Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

阿羅野の一句

阿羅野の一句 はコメントを受け付けていません

元禄7年10月12日は現在の暦で言うなら1694年11月28日なのですが、この日亡くなった松尾芭蕉を弔う芭蕉忌、あるいは時雨忌、もしくは桃青忌、はたまた翁忌は、めんどくさいというわけではないはずですがそのまま10月12日に営まれています。そんな日なので裏山を仰ぐと、山頂にある神社の境内に「夏来ても只一つ葉のひとつかな」という芭蕉の句碑が存在することのお話。「それ『写し』でしょ」と思われた方はさすがです。

この句は、芭蕉が『笈の小文』の旅から帰る途上、岐阜の山中で詠んだものです。句自体は『阿羅野』の曠野集・巻之三の初夏の項に載っています。『阿羅野』は、『奥のほそみち』の二つ前に編纂されたものですが、芭蕉自身は鹿島神宮詣ではしているものの、笠間の神社に立ち寄った歴史はありません。

句碑建立の由来には「一つ葉」という文言が関わっていて、つくばーど基地周辺の山々には、昭和初期まで一ッ葉の木が群生していたことに行きつくのです。約230年前、双方の「一つ葉」に着目した地元・・・正確には現在の茨城町に所在していた名主にして俳人であった佐久間青郊さんが、芭蕉の百回忌を機に建立を計画立案して、2年遅れで実現したという逸話があります。

「一ツ葉」は常緑多年生シダのことで、昔は利尿・治淋薬として重宝されたそうです。芭蕉が300年以上前に詠んだ句には「木々が葉を茂らせる夏にあって、葉が一枚のままで淋しいのは一つ葉だけ。我が身も同じか」というような思いが込められているようです。裏山には芭蕉との縁もゆかりもないながら、佐久間さんのグッショブな企てがか細くももの哀しいえにしを紡いでおります。

整然と、樽。

4 Comments »

ちょっとひんやり。

二日目の午後に寄った『魚沼の里』の焼酎貯蔵庫。
樽も沢山並んでいたけど、預けられているボトルの
数ったら・・・
これって何年も預けて、節目の記念日とかに
届けてもらうように出来るのかしらね??

 

ひとまず復旧

ひとまず復旧 はコメントを受け付けていません

32年物のラジエターコアは穴だらけでした。純正部品がまだ出るのは助かりましたが、部品代は諭吉9人分です。

・・・保管費用どんだけ上がっているんだ?

ちなみに社外品だと諭吉8人分。

久しぶりに泊りの遠出。

4 Comments »

幸いに雨は降らなかった二日目。

我が家の他に友人夫婦三組、計四組の夫婦で
湯沢に行って来ました。
手配してくれた友達(♂)がよほど楽しかったらしく、
夕飯後の部屋飲みでいつになくよく飲み、弾け飛んで
おりました(汗)
本当に久しぶりだったからねぇ。

 

世界マグロデーよりも古いマグロの日

世界マグロデーよりも古いマグロの日 はコメントを受け付けていません

はじめに断っておきますと、世界マグロデーは5月2日(2016年制定)です。乱獲を避け、限られた水産資源保護の重要性を訴える、という国連の訴えには賛同こそすれ異を唱えることはこれっぽっちもありません。

が(異を唱えるつもりじゃねーか)、わが国にも「マグロの日」というものがあり、日本鰹鮪漁業協同組合連合会が頑張っているのです。

同連合会が1986年10月10日に制定したマグロの日の由来は、聖武天皇の時代に遡り、今の明石あたりを視察に出た折、随行していた歌人・山部赤人が土地のマグロ漁や塩づくりの様子を讃えて万葉集に歌った「~藤井浦に鮪釣ると 海人舟騒き塩焼くと 人ぞ多にある~」(長いので前後の文脈は割愛)長歌と、これが歌われた10月10日(たぶん旧暦をスライドさせている?)にスポットを当てております。

乱獲を抑えて資源保護に努めるというスタンスは、連合会だって同じ思いでしょう。それを根底に、奈良時代の瀬戸内の文化を伝える形で赤人を引き合いにしているところは、インテリジェンスを感じます。

32年前の25年もの

2 Comments »

クルマが届いた日は91年12月でしたが、家内が嫁入り道具で持ってきた日産パルサーのエンジンがかからなくなり、この年の5月に出た日産サニーの誕生25周年モデルを買って差し上げた(笑 なんせこの時僕が乗っていたエスクード・ヘリーハンセンリミテッドは結婚資金を取り崩して手に入れたという負い目があり)、1500ccスーパーサルーンでGTSルックの数少ない姿です。この頃デジカメを持っていなかったので写真があまりないのです。これはたぶん翌年夏の撮影。

