Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

「夕」惑 You work

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夜明け今までより1時間とか1時間半とか2時間早く仕事を始めろとか国は言いますが、従来から2時間通勤していらっしゃる人にはほんとに同情を禁じ得ません。そういう人たちって、ずっと前から5時起き6時出発8時くらいにはそれぞれの会社近くのコーヒースタンドにいるのではないかと。この習慣が少なくとも1時間前倒しになると、1時間早く退勤できても結果的には体にかかる負荷は増えること請け合いです。客先が仕事してたら飲み屋に行ってられないだろうしね。

そして恐ろしいのは、秋田とか青森とか久慈あたりで、ただでさえ情け容赦なく9時から仕事をしなくちゃならない日がある僕の場合、相手にサマータイムシフトなんかとられたら新幹線使ってられません。丑三つ時よりも前に仙台を出なくちゃ間に合いません。

で、僕はそれをやれるわけですが(やりたくねーよ)、部下には強要できないので前泊を認めることとなり、その経費がどんどんかさむのです。

Oh baby,dancin’in the dark.

何処の馬鹿だよ「夕活」なんて能天気な新語作って喜んでるのは・・・

ようやくの梅雨入り

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三陸沿岸での仕事が多かったせいか、山瀬による低温で、それこそ梅雨の意識はちょっと前に帰省した時と、先日の福島でしか体感していなかったので、仙台界隈がまだ梅雨入りしていないことにも気づきませんでしたよ。

今日あたりに梅雨入り宣言が出るらしいのですが、記録的に遅い年回りだとかで、ということは夏も後ろにずれ込むのか、はたまた夏は時短されてしまうのか。

冬から春が駆け巡るのは異様に早かったのになあ。もうそろそろ夏かなと思わせておいて、夏の前に涼しい時期がいったん戻ってくるというのが宮城以北の沿岸。いや仙台郊外だって、窓開けて走っていればエアコンなんかまだ必要ないです。

とはいっても、市内で仕事をしている場合は、作戦室に戻るや否や風呂に飛び込む習慣が出てきたので、夜中に来ていた春物を一通り洗濯してタンスに押し込まないといけないようです。

しかしテーブルがいまだに炬燵だというのは大いに問題あり・・・

にぎわう夏へ

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川俣例によってどのあたりが花塚山かはわかっていないんですが、山麓のモニタリングポストで空間線量をみると、場所によっては仙台並みの数値に戻ってきていて、除染の効果が出ているんだなと感じます。川俣町の町長さんに聞いたら、5月に山開きを果せたとか。少しずつでも山登りのための環境整備もしなくてはと話しておられました。高齢化と過疎化に対峙する復興の街づくりを進めている川俣町は、それでもまだ、山越えして浜通りに向かう途上の飯館村と比べたら、ずっと運に恵まれたということでしょう。

除染福島第一原子力発電所の場所を思えば、川俣にしても飯館にしても、なぜこんな目に遭うのかという距離と位置関係。その日たまたま、風向きに乗せられたプルームが飛散したかしないかのことでしかなかった。そこに国道も県道も中通へ通じていて、浜通りからの避難も本来は合理的なルートと言えたでしょう。心配事の9割は起こらないという話もありますが、残る1割に当ってしまうのも、確率なのです。そのまま南相馬へ降りていくと、プルームの影響を受けなかった場所では、少しずつ4年の時間を取り戻そうとしています。

r店長再び川俣町。あの「店長」がいるコンビニエンスストアは、浪江や南相馬へ向かう街道筋にあり、そして店長は時々、花塚山の方を見上げていることがあります。そこから見えるどのピークが花塚山か、前述のとおりよくわかっていないのですが。今度の冬には、その頂上から「見えるかもしれない富士山」を捕える人が現れるのかもしれません。そんな冬に至る、夏の始まりです。

リサイクルの六次産業化

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JAC-1震災復興のがれき処理で知り合った、JAC(ジェー・エー・シーと呼びます。ジャパンアクションクラブ、ではない)という解体業とプラスチック廃棄物の中間処理業を営む会社が、宮城県の東北道村田インターチェンジ近くにリサイクル拠点工場を有しており、その見学におじゃましました。業務契約した地方公共団体の町から排出されたプラスチック廃棄物(菓子袋だとかペットボトルだとか)を回収・破砕・溶融して固形燃料化をはじめ二次製品化している会社です。

