O山さんが「久しぶりに集まりたいよぉ」と言うので はるちゃんち集合。 去年の夏に転んで膝の皿をクラッシュさせたとか (O山さんが)言ってたので、その後どうなったのか 心配してたら意外と元気だった(笑) まだ完全にくっついていないので、色々不自由みたい。 まあ・・・自重に皿が負けたワケだからねぇ・・・ 少しはダイエットでもなさった方が・・・ (他人の事言えるのかアタシ・・・)
「東風解凍」、はるかぜこおりをとく七十二候7番目の季節が昨日から始まり、7日あたりまでに春めいた陽気の兆しがもたらされる頃となっています。我々はたいていの場合「四季」のうつろいは感じるものの、それを細分化して二十四節気、さらに3つに分けるのが七十二候と、古代中国の人々には我々以上に優れた体感センサーと風物を見極める目があったようです。春風が吹いて、水面を覆っていた厚い氷を解かし出す、わずか五日間の季節の感じ方です。
春風は「東風」のことで、「はるかぜ」とも「こち」とも呼ばせますが、我々の暮らす地理感覚だと暖かめの大気が風になって届くのは「南」からのような気がします。しかもまだ南岸低気圧が渡って来そうな天気図と馬鹿みたいな寒さも続いているしで、95万キロに達したたクルマの暖気はトルクコンバータ内の固着を解くために長めにしなくてはなりません。
昨日の話だけで閉じるわけにもいきませんから、やっぱり古代中国の天文側の暦のことで、2月4日を紐解きます。これは北斗七星の運行をもとにした「十二直」(じゅうにちょく)というもので、北斗七星が北極星に対してどの位置にあるかを12等分して時間や日・季節を表すために作られました。
この12の意味には建(たつ)、除(のぞく)、満(みつ)、平(たいら)、定(さだん)、執(とる)、破(やぶる)、危(あやぶ)、成(なる)、納(おさん)、開(ひらく)、閉(とづ)が与えられており、星の位置関係で巡っていきます。今日、2月4日はこのなかの「満」にあたり、物事が満ちあふれ、婚礼・旅行・引っ越しなどほぼ何をやっても吉といわれています。ただし同じ古代中国の「二十八宿」(にじゅうはっしゅく)という天文学の示すところによると、今日は「翼宿」(よくしゅく)と言い、種まきや旅行は吉ですが、婚礼については真逆の凶を説いています。
とりあえず旅行は吉らしいので、どこか知らない街へ立ち寄ってみます。旅行じゃなくて仕事だけどね。
暦の上で季節を四等分する夏至、冬至、春分、秋分を「四至(しし)」と呼び、それらの中間点が「四立(しりゅう)」とされています。冬至と春分の間に来るのが立春。古来ここから一年が始まるとされていて、一年の運気を方向づける重要な日だとも云われているのですが、案外、前日の「節分」にたいていの風物を持って行かれて知らないことが多いような気がします。元日もそうなんですけど、運を流さないよう風呂入っちゃいけないとか。
縁起物の食材もあるようで、豆腐を食うなら醤油などかけずに白いまま塩をかける。邪気を払うならその力を持つ小豆を使った大福。立春の朝に作られた生菓子と、正月7日目の七草粥や節分の福豆に連なって「長寿と繁栄を」(そりゃバルカン人の言葉だ)祈念する風習があるようです。
てことは、春めいた旬の食材ならそれもいいじゃん。と、寒ブリを食いたくなるこのアバウトな考え。寒ブリ漁のピークは立春の頃まででちょうど旬ですもん。煮魚は好まないので刺身か塩焼きが僕の好物です。ただ、漢字で記す鰤というのは師走によく獲れるので魚に師なんだそうです。暮れのうちに食っていてもよかったのかー。
しかし呑気なことも言っていられなくて、ブリに関して漁獲量の枠が定められ4月から実施されることで、獲りすぎが戒められると。海洋環境が変化しているってことなんでしょう。クロマグロもそうやって水産資源として管理されてきたから、当面は影響軽微なブリも長期的には漁獲高の維持が課題になるのは避けられないようです。水産庁によると今後は鰆も検討対象になるとか。
「なんでそんな日に新年会なんか設営するのっ」雫さんがお怒りなのは、この日の節分行事で裏山山頂の神社に朝から手伝いに出なくてはならないからです。その山頂を眺められるごく近くでつくばーど®in天狗の森04が開かれるわけです。いやその、ことしの節分が2月2日だってことをうっかり忘れてましたよ。
こっちも大損失で、娘らもいないからうちのエスクードを2台(幌車は霙ごといない)持って行って頭数にしようという目論見が水の泡です。そのうえ「豚汁と塩むすび食べたい!」という雫さんの要請も出る始末で、プレイベントのように昨日、一足先に食ってきましたよ。週末限定チーズケーキは現在、紅はるかを使ったスイートポテト風味だそうです。残念ながら厨房が小さいので、きんぴらキーマカレーはメニューから消えました。
