「専門業者の目で見ても破格の安さだったんですよ」と、島雄司社長が言うほど、いまどきそんな値段なの? なこの導入検討中な車。あちこちで散々な言われようでしたからその影響なんでしょうか。
しかしそれが怪我の功名になるとは。しかもこれが、Team WESTWIN復帰の切り札になる(かもしれない)とは!
果たして勝ちを獲りに行くのか笑いを盗りに走り出すのか。少なくとも川添哲朗選手のリアクションには苦笑いさせられています。
「これ屋根切っちゃってもいいですか?」
切らなくても外せるってば!
この当時の島雄司さんを知らないのですが、彼は2001年から06年にかけて、クロスカントリーのトライアル大会やダートトライアルに自ら出走し、E376と称するTA01Rの改造車を扱っていました。
これがTeam WESTWINのルーツ。いつのまにか、彼自身の引退から20年が経過していました。
2006年は、僕のところにもTA01Rがやってきた年回りでしたが、うちのコンバーチブルは2型。島さんが乗っていた1型からはけっこう進化していて、特にリアサスのとっ散らかり気味な挙動をよく抑えているのです。
逆の見方をすれば、E376は、ごく初期のエスクードにあった、旋回中にアンダーステアがオーバーステアに豹変するブレーク特性をはらんでいたのです。島さんは後に、以下のように語っています。
「TA01系ならではの軽さとバランス、エンジンブレーキにより車体がフロントフルボトムすると同時に、リアのトラクションが抜けた時に起こるAア-ムならではの独特の旋回力を生かせる走りが出来たらいいですね」
この考え方が、後継者として育っていった後藤誠司くんや川添哲朗くんのようなドライバーを送り出し、九州のダートトライアルでは台風の目になったのでした。
わざわざニコイチするために同型車を用意してきたのは、もちろんエスクードという四駆に対する世間への意地の張りかたでもありますが、平たく言えば見栄っ張りなだけです。作業は着々と進み、フロントまわりはバックドアとともにそっくりそのまま移植。ひしゃげていたナンバープレートがすっきりして一安心(何がだ?)。よく見ると前回の写真では取り付けられていないマルチメーターもオンダッシュに収まっています。シートもレカロを移しましたが、シート自体はそろそろ寿命。
知らない人には全く理解されないであろう、つくば市の東新井ににかつて存在した「FootMarks」の足跡ステッカーも、もうお店も店主もこの世にいないしストックも無いので、クォーターウインドーごと張り替えました。なんでかって、この喫茶店こそが「つくばーど®」発祥の地であり、これが無いと「筑波山見えない基地のくせしてつくばーどとは片腹痛い」と言われる強迫観念があるのです(だから誰も知らないって)
まだルーフエンドスポイラーが付いていませんが、屋根上のラックは健在です。あおいろさん曰く「これがおれらの存在意義でしょ」と昔言われた一言がこうさせています。コイルスプリングは流用しながら、ショックアブソーバーは前後とも新調しました。バックドアは、もういろいろ付いているのが剝がせないので全交換です。タンクガードは前所有者から引き継ぎ。うちのは幌車にまわします。これで一点だけ、らすかると異なる外側装備がありますが、まあわかんないよそんなの。
以前、エスクードのアナログ式オドメーターは100万キロを刻む際に六桁ともゼロに戻るのか、その手前で止まってしまうのかをお客様相談室に聞いた時には「わかりません」の回答でした。そんな事例無いものなぁと、うちのエスクードでもまだ未達成だったその頃は思わざるを得ませんでしたが、検証結果を報告させていただき、それではデジタル化された最近のスズキ車はどうなのでしょうかと再び聞いてみました。
「昨今のスズキ車は999999キロで停止し、そのまま固定されます」
という回答でした。まあ軽自動車から小型車普通自動車全般、そこまで走らせようなんて酔狂な人はそうそういないでしょうから、計器の設計上そうなっても大きな問題にはならないと思いますし、むしろゼロに戻ってしまうと「何これこの年式で全然走っていないし」と勘違いされてしまうことの方が良くないのでしょう。
これだけの距離を走ったという意味では、ゼロ並びよりも現実味はありますが、リセットされない現実は、それはそれでなんとなく寂しいものがあります。100万キロ、達成実現させるならアナログ式時代のクルマに限りますので是非(いやそうそういないって書いてるだろうっ)
この回答とともに、お客様相談室からはお祝いと励ましのメッセージもいただきました。
恥ずかしながら一瞬、どっちがどっちだか見間違えそうになりました。数日前のものなので、作業はさらに進んでいます。
昔だったら部品剥ぎ取りのハイエナオフ会とかよくやりました。まさかね、自分で自分のエスクードにそれを施すことになろうとは。ほんとだったら持ち帰って部品取り用に保管した方がいいんでしょうけど、忍びなくて見ていられなくなるからそこまでできません。