このリサイクル業務は、創業から20年にもなり順調に経営されていますが、社長の真野孝仁さんは、資源活用、エネルギー再生、リサイクルへの意識啓発といった視点から、ある意味リサイクルの六次産業化を図り、消費社会の中のリサイクルの文化を育みたいというテーマを抱いています。

こう言ったら失礼なことは承知で舞え置くと、企業規模としては決して大きくないこの会社が掲げるテーマとしては、志の高さに対して、背負うものが大きすぎる。それは本来、国レベル自治体レベルの政策的な取り組みでしょう。

「その通りです。が、声を上げ活動する人がいなければ、その政策も芽吹かない」

というのが、真野さんの手にした蟷螂の斧(おいおい、ほんとに失礼だな、俺)。だから思い描いたことは実行してみようというのも、真野さんの魅力です。真野さんと初めてお目にかかったのは、震災の年の今頃。石巻の雄勝でがれき処理のための特殊破砕機を拝見したときのことで、この機械がアジアに二台しかなかったもの。油脂類を抜き取った自動車を放り込むと、1分足らずで粉々に破砕し、金属と非金属に分別して処理するというドイツの機械でした。これをがれき処理に応用し実験しておりましたが、後に名取市のがれき処理現場において投入されました。

その頃既に、プラスチック廃棄物の固形燃料化以外の道を模索していた真野さんは、インターロッキングブロックに近い二次製品を自社生産するようになり、施工性の良さと耐久性の高さで少しずつ需要を獲得しています。震災以降、被災者の臨時雇用に始まり障害者雇用のA型認定を獲得し・・・と、この4年間で、この会社、なんだったっけ? と思わせるほどに、リサイクルの観点から事業をふくらませています。

jac-2今年になって、工場に大型のバイオマスボイラーが増設され、何を始めたのかと思えば「温泉が出たのでこれを加温する」という。もちろんボイラーによって沸かされた給湯は廃棄物の洗浄に使われているのですが、用途を広げて温室野菜の栽培も開始しています。この秋には、それらを組み合わせたリサイクルパークをオープンさせるため、自社施工で温泉水の利用(たぶん足湯)施設や、野菜や雑貨の販売コーナー、温室でとれた野菜を使ったピザ販売などを考えているとか。

すごいわ、それ。

さすがに自社施工で試行錯誤のためか、6月とされていた仮オープンは夏以降にずれ込んでいますが、ずれているなら今の内にアピールしちゃえばいいじゃんと、言いふらし応援を買って出ました。成功できるか否かはまだ見えませんが、これはとにかく、9月になったら再び見学企画をお願いして工場を訪ねたいと思いました。

丑三つ時を過ぎる

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6月ともなれば、午前3時の空はこんなに明るいのかと思わされます。すでに草木が眠り、家の軒が三寸さがって、魔物が跳梁していた時間帯は終わったかのよう。スラブ神話の地霊も、そろそろ手下を連れて禿山に帰って行かねばなりません。

だからさ、俺だって寝床に帰って寝たいのよ。魔物や精霊と違って働いてたんだからさ。でもこの時間に移動しないと、出張先での仕事に間に合わないのよ。

 

先駆者の時代

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C-10既に50年前にもなるモータリゼーションの頃、我が家にあった自家用車がスズキでした。これ、親子の越えられない壁(笑) 僕がなんぼエスクードに傾倒しようとも、先駆者であり開拓者という意味で、このフロンテ800がうちの親父のスズキ談義における切り札なのです。

がしかし、これに乗せられて出かけると故障し、修理に赴くという記憶しかないのが、逆襲の一手でもあります。

それでも、モータリゼーションなんて東京と名古屋の間の話のようなもので、この車が写っている数少ない写真はすべて砂利道の上です。わざわざ林道になど行く手間もいらなかった、そこらじゅうダートのドライブでしたから、チェーン駆動方式というのは弱かったのかもしれません。

jb23w-7何の因果か、お袋の命日の翌日が親父の誕生日でして、どうやらことしは傘寿の祝いらしいので、たまにはおだてておくことにします。

が、人の努力をことごとくあざ笑うかのように、うちの親父はジムニー乗り。双方絶対に譲らない、壁どころか永遠の溝です。

 

一回忌

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木陰の記憶お袋が急逝して1年が経ってしまいました。

何をいまさら、こんだけ毎日くだらないブログを書いていて「いつの間に1年」だよ。なのですが、単身赴任していて基地に居ない日常というのは、時折、現実と乖離している自分があることに気づかされるのです。

