研修中の腕章をつけた男の子が困惑、「?」をこのあと二回繰り返し。店長と交代してもらうと。「雷蔵さん、おっしゃる通り漏れてますね。暑さでパッキンやられていたのかも」。しかし補充量はごく少量で、漏れ始めという感じ。パッキン程度ならいいんだけど、BLUEらすかるも不調のため点検入庫させなくてはならないのにこっちもメカトラブルだったらどうしよう・・・
というのが事の起こりで、BLUEらすかるのプロペラシャフト故障発生によって代走させようと給油するつもりが、2台そろって入庫。主治医には大変申し訳ないことに、整備場の半分をうちのクルマが占拠してしまいました。フルード漏れは高圧ホースが酷暑で加速度的に劣化したことが原因のようです。日中、車庫内は40℃になっていたから夜との気温差も大きかったんだろうなあ。BLUEらすかるΩを呼び戻すわけにもいかず、腹をくくらねばならない先週でした。
そのBLUEらすかるは、プロペラシャフトのフロント側ユニバーサルジョイントが「磨滅」と「欠け」で外れかかっていたことが原因。暑さのせいではなくて、98万キロ、車高を上げてからは90万キロ走らせてきたんだから致し方ありません。シャフトはもう部品が出ないのですがジョイントパーツは確保でき、それを使って修理です。重症なのはやはり幌車の方で、高圧ホースの破損部分を切除すると長さが足りなくなる。これをどうするかで解決策を見出すには時間がかかりそうです。
「国境の長いトンネルを越えると」に続いてこの言葉でまとめられる書き出しは、川端康成が「雪国」に綴ったセンテンスで、実際には上越線の清水トンネルのことであろうといわれていますが、清水トンネルは後の複線化によって上り方面の一方通行となり、雪国を目指せるのは下り線に加えられた新清水トンネルの方。霰なんかは新潟時代に上越新幹線で大清水トンネル経由で、雫さんは子供のころ、おばあちゃんと新清水トンネル経由で新潟のおじいちゃん実家に行き来していたそうです。
その新清水トンネルが開通したのは1967年9月28日。「雪国」は1935年に書き出しとなり37年に初の単行本が出版され、47年まで書き続けられ完結した、当初は長編ではなかった文学。それでも新清水トンネル開通まではさらに20年が過ぎていきます。実は「雪国」は康成による添削版の「定本雪国」や原稿復刻の「雪国抄」「プレ・オリジナル」と複数あって、これらの刊行の頃には新清水トンネルも出来上がっています。車で出かけてしまうと、土樽のWループを見上げるのが常でした。
4年前にいっぺん書いてしまっているんですが、「女性ドライバーの日」です。21世紀ともなると、我が家だけ見ても4人家族のうち実に3人がそうなので、明治の話ならいざ知らず、いまさらこれを掘り起こす必要もなかろうと思っていたら・・・
いや書いてますがな。
そんなわけで、冠婚葬祭のためにセダンは絶対必要! という、エスクードで披露宴だの告別式だのに行ったらいかんのかっ(行ってますけど) と憤慨したくなる論理で、雫さんはごく普通の平凡なセダンを乗り継いでいます。FB13「うさにー」からFB15「うさにーⅡ」にスイッチしたのが、そういえばBLUEらすかると同じ2005年のことでした。あー、命名者は例によって霰です。で、最近ですがオルタネータがお亡くなりに。もちろん直すそうです。直るんだよなー。
スズキが「Sマーク」のデザインをリファインするのは22年ぶりだそうで、2003年以来の改革ということになります。あー・・・リファイン前のマークは三代目エスクードから使われているので、それよりも前の登場だったとはすっかり忘れています。
今回のデザインは従来のSのアウトラインを継承させ、デジタル時代に適応したフラットなものとし、環境負荷低減目標を表現するためこれまでのクロームメッキを高輝度シルバー塗装に変更したとか。
Sマークの基本形はずっと以前に使われていたもので、公募により学生の提案がベースとなっていました。これが一度、何を浮かれてんだかというポップなデザインに改められたことがあり、こともあろうに初代エスクードや二代目エスクードの時代に、それが採用されました。あくまで私見ですが、このコロコロした図案、初代エスクードに関してはそれ以前、以降のどのマークも似合わなくて、これじゃないとしっくりこないのです(私見ですからね)。
二代目においてはさらに異なるデザインがグランドエスクードに使われましたが、石岡市のマークを見るとなんとなく似ているのが不思議ですが、それはローカルな話題なので深入りしてはなりません。2025年版は創業以来貫いている「お客様の立場になって」の想いと、未来に向けた新たな可能性を込めたとありますが、ということは、歴代どのマークもそうだったんじゃないの? とも感じられ、ことさらこういうところで顧客満足度の話を持ってこなくともいいではないかと思うわけです。