庭の畑をかき回してた新月サンが
「何かいるっ!」と言うので
カメラ持って外に回ったら、こやつがフェンスに
しがみついていました。
イネ科の草の繁みにいるそうですが〝クビキリギス〟
我が家の庭にイネ科の植物は無いんだけどねぇ。
物語の始まりは最初のヒロインが生まれた1925年。その娘、孫へと時代が移り変わって、2025年、物語が大団円を迎えます。その「カムカムエブリバディ」が昨年秋から昼の再放送で流れていて、ついに最終回。(季節には「ずれ」があると思うけれど)この最終回が2025年の今、観られるという粋な演出について、たぶん沢山のファンが同じことをつぶやいたり書いたりしているんじゃないでしょうか。そのために初代のヒロインは100歳の誕生日を迎えるまでになっちゃう長寿扱いです。
乳児、子役を経て本来のヒロインへ橋渡しされることは朝ドラの一つの手法ですが、この番組では、他の登場人物の一部が代替わりしても同じ役者が演じたのに、最初のヒロインは年老いた世代として交代もやっていて(特に初めての試みではありません。役者交代は彼女だけじゃなかったし)、それ自体がドラマの伏線回収時に視聴者をかく乱するいたずらにもなっています。そういったキャスティングも面白かったけれど、やっぱりドラマは脚本なんだなあと、再放送の録画をセットするのです。
「機動戦士Gundam GQuuuuuuX 」が見慣れてきました。こんなことを言うと炎上しかねませんが結局僕らの世代は、ウルトラもライダーも戦隊も、ほぼあらゆるヒーローやらSFやらの時間軸に沿って、1960年代からずーっと浸かっているのだから、つい「なんでこれをガンダムでやらなくちゃいけないの?」とぼやいてしまうのです。でも今、この時間軸に浸かり始めた世代にだって、「彼らのためのファースト」が求められるのだろうと。
「オマージュと言えばそれっぽいけどもったいないよなあ」と思ってしまうことこそ、老害の悪いところかもしれない。DX合体セット(のガンダム)が7980円で高価だったはずが、今の若い人向けに出てくる超合金物は下手をするとそれに0が一個増えている。そんなんで良ければ、というのもなんですが、オールドタイプになってしまったニュータイプ世代としては、ネクスト・ニュータイプに世界を引き渡さなくちゃいけないと、よくわかんないけどなんかわかった気がします。
まったくひどい時代になってしまったものです。それでも「 GQuuuuuuX」をジェネシスと期待する世代はいる。素直に認めるべきお話です。だからこそ「面白いの作れなかったら罪は重いぞサンライズとカラーっ」というぼやきともう一つ、
「腹巻まいてるようにしか見えない強襲揚陸艦は勘弁ならねーっ」
以上です。
ひたち海浜公園はこの時期、6時半には駐車場が開くほどの行楽人気。みはらしの丘を埋め尽くすネモフィラの満開にあたるからで、いわゆるインスタ映えスポットとして定着してしまいました。丘のふもとからは空に続くインシグニスブルー、丘に上がればその先に海も臨める絶妙のロケーションです。戦前戦時中は旧日本軍の飛行場、戦後はアメリカに接収され対地射爆場として扱われていたことは歴史の彼方の話になりました。
ただ、彼方に追いやってはならないのは、この射爆演習で1950年代にはけっこう沢山の地元住民が流弾の犠牲になったり低空飛行のプロペラに巻き込まれたりという事故が多発し、日米地位協定に阻まれ泣き寝入りを余儀なくされたことと、これをきっかけに当地の米軍基地が沖縄県に移転する結末になった歴史です。茨城県民は迂闊に戦後を忘れてはいけないなあと思わされますが、70年代の返還の頃、大人はそれを教えてくれませんでした。
公園のネモフィラは自生ものではありません。毎年ピークが過ぎれば撤去され、秋のコキアに備えて丘の手入れが行われ、コキアが見ごろを閉じたら翌年用の植栽が行われます。国土交通省が珍しく国民に支持される風景を生み出しているのです。慕われすぎの人出で連休や週末なんぞに軽く見物にも行けなくなりました。だから実は、ここで挿絵にしているのはひたち海浜公園ではなかったりします。ずるしているかどうかはともかく、同じ瑠璃唐草ではあります。
サンライズとカラーの「ガンダム」にちりばめられた「Ω」を独断と偏見で眺めている僕ですが、そんな折も折、円谷プロダクションも7月から始める新しいウルトラマンのPRを始めました。赤いマスクとその延長となる赤い身体は、「ウルトラマンゼアス」以来の意匠ですがそのうちパワーアップして色味は変わっていくような気がします。お馴染みの腕クロス必殺光線のほか、飛び道具となるらしい頭部のとさかも特徴のようです。
なんだか悪夢を見せられているようです。仮面ライダーにも「オーガ」とか「アマゾンΩ」てのがいたから、グランドスラムですわ。あっ、これが昨日の「1000スター当たりました」の祟りか?
オメガ、という名前を知ったのは子供の頃の原体験です。親父が腕時計のシーマスターを愛用していて、馬蹄形にも見えるΩの図形にヒントを得て我が家専用エンブレムを作ったことがありました。そのうちこのエンブレムについても書きますが、うちのBLUEらすかるΩにはまだそれが付けられていません。現存するものが2個しかなく複製も不可能なので、BLUEらすかるとぷらすBLUEに使っているうちは「待ち」にせざるを得ないのです。