直撃するのか掠るのか。墓参りの時間帯だけ持ちこたえてくれればいいのだけれど、
「今日から集中講義なんですよー」(霙)
「あたし、夕方から飲み会・・・」(霰)
「はいはいどーせ日直なんだよっ」(家内)
約一名、同情に値しないやつがいます。
津波から二週間後、ようやく足を踏み入れることのできた石巻の町は、その年の2月に訪ねたときの記憶と照合するほど言葉を無くしました。風のない埃とヘドロ臭の立ち込めた町なかに立つヒーローの立像よりも、その近くで勝気に笑いながら炊き出しのように肉を焼いて振る舞っていた青年たちの方が、掛け値なしに勇者の背中を思わせた5年前。この仮面ライダーを撮影することそのものに後ろめたさを感じながらも、当時の心境はこんなで、書き留めずにはいられませんでした。
先日発売された月刊誌に、村枝賢一さんがこの立像をキーワードとしながらも、あのときその地で活躍した人々のことを読み切り漫画として描いています。秋田県横手の美術館と、石巻の萬画館をスタンプラリーするともらえる小冊子の内容を再録したものです。
僕はあの時、物言わぬ、動きもしない立像に、偶像なんぞを拠りどころにしてはならないと感じたし、その考えは今でも変わっていません。しかし村枝さんは、津波に流されることなく残ったこの立像に人々は勇気づけられたと、実にやさしい気持ちでネームをまとめています。
その考えもありだなと、このエピソードを素直に読みました。
JAC’SVillageについてのもう一つの話題。春にオープンしたショップ棟の2階にあるカフェにお邪魔しました。こっちにはこっちで、店内の立ち上げを担当した朗らかな店長がいます。乱暴な表現をしますと、レストラン・コンテッラのスーシェフがWWWAのトラコンの赤毛の方だとすれば、こちらの店長はもう一人の黒髪の方・・・という、わかる人にしかわからないような紹介をしておきます(あっ、だけど努々、そのままの容姿をあてはめないように。間違っても当人たちに言ってはなりませんっ←言ったってわかんねーよ)
本来ショップ棟はアンティークものやアウトドアグッズ、アップサイクル品を販売するスポットなのですが、それだとリピートはしにくい。立ち上げが後になりながらもカフェができたことは、コンテッラで飯食ったあとに珈琲飲みに通えるのでありがたい。ありがたいけれども、コーヒーなどを注文する際レジで前払いはいいんだけれど、2階の小物売り場の会計を兼ねたレジがカフェと全く反対の場所にあるという不自然さはどうにかならんのかと苦笑します。胡桃とレモンのパウンドケーキは自家製だそうです。
ショップ棟ではいろんなことをやっています。インスタグラムなどで、その様子が見られます。
ところでショップ棟も調度品や建築資材にリサイクル思想をふんだんに取り入れていますが、カフェの窓に組み込まれたJACの抜き文字が面白い。よくよく見るとこんなもの使ってます。通電するのかどうか気になりますが、カフェは16時閉店なので、確かめられません。
津波を経験してからというもの、夏の浜辺に遊びに出掛けることがなくなりました。少し昔の人は同じような体験を繰り返しながらも、南洋幻想という太平洋のかなたに対する一種の憧れを抱き続けたようですが、東日本大震災のダメージは、南海からやってきては日本を壊滅的危機に陥れる怪獣の比ではありませんでした。
ま、それ以前にここ数十年の茨城の海なんて、既得権をいいことに数十メートルおきに監視員が立ちふさがり、遊びに寄りたきゃ駐車料金払えと高飛車に言いやがるので、近寄りたくもないのですが。
しかし自らの生活習慣から海岸線をオミットしても、夏になると冒険譚のような企みやら行動には触りたがる性分だったのです。現在、それが遊びではなく仕事に追われての「遠出三昧」となってしまい、まったくとは言わないけど楽しくない。
少なくとも奇譚にはならないもん。でもせめて、空想は置いておくとしても自然科学的な見聞の時間くらいなんとかならんかなーと思うわけです。
「いやいや雷蔵さん。そういう時間が得られないからこそ空想科学の冒険譚でも読みながらイマジネーションで遊ぶもんでしょ」
知人にそのようにたしなめられ、先週読んでいたのが「海底軍艦」とか「十五少年漂流記」とかではなく「パンゲアの娘 KUNIE」。すいません、ただでさえ活字に埋もれた仕事のため、夏場は活字が頭に入らないのです。
