霜に当たって木がヘロヘロになっちゃったので 収穫した〝夏〟野菜たち。 青いままのプチトマトが30個くらいと 米ナス3個・千両ナス3個・ピーマン3個 『大豊作だった』と言っていいと思うわ 今年の収穫量。
遠つ御祖の産土よ
「すずめの戸締り」を観てきた霰が配信ものの「天気の子」を茶の間で流しながら
「うーん、そうか。前作のグレーゾーンぎりぎりにはみ出たところを『すずめ~』は上手に回避しているなあ」
とか言うわけです。世界観は好みながら、ある一つの設定が僕は嫌いで、「天気の子」は低評価なのです。
そんな話をしたことがあったからの感想なのだろうと思い、どんなんだか知らないわけにもいかぬと、いわゆる新海誠作品を初めてスクリーンで観てしまいましたよ。意外ととられましょうが僕は「君の名は。」すら劇場では観ていないのです。
エンターテインメント性を高めてからの3作目として見ると、数を重ねるごとに物語がわかりやすくなっていると感じましたが、それ以前の5作と「君の名は。」が比較されたときのように、マニアックな部分が薄れているのも仕方がないかと思い、それとは引き換えに毎回扱われるカタストロフなところはずっと現実に寄せてきた。
内容として触れないことが観ていない人へのルールなのですが、僕は東北の8年間で、幼少期のヒロインのような小さな子たちを何人も見てきたので、「心が欠けていても生きていくことはできる」という新海監督のメッセージは功罪両方に突き刺さります。物語の細かいところを突っ込んでも無粋なだけなので、「そんな境遇でも生きていかなくてはならない。のではないの?」とだけ言いたいけれど、前作における主人公の扱いよりはずっと良かった。
夜更けに霰の部屋からドアをどんどんと叩く音で目が覚め、何事ぞと部屋の前に行ったら
「ノブが壊れてドアが開けられない―っ」
点検すると繋がっているはずのラッチボトルの何処かが折れて、ラッチボルトがストライク側に引っかかったままドアの開閉ができなくなっているらしい。
時刻が時刻なのでドアの方は如何ともしがたく、霰を窓から脱出させて茶の間で夜明かしののち出勤してもらい、それにしたってこんな早朝では某商会に助けも求められんと僕も出勤。早めの帰宅にしてカナのこのピラニアⅡを購入です。
帰宅したらあわや、「ブリッジを壊していい!」(哀 戦士編)もしくは「ホワイトベースを壊してもだ!」(TV版)状態でドアをけ破ろうとしている家内(恐るべし辰年のB型)を押しとどめ、頭に来ているならこれを使えとピラニアⅡを手渡して20分。ラッチボルトの切断に成功しました。
やれやれ、破損状態を最小限で切り抜けましたが、なにしろもうすぐ築50年だからなあ。むしろその築年数を遡った建築技術の稚拙さに救われたかもしれません。今どきのドアだったら(こんな壊れ方しないだろうけどさ)カナのこすら挿し込めなかったかもしれない。
12月の雨
荒井さんでも松任谷さんでもどっちでもいいんですけど、ユーミンが歌業半世紀だとかで、もうほとんど毎日移動中のFM放送から彼女の楽曲が流れない日が無い。
といって50周年アルバムを買うほどかと言えば興味は薄いなあと、流行に乗り遅れてます。しかも引き合いに出しているのはセカンドアルバムだし(12月の雨が収録されているからです)
それでもすごいなあと感じるのは、家族の誰かの車に乗せてもらって、配信だったりCDだったり様々な楽曲を聴いているなかで、かのラジオ放送企画とは関係なく、なにかしらユーミンが入ってくるという事実。だって彼女がデビューした頃、僕は小学生ですよ。
ところが最近、彼女の実年齢をあらためて計算して愕然(失礼なやろーだなあ)。この歳になってみると、大した年齢差ではなかったという現実。僕と風花さんくらいしか離れていねーんだこれが。
視界10mあるかないか
猫は飼わねど高楊枝
何が高楊枝なんだかさっぱりわかってませんけど、環境上我が家では犬も猫も養えないので、時折家族の誰かが「猫かわいいよねー」と言い出しても却下となります。
だから猫題材の漫画を探してきては留飲を下げさせるのですが、うちの家族はますむらひろしさんのようなキャラが嫌いだと我儘を言いやがります。
数年前には琥狗 ハヤテさんの「ねこまた」が家庭内ブレイクしまして、要するに猫のキャラがかわいいかどうかが肝だと。そんな要望を受けてヒットしたのが清水めりいさんの「猫塗り屋」。一冊完結(今のところ)の短い物語ですが、これは面白かった。アニメ化してもらいたいねえとも家族は言うので誰が手掛ければいいんだ?と尋ねると、「これに限ってはジブリじゃダメ」だそうです。
うんうん、わからんでもない。





