機種変更して半年しか経ってないんですけどー カメラ(レンズ)のコーティングが剥げて 写真が撮れない状態に・・・ いや、撮れるは撮れるのよ。全てモヤっとした 写真になるけど。 ネットで検索するとこの事象、結構出てくるので いい加減メーカーで対応してもらいたいもんだわ。 (メーカーサイトでは何のアナウンスも無い)
20日いっぱいで受付終わります
今年の初収穫。
蔵出し!Tシャツデー
なんだそれは?と思ったら、2020年に生まれた記念日らしく、これを制定したのは学習塾の運営会社。
気に入って購入したり、旅の記念に買ったりしたのに、なぜかそれを着て外出するのはためらわれ、タンスの奥で眠っている「お蔵入りのTシャツ」。そんなTシャツを勇気を出して着る(蔵出しする)ことで、忘れかけた時とTシャツを手に入れた思い出を蘇らせ「こんなTシャツを持っているんだ!」と、明るく自慢し合う日。
こらこらこらっ。それを着て外出するのはためらわれるとは何事ぞ(笑 ためらわれてるのか?ESCLEVのやつ)。まあデザインはアレですけどね。それはさておき「蔵出し!Tシャツデー」は6月10日に対して、この頃からTシャツが一番輝く夏が始まるというメッセージを込めているのだそうです。この会社WITS(ウィッツ)って、2003年に創業しているところがESCLEVと同い年という奇遇さもありました。同社のコピーには「ノリと勢い」なんてものもあって、そこはつくばーど®っぽさも感じます。
オリジナルTシャツのプリント会社によっては3月1日に「オリジナルTシャツの日」というのもあるようです。
「ロックの日」はミュージックネットワークが制定した日本独自の記念日だそうですが、ロックミュージックは元々、50年代に生まれたアメリカの大衆音楽。ロックンロールとは呼ばないのねーと思ったら、そっちは60年代に廃れて「ロック」の呼称が定着したようです。同じ6月9日の「超人ロックの日」とはもちろん別解釈です。双方、頭文字も「R」「L」で異なりますし。東日本大震災の後、よく石巻市で見かけた故・内田裕也さんによれば、石巻も語呂でロックンロールの町と謂われました。
言葉としての起源はかなり古いようで、17世紀の海兵隊が洋上で体験する船舶の縦揺れと横揺れの混じった様子を表現していたものが始まりと伝えられています。これが1930~40年代にR&Bの派生音楽として用いられるまではエッチなスラング扱いの年月が続き、「ろくなもんじゃねえ」とか孫に話していたうちの祖母などはプレスリーにも感化されなかったらしいですが、その子供たちはビートルズにかぶれていました。
TETSUJIN2025と1000回目のあの番組
今回、「三代目エスクードにシュノーケルを装備したいので」というコムロさんの要請に基づく作業内容のため、足回り交換などで集まっていただくSKETTOを超えたTETSUJINの召喚となりました。まあきっと顔ぶれは同じなんですけどね。
日本気象協会によれば、関東甲信における今年の梅雨入りは今月上旬とのことで、暦の上だと11日が「入梅」。ぎり間に合うか車いじり日和・・・
という本日、あの「NISSANあ、安部礼司」がなんと1000回目の放送だそうです(東京FMでは17:00から)。先週は当たり前ですが999回目だったため、これも記念して生放送かつ銀河鉄道999とのコラボレーションならぬサラリーマン鉄道999とやらをやっておりました。「NISSANあ、安部礼司」のSF系番組構成はわりと面白いのですが、さて今週は何を繰り出してくるのやら(まさか「千年女王」なんてべたなことはないだろうな)
主に付き合わんでもいいのに
無事に10才迎えました。
6月6日に雨ざぁざぁ降ってきて
などとコックさんの歌なんか日ごろはいちいち歌ったりしませんが、これであの絵が今描けるかと思ったら歌詞を忘れていて描けませんでした。なさけねー、健忘症が出てきちゃってますよ。
それはいかんということで足し算とか引き算とかやってアタマに刺激を与えようとしたらば、「6+6=12で、とうふと読み・・・」と、丸美屋食品工業が提唱しているのだそうです。
なんでー?と思えば、丸美屋の「麻婆豆腐の素」が1971年の6月6日に発売されたことに因んでの同社提唱記念日でした。はいはい、我が家でもずっとこれを使って麻婆豆腐だったり茄子だったりを作っております(他社のものを使っているケースも・・・たぶんある)。
それ(発売)以前の時代は、お袋はひき肉に辛味の味付けしたり片栗粉を水で溶いて調理していたと記憶していますが、僕自身は「素」で作る方法を身に着けてしまいました。話を脱線させると当時、豆腐に関しては町の豆腐屋まで自転車で買い出しに出ていたのですが、道が悪くて蓋つきのプラ容器で運んでも絹ごし豆腐は破損してしまい「運転へたくそ」とののしられたものです。後で知ることとなりますがこれをお袋が買い出すときは、帰路は自転車を押して徒歩で戻っていたらしい。
さらにコースアウトさせるとこの豆腐屋の主人、80年代末にパンダカラーのトレノを所有していました。僕がヘリーハンセンリミテッドのエスクードに乗っていた頃ですから、群馬のあのとうふ屋出現よりも早かったし、あの漫画を読むまでことさら関心も及ばなかったのですが、現在は廃業してトレノもありません。
話を戻して麻婆豆腐。単身赴任時代にはたまに作りました。鍋とフライパンは持っていたのに「後で買えばいいや」とめんどくさがって転居したときには炊飯器を用意しておらず、そのあと震災で大混乱して米を炊くという手立てをいつの間にやら放棄していたのです。それでも麻婆豆腐はそれだけで食えたし、中華麺を茹でて食うとなかなかいけましたので。