六月の別名の一つだそうです。 そういえば〝夏越の祓〟って六月末よね。 写真は通りかかったお宅の塀沿いに咲いていた紫陽花。 肉眼だともう少し青味掛かっていたんだけど レンズ通すと色変わっちゃうわねー・・・
1912年5月11日、信越線横川~軽井沢間が日本の幹線における初の電化区間として運航開始されています。
なんだよ20年前じゃないじゃん。と言われること請け合いですが、無理くり掲載の日付をすり合わせているのでそうなります。僕の場合は2003年の話です。
碓井の旧道を登って訪ねた軽井沢での20年前は、BМW乗りをはじめユーノスロードスター乗りやエスクードノマド乗りとの出会いが沢山ありました。世間を知らないくせに「ネットを捨てて外へ出よう」と思っていた、若さととんがっていた僕に、みなさん親切に応じてくれました。軽井沢行は、その後北海道や青森へと暴走を始めますが、雷蔵北行逃亡はまあ機会があればまたいずれ。
雨がひどくならないうちに都内を出て、渋滞に巻き込まれないように首都高を抜けようとする月曜日の午後四時。
羽田線が大師橋の架け替えにより通行止めで、湾岸線なんか混んでるんだろうなと思いながら銀座から江戸橋、両国へと走るわけです。この時間帯だと江戸橋ジャンクションはもう渋滞です。
それでも向島線に入れば流れは良く、堀切合流も意外とスムーズにこなして三郷線に移って時速70キロくらいで走っていたらば
ばきっ
いやーな衝撃音で、左Aピラーから中央方向に向かって亀裂が生じました。跳ね石ですがどこから跳んできたかわからない。10年ぶりにフロントグラスの交換を余儀なくされました。
まさかもう在庫無いよとは言われないだろうなあ? とクルマを主治医に預けて発注かけたところ・・・
純正ガラスは受注生産で、いま注文して納品が7月末だそうです。社外品で納期1週間。保険を使いますけど昔のような等級プロテクトは廃止さてました。いろんなことが「ひどい話だぜ」ですよ。
二度あることは三度ある(イヤだ)
35周年に寄せてみたーっ
と、マミポコさんの「お嬢」ことTA01Wが24日の夜に355000キロを刻んだのですが、5000キロオーバーしちゃったというのでエスクードのデビュー日から5日ほど寝かせておきました。
次号のスーパースージー137号にて全バラ全塗装のお話を書いていただきましたが、すみませんモノクロページなので肝心の車体色がわかりません。
彼女のエスクードはフロントの外板を主体にほぼバラバラにされ全く新規の鋼材を使って組み直され、さらにパーツストックとして必要とされるものを廃盤前に買い付けたと言います。
なんでこんなに楽にパーツ調達が可能なんだ! と思っちゃいますよ。彼女のメカニックさんと鈑金屋さんの腕前おそるべしです。
新生「お嬢」の車体は、マイアミブルーメタリックからロングビーチブルーへと塗装されています。スズキには無い色。どんな色かって? 簡単に言えば、太平洋だったら遠浅の海に斜めに太陽光が入る午後二時以降の海の色です。これ順光だったらいいけれど、逆光やら薄暮やら夜間だと撮影がとても難しいなあと、リサイズのためにМSペイントで展開したら、マイアミブルーに見えるという不思議。МSエッジのフォトだと正常に出ます。
振り返るとヤツがいた。
こちらは「夕鶴」
来年秋には半世紀前の、と言われるであろう「乙女チックマンガ」の代表作(の、ひとつ)に『つらいぜ!ボクちゃん』という作品があります。ボーイッシュで三枚目ともとれる高校生・田島望、実はナイーブで瞳キラキラの女の子(左図の下の娘)。そんなギャップと飽きもせず次々と降りかかってくる恋のさや当てが面白かった。少女コミックの連載を初めて読んだのは途中の巻頭カラーの回からで、それ以降毎週少女漫画雑誌を買う羽目に陥りました。
もっともそれが続いたおかげで、後に同誌に移籍してくる「サイボーグ009」とも巡り会いますがそれはまた別の話。田島望は演劇部に所属し裏方活躍の娘でしたが、文化祭で主役が怪我をして代役の「ロミオ」をアドリブで演じ、役者の才能を垣間見せます。その後、「夕鶴」を主演することになるのですが直前に恋人が大けがをして輸血が必要とされ、彼女から採血が行われ、貧血状態のまま舞台に上がったものの・・・
数日前に書いた「つる‐鶴‐」の吉永小百合よりも早く、ただし「つるの恩返し」よりは遅く、彼女「おつう」を見ることとなった貴重な出会いなのですが、作者の高橋亮子さんの作画は乙女チックで本を買うのもこっぱずかしい、ただ田島望の伏目の表情と唇の描き方がとてもかわいらしく、引っ張られてしまったのです。そこを差し引いても、「竹取物語」や「雪女」以上に、「つるの恩返し」や「夕鶴」は琴線を揺るがす作品でした。
今回、出発した場所が千葉県市川市だったため、往路は外環から関越道経由で上信道まわりでしたが、クルマもポンコツだし上信道から関越道までの道のりも走るのがおっくうで、ここ数年は妙高からの帰路に、十日町経由で越後湯沢から関越道へのトラバースをしています。なぜ?ってねー、寄り道しないならこっちの方が楽なんですよ。そのまま北関東道に乗り換えられるし。ただ、どっちのルートも寄り道しないと飯を食うスポットがないとう・・・
しかしです。ことしは定宿「空飛ブウサギ」のキッチンカーが上越高田のお寺の縁日に店を出すと教えていただき、そういうことならもう長岡まわりで北陸道と関越道でいいじゃん。とばかりにチェックアウトのあと高田にひとっ走り。
ガレットとスイーツで始まったキッチンカーは現在、ハンバーガーやバターチキンカレーやロコモコ丼に拡張されていました。そりゃもう美味いですよ。
というわけで本年のつくばーど®in妙高高原16.90はこんな感じです。
妙高放浪か糸魚川漂流か
とん汁はいろいろありながら昨日の遅い昼飯で食ってしまいまして、週末なんて開店前から行列できちゃうのでそれは遠慮して、たまに食うならクレープの甘味攻撃もなんとかなるだろうとそっちに逃げようと思います。上越市や妙高市は、地の利を知らない街(何年通ってるんだよ)故に、クルマを停められる喫茶店をなかなか引き当てられないので、ほんとうは夕方までカフェ巡りをしたいところですが毎度行き当たりばったりでうまくいくかどうか。
一方で、山向こうの糸魚川市にあるお気に入りな蕎麦屋に、昨年は時間の関係で立ち寄れなかったので、クレープ屋は明日に延ばして朝から移動しているかもしれません。5月下旬時点で笹ヶ峰から先の通行規制が解けないようなので、これも北陸道まわりということになりそうです。でも、せっかく日本海沿岸に来たんだから、どこかで魚も食って行きたい。イベントと林道が無いと、途端に食道楽しかない観光なのです。



