所用があって、はるちゃん含む数人で集まったんですが。
来るはずだった一人が時間すぎても現れないので電話をしてみたら
「え?仕事中ですけど?!」
・・・どゆことよ?
本人、行けないって言ったつもりらしいんだけど
そこに居た誰も聞いてないという(爆)
そして用が済んだ後、その人の職場に突撃したはるちゃんでありました。
店長さんってこんな事も出来なきゃダメなの?
バルーンで器用にトトロとアンパンマン作ってくれたらしいです。
須賀川 松明通りの異変のその後
直近で訪ねたのが2020年の夏だったのですが、そのときは夜だったしトランスボックスの全部を見物するような時間も無かったので気がつきませんでした。しかし、異変の兆候は2010年に始まっていたようで、現在はもっと多くの怪獣影絵が消えています。今回も文化センター周辺のものしか確認していませんが、市役所側の松明通り入口にあったメフィラス星人は、現在置かれている立像案内位置図に塗り替えられてしまいました。
もっとも新しいものでは先月、交換されたか再塗装されたかのトランスボックスがのっぽらぼう。それぞれ新規設置年次がプレートで打ち込まれているので、この日見たものだけでも2015年度に更新されたBOXもありました。はてさていくつの怪獣達がいなくなってしまったのかは、案外ショックだったので数えもしなかったわけですが、トランスボックスの影絵というアイデアは外からの耳目が無かった時代に興された優れた企画だったのですが・・・
夏も近づき88万キロ
八十八夜あたりに刻みたかったのです。急性胃腸炎のせいでかないませんでしたが、突如頭のどこかに電球がともり、今日行かねばならぬと仕事を放っぽり出し休ませていただき、一路茨城街道を走って石川街道へと漂流に出かけたのです。
事の次第はこういう話 7年ぶりに訪ねていくのですが、その7年前も数奇なタイミングだったことが分かりました。
サイトリポートであらましを書いているので途中の経路説明は省きます。要は、5月2日の八十八夜に達成できなかった88万キロ到達にあたって、福島県から栃木県経由で帰還するルートは理想的な距離。棚倉まで行ったら須賀川で折り返し、那須に立ち寄って帰れば残り距離はいくらでもないと。ところが実際には25キロほど残ってしまうことが北関東道上で判明し、最寄りインターを通過し夕飯買い出しにも寄り道し、いろいろやってたら基地400m手前でこうなったという・・・
アメノウズメのお福餅
連休中、食事は雑炊系が続くものの胃腸の状態も回復してきて、諸々溜めてしまった原稿を片付けなくてはと取り組み始めたら、ただでさえ悪い頭が回りません。そういえば生クリームだとかカカオだとか全く食っていないよと、家内に「柏餅かなんか買ってきて」と頼んだら、なぜか「お福餅」。まさか三重県まで行って帰ってこられる時間は経っていないしどうしたのかと聞いたら近所のスーパーマーケットでこの日限りで売っていたと。
製造方法が進化して賞味期限が少し長くなったことや、木箱が樹脂パッケージに変更されて長距離輸送も可能になったのでしょう。以前上野駅で「赤福餅」が売られていたときにも驚きましたが、今やどちらも通販で買える時代。それでも2キロ先のスーパーで買えるとは、店舗の和菓子企画販売の下支えをするトラックドライバーに感謝です。お福というのは、アメノウズメのことを示しています。赤福とは別のあんころ餅。こっちの方が少し甘さが濃い。
報告という名の逃げ口上
いろいろあってウェブ企画もぶん投げてしまった三十五周年ですが、まあそのそれくらい張りつめていた糸が切れてしまうと気力が萎え体力もそれに引っ張られて急落するものなんです僕の場合。軽く取り違えられた企画意図から、重くのしかかった旧知の仲との袂を分かつ出来事など、ダメージの続く本年のスタートでした。ですから申し訳ありません、スーパースージー誌上においても、「明後日の方向」を向いた三十五年記事しか書けていません。
一方で(本日発売の136号の「エスクードクラブ」の文末をお読みいただければわかりますが)、同誌の二階堂編集人ご自身が受け持つ「ジムニーロード」が、2ページにわたってエスクード誕生譚をまとめています。これも良く知られた次期ジムニー会議を覆してエスクードができてしまった例の話とはいえ、エスクードの記事には違いありません。僕だけのことになると思いますが、なんとか報われたかなとため息をついております。
沢山の人々の協力をいただきながら準備していた三十五周年企画ですが、アンカーとしての僕の力量が足りませんでした。要因を考える間でもなく、三十周年のときのウェブにおいて、引き出しの中身を出し尽くしています。それだって二十五周年や二十周年とは異なるものを作れているはずです。それだもの、今は空っぽなのです。Tシャツ作ったしワッペンも作ったしで、三十五周年の形はそれで出来たのだろうと逃げ口上を打つことにします。
ゴールデンウイーク恒例。
節目の日
「ゲッターロボ」が特撮版で制作されると発表されたのが先月4日のこと。この日はゲッターの放送開始日でしたが、新作は2025年のゲッター50周年に向けてスタートしたというニュースでした。
ん? ゲッターロボは1974年のテレビ登場なので、50周年というのは放送後半にまたがっている。そういうカウントもありなのかと、まず思ったわけです。
ご存じのように、ゲッターロボは75年5月8日に最終回を迎え、翌週から「ゲッターロボG」に引き継がれました。この2話分がゲッターロボ50周年にふさわしいタイミングなのだと気が付きました。それにしても、常々感じていたことが、日本で生まれたロボットアニメが続々と海外でCG動画化され、ほっといていいのか、さっさとマジンガーZを特撮映画化しないと真骨頂まで持って行かれちゃうぞと。そこへ来てのゲッターロボは、巨大なだけでなく合体変形をギミックとした、斜め上から切り込んでくる意欲作です。
プロジェクトの総括指揮は永井豪さんが関わるわけですが、クラウドファンディングで資金集めを担当しているのが、脚本もやるらしい岡部淳也さん。あ、「BRAVE STORM ブレイブストーム」でシルバー仮面とレッドバロンを同時リブートさせた人です(てことはアイアンキングのリブートはブレイブのラストシーンでおしまいか)。うむむむ・・・クリーチャーに不安が。恐竜帝国の造形に凝りすぎないでゲッターの有機メカニカルに集中してほしい。





