Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

「磨牙」か「禍」かはさておいて

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当て字をすること自体、それが漢字であるからあまり意味はありませんが、一般的には「曲玉」(古事記による表記)、「勾玉」(同・日本書紀)と記されている「まがたま」の「まが」って何を伝えているのだろうと、長く自分の中で疑問として横たわっています。そりゃあ一番有力なのは、この独特の形に由来するものだと想像できるけれど、ならば今度はこのカタチはどこからモチーフを持ってきたのかも知りたくなるのです。

胎児の姿であるとか、頭の部分は太陽、尾の部分が月であるとか、元は獣の牙を装飾にしていたものを石によって代替したとか。これも諸説ありで由来は主張する人によってまちまちです。縄文の時代、出産された赤子がこのような姿で生まれたのかどうかはやや疑問で、ましてや胎児の形をどうやって知り得たのかがまた謎です。

それを言っちゃっていいなら、「これは列島に襲来する台風の形」でもいいよねえと思うけれど、巨大な熱帯低気圧の雲の形を唱える人はまあいないので、読み逃してください。そのように比較していって、獣の牙を装飾として用い、暮らしの糧としていた獣に対するある種の畏怖と感謝の宗教的概念が根源かもしれないという説に、最も納得するのです。牙を磨く、或いは時に災いをなす害獣のイメージも、「まが」なる発音に宿っていそうな素人印象があります。

古代の朝鮮半島の一部にも、勾玉の出土はあったようですが、糸魚川あたりの翡翠で作られたこれは、世界的に超稀少な古代文明の産物だと云われています。道教などの文様はずっと新しい時代ですから、それが伝わるはるか以前の古墳時代くらいまで、日本独自の産業が勾玉づくりを行っていたのは膝を打ちたくなる歴史。忽然と消えてしまったとはいえ、日本海側に限らず各地に「玉造」という地名が残されているように、「風土記」に移り変わった時代でもこの生業は継承されています。

6月9日も同様ですが、9月6日は、その数字の形から「勾玉の日」なのだとか。2つ重ねた勾玉は円を描き、縁結、健康、金、成功などのご利益を齎すというのは当時ものではなく、近代における付け足し。これが3重になると巴となり森羅万象、宇宙のあり様を示すというのも派生した考え方でしょう。森永チョコボールとキョロ(9と6)ちゃんの日となると、もうそれは勾玉とは関係ないですが、今日はそういう日です。

 

雨の日の猫はとことん眠い。

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大きいお口(笑)

蒸し暑くて困ったもんだわ。
窓開けられないから蒸す蒸す。
(開けたところで蒸すんだけど)
でさ。わざわざ温度が高いだろう
棚の上で寝なくても・・・

 

20年で90万キロ(に、ちょっと届かない)

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表題が紛らわしくて済みませんが、BLUEらすかることエスクードTD61Wは、2005年9月5日に手元にやってきました。現在98万キロ台に入ったところなので、20年でそれだけ走っている・・・とは言えず、購入時に88000キロが刻まれていたため、僕自身の運転ではまだ90万キロに届いていないのです。こうしてみると当時すでに9年落ちですがなかなかピカピカです。これは練馬のスズキディーラーが頑張ってくれたおかげで、初見したときはエンジンルームなんか赤錆だらけでした。

茨城の陸運事務所でナンバーを取り付けてもらった足で、磯崎海岸まで走らせたのが最初の運行。この日は午後から小雨でした。テンロクノマドはすでに我が家にありましたが、2500ccという初代エスクードにおいては最大排気量を持つ個体の「おっとり走りと踏んだら大変」の二面性もさることながら、テンロクショートの1型だったら2台分のパワー(トルクは倍にはならないけど)が、運転側を疲れさせないことにありがたみを覚えました。

2005年と言えば、三代目エスクードがデビューした年でもあります。そういう選択肢を踏んでいれば、細かい不具合から深刻な故障に悩まされることは無かったかもしれませんが、先代らすかるでやり残したことがあったし、引き継ぐのであれば初代でやるしかないとか、2000のV6に乗ったから次は2500だとか、どこか通ぶっていたような気がします。でもこの頃、先代がこなした地球から月までの距離を走れるとは思っていませんでした。

それくらい、外見から見えないところはボロボロだったのです。普通だったらそんなもの手に取ろうとはしないものですが、「見ちゃったから後へは引けなくなったなあ」と決心したのは大げさな表現ではありませんでした。ま、その割におそらく、前の所有者よりもはるかに過酷にこき使ってきたのは間違いないでしょう。そうやって紆余曲折せずブレもせず、20年めの運用がファイナルラップになることを、段々実感してきました。

 

 

居なくて焦ったら・・・

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そこ、落ち着きます?

