寝ていたかと思えば追いかけたり追いかけられたり。 一方的にゆきがちょっかいかけてるのかと思うと そういうワケでもなさそうだし・・・ シャーシャー言いながら猫パンチの応酬があったかと 思えば、その後はくっついて寛いでみたり。 ま、同居ねことして各々認識はしてるんだろうなー。
仲良しなのかねぇ・・・?
そんな原稿は書きませんから
先だって、二階堂裕さんと雑談していた折、クラウドファンディングでジムニーが出てくるマンガ出版の企画を聞かされ、「ジムニーが出てくる映像は意外に多いよね」という展開から、そんな原稿はどうかと問われてきっぱりと
「書きません」
いやそれは僕の立場として禁じ手なんですから、しょーがないのですと言い訳し、結局は「エスクードが出てくる映画やアニメを書きなさいよ」という決まり手を食らうわけです。このブログを通してだと今更感ありありなお題ですが9月に出る雑誌にはそれが載るでしょう。
それで、スーパースージーには「書きません」と突き放しましたがジムニー動画。おおかみこどものなんとかやら空の青さをどうとかだのシン・エヴァンこうたら等々あーもう勘弁してくださいな本数で、最近だと「映画 ゆるキャン△」です。
いずれのアニメ作品とも過度の使い方をしていなくとも、ほぼ誰でもジムニーだとわかってもらえるところがすごいのですが、「ゆるキャン△」あたりだと、ゆるキャン△ゆえにクロカンのようなことはしませんが、絵になりすぎなうえに逆に没意外性な出てきて当たり前車種に思えてしまいました(映画の内容とは関係ないです。内容の方はあれでいいんじゃない?)。でもあそこでパジェロミニの中古車なんて扱っていたら、似合わないとか違和感とか言われるのでしょう。
「映画 ゆるキャン△」では主要登場人物が皆それぞれ就職して地元にいたり他所に引っ越していたりの日常ですが、所得と実生活を考えると軽自動車でも維持するのは大変かなあと余計なことを考えて観る映画じゃありません。それでも維持費のことや知名度を総評して、中古のエスクードが選ばれる余地は無いようです。せめてねー、トライアンフを孫に譲ったおじいちゃん、コンバーチブルにでも乗って現れてくれたらなあと、まあ地団駄踏んでます。
元オーナーには悪いけど暴露するぜ
これだけ歳月を経ると・・・というよりこれだけコーディネートしてあると、今の人には型式の区別はできないんでしょうね。それは無理もないことです。これはノマドでもディーゼルエンジンでもなく、エンジンフード上にバルジを追加架装した「TJ51W、プロシードレバンテで直4の2000」。エスクードで言えばTD51Wに相当するのでノマドのサブネームは廃止されたモデルの、マツダへのОEМ版をきりっといじった友人のものでした。そのセンスは抜群でしたよ。
彼は風景でも人物でもクルマでも鉄道でも、寄っても引いてもきれいな写真を撮る友人の一人で、その彼が走らせるこれを撮らせてもらうのは恐ろしくプレッシャーのかかる作業でした。
あっ、過去形で書いていますがクルマがすでに退役しているということで、彼自身はすこぶる元気にしていらっしゃいます。
野生の血が騒ぐのか・・・
行く先はどれくらい遠いの
1977年9月5日に打ち上げられたボイジャー1号は、45年の歳月をかけて太陽から約233億キロ離れた宇宙を飛行中です。ボイジャーと地球とでは、光の速度でも20時間30分以上のタイムラグを乗り越えなくてはなりません。これほどの長期間運用が可能であることを、当時の技術者は半信半疑以下の確率でしか認識していなかったそうですが、太陽系外探査ミッションはまだしばらくの期間続行されるのだとか。4万年もすると、きりん座の方角にある赤色矮星付近へ到達するはずです。
1996年式のうちのエスクードが26年で85万キロ走っている距離を直接比べることは愚かなんですけど、国家規模のミッションであろうとも、これに向き合う一個人の道楽って、根っこは同じような気がします。逆立ちしてもエスクード1台では火星にさえたどり着けませんが。
先日のしろくまさんとのコーヒーブレイクの後、夫婦で学園都市から帰宅する際、土浦北インター手前でぷらすBLUEを前に出して高速はとことことあとをついて行こうとしたわけですよ。
なんか異様に速いんですよ
小美玉スマートインターで高速を降りて、ゲート一時停止のあと国道との交差点が良い具合に青信号で、ぷらすBLUEに続いて国道へ左折で出たらば
ちょっとそれ加速しすぎじゃねーか?
それぞれ速度違反域ではないんですが、追いつけない・・・
何が相変わらずだったかって、昔そんなことがありましたから。
遅まきながらお祝い申し上げます
風の便りで、上越のふっじいさんのところに3人目のお子さんが誕生されたとか。これはおめでたい。出遅れまくっていますがお祝い申し上げます。
彼と奥さんに最初のお誕生があったのが、東日本大震災の年でした。彼んちの家系は多産だそうで、その2年前の9月にお招きいただいた結婚式で、やたらと双子の親戚が見受けられたように、彼んちの最初の誕生も双子ちゃんでした。
3人目、ということだから前回よりは楽だったのかと余計なことを考えながらも、出産は亭主なんか役にも立たない大仕事だよねえと思います。
2009年の小雨の日、そこまで想像することもなく仲間たちと新郎新婦のランドクルーザーにいたずらしようとデコレーションしたのですが、問題はこのペール缶。まさかこれをリアバンパーにロープでつないでってそこまでやるのか?
しかもですよ、このように写真を遡ると、式場に到着した時点で既にペール缶は積み込まれていたのです。
「新郎がやりたがってるならやっちゃう?」という対話があったものの、さすがに一族のひんしゅくを買いそうなので不発でした。こんな風に朗らかな新郎新婦も立派な父母に成長しての、3人目。僕なんかよりずっと大人になられました。
Tシャツの完成に伴い、発送希望の人々に向けてまず、宅配に載せる作業を進めています。山形在住のしろくまさんもその一人で、住所確認のメールを出したのが8月30日の夜。すると31日になって
「しろくま@つくばです。明日朝~昼に急いで筑波大の図書館で論文のコピーをやるので」
おいおいおいおいっ
僕も仕事に出て東京だったのですが、こんなチャンスをみすみす見逃すなんてできないぞと、家内に電話して学園都市までオーダーされているTシャツを持ってきてもらう算段を取りつけ、大学近所の喫茶店で待ち合わせることにしました。え? 仕事? なに言ってんですかこんなときに(大馬鹿者の逃げ口上)
8月最後の昼時は夏らしい陽気。しろくまさんは作業の途中で中座して待ち合わせの店に来てくれまして、無事に品物を引き渡しできました。コーヒーブレイク程度のわずかな時間でしたが、こういう出来事が何しろ楽しい。
彼のエスクードはこのあと帰宅の途上で585000キロに達したそうです。



