「一匹じゃ可哀想だしー・・・ね?ね?」 「しょーがねーなー」(←基本嫌いではない) という会話があったんだかどうだか。 まあ、ミミが噛み癖が出そうなので(何かっちゃー噛む) もう一匹居た方が加減を学習するんじゃないかと。 で、取引先の営業さんご実家で猫産まれちゃったという 渡りに船なお話が舞い込んできて・・・ 週末に見せてもらう方向で話が進んでいるそうです。
知らずに過ごしていて驚きましたが、ラジオDJを題材とした漫画って、引用させてもらうサイトによれば27作品もある。最近手を染めた「波よ聞いてくれ」以外、まったく読んだことがありません。
で、このリストにすら無い、無いのも無理はなくドラマ自体が「放送局」でテレビもラジオもひっくるめられているからの「スタンバイOKで~す」を屋根裏から持ってきました。
「はいからさんが通る」の大和和紀さんが、それよりも前に描いた短期連載物で、単行本が出てからはや半世紀です。3人の女子大生がそろって放送局に就職し、1人は庶務、1人はテレビニュース、もう1人がラジオパーソナリティーになっていくラブコメで、僕が読んだ最初の少女漫画でした。70年代前半は、FM放送よりもAМ局の深夜放送に傾倒した頃で、地元茨城のIBSなどはローカル局でありながら人気DJを多数輩出する、聴いていないと翌日の話題についていけない(小学生がだよ)ひとつの文化でした。
そんな時代に同級生から貸してもらった少女フレンドに載っていたこの漫画が、当時妙に琴線に触れましたが、今になって強引に「波よ聞いてくれ」に結びつけようとすると、大和さんが札幌の出身だということ。「波よ~」の作者である沙村広明さんは千葉県出身で70年の生まれだから、この漫画をご存じかどうか不明ですが、札幌舞台のラジオ局というキーワードが、細い線で「スタンバイ~」と触れているような気がします。
「つくばーどのこの記事のオチは(私の)構想と同じだったのでドキッとしました」(笑)
などと言いながらCyber‐Kさんが送ってきたエスクードの写真でタイヤを見たら、オープンカントリーに履き替えている。既に構想内にあったことだそうで、ヤマタノオジロのオールテレーン化計画と呼応していたとも言えるでしょうか。
「225/60R17によってタイヤの外径が34mm大きくなったので、若干リフトアップに貢献してます。オープンカントリーRTは思ったよりロードノイズが気になりました。音量というより低い周波数のノイズが目立ったかなという感じです。少し砂浜を走りましたが、ツルツルのジオランダーSUVより砂を掻いてくれます(当たり前ですが)。オンロードの乗り心地は扁平も上がったおかげなのか突き上げ感が激減しました」
サイズのこともあるし、エスクードとハスラーの車体やサスペンションのこともあるでしょうけれど、履いている車によって印象は変わるみたいです。
うちの女性陣曰く「乗り心地とか燃費とか気にしてたら仕事(出張)にならないわ」「見てくれの割には静かでちょっと肩透かし」。なんというか、性能二の次な感じです。
金曜日に失敗しながらも絶妙のオドメータ数字を刻んだぷらすBLUEは、土曜日に近所での買い物などでちょこちょこと距離を詰めながら、日曜日に無事32万キロに到達しました。
初年度登録から32年、1年に1万キロのペースとして平均値に持ち上げたのは、我が家に来て酷使され始めてからです。
そして土曜日のこと。歯医者に出かけるために一度車庫に赴いたところ、幌の左後部が外れかかっているのでこれを直そうとデッキトップとリアスクリーンを外そうとしたらファスナーの固着で動かない。CRCを取りに行くためキーをこんなところに置いたまま家の中に入り、そのこと自体をすっかり忘れて別の鍵束を持って車庫に戻ったら歯医者の予約時刻が迫って作業している時間が無くなり、まったく気づかぬまま歯医者まで片道3キロを行き来していたのです。
なんですかね、そろそろ認知症を警戒しないといけないですかね・・・
「ああっ!」なんだどうした? という、霰のすっとんきょうな叫びに、なんだどうしたとそりゃ聞きますよね。
「金曜日に届いちゃうんだけど、19時までに帰ってこられる?」
昨年は運送会社から僕宛に配送日時のメールが来てしまって、密かに計画されていたらしい父の日プレゼントが発覚してしまったため、ことしは霰自身が受取人で手配していたようなのです。
でも、なんだどうしたの叫びによって、再び発覚しました。配送時間を遅らせたものの、それでも霰自身が帰宅できない事態になっていたわけです。
いや、嬉しくもありがたいことなんですけどね。
「これなら車内で使っても茶の間で使っても、置いたところが結露しなくていいかなと思って」
と保冷熱タイプのカップホルダーを届けてくれました。これはいいぜ。茶の間ではチューハイグラスに氷入れて冷茶やらアイスコーヒー飲んでるから。
ぷらすBLUEのオドメータは31万9000キロ台も後半だったので、これはうまく行けば帰宅時に32万キロを刻めるかもしれないぞと、つまらない野心が芽生えたわけですよ。しかしもう1件の仕事先が、中央道から圏央道を使うくらいなら下道で移動した方が合理的なところでした。
そのもう1件での仕事をこなし、遅い昼飯にと、近場であったこんなところに立ち寄っているわけですよ。
なんだか最近は1年に一回か二回しか出かけていない不良な客になってしまいましたが、木陰とか微風とか空の色に映える雲とか、よくもまあこんなコンディションの日に来られたなあと嬉しくなってしまうのでした。
こんなコンディションですからもう暑いのなんのだったのですよ。
エアコンが直ってよかったと実感しましたが、さっさと圏央道に戻って窓を開けて帰ろうと、思っている割には荒川を下道で渡っちゃうのです。このあたりから32万キロトライアルはほころび始めているのですが、普段は使わないつくばジャンクションまで行って常磐道で戻れば、とか甘いこと考えてます。
ただ、何を半端な数字でとよくよく見たらば「19913」。そりゃ結婚した年の月じゃないかよ。それ以前に車検証を引っ張り出して確認しましたよ。実はぷらすBLUEになる以前の、前オーナーが購入した初年度登録日が、「1991年3月」なのです。やっぱり昨日は良い日和だったんだなあ。