三日目、万博にはいかない事にして大阪城へ。 義弟達はサンタマリア号乗ってからの海遊館(笑) この旅行で一番並んだし待ったわ・・・ 〝ここから60分です〟という立札を通り過ぎて 当日券の列に並ぶと、周りはほぼ外国人観光客。 大阪弁どころか日本語が聞こえないという・・・ 英語でも仏語でもなさそうだけど欧州の方よねぇ ってカップルやら家族連れやら。アジア圏の方も多数。 テッペンの展望回廊も人でギューギューでした。 鳥よけの金網と転落防止の柵がちょっと邪魔だったな・・・
1908年にルーシー・モード・モンゴメリが出版した「Anne of Green Gables」が、1939年に日本の村岡花子が手にすることとなり、1952年の5月10日に「赤毛のアン」として和訳された本が世に出ることとなりました。ほぼ誰もが知っている少女アン・シャーリーの物語には、実は彼女が養女となったカスバー家の屋号は記されていますが、赤毛、とは一文字も使われていないタイトルです。あれは村岡翻訳時に出版社の提案でつけられた邦題なのです。
だからといって問題があるのかと言ったら(翻訳版の小説に関しては)何一つ気にすることもなく、むしろアンのキャラクターを明瞭に、一言で表現した秀逸なタイトルだったかもしれません。最近はその辺を意識してのことか、先月から放送の始まった新しいアニメ番組は「アン・シャーリー」のタイトルになっていますが、やっぱり今時「赤毛」という表現に問題があろうし、「グリーン・ゲイブル」をうまく表現しにくかったのかと感じます。
面白いと思ったのは、海外ドラマの「アンという名の少女」を英語版で見ていると、彼女のおしゃべりでちょっと生意気なセリフの数々が流暢すぎて(いや当たり前なんだけどね)、これを日本語に吹き替えたものの方が受け入れやすいし(これも日本人なんだからそりゃそうなんだよね)、和訳した人のセンスが良いんだろうなあというところです。
それにもまして、ドラマだろうとアニメだろうとほとんど彼女の容姿が一緒というのは原作小説に準拠してのことなんだろうけど、顔立ちに関する各作品の暗黙の徹底ぶりはたいしたものです。
二本の編み下げになって背中にたれている濃い赤毛。
白く小さな顔で、やせていて、そばかすだらけ。
とがった顎、大きな目とやさしい口もと。
額はゆたかに、ひろい。
というのがアン・シャーリーのキャラクター。物語の舞台となる18世紀末って、いわゆるふっくらグラマラスな容姿の女性に人気があった時代だそうですから、アン・シャーリーのやせぎすで赤毛にそばかすのおでこちゃんというのは、けっこう前衛的だったと思われます。そりゃあ花岡翻訳の頃だったら邦題に赤毛の~、を使わん手はないよねえ。
これはモンゴメリによる長編小説ですから、もちろんマシュウとマリラが住んでいたグリーン・ゲイブル(ハウス)も実在はしません。それを再現した建物はプリンスエドワード島にあることはあります。誤解のないよう記しておきますが、この記事の写真(上)にある建物は「それ」ではありません。なんで赤毛の少女でなくこれかというと、90年代に交流のあった現地在住の知人が乗っていたサイドキックで、プリンスエドワード島やカナダの風景を送ってきてくれたものです。
2日目の朝「(ホテルは)8時に出発しますので」と言う ツアコンのおねいさんに連れられて万博会場へ。 泊まったホテルの最寄り駅からは2駅なんだけど ゲート前の列に並んでからが長かったわ・・・ おねいさん曰く「先週よりか全然早いですよ」マヂか! パビリオンは入場してから10分経ったら予約が 出来るといわれたけど、いまいちよく判らなくて 結局予約なしで見られるパビリオンをハシゴしました。 噂の大屋根リングに上がる頃にはお天気回復。 夜、知り合いと会食セッティングされてたんで 夕方までしかいませんでしたが・・・ 夜のドローンショーとかも見て見たかったなぁ。 ちなみに。丸1日歩き回って26,000歩! うーん、運動不足の身には堪えたわぁ・・・
「未ル わたしのみらい」というアニメーションは、あのヤンマーが企画制作するロボットもので、どうやら制作陣も物語もオムニバス方式で展開しているようです。未来から送り込まれたと思われるロボットが、それぞれ異なる舞台と時代で人に寄り添い窮地から救うため、武器は持っていないけれど戦う(戦うというニュアンスはちょっと表現として微妙かもしれない)お話。だから左の宇宙デブリ回収屋の娘もその一回限りしか出てこないし、絵柄も次の話では全く変わってしまうのです。
一貫しているのはМIRUというロボットだけ。なのですが、土台をそれだけ作りこんでいるのにつまんない造形のやつが出てきて、それこそなんでもやってのける。ヤン坊マー坊天気予報が始まった少し後の時代には、高性能のはずなのにあまり役に立たないロボットが、別に戦う必要もなくホームドラマに溶け込んでいたんです(ヤンマーとは無関係ですから引き合いに出すのもあれですが)。現実のトラクターなんかが妙にかっこよくなっているのに、こんなロボット全然良いとは思えないのよ。
「未ル」は根本的にロボットが出てくる世界観が昔のそれとは異なるので、現代のセンスが最先端を目指すのは当然のことです。だから物語の展開にも今風の社会問題や環境との対峙が描かれるのもありです。ひたすらロボットのデザインが未来志向のようでチープなんじゃないかと言いたいだけです。だいたいがこんなロボットにいきなり出てこられたらビビります。番組違うけど、見る者の心理的影響も考慮しなくてはいけないのでは。
60年代にホームドラマでロボットを仮想体験しているから、それはもはや老害の記憶だろうと言われるかもしれませんが、ボロット(左)やロボコン(上)をデザインした人々は、未来社会でロボットが人に寄り添う風景を考え、コミカル要素でアプローチしていると思うのです。武器を持たないとアピールしても、МIRUも結局は(人を守るために)戦っちゃうではないか。そろそろ戦わないロボットに舵を切ってほしい。
コムロさんがTETSUJINを募りたいと昨年、話を持ちかけてこられました。先日の月遅れ新年会でも、花見でも話題が出ておりました。コムロさんのエスクードはあくなき進化を続けているのですが
こんなことを勝手にリークしていいのかという批判も受けそうですが、なんかこう、背中を押してくれぃ、という雰囲気も感じ取ったので、いつ頃にしようかとたずねたところ
ということです。正式に要請が出ましたのであらためてお知らせしますが、6月8日(10時頃から)に決行となります。求む人手、こちらはつくばーど基地の車庫を片付けておかなくては。
TETSUJINとは
Trustworthy:信頼の置ける
Escudo:エスクードに関する
Technicall:技術と
Structural:構造と
Utility:実用を
Join:連結し
Instructive:導く
Neighbor:近所の人々
を意味しています。
それにしてもTETSUJINは何度もやっていますが、切った貼ったに及ぶクルマいじりって、先代らすかるにガードをつけたとき以来、いやそれ以上の大ワザだよ。
あっちこっちのうんちくサイトが「5月6日はコロッケの日」とぶちかましていながら、ほぼ異口同音に「コロッケなどの冷凍食品を製造する株式会社味のちぬやが制定」と紹介しているのですが・・・
この疑問に答えてくれるところが、探し方が悪いのか、どこにもない。いよいよ困って(困るほどのことか?)、制定を認証した日本記念日協会で検索しましたよ。すみませんが興味のある人は「日付」かキーワード「コロッケ」でやってみてください。
出てきたのがこれ。
各種の冷凍食品の製造販売を手がけ、全国の量販店、コンビニ、外食産業などに流通させて、日本一のコロッケメーカーを目指す香川県三豊市の株式会社「味のちぬや」が制定した日。日付は明治時代に登場して以来、庶民の味方として親しまれてきたコロッケを春の行楽シーズンに家族で食べてもらいたいとの願いと、5と6で「コロッケ」と読む語呂合わせから。
なんということか、申請日も制定日も記されていません。
なんだよー・・・と、元々の味のちぬやさんのサイトに行ってみましたが、
てことで制定された年次のことはもういいや。味のちぬやさんのコロッケではなく、我が家でこのところ気に入っているのは「かつや」の『じゃがいもがうまいポテトコロッケ』(写真)です。
薫風かおる立夏です。この日を過ぎる頃には田植えもはかどり関東平野のあちこちで水田からの上昇気流に水分も乗っかっていくため、環七陸橋から臨む京王ビルに限らず、遠方の景色が霞んでいきます。が、風情の話に持っていくので、若葉や青葉の香りを運んでくる5月の季語であり、「春風高校校歌の歌う薫風」のこじつけはここまでです。校名は春風なんですが、校歌の歌詞はさりげなく立夏のイメージをちりばめています。この校歌、作詞はアニメーション監督の故・芦田豊雄さんなんですよ。
さても立夏。今年の場合、国立天文台による暦の計算では、太陽と地球の位置関係から本日の14:56~57に巡ってくるそうです。暦の上では初夏に移り変わると聞かされれば、暑いときは確かに暑さを感じますが盛夏の頃と違って過ごしやすい。鯉のぼりや節句行事とは縁が薄れているのでこの日に合わせて筍でも掘るかと、まだ旬で食えそうなやつを探しておりました。写真のやつはちょっと遅くてこれは生ではえぐみが強くて調理しないと食えません。これ以外の育ちすぎはすべて蹴倒しです。