取り残されている、と言った方が正確かもしれない。

あの日、家族は早朝から大変な思いをしていたはずで、僕が帰宅した夜にはほとんどの段取りも済んでいて、ありていに言えば何の役にも立たなかった。

親戚の美容師の娘さんが施してくれた化粧で、ごく普通に眠っているとしか思えない姿の前で、いったい自分はいま、何処にいるのだろうと、思考すらまともに働かなかったにもかかわらず、部下や客先からの電話には臨機応変な受け答えをしていました。

狐につままれ、貉に化かされていたようなあの日。しかし欠落したいろいろなものの中には、悲しいとか寂しいという感情も混ざっていて、親の野辺送りだというのに、他の家族のように泣くわけでもなく蹲るわけでもなく、淡々と過ごしていました。

いや、生前やれるだけの孝行はきっとできていたはずだから、いいんだけどさ。

ああ、1年経っちゃったよ(一回忌の法事は先週末に済ませております)

つゆのあとさき

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洗車永井荷風のじゃないほうで。日常、車庫で待機状態のぷらすBLUEは、一週間で誇りと花粉にまみれて、まさしくトパーズ色になっちまうのです。

優秀なメカ守りによって、ときどきは手入れしてもらっていますが、そろそろコーティングし直さないといかんなー。

冒険者

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伊能図西暦1800年の6月11日(改暦前だと寛政12年閏4月19日)。日本列島の形と大きさ、長さを知りたいという探求心から、伊能忠敬さんは子午線間の距離を測ろうと、蝦夷地へ向けて第1回目の測量調査に旅立ちます。幕府に対しては、帝政ロシアによる蝦夷地の侵略という懸念からの、国防上の地図作成を名目としていましたが、彼が師事していた高橋至時が、自ら行った改暦の暦の精度に満足しておらず、その正確さを得るための子午線1度間の距離測量というのが狙いでした。

至時への弟子入は齢五十。それ以前は天文学ではなく土木事業の監督官であり、また財政再建としての役目がほぼ半生の仕事でした。蝦夷地への測量嘆願が通るまでに3年を費やしており、五十五歳にして第二の人生云々というエピソードは、ビジネス雑誌が繰り返し特集する人物伝です。団塊の人々と接していると、今まさに俺がそれだと、とてつもないバイタリティーを見せつけられることがありますが、それはまあ関係ない話。

1日40里(!)を歩測で調査しながら、伊能さんは3週間で津軽半島の三厩に達していたというのは、つくばーど基地からだったら「700キロ越えだよ7時間だよめんどくさいよ」とか言っていた僕にはピンとこない速度感ですが、伊能さんは海岸線を伝っているわけですから700どころではない。そんな作業を幾度も繰り返し、日本列島の形を描ききるまでに17年をかけているとなれば、もう頭が上がりません。

ただ、伊能さんがその地図の完成を見ることは無く、彼自身は蝦夷への出発から18年後に没しており『大日本沿海輿地全図』が公にされるのはさらにその3年後のこととなります。

現代では国際宇宙ステーションや衛星からのリアルタイムの映像で、日本列島の形がつぶさに見られますが、二百と十五年前、その遠さ近さも併せて、国土の形を知ろうという探求心は、冒険者の所業に他ならなかったはず。

伊能さんが21世紀の人だったら、太陽系はおろか外宇宙の距離まで測れる技術を前にして、どんなことを考えるのか。凡人にはなかなか想像つきません。

あれ?あっ、蛇足なんですが、伊能図(の複写)の写真を探して2004年の書庫まで遡ったんですが、この年既に、国土地理院の地球ひろばには、あの1200万分の1の地球儀が設置されていましたわ。でもこの頃、太陽の位置が筑波山というアナウンスは無かったと記憶してます。

 

機種交代・・・の予定

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転勤時に導入したLIFEBOOK(左)も昨年キーボードが破損し外付ものでしのいできましたが、先日ついに起動しないというトラブルが発生し、こりゃいかんと電気屋に出かけて予備機(右)を購入しました。OSが今更ながらに7から8.1になって、実装メモリもHDDも申し分なかったもの以上に充実。図らずもBlu-rayまで使えるようになっちまいました。それで筐体が半分の薄さしかない。つまりかなり軽い。

しかしソケットや底部のメンテナンスリッドなどはだいぶコストダウンされ、排熱性なども落ちている感が否めません。

それにしても、タブレットとしては使わない環境において、8.1の操作感はなんとも使いにくいわ。使えるうちは既存機を延命させたいといろいろいじったところ、キーボード以外の動作不良が直ってしまった。

げげ・・・このことは家内には黙ってよ。