だけど、何度か書き留めたことがありますがこの漫画は「夏休みの冒険譚」という点ではとても面白い。読み切りで笑い飛ばす「光画部の夏休み奇譚」とは異なり、連続ドラマで子供たちの夏休みと大人たちの地球が大変が二極で進んでいくジュブナイルなのです。ここにたぶん意図してのことと思われますが、南洋幻想も組み入れ、南の海のかなたの神秘と怖いものも内包している。たたみかけて五冊で終了してしまったことが実にもったいないけど、そのもどかしさもまた味わいなのです。
夜中ン百キロを走って目的地近くの道の駅にたどり着いて、まず一冊目を読んで、眠気を呼び込む。続きは寝落ちした後起きるまで・・・というあ~る田中一郎さんのような器用さはありませんが、五回に一回くらいはトロピカルな風景が睡眠中の脳髄のどこかで再現されます。
ところで夏休みの臨海学校的な展開がこの漫画にもあるのですが、臨海学校という催事に関するウィキペディアの公式・非公式行事解説が思わず笑っちゃう記述です。もちろん非公式のほうね。こんなセンスは大好きです。
暑気払いの前日、主治医のところに助手席ドアミラーの鏡面交換と、最近になってヒューズが溶ける過電流症状が出た補助灯回線の点検に出向きました。
フロントエクステンションバーごと補助灯を交換した際、リレーも新調していました。その後のヒューズ切れなので、配線自体を取り寄せ引き直すことになります。むー・・・旧盆前に作業に入れるかどうかが肝なんだけど、その場合来週は幌車で仕事をこなさねばならないか。
と思って今週の入庫を断念し迎えに来てもらった家内に状況を説明して、エスクード2台で引き揚げようとしたところ、人の車の鏡を割りやがってそのまま過失を認めず逃亡した親父のJB23が、ちゃっかり自分の修理で入庫しているではありませんか。
どうやらこちらの修理は完了して引き取りを待っているようですが、主治医によるとステアリングギアボックスの劣化も進んでいて、だいぶガタが来ているとか。
走行距離を聞いたらいつの間にやら13万キロを越えているとか。そりゃガタも来るだろうよと思わされましたが、なんかこう不憫に見えてしまって、最初はこっちの請求書をフロントグラスに糊付けしてやろうかと考えたものの、何もせず放置して帰宅しましたですよ。
・・・ちくしょー、そういう心理作戦か?
『雷蔵さんとこTシャツ買ってもらったらしい。和邇パパもTシャツ欲しいゾ』と言ってみたらコレ。
いつ着ればいいんだろー?
娘1号の見立てだそうで。家内はいたって無関心(笑)。
ダブダブなのになぁ。
7月20日の『風よ、光よ』は、この日が「Tシャツの日」だったので取り上げていた我が家(雷蔵)日誌でしたが、同じものを探さずウルトラ怪獣で見立ててくる和邇お嬢姉ちゃんのセンスが、クロスカウンター効いてて大好きですよ。
これはもう仕方がないから親子でこれ着て、帰ってきた怪獣酒場にでも繰り出していただきたい。
和邇お嬢妹ちゃんよ、なんか1枚買ってやれやー。
なにやら今月27日は毎年のこと、フィンランドでは寝坊助の日として「身内で一番遅くまで寝ていた者を水の中に投げ込む」という、実際に見たことがないのでほんとですか?というような風習がある・・・
と、あちこちの風物詩や祭事サイトがこぞって、そしてもうほぼ異口同音の紹介をしていらっしゃる。
訪ねたことのない国ですけどけっこうな高緯度ですよね。7月末って朝っぱらからそんなことされても大丈夫な陽気なんでしょうか。妙なところが気になってしまいました。
その由来についても、どこのサイトを読んでもやっぱり一緒で、もう何の迷いもなく「200年間眠り続けたというエフェソスの『7人の眠り男』の伝承に基づく」で、少しもぶれておりません。
なるほどそういう話なんですかと思ったし納得したんだけどね、その由来を否定する必要もないんだけどさ。元情報から引用した人々は、何も感じずに使っちゃってるんでしょうか。
7人の眠り男というのは、キリスト教が弾圧されていた時代に7人の教徒が町から逃れてとある洞窟で眠り込み、目覚めたら何百年も経っていて、その間にキリスト教が公認されていた・・・というものです。問題はその土地、エフェソス。エフェソスってトルコ本土のエーゲ海沿岸にある、発掘中の古代都市です。
19世紀から発掘が始められたところだそうですが、そこから誰かがこの伝承を北欧まで持ち帰ってイベント的に広めちゃったのでしょうか。フィンランドとトルコって、直線距離で2600キロですよ。なんで小アジアの逸話が北欧のイベントに用いられているんだ? と、誰もそこに関心抱かないのかよー・・・