新月サンに呼ばれて寝室に行ったら、いちが ちまっと布団の中(?)に・・・ 急に寒くなったからね。 とは言えあまり布団には潜り込まない現ねこず。 (ふぅとちぃは、よーく潜って寝てたけど) 気まぐれか???
エスクードの話題ではなくSJ30の記事なんですが、しかも「あの」ジム太の絵本の記事なんですが、それを書くにあたってESCLEVのサイトやこのブログを参考にしてくださった人のページを発見しました。随分たくさんのリンクを張っていらっしゃる中で、僕のところから4本引用されています。コメント欄で挨拶くらいしておいた方がいいのかなあと思いながら、だいぶ前の記事だしなあと躊躇してしまい、まだ入れておりません(入れればいいじゃん)
少し引用の解説をすると、絵本ができたよの記事から作者の紹介、SJ30を通して出てくるレンジローバーという言葉、八戸市民病院のドクターカー・エスクードなどの部分は、うちのリンクから出た情報と思われます。いくらかは役に立ったようちのウェブとブログ。それにしても絵本作者本人のブログよりも上というか、真っ先にうちをリンクしているところにびっくりです。
フィガロ修理の代打で霙がぷらすBLUEを使っていた数日の間に、それは起きていたらしいです。
「ばんっっっていう凄い音と同時にステアリングが切れなくなって」
これが基地の敷地内だったからまだ良かったんです。赴任地にてそうなっていたらどうにもできない。
この故障は、タイミングチェーンがすっぽ抜けしてカバーを吹き飛ばしたものでした。主治医によると
「チェーン自体は断裂もしていなくて、なんともきれいに外れてました」
そんなこともあるんだなあと思ったけれどその程度では済まない状況。そもそもなぜタイミングチェーンがはじけ飛んだかといえば、経年劣化でエンジンマウントがつぶれてエンジンが定位置から手前にずれてしまい、傾斜も付いていたと。そりゃあチェーンのかかり具合にも悪さするよねえ。
「というわけで、歪んだクランクプーリーも交換です。カバー側も穴が開いちゃってますから交換しないと水でも侵入したらおしまいだし」
まさか・・・またぞろ部品が出ないとか・・・
あーもう心臓に悪いぜ。
7年前に蒔いて発芽しちゃった枇杷(あぎゃっ!) 気付いたら蕾が・・・ 咲く?咲いちゃう?? 新月サンに教えたら絶句されました。
修理の終わったフィガロを車庫保管ていたにもかかわらず、ヒヨドリの襲撃を受けドアまわりやサイドミラーに爆弾を落とされていました。フィガロはミラーの形状から洗車機に入れられないので、霙はホームセンターから新しいホースリールと多機能シャワーヘッドと、交換できる洗剤噴射用ボトルヘッドを買ってきて手洗い洗車です。その機能が面白かったらしく、家内までが珍しく自ら洗車なんかしやがるから、土曜日以降の天気が崩れたんですよ。
霙のてるてる結界によって天候不順は回避できたのですが、フィガロの修理完了と入れ替わって「車庫から出そうとしたぷらすBLUEが、異音と共にステアリングが切れなくなるほど重くなった」。という連絡で、先日のつくばーど会場にはヤマタノオジロで調理ものを搬入させる事態となっていました。
偶然見つけてしまいました。これはインドネシアのユーザーさんのことを紹介したリポートでしょうか? グランドエスクード/XL‐7をとことん改良してオフロード走行性能を高めた事例なのですが、なぜかというと確か、かの国に出荷されていたモデルはバックヤードでいじらないと四輪駆動車化できなかったと聞いたことがあるので、例えば日本から直接個体を輸入しなければ、部品調達レベルで相当な労力を要するのです。
それはそれとして、このステッカー。
嬉しいというかこっ恥ずかしいというか。インドネシアのスズキのクラブとはしばし交流がありましたが、三代目の登場以降ミニバン傾向に流行が移って、クロカン四駆のユーザーは減っていったとも伺っていただけに(現に今はコンタクト無いし)、こんな形でこれを眺めることになろうとは。
こちらは日付が古いので現在の様子は不明ですが、とあるバックヤードビルダーのFacebookで見かけたもの。このTD01Wは現地から送られてきた写真で見覚えのある個体です。インドネシアのクラブには初期ロットのステッカーを20枚くらい送ったことがあります。が、使われているかどうかは確かめられなかったので、偶然の巡り合わせに「あらまぁ・・・」とにやにやせずにはいられなくなるのでした。
大袈裟な書き方をすると、まだ®も付いていないつくばーどを初めて開催したのが1999年の夏のこと。岩間の冠を付けた地元でのスタートはその翌年、二十世紀最後の春でした。岩間では新年会だったり忘年会だったり花見や暑気払いといろいろやってきましたが、各地で開いてきたすべてのつくばーど®行事の245回目が本日の岩間33となります。長いことコロナ禍環境で控えざるを得なかっただけに、なんとか開催にこぎつけられ嬉しいことこの上ありません。
「春先に32でたくさん集まってもらったじゃない」
そそそ、それを言うなーっ
ということで、あとはリポートをどうぞ。