BLUEらすかるのフロントスタビライザーが、リンク破損により左に舵を切るとバキバキと音を立てるので入庫。部品はとれるというので左右とも交換するため、しばしBLUEらすかるΩが代走に入ります。
まいったね。僕の入院に続いてこいつまで。あと33000キロの年内走行達成計画にさらなる遅延が降りかかってきましたよ。
などとコックさんの歌なんか日ごろはいちいち歌ったりしませんが、これであの絵が今描けるかと思ったら歌詞を忘れていて描けませんでした。なさけねー、健忘症が出てきちゃってますよ。
それはいかんということで足し算とか引き算とかやってアタマに刺激を与えようとしたらば、「6+6=12で、とうふと読み・・・」と、丸美屋食品工業が提唱しているのだそうです。
なんでー?と思えば、丸美屋の「麻婆豆腐の素」が1971年の6月6日に発売されたことに因んでの同社提唱記念日でした。はいはい、我が家でもずっとこれを使って麻婆豆腐だったり茄子だったりを作っております(他社のものを使っているケースも・・・たぶんある)。
それ(発売)以前の時代は、お袋はひき肉に辛味の味付けしたり片栗粉を水で溶いて調理していたと記憶していますが、僕自身は「素」で作る方法を身に着けてしまいました。話を脱線させると当時、豆腐に関しては町の豆腐屋まで自転車で買い出しに出ていたのですが、道が悪くて蓋つきのプラ容器で運んでも絹ごし豆腐は破損してしまい「運転へたくそ」とののしられたものです。後で知ることとなりますがこれをお袋が買い出すときは、帰路は自転車を押して徒歩で戻っていたらしい。
さらにコースアウトさせるとこの豆腐屋の主人、80年代末にパンダカラーのトレノを所有していました。僕がヘリーハンセンリミテッドのエスクードに乗っていた頃ですから、群馬のあのとうふ屋出現よりも早かったし、あの漫画を読むまでことさら関心も及ばなかったのですが、現在は廃業してトレノもありません。
話を戻して麻婆豆腐。単身赴任時代にはたまに作りました。鍋とフライパンは持っていたのに「後で買えばいいや」とめんどくさがって転居したときには炊飯器を用意しておらず、そのあと震災で大混乱して米を炊くという手立てをいつの間にやら放棄していたのです。それでも麻婆豆腐はそれだけで食えたし、中華麺を茹でて食うとなかなかいけましたので。
二十四節気の芒種、米や麦など穂の出る穀物の種を蒔く時期。その初侯を「蟷螂生」と呼びますが、苗代で苗づくりしてから田植えに至る日本の稲作だと、稲の種を蒔く様子はあまり見たことがありません。実際に苗代の時期もずっと早まっているはずです。カマキリが暦の上で結びついてくるのも芒種という言葉とは別のアプローチのような気がします。ただ、カマキリの多産すぎな孵化は出産に関する吉。両腕(前脚か?)の鎌は豊作に通ずる吉と云われているそうです。
子供のころ、木の枝ごとカマキリの卵鞘をとってきて孵化の様子を観察したことがありましたが、わらわらと生まれてくる幼体の数えようのない有様に子供の僕は面白がり、大人は困惑した顔だったことを覚えています。今思えば、あの生命活力は確かにすごい。
大半の幼体が別の生き物に捕食されてしまうため、数で対抗するという遺伝子の神様もよく考えたものだと。しかも成虫になったら捕食の立場も入れ替わるんだから、あれが人間大でなくてほんとに幸いしています。
今年の芒種の時期は21日くらいまで。そこから先には夏が待ち構えています。
先日(入院前)、都内の交差点で信号待ちをしていた時のことです。徒歩移動中、目の前の歩行者信号に止められぼーっとしていたところへ、不意に声を掛けられまして・・・
ななな、なに? なんだって?
あー・・・俺のトートバッグを見てのことか
はてさてこれで意思疎通できたのか? 試しに聞いてみますと・・・
なんかとりあえず国際交流になってましたよ。