アイスパック交換しに帰った時に
猫ずの確認していたら、いちだけが
どこにも見当たらなくて・・・
2階探して下のリビングと和室探して
カーテン捲ってトイレまで確認してたら。
洗濯機の中で寝てました・・・
マジで焦ったんだってば。

 

台風の前兆?

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線状降水帯が生じる(具体的にどこだかわからない)予報とは困ったものですが、そのあと台風もやってくる週末。から天気続きだったので適度に降ってくれる分にはありがたいけれど、裏山に一か所、土砂災害危険性のポイントがあるので、前線にも台風にも来るならさっさと来てするっと抜けて行ってほしい。気の早い我が家はさらに先回りしてコロッケが食卓に出ました。まるで意味がない(笑) 昔なら5個や6個は平気だったのに、1個しか食えませんでした。主食は刺身です。変な組み合わせ。

食べそこねのお刺身。

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予定外の漬け丼。

日曜日の夕飯に買ってきたお刺身。
アクシデントがあって食べそこねてしまったので
漬けにして翌日の夕飯に。
薬味にのっけたネギは季節がらイマイチだけど
採りたての大葉がカバーしてくれたわ♪

 

また聞きなので信憑性は「?」ですが

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ですが、営業マン→車屋→という流れだけに、それほんとですか?と思わず耳を疑いまして。

XBEE、近々カタログ落ち。あらー・・・2017年の登場でしたがマイナーチェンジのみの8年間。確かにこのモデルってフルチェンジには冒険を伴いますね。中身は確実に性能向上するだろうけれど、カタチが・・・ハスラー以上にキープコンセプトが難しい。だからと言ってがらりと変えてしまって売れなかったら一大事。

小型車として考えるとBEV化の芽があってもいいように思えますが、ハイブリッドのこれが無くなり、そっちへ移行するということなのか? 一方で10月マイナーチェンジというニュースもあるんだよねえ。

よくよく聞いてみたら、現行の1000ccが廃版となり、1200ccへのエンジン換装やミッションの変更などで、カタチは大幅には変わらないようです。

10月と言えば、茨城県においては9日から、各地の店舗などでeビターラの展示会が始まるようです。関東において最も早いのは今月18日の自販千葉松戸アリーナです。こっちは信憑性など関係なく、ジムニーノマドのときのようなことにならなければ予定通りでしょう。

猛暑の労働。

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パンツまでびっちょり

日曜日にあおちゃんとさくちゃんを
久しぶりに洗車しました。
たまにパラついた雨のせいで
カビ生えたみたいに汚い事汚い事。
コーティング剤までかけたのは
ゴールデンウイークぶり?
井戸水が冷たくて気持ちよかったわ。

 

巡り合わせの赤倉

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絵心も文才もないので、僕は岡倉天心だとか横山大観などにはさほどの執着もありませんでしたが、天心終焉の地が妙高の赤倉温泉だったという史実を知るに至って、妙高という土地には意外なめぐりあわせがあるものだと膝を打ったことがあります。高田藩が地元の請願に許しを出したのが、210年前の1815年。その翌年、一本木新田という場所に引湯が果たされました。運営は高田藩によるもので、赤倉温泉は当時日本唯一の藩営温泉だったそうです。

ここに天心が山荘を構えるより10年早い1898年、天心が開講していた日本美術院の絵画部が東京の谷中から茨城県の五浦に移転しています。これは天心による美術院そのものの移転構想におけるテストケースで、実際にその最終候補として選ばれたのが赤倉の地。「世界一の景勝地」と惚れ込んだ天心は、赤倉温泉をパリ郊外で世界的画家が住み、多くの作家を輩出した「バルビゾン」に見立て、衰退しつつあった日本美術院を移転させ芸術文化の里にしようと考えたのです。

しかし当時の交通の便の悪さから構想は実現しませんでした。天心は赤倉の山荘で1913年9月2日に病の末永眠しました。今や鉄道も高速道路も充実し、東京から行き来しやすいと外資系リゾート開発が乗り出す時代。してやったりと、天心はあの世でほくそえんでいるのか苦笑いしているのか想像の域を出ません。「海の五浦、山の赤倉」、五浦が実験実践できながら本院移転に至らなかったのは残念ですが、天心の遺骨は赤倉にはなく、東京の染井墓地と五浦旧居の一角に分骨埋葬されています。

ロボットはロボットでも・・・

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ツアーに組み込まれてたので見ました。

5月の万博行きで見学したパビリオン。
どこがどうなって鉄腕アトムが絡んだのか知りませんが
ブラックジャックも出てきましたヨ・・・

ガンダムは外身だけ(パビリオンはスルー)