転んでもただでは起きない夫婦なもんで、水泡に帰した我が家のエスクード2台体制もやってしまえと、これ見よがしな場所に並べてお店に行っていたのですが、色と言いマーキングと言い傍から見たらどこかの営業車にしかとらえられないんじゃないかの風景。それでも同じクルマが2台あるという異質な眺めに、遠巻きに見ていると覗き込んでいく人もけっこういました。というわけで、月遅れ新年会の本戦は本日10時からです。参加者少ないのよ遊びに来てよー。
さて先ほどお開きとなりまして基地に戻ってきましたが、雪になるとの天気予報に期待していたのに霙までで積もることなく、しかしさすがにFORESTHOUSEも常連が少し来ていただけで来客数はほとんど伸びず。20人前とっといてと頼んだ手前、豚汁の売れ行きに影響を出してしまいました(焦)
当日の様子はこちら。
二次塗装の乾燥をやっている間に、いろいろ失敗の記録をあげてみます。まず実際のクルマ用のマスキングテープが失敗。粘着力が強すぎて剥がれません(どうすんだよこれ)。ひょっとするとこのテープの糊に悪さをされてツートンカラーの金の部分、ミニカー塗装のままの方が剥離してしまう懸念が出ました。次にタイヤとホイールを某トヨタの四駆から剥ぎ取ろうとしたのですが、サイズが大きく「これはいいぞ」と思ったのにエスクードのホイールハウスにおさまらない。
ホイールのスポーク形状を変えようと製品のスリットにパテ埋めを始めていましたが断念。この作業でエスクードも車体をバラしましたがなんと、ガソリンタンクが成型されていない! てことで作ろうと考えていたタンクガードもやる気が失せております。ハイストーリーのミニカーは決して台座から外して下部を見てはなりません。ついでに言うと前後のサスペンションも作られていません。隙間が無くて新造も困難です。前回、塗装のクオリティを褒めたのに―。
某トヨタ車から剥ぎ取れ流用可能なのはルーフレールのみ。この二本でパーツ代換算8900円という贅沢品です。が、この細さ。上に載せる予定だったルーフラックもレールの強度を考えたらまず無理。これで某タミヤの1/35ミリタリー車はほぼ使い道が無くなりました。まあいいや、適度な大きさの「剣先スコップ」がパーツとして取り出せるから。
というわけで「ほぼ」週刊なので今回は1日前倒しました。明日は節分です。ことしは節分も前倒しな暦なのです。暦の運行も案外「ほぼ」なんですよ。あっ、今回と次回は、ほぼ中身のない記事が続きます。いーんです、購読料は発生しないんですから(なんかあの手の商品に喧嘩売っているなあ)
年越し蕎麦のことではないのです。勉強してみたら江戸時代に始まった風習で、「月の終わりに縁起担ぎで食う蕎麦のことを晦日蕎麦」と呼ぶそうで、1月31日なんて月間そのものが「晦日正月」とも云われているとか。文明開化のあおりなのか年がら年中食ってるじゃないかなのか、明治になって廃れたらしいですが、蕎麦のごとく細くても長く続く一生を祈願するとか、蕎麦の歯切れ良さにあやかって悪縁を断ち切るという趣向は12月31日の年越し蕎麦と変わりません。
蕎麦というと、江戸時代ではポピュラーな食い物だと思えるし、そこにわざわざ「月末の区切り」という粋なゲン担ぎを練り込みちょっと特別な愉しみを味わっていた昔の人はなかなかの文化人だと感じます。年越し入院で大晦日は病院食でもかけそば(蕎麦とつゆを別々に配膳する配慮が良かったですよ)は食えましたが、年が明けてからまだ行きつけの蕎麦屋に出かけていないので、本日の夕飯は天ざるにします。
晦日正月には、松の内に立ち寄れなかった年始相手を訪ねるという地方もあるそうで、ちょうどいいのです。はい? ジムニーのロング発表された? そんなの後回しですよ。
「出すぎた杭は打たれない」と言ったのは松下幸之助さんでした。中途半端で批判を恐れていては良い結果は得られない、信念をもって事に当たれという教えだったのですが、世の中そんなに甘くない。それをやり過ぎと解釈され邪魔だと疎まれれば、場の空気やらコスト論やらで潰されてしまうのが社会の構造になってしまいました。「仮面ライダークウガ」と「仮面ライダー響鬼」は、どちらも批判が無かったわけではありませんが2000年以降の仮面ライダーとして秀作でした。
しかしどちらも上記のような楽屋裏の騒動の末に、前者では警戒視線が生まれ、後者で遂に路線変更とプロデューサー更迭の顛末となりました。25年前のクウガは「仮面ライダーでなくてはならなかった」、20年前の響鬼は「仮面ライダーから脱したかった」という宿縁を背負い、それぞれが平成時代の新機軸を産み落としたけれど、内情として伝わるものには後味の悪さが残ります。そしてこの二作のようなライダーを超えてくるものもない。本日は両者の第一話の日です。