なんか世間では「まだ乗ってたんかーい」とか、てめーぶん殴るぞと思わせるようなことつぶやいてる文面が漂ってるんですが、大きなお世話なんだよまだ乗るんだよ別個体だけどさ。
まあ誰にも理解できないことだろうと感じますよ。だからそれでいいのです。腹立ってますけど、仕方がない。
年式の上では20年などとうに過ぎている、35年前のTA01Rですが、これを見つけたのが2006年秋のこと。僕の所有となってからの勘定で、ことし20年めを迎えることになります。昭和の終わりに誕生したエスクードですから、細部を見ていくと、91年式辺りはまだ初期型の部類らしい古くて粗削りなところが発見されます。もともと主力はハードトップだったし、ノマドが追加されてからは文字通りマイノリティな商品になり、それでも初代モデルの最後までカタログ落ちしませんでした。
同様に20年乗ったТD61Wを1台廃車とし、パーツ移植のためもう1台の61Wも入庫中なので、現在このコンバーチブルが代走として活躍しています。2人の娘らもこれで免許取得時の練習と、若葉マーク時期を過ごしました。おそらく01Rと61Wの2台体制はしばらく継続となるので、01Rは最も古いが故、維持継続のハードルも上がるはずですが、我が家で最長期間の記録を樹立することになるでしょう。
で、上の写真でお分かりかと思いますが一昨日上がってみたらもう開花していました。さすがの河津桜。この連休初日あたりに開いたような感じで、その他のつぼみも続々と大きくなっています。連休明けからいくらか雨降りらしいので、その後の寒の戻り次第でしょうけど見ごろは今週末かも。
といってここで花見を設営すると間違いなく我慢大会ですねえ。
「嵐」に化身する忍者ハヤテには双子の兄がいて、この兄フユテもまた剣士月の輪に化身します。脳に針が埋め込まれていて、刀の鍔と鞘がぶつかる音に共振して全身の細胞配列を変える。石ノ森章太郎さんの変身の概念として、仮面ライダーよりもわかりやすいです。しかしフユテ/月の輪は2話分の登場でしかなく、マグマに落とされた弟を助けるべく命を賭してハヤテ/嵐に融合します。こうして新生・嵐が誕生するのですが、石川賢さんの漫画なんて、それを1ページでやってのけていました。
嵐と月の輪は似ても似つかない姿ですが、その再生のプロセスは、うちのエスクードの再生によく似ています。そんなところに影響されていたのか俺は(笑←ようやく)。Zがズタボロにされてグレート、ゲッターが敵に対抗するためにG、ダンバインが壊れてビルバインなど、どれもイメージが違う中で、変身忍者嵐は「そうそう、そんな感じ」なのです。残念ながらエースとジャン9のようにはいきませんでしたが、嵐の「秘剣影写し」(うつしの字が違うけど)のようなものです。
コムロさんが先日のつくばーど®に持ってきてくれた、フランスのOttOmobileがリリースしている「1/18スズキビターラ・カブリオレ」(向こうじゃコンバーチブルって呼んでないのか?)を取り寄せました。良く出来ていて、適度に手抜きされていますが、ヨーロッパじゃ昔からビターラ/エスクードの評価軸は高いところにあるんですね。モデルは初代の中期型から起こしているようですが、その時点で約30年前のクルマが今、スケールもので出てくるのだから。
2008年にミニチェアブランドとして立ち上げられた同社は、自動車の熱可塑性部品製造を手掛けるエンジニアが2003年に玩具業界に進出したそうで、ダイキャスト玩具の開発を通して中国でプロダクトマネージャーをしていたようです。ここ、後述。そこから生み出されたのが1/18スケールという、ミニカーメーカーが「高価で売れない」として敬遠していたサイズへのトライアルです。ちょっと意外な話で、僕などは「1/43だとコレクターが認めない」と聞いていました。
だから、僕の聞き及んでいた話の方が一般的で、いわゆるエンスージアストには1/18くらいが好まれるはずなんですが、ヨーロッパのメーカーだと「売れない」と判断していたのが意外です。ここに風穴を開けてきたのがOttOmobile。ちなみにこのビターラの生産数は1500個らしい。僕のは厚木の京商から届いたもので、859のシリアルが貼られていました。コムロさんは海外から取り寄せているので、もう少し若い番号ではないかと思われます。
さて後述。OttOmobile創業者のフレデリック・ギリエ・サフケとニコラ・ユリエンは、それ以前の玩具業界進出の折、中国で仕事をしていた。中国製でダイキャストのクルマの玩具で、そこそこ良く出来ていて適度に手抜きされていたやつと言ったら・・・あれのことではないのか? 日本で売られていた年代はほぼ一致します。確かめる術は写真と手紙でも送るしかないんですが、どなたかフランス語に訳して清書してくれる人、いませんか?
予想通りなのか考えすぎだったのか。こんな結果になりました。
おかげさまで無事に行事はお開きとなり、BLUEらすかるは過酷な運用から解放され、退役となりました。
よくよく考えたら、月遅れ新年会の時期でした。沢山の仲間たちが参加してくださり、主催者みょうりに尽きる1日でした。
ありがとうございます。