その後、ちょうど30年前の10月9日、週末を組み込み11日の体育の日振替休日も使って竜飛岬まで旅行に出たのです。自走での初青森はエスクードの出番なしで、林道はだめだなあと思っていたら、竜泊ラインが舗装工事でけっこうな距離をダートで走りました。この頃はまだ太宰治の生家である斜陽館に宿泊することもできましたが、あてがわれた部屋は書斎やら居間やらではなくどう見ても女中部屋でした。

このB13サニーも22万キロあたりでオイル漏れがひどくなり2005年で退役しましたが、ということは、1600ノマドがあったにせよヘリーハンセン、V6ハードトップにわたって、我が家の主力エスクードのサポートを続けてくれたことになります。時代がかったデザインではありますが、B12のトラッドサニーを上手に進化させた、当時の小型車セダンとしてはなかなか美しいシルエットです。

東京・目黒じゃお祭りですが

東京・目黒じゃお祭りですが はコメントを受け付けていません

目黒区民でも事前申し込みで抽選という、漁獲量減少や新型コロナウイルス対策などで秋刀魚のお祭りはハードルが上がっているようです。

豊洲あたりでは7月や8月の予想を覆す水揚げらしく、市場単価は初物よりは多少下がっていくと思われますが、かつての100円なんていう時代はさすがに望むべくもないスーパーマーケットのチラシです。

まあね、それでも食いたいものは食えるうちに食いたいじゃないですか。と、あまり説得力の無い説得をしているところです。なんでかって、うちの家内はそれほど秋刀魚を食いたい人じゃないから。むしろ好調だという鰤で説き伏せられそう・・・

地球にI LOVE YOU

地球にI LOVE YOU はコメントを受け付けていません

40年前、既に戦闘機やバイクがガシガシと変形し二足歩行ロボになったり歩兵用アーマーになったりしている中、AFVはまあともかく(まあ、ですよ)攻撃ヘリや戦車まで変形させねば商品も番組も成り立たない時代が席巻していました。ジープタイプの特殊車両でさえ乗り越えられない不整地でのゲリラ戦には、二足歩行で臨むしかない。という、某パト2でのカンボジア戦とは真逆の論理で企画をすすめたのが「特装機兵ドルバック」でした。

もっともその頃にはまだパトレイバー自体が存在しませんけど。

バルキリーやレギオス・トレッドのような流麗な三段変形とは異なり、四駆とはいえ密閉型操縦ブロックや手足を付けたら変形前の車体は肥大化しちゃうでしょ。という別の意味での潔さが主役ロボの無限(ムゲン)キャリバーにはあり、その割り切りが二足歩行形態になったときにスタイル上のかっこよさを演出しました。

これを放送していた当時、キャリバー(とガゼット)が、よもやトランスフォーマーに召喚されるとは思いもしませんでしたが、あちらの変形はもう何でもありだし、逆に玩具の方でそこにすり合わせるのが一苦労でしたから、メーカー違いなど知ったことではないスカウトがあったようで、玩具の方は版権問題やらに阻まれなかなか日の目を見なかった歴史があります。現在流通しているものも大分リデザインされましたが、ビークルモードはそれらしく進化しています。

見納めなので・・・

4 Comments »

ちょっと足すくむ・・・

本当はいけないんだろうけど、足場解体する前に
登ってみちゃった。
天気が良くて、遠くの山並みも見えた♪
へー、こんな眺めなんだ(知らんかった)
と、撮った写真を新月サンに見せたら
「折角なんだから屋根登ってみればよかったのに」
いやいやいやいや。無理だって!
新月サンも一緒なら万が一の時通報してもらえるけど
なにかあったらどぉすんのよ・・・(なら登るなって話)

 

宵月

宵月 はコメントを受け付けていません

宵の間だけ出ている月。と言われると、それは夕月のことなのかとも思うのですが、10月6日の宵月の時刻は、月齢カレンダーによれば23時台だとか。「宵」の解釈が幅広いようで、日が暮れて間もない時間帯も、日暮れから夜中までも、どちらにも言えるのだそうです。宵月は平たく言えば新月と満月の間に入る、半月のことで、おおむね下弦の月。なんでおおむねかって、宵が前者だと月の状態は上弦になっているはずだからです。

ややこしいのは「上弦の月」は新月から数えて七日目、「下弦の月」は二十三夜に相当するという説もあるので、そもそもが同じ天体を見ていてどれだけ想像力豊かだったんだ昔の人は。と唸らされるのです。ただし二十三夜は宵月の翌日にあてがわれています。