振り出す手形のサイトが短くなったので 都合2回分の決済を帳簿にカキカキしていたら 頭痛が・・・(私は筆圧超高め) 伝票計算したり口座の残合わせたりで糖分欲してるのも 確かなんだけど。 誰かっ!私の肩揉んでくれっ(泣)
二十四節気の七十二候・春分の時節を表す「雷乃発声」(らいすなわちこえをはっす)は、2025年にあっては3月30日から4月3日あたりまでを示すそうですが、いわゆる春雷の響きと共に東京多摩西部に大雪警報が出たのは3月19日のことでした。「まったく、翌日が花見だというときになんてことしやがるんだライさまのやろー!」と、雷蔵が憤っていたという間抜けな冬の仕舞いにして春の訪れでした。しかも初代エスクードときたら、あの程度の霙の中を走っただけでAピラーに吹き溜まりを作ってしまうし。
三寒四温とはよくも言ってくれたもので、つくばーど®の花見は予定外の三寒をくらって(ことしはうまく行くはずだったんですよ)、花見の方は毎度の我慢大会レベルとなり、次の日からぽかぽか陽気でした。先月の19日はほんとにやられたーの厳冬で、基地周辺よりも都心の方が低温だったのです。そこへきて早朝から稲光と雷鳴で、傘をさそうにもビル風か強くて壊してしまいそうだったため、まだ春雨でもないのに濡れていくしかありませんでした。
現実の「雷乃発声」はかなり前倒しされましたが、いよいよ春分の候も明日いっぱいで切り替えです。4日からは「清明の候」となり、まずは「玄鳥至(つばめきたる)」から始まりますが、さてことしはいつ、燕の飛ぶ姿を見ることになるやら。
ТA74Rは、ベースとなった同Wが構成していたパネルラインを素直に分割し、車体後部をフェンダー上部のラインに沿ってそぎ落とし、合成革製のソフトトップを代替した典型的なコンバーチブル。この手法は国内投入された初代、海外にのみ存在した二代目を踏襲していましたが、X‐90のような2シータータルガトップとしてリア側をパネルで覆うという腹案も考えられました。最終的には4名乗車定員が、荷物積載量と共に勝ち残ったようです。
開発コストの関係からパワートレーン、駆動系、足回りなどはすべてそのまま。しかしコンバーチブルとしたことで車両重量は約80kg軽量化され、これがリア側に集中するためフロントヘビー化によりリアのトラクションが弱体化するとも思われましたが、もともとFF寄りであったフルタイム四駆の恩恵でその懸念は打ち消されました。
残念ながら74Rは、三代目ショートモデルが僅か1年でカタログ落ちしてしまったことから世に出ることなく幕を引いていますので、この車体でせめて54WのJ20Aエンジンを積んでいたら、とか、仮にモデル末期限定100台ででも発売していたら、などの話題を引き起こすこともなく幻に終始しています。
ちなみに本日は4月1日です。
「愛の戦士レインボーマン」「ダイヤモンド・アイ」に続く「正義のシンボル・コンドールマン」のいで立ちは、ヒトを超越した神がかりな化身なので、いやその姿はさすがについていけないと思えど、こういうのが川内康範作品なんだろうなあと押し切られてしまうものがあります。60年代ならそんなことを気に留めなかったはずですが、コンドールマンの登場は1975年3月31日。少なくとも「月光仮面」をトレースしながら新機軸を創造したレインボーマンの造形に軍配をあげたくなります。
前2作が東宝制作、コンドールマンは東映作品ですが、コスチュームへの言及はここまでとしても、大道具であるマッハコンドルのなんとも雑な作りとコンドルよりもヒヨコ風味にがっかり感が漂うのです。でもこの時代の材料ならではという、フェアレディ―をこんなにしてしまう造形屋さんの度胸には敬意を表します。
「初の」とは書かれていないので記述自体に間違いはないのですが、例のなんとかペディアのスズキエスクードの項目には、1989年(平成元年)にはスポーツ用品のブランドを冠した特別仕様車が登場、5月に夏期限定車「ヘリーハンセンリミテッド」、10月に冬期限定車として「ゴールドウィンリミテッド」が設定される。とあります。あらためてこれについては「初の」と書かれていないので特に問題はないのです。
が、確かこれよりも前の89年1月に「G‐リミテッド」の最初のモデルが出ていたのですが、記憶では特別仕様とか限定車という意味で、前年にグッドデザイン賞をとったことから初の試みとして世に出たモデルでした。アウトドアスポーツコンセプトのヘリーハンセンやゴールドウインに対して、どちらかと言えばシティユース趣向のイメージが強いものの、これも翌年度以降年度末販売の定番となってシリーズ化されました。
それにしてもこの当時のスズキのカタログは、スチル1点とってもコストをかけています。隅々まで見ていくと合成写真が無かったわけではありませんが、メインとなるビジュアルは実車を実景で撮っています。しかもこのG‐リミテッドの場合、許可が出たんでしょうけどよくこんなところで撮影したなあと、うっかり真似しに行ったら怒られるじゃ済まない場所ではあります。
花見をやってしまってから七十二候の「桜始開」を話題にするのもあほみたいですが、暦の上でも2025年は3月25日あたりから29日の数日間がこれに当てはまり、エドヒガンや大島桜からソメイヨシノへと移り変わる時期にも重なります。なんだってまた、ソメイヨシノは寒暖の差による開花ずれがあるとしても一斉に咲き出すのかと首をかしげていたら、「ソメイヨシノはエドヒガンと大島桜などから交配され創り出された鑑賞用で、それらの成り立ちはほぼクローン」と教えられました。
この物知りの知人によれば、エドヒガンなどの原種を辿っていくとヒマラヤザクラという品種に遡り、2000mを超える高地で棲息していたことや、25000年前の化石も存在するとか。ソメイヨシノなどは近代日本の名物であり、古来花見とはヤマザクラのような群生を眺めていたものなのだそうです。
知らなかったよ、やっぱりつくばーど®の花見は気が早かったんだよ。天狗の森でヤマザクラが観られるのはこれから半月以上先だもの。
2月末に職場が移転したため、東京高速道路は僕の通勤ルートではなくなりました。わずか2キロくらいの一般自動車道ですが、いよいよ4月5日の20時で閉鎖廃線となります。
今後は歩行者天国というか、屋上公園として活用されるとか。そのための実証実験も何度か行われていました。
1984年の「ゴジラ」で、有楽町マリオンや東海道新幹線が襲われるよりも早く、この道路が、放射能熱線で撃墜されたヘリコプターの爆発によって、渋滞中の車両が次々と燃えてしまう場所でした。
現実的なことを思うと、ここを公園化してもゲートを作って夜間封鎖しないとスラム街化するんじゃないかなあ。
そんな話はまあ置いといて昨日の午後、960000キロを越えました。ここからまた長いこと長いこと。その割にはペースが上がりません。このままだと車検満了までに間に合